しるしと不思議の意味を読む
1 どんな種類のしるしになることは,特権ですか。イザヤは,そのようなしるしをどのように述べましたか。
永遠につづく善い事柄のしるしになることは,よろこびに充ちる特権です。正しい価値評価をする人々にとつて,そのようなしるしとして奉仕する人は,美しいもの,心から歓迎する人,心から受け入れるのにふさわしい人です。それですから,ヱホバ神の真の崇拝について,そして地上における神権制度の再建についての良いたよりをもたらす使者は,うつくしいしるしです。そのような使者は,第一次世界大戦のすぐ後,そして神の証者たちがまだ,この世の戦争狂気に駆り立てられている諸国民に捕われているときに,現われるであろうとヱホバ神は預言者イザヤを通して語られました,『この故にわが民はわが名を知らん。このゆえにその日には彼らこの言葉を語る者の我なるを知らん。我ここに在り。よろこびの音信をつたえ,平和をつげ,善き音信をつたえ救をつげ,シオンに向いてなんじの神は統べ治めたもうという者の足は,山の上にありていかに美わしきかな。なんじが斥候の声きこゆ。かれらはヱホバのシオンに帰り給うを目と目と相合わせて視るがゆえに,みな声をあげてもろともにうたえり。エルサレムの荒れすたれたるところよ,声をはなちて共に歌うべし。ヱホバその民をなぐさめ,エルサレムをあがないたまいたればなり。』― イザヤ 52:6-9。
2 誰が高いところにいるこの使者を見ましたか。彼らは,どのように『面と向つて』ヱホバを見ましたか。
2 神の制度シオンの福祉を守るために見張つていた者たちは,使者が高いところに上つて来るのを見ました。彼らは,使者が神の制度なるシオンに向かつて『あなた方の神は王になられた』と聞いてよろこびました。神の御国は,インマヌエルなるイエス・キリストにより天で設立されています。そのわけで,彼は私たちを救われたのです。そのわけで,彼は恵みをもつて私たちのところに戻られたのです。ヱホバが恵みをもつて戻られたことを示す証跡は多くあります。そして,彼がシオンに戻られるに際して,ものみは彼と面と向つて会つたようでした。シオンとは,彼が御自分の聖なる御名を置かれた制度のことです。彼らが叫びをあげて,すべての人に聞いてもらいたいと欲するのも当然の理由があります。
3,4 (イ)その使者は何を持つていましたか。その使者を遣わした方は誰でしたか。(ロ)ロマ書 10章12-15節では,使徒パウロはどのように論ずることにより,この使者の誰なるかを表わし示しましたか。
3 さて,誰かがその使者に良いたよりを持たせたのです。その良いたよりで,使者は美しく見えました。誰かがその使者をつかわして平和を聞かしめ,良い事柄についての良いたよりをもたらし,そして神を愛し,神の王なることを欲する人々に救を聞かせています。遣わした方はヱホバ御自身です。ヱホバは全国民の前に御自分の聖なる腕を表わし,そして地の四隅にいたるまで御自分のなされる救を見させたいと欲して居られます。彼の遣わす使者は,良いたよりを伝える為によろこんで徒歩で出かける人々の群れです。彼らは献身している聖なるクリスチャンであると,使徒パウロは霊感によつて言明いたしました。彼は,それらの者に対して前述のイザヤ書 52章7節の言葉を引用し,そして次の言葉でもつてその論議の最高潮といたしました。
4 『すべての者に対して同一の主があり,彼を呼び求めるすべての者には豊かに恵まれる。「ヱホバの御名を呼び求める者はみな救われるであろう」しかし,信じていない者をどうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を,どうして信じることがあろうか。伝道する者がいなくては,どうして聞くことがあろうか。つかわされなくては,どうして聞くことがあろうか。つかわされなくては,どうして伝道することがあろうか。「ああ美しいかな,良いことの良いたよりを宣べ伝える者の足は」と書いてあるとおりである。」』― ロマ 10:12-15,新世。
5 宮における幻の中で,イザヤは遣わされる方のヱホバである事実をどのように例証しましたか。
5 『良いことの良いたより』の大いなる源,ヱホバ神は御自分の使者をつかわします。彼らは裸足でその音信を宣べ伝えます。予言者イザヤ自身がその事実を例証しました。それは,万軍のヱホバが御自分の宮の座位についていることの奇蹟的なまぼろしを見た時でした。セラピムがヱホバの聖なることを呼ばわるのを聞いたイザヤは,自分のきたないこと,汚れていることを感じ,生命を失うのではないかと恐れました。イザヤが叫んだときに,セラピムのひとりは彼を清めて次のように語りました,『視よ,この火なんじの唇にふれたれば,すでになんじの悪はのぞかれ,なんじの罪はきよめられたりと。』イザヤがこの清められた状態になつて後,誰か使いになつて,行く者はいないかと尋ねる声を聞きました。それは誰の声でしたか。ヱホバの声でした。そして,『われ誰をつかわさん。誰か我らのために往くべきかと』語られました。イザヤは,ヱホバ神によりつかわされ,ヱホバ神の代りに往くことを大きな名誉と見なしました。その提供は,よろこんで自分をささげる清い人々だけになされたのです。イザヤは,そのまれな特権に躍り上つてよろこび,『我ここにあり,我をつかわし給え』と叫びました。イザヤ自身が申し出たことは受け入れられ,彼には次のように告げられました。『往きてこの民にかくのごとく告げよ,なんじら聞きて聞けよ。』(イザヤ 6:1-9)イザヤが特別の音信を身につけて派遣されたことは,彼が神により任ぜられ,任命されたことを意味しました。イザヤにより,人々はいま神の御名を聞くことができました。彼らは救いを得る為に神の御名に信仰を置き,神の御名を呼ぶことができました。
6 イザヤの例と同じく,イエスは何をしましたか。イエスは,奉仕の是認を示すどんな証跡を受けましたか。
6 昔のイスラエルのしるしであつたイザヤの例と同じく,イエスも又つかわされる為に神の御国の奉仕に献身しました。彼はナザレの大工の店を出て,先駆者なる洗礼者ヨハネのところに行きました。彼は洗礼を受けましたが,それは罪に対する悔い改めを象徴するものではありません。イエスは罪を一つも持つていなかつたからです。しかし,ヨハネの伝道していた神の御国奉仕につかわされるためでした。彼が洗礼を受ける為に来たことは,詩篇 40篇6-8節の言葉を成就しました,なぜなら使徒はその言葉をイエスに適用して次のように語つたからです,『キリストがこの世にこられたとき,次のように言われた,「あなたは,いけにえやささげ物を望まれないで,私のために,からだを備えて下さつた。あなたは燔祭や罪祭を好まれなかつた。」そのとき,私(イエス)は言つた,「神よ,私につき,巻物の書物に書いてあるとおり,見よ,御旨を行うためにまいりました。』(ヘブル 10:5-7,新口)ヨルダン河でヨハネから洗礼を施されて後にイエスは神によつて受け入れられたことを示す証跡を天から受けました。聖書の記録は,次のように述べています,『イエスもバプテスマを受けて祈つておられると,天が開けて,聖霊がはとのような姿をとつてイエスの上に下り,そして天から声がした,「あなたは私の愛する子,私の心にかなう者である。」イエスが宣教をはじめられたのは,年およそ卅歳の時であつた。』― ルカ 3:21-22,新口。マタイ 3:16,17。
7 イエスの言葉は,彼が自分みずから任命した者でないと,どのように示しましたか。そして,イエスは何時イザヤ書 8章18節を適用することができましたか。
7 そうです。イエスは自らを捧げて洗礼を受け,そして天的な是認を受けて後に自分の仕事を始めました。その仕事は大工の仕事ではなく,御国の仕事でした。彼は自分自身で任命して出かけて行つたのではなく,遣わされたのです。そのことについては,彼は繰り返し次のように語つていました,『神はそのひとり子を賜わつたほどに,この世を愛して下さつた……神が御子を世につかわされたのは,……御子によつて,この世が救われる為である。』『私が天から下つて来たのは,自分のこころのままを行うためではなく,私をつかわされた方のみこころを行うためである。』『生ける父が私をつかわされ,また私が父によつて生きている。』(ヨハネ 3:16,17; 6:38,57,新口)イザヤと同様に任命を受けた者であるイエスは,出かけて行きました。そして,イエスはイザヤが宮のまぼろしの時に受けた同じ奉仕の任命を御自身に正直に適用されたのです。(マタイ 13:13-15。ヨハネ 12:36-41)万軍のヱホバから賜わつた弟子たちを集め始めた後に,イエスはこれらの神の子たちを自分の兄弟たちと呼びました。このようにして,彼はまたイザヤ書 8章18節の言葉を自分自身と彼らに適用することができました,『見よ。私と,ヱホバが私に与えた子供たちは,イスラエルのうちのしると不思議である。これはシオンの山に住み給う万軍のヱホバから与えられるものである。』それらのしるしと不思議の意味を正しく読み得たイスラエル内の羊のごとき人々は幸福でした。それらの人々は,数の少ない小さな群れであるからという理由でそのような人間のしるしと不思議をけいべつしなかつたのです。そのような幸福な読者たちは,真のインマヌエル,大いなるイザヤなるイエスの弟子になりました。
8 イエスとその弟子たちは,誰によつて遣わされませんでしたか。それにならつて,私たちは誰によりつかわされたいと欲しますか。そしてなぜ?
8 ここで一つの事実を見のがしてはなりません。イエスとその12使徒および彼の他の弟子たちは,洗礼者なるヨハネとか,使徒ペテロとか,ローマ・カトリック教会とか,ギリシャ正教会とか,英国教会とか,新教徒監督教会とか,ルーテル派教会とか,メソジスト教会とか,バプテス派教会とか,長老派教会とか,又はキリスト教国内にある1000以上の他の宗派によつては遣わされなかつたということです。イエスとその弟子たちは,みな万軍のヱホバによりつかわされました。彼らはヱホバからのしるしであり不思議でありました! 今日,神の御意を為すために来るすべての者も,ヱホバによりつかわされたいと欲します。イザヤやイエスやその12使徒たちのごとく,もし私たちが万軍のヱホバによりつかわされないなら,それらの宗派の中の一つによつてつかわされようとも,あるいはアメリカ合衆国の国家教会会議によつてつかわされようとも,又は教会の世界会議によつてつかわされようとも,私たちには何の力も権威もないのです。私たちは,しるしなるインマヌエル,すなわち主イエス・キリストを通して万軍のヱホバのところに来ました。丁度,インマヌエル自身が,洗礼を受けたときに神の御意をする為に来たのと同様です。もし私たちが万軍のヱホバにより受け入れられ,遣わされたいと欲するなら,私たちは来なければなりません。そして自分自身を捧げ,そしてよろこんでつかわされ,何処につかわされようとも,よろこんで往かねばなりません。このことにおいて,私たちはイザヤとイエス・キリストに倣いたいと欲します。さもなければ,私たちはキリスト教国の宗教制度の意志を行わねばならないでしよう。この終りの時において私たちは,神の御意すなわち万軍のヱホバの御意を行いたいと欲します。
9 会堂内で,イエスは自分がヱホバからつかわされたことを聖書からどのように示しましたか。彼はどんな事柄についてしるしとなり,きざしとなり,不思議になりましたか。
9 イエスは,自分が万軍のヱホバによりつかわされて,ヱホバにより任命された者と聖書から証明しました。その為に彼は或る土曜日にナザレの町の会堂に行きました。その町では,人々はイエスのことを大工の息子,そして大工としてのみ知つていました。イエスは講演壇に立つて,イザヤの書の巻本を渡すよう求めました。その巻本を開くと,イザヤ書 61章1と2節の言葉を見出しました。ルカ伝 4章1621節の記録によると,イエスは次のように読みました。『ヱホバの御霊は私にのぞんでいる。ヱホバは,貧しい者に良いたよりを宣べ伝えるため,私に油を注いだ。捕われ人のゆるしを伝道し,盲の目を開き打ちひしがれた者に自由を得させ,ヱホバaの受けいれ給う年を宣べ伝える為に,ヱホバは私をつかわした。』イエスは巻本を巻いて,伝道する為に坐したとき,『あなた方のいま聞いたこの聖句は今日成就された。』と語りました。このようにして,彼はメシヤなるキリスト,すなわちヱホバの遣わし給うた油注がれたる者の臨在していることについて,生けるしるし,話をするしるしになりました。ヱホバの受け入れ給う年が今や来たのであるから,救いの近づいているということを示す不思議,またはきざしになりました。そして,王である彼の中に神の御国はユダヤ人の只中にあると示すすばらしいきざしになりました。―ルカ 17:21。
10 いつ,その『神の御国』は,ユダヤ人の只中を去りましたか。それから間もなくして彼らの国民には何が生じましたか。
10 その神の御国は,ユダヤ人の只中から去りました。それは,宗教指導者たちが人々をそそのかしてイエスを苦しみの杭にかけて殺し,神が彼を死人の中からよみがえして,イエスが天に居られる御父の許に昇り戻つた後です。(西暦)70年に,ユダヤの国民は滅ぼされ,彼らの聖都と宮は焼滅して灰燼に帰しました。そのときの不幸な生存者たちは,全国民のところに捕虜となつて連れ去られ,自分たちの政府を持たず,またダビデ王朝の家系に属する王を持ちませんでした。
11 今日,地上にいる誰はしるしであり,不思議ですか。
11 しかしながら,今日,この終りの時に万軍のヱホバの与え給うたしるしと不思議は,何を意味し,何を示していますか。人々は,神の御言葉に照らし合わせて,それらのしるしと不思議をどのように読むべきですか。今日のしるしと不思議は,イエスの油注がれた霊的な兄弟たちの残れる者です。
12 彼らについてのどんな事実の故に,彼らはシヤル・ヤシュブによつて予表されましたか。また,どんな他の残れる者によつて彼らは予表されましたか。
12 この残れる者は,イザヤの子シヤル・ヤシユブによつて予表されました。彼の名前は『僅かな残れる者は戻るであろう』という意味です。残れる者と云えば次の事実が指摘されます,すなわち8億2000万人以上の自称クリスチャンを持つキリスト教国は,1918年以来ヱホバ神のところに戻らなかつた,ということです。その年にヱホバは御自分の霊的な宮に来て,霊的な『神の家』と称するすべての人を裁きました。ヱホバのところに戻つたヱホバの油注がれた証者たちの残れる者に対して,ヱホバはイザヤに為したと同じく宮における御自分の臨在を啓示しました。ヱホバが誰をつかわそうかと尋ねたときに,残れる者は自ら進んで志願しました。それでヱホバは音信を彼らに与えて,彼らを御自分の証者としてつかわしました。現代のこのシャル・ヤシュブを得ることによつて,大いなるイザヤであるインマヌエル,イエス・キリストは,残れる者がヱホバの神権制度に戻つたというしるしを示すことができました。使徒パウロが当時に言えたことは,今でも言うことのできるものです,『それと同じように今の時にも,(神の)恵みの選びによつて残された者がいる。』この残れる者は,丁度預言者エリヤの時代に,サマリヤを首都とするイスラエルの北の国の中にヱホバ神の見出した残れる者と同じようでした。―ロマ 11:2-5,新口。
13 イザヤの他の息子は何についての不思議またはきざしになりましたか。彼の名前の意味は,関係する者たちの上に,どのように成就されましたか。
13 イザヤは,シャル・ヤシュブという名の息子を持つだけでなく,マヘル・シャラル・ハシ・バズという名の息子をも持ちました。この名前は『おお,獲物よ急げ! 彼は略奪の為に急いで来た』という意味です。そのような名前を持つこの息子は,アッスリヤの世界勢力の軍隊により災が急速に近づいていることを示す不思議,またはきざしでした。それは誰の上に臨む災いですか。シリヤの国に臨むだけでなく,イスラエルの国とその首都サマリヤにも臨む災でした。レマリヤの子で,当時のサマリヤの王であつたペカの時に,アッスリヤの王はイスラエルの国に侵入しました。彼は多くの都市を取つて,地を掠奪し,そして多数の住民を捕虜にして連れ去りました。後には,ペカ自身も殺されました。それからアッスリヤ王はシリヤの首都ダマスコを占領して,その民を追放してレジン王を殺しました。このようにして,ユダの国にあつた『ヱホバの座位』をくつがえそうと企んだ両方の王たちは,処刑されました。これは,キリスト前740年イスラエルの国の滅亡そして,背教したイスラエル人をサマリヤおよびイスラエルの残りの支配地から取り除いたこと,に対する前奏曲になつたのです。―イザヤ 7:16。列王紀略下 15:29,30; 18:9。アモス 1:3-5; 2:6-16。
14 イスラエルとその首都サマリヤは,何の模型でしたか。何時そしてどのように,裁きの宣告はこの実体の上に急速に執行されますか。
14 イスラエルとその首都サマリヤは,ヱホバ神から背教し,かつ非ユダヤ人であるシリヤと共にユダの国にあつたヱホバの模型的な王国に対して謀反をいたしました。そのことにより,イスラエルとその首都は,今日のキリスト教国に対する予言的な型になりました。なぜなら,今日のキリスト教国はこの世の諸国民と一致結合し,ヱホバによつて御座につけられた王,すなわちインマヌエルなるイエス・キリストに対して謀反を図つているからです。これらの諸国民に対して,特に宗救的な『神の家』の振をするキリスト教国に対して,霊的な宮におられる万軍のヱホバは,いま神の裁きを宣告しています。その裁きの宣告は,近づきつつあるハルマゲドンにおける神の報復の日において,急速に執行されるでしよう。その執行は,昔のアッスリヤの王よりも力強い者,すなわちヱホバの刑執行者であるイエス・キリストによつて行われます。そのとき,キリスト教国およびインマヌエルの御国に対してキリスト教国と共々に謀反を企てているすべての政治的な国家は,宗教的な支配者と政治的な支配者を失うでしよう。彼らの誇りにしているすべての物は取られて略奪されてしまうでしよう。
15 キリスト教国は,神の御言葉の中に何を見るのに失敗していますか。キリスト教国に示すために,どんな見えるしるしがありますか。
15 キリスト教国は,多くの言語に訳されている聖書を幾億冊も持つています。しかし,キリスト教国は自分の信条という見地から聖書を読むため,キリスト教国とその友であるこの世に対してずつと以前に書かれた神の裁きを見ることができません。それでは,キリスト教国の見ることのできないもの,すなわち神の裁きがキリスト教国とその友なる世に急速に執行されるということを示すどんな見えるしるしがありますか。インマヌエルの霊的な兄弟たちである残れる者がいます。つまり,ヱホバがイエス,キリストに賜わつた油注がれた『子供たち』がいます。彼らの頭にして兄であるイエス・キリストと同じように,彼らも伝道するようヱホバの御霊によつて油を注がれました。イザヤ書 61章1と2節の予言に従い彼らはヱホバによりつかわされました。彼らは『ヱホバのめぐみの年』を告げる為だけに油を注がれたのではありません。その象徴的な年は,今やほとんど終りました。また,『われらの神の刑罰の日』を知らせるためにも油を注がれたのです。その日は,今やますます近づいています。御国に反対するキリスト教国と異教の国の両方に対して,イエスが私たちの神の裁きを執行するときに,この刑罰が行われるでしよう。
16 そのようにして残れる者級は,誰のしるしの特徴を取りましたか。その音信は,どのように急速にひろまつていますか。
16 油注がれた霊的な残れる者たちは,神の報復の日が急速に来て,王なるイエス・キリストにより全世界の物は略善され,取られると宣明しています。かくして,彼らはイザヤの子マハル・シャラル・ハシ・バズのしるしの特徴を取つています。彼らは『おお,獲物よ,急げ! 彼は略奪の為に急いで来た』と宣明しています。羊のような多数の謙遜な,人々はこのしるしと不思議,すなわちこのマハル・シャラル・ハシ・バズ級を見聞きして,その意味を正しく読みました。彼らは十分の信仰と確信をもつて,ヱホバの現代の『しるし』と『不思議』のこの残れる者と共に,その立場を取りました。それだけに止まらず,彼らは神の報復の音信を採り上げ,地の全国民に急速にひろめて行きました。
前に立て見えるところに出よ
17 しるしと不思議は,価値あるもの,みちびきを為すものであるために,何処になければなりませんか。それで今は,誰がそのような立場にいなければなりませんか。
17 しるしと不思議が価値あるもの,導きとなる為には,それらは見えるものでなければなりません。それは,しるしと不思議を研究することができ,そしてその意味を読むことができ,かくして神の理解の鍵を用いて理解し得る為です。キリストの霊的な兄弟たちの油注がれた残れる者は,『しるしと不思議として』前に出て,人々の見えるところに立たねばなりません。そのとき,大いなるイザヤであるイエス・キリストは次のように言うことができます,『見よ。私と,ヱホバが私に与えた子供たちは(キリスト教国)のうちのしるしと不思議である。これはシオンの山に住み給う万軍のヱホバから与えられるものである。』(イザヤ 8:18)それらのしるしと不思議を支持する為に,残れる者の伴となつている献身した善意者たちの大群衆は,彼らと共々に前に出なければなりません。霊的イスラエルの油注がれた残れる者にむかい,イザヤ書 3章10節は次のように述べています,『ヱホバ宣く,なんじらは我が証人,わがえらみし僕なり。』この僕級は見えねばなりません。それはヱホバの証者になるため,人々に聞かせねばなりません。そして,全世界にわたる証言の業で油注がれた僕級と共に合同する為献身している羊のような人々の大いなる群は,彼らと共々に見られねばならず,また彼らと共々に聞かれねばなりません。私たちは,みな広々したところ,人目に立つところに出て見られねばならず,観察されねばならず,聞かれねばなりません。いまはこの世の諸国民の苦悩とか,悲哀とか,恐れとか脅威の故に,穴に入つて潜ぷくする時ではありません。
18,19 イザヤ書 40章9節に一致して,神からのしるしであるイエスはどのように正しい立場に立ちましたか。イエスに従う私たちは,世の注意を引くためにどんな大きなしるしを与えますか。
18 大いなるしるし,インマヌエルは自分の弟子たちにこう語りました,『あなた方は,世の光である。山の上にある町は隠れることができない。』(マタイ 5:14,新口)昔のイザヤは,次のように語りました,『良き音信をシオンに伝うる者よ,なんじ高き山にのぼれ。良き音信をエルサレムに伝うる者よ,なんじ強く声をあげよ。声を挙げておそるるなかれ,ユダのもろもろの邑につげよ,なんじらの神来り給えりと』(イザヤ 40:9)奉仕者としてのイエスは,ナザレの大工であつた時のように人前からかくれて,人目に立たないということはありませんでした。ヱホバからの大きなしるしとして,イエスは町から町に,村から村に伝道し,会堂や公開の場所で公けに伝道したり,また人々の家庭で伝道することにより,区域内のどの場所でも見られました。イエスにならう私たもち人目に立つことができます。それは私たち自身を見せびらかす為ではなく,この終りの時にあつてヱホバのしるしと不思議に人々の注意を引くためです。公けに伝道するだけでなく,主として家から家に伝道することにより,私たちは最も効果的にこのことをすることができます。このようにして,イエスの予言的な言葉は成就されねばなりません,『この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)残れる者とその羊のごとき友だちは,公けにも又家から家にもどの場所であつてもこの良いたよりを伝道しています。そのこと自体も,全世界の注意を促す一番雄弁なしるし,不思議であります。
19 天のインマヌエルの御手によつて神の御国が宇宙の首都として設立されていることは,否定することのできぬ事実であります。この世の諸国民が,いまやその終りに面し,神の御意に従い私たちの伝道が終ると共にその終りに会うということを示すしるしであります。彼らにそのしるしを読ませなさい!
20 警告を与えるために,私たちは何にさらされますか。しかし,どんな支持がある故に私たちは人間や悪魔を恐れる必要がありませんか。
20 国民と諸国家は,私たちが彼らの中にいて,その終りについての厳粛な警告を与えている者であると,知らねばなりません。このために,私たちは彼らから悪い仕打を受け,迫害されるでしよう。しかし,インマヌエルの使徒たちのごとく,私たちは『全世界に,天使にも人々にも見せ物にされたのだ。』(コリント前 4:9,新口)生まれて40日経つて後のインマヌエルについては,シメオンはこのように予言しました,『この幼な子は,イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ち上らせたりするために,また反対を受けるしるしとして,定められています。』(ルカ 2:34,新口)それでは,しるしである私たちが悪口を受け,反対されるならば,あるいは聖書の正しい真理を伝道するために挑戦を受けるならどうでしようか。私たちは,誰の支持を受けているかを知つています。それは,『シオンの山に住み給う万軍のヱホバ』です。今日のしるしと不思議になつている残れる者たちは,ヱホバからのものたちです。そして,この国際大会には幾千人という数の残れる者がいます。それですから,これらのしるしや不思議の意味するもの,および示すものが必ず成就されるように,ヱホバはたしかにいたします。万軍のヱホバは私たちをつかわし,私たちに支配を開始している御国の良いたよりを与えました。共産主義者の東の群れの軍隊と民主主義の西洋の群れの軍隊を合わせた数よりもはるかに多いヱホバの御使たちの軍隊は,私たちを取巻いています。彼らは十分に組織されており,武装を身につけ,『全能の神の大いなる日の戦争』のためにハルマゲドンの戦場に勢ぞろいしています。(黙示 16:14,新世)それですから,人間や悪魔どもを恐れないでいましよう。
21 私たちを統治する王,インマヌヌエルの名前は,私たちに対してどのように成就していますか。それで,私たちは何を必らず成功裡に終了しますか。
21 その畏怖すべき御名が万軍のヱホバであられる神は,私たちと共にいます。その統治している王,インマヌエルの名前自体も『私たちと共に神がある』という意味です。私たちは全国民に対する最後のあかしとして御国の良いたよりを伝道し,インマヌエルに従い,服従しています。それで,インマヌエルが私たちと共に居られる故に,神も又私たちと共にいると知ります。すなわち,神は私たちの側に立たれているという意味です。私たちはそのような神の助けを持ち,また神の御意に従つて,万軍のヱホバが私たちをつかわして為さしめる素晴らしい業,意義深い業を成功裡に必ず終了いたします。
『人は出でて工をとりその勤労は夕にまでいたる。ヱホバよ,なんじの御業はいかに多なる。これらは皆なんじの知恵にてつくりたまえり。汝のもろもろの富は地に充つ。』― 詩 104:23,24。
[脚注]
a 印刷されているルカ伝のヘブル語訳9冊は,イザヤ書 61章11節のヘブル語聖句と一致させる為,『エホバ』又は『ヤウエ』と訳出しています。