「からだを殺す者どもを恐れるな」
1-3 (イ)マタイ伝 10章28節のことばを語った人に関して,どんな適切な質問が尋ねられますか。(ロ)出陣のために集まったユダヤ人の兵士のために,レビ人の祭司は何をすることを命ぜられていましたか。
「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもをおそるな,身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」a
2 この言葉を述べた者には,もっともな理由があったに違いありません。人のからだを殺すことのできる武器に身を固めた敵と戦うため,出陣の用意をととのえた兵士たちにむかって,彼は語っていたのですか。これより何世紀も前,軍事的な務めに任ぜられたレビ人の祭司は,戦いのために集まった兵士たちを励ますのが常でした。前述の事を述べた人は,この民族の人です。祭司たちは,紀元前15世紀の預言者モーセの書いた命令を守りました。
3 「汝その敵と戦はんとて出るに当り馬と車を見また汝よりも数多き民を見るもこれにおそるる勿れ其は汝をエジプトの国より導き上りし汝の神エホバなんぢとともにいませばなり汝ら戦闘に臨む時は祭司進みいで民に告てこれに言べしイスラエルよ聴け汝らは今日なんぢらの敵と戦はんとて進み来れり心に臆する勿れおそるるなかれあはつるなかれ彼らに怖るなかれ其は汝らの神エホバ汝らとともに行き汝らのために汝らの敵と戦ひて汝らを救ひ給ふべければなりと」― 申命 20:1-4,文語。
4 マタイ伝 10章28節のことばは,だれが,だれに対して,まだどんな場合に語ったものですか。
4 イエス・キリストはレビ人の祭司ではありません。マタイ伝 10章28節に記録されたイエス・キリストの言葉は,敵を殺し,自分も殺される危険に身をさらしたユダヤ人の兵士に述べられたものではありません。イエス・キリストの教えは新しい教えでした。ご自身の生命がおびやかされたとき,イエスは次のように言われたからです。「剣をとる者はみな剣で滅びる」。(マタイ 26:52)からだを殺す者をおそれるなという言葉をイエス・キリストから聞かされたのは,12人の平和な人々でした。彼らはイエスが使徒と呼んだ特別な弟子たちであり,軍隊とは縁のない人々でした。そのからだが殺される危険はたしかにありましたが,それは戦場で敵と戦って殺される危険ではありません。彼らは平和な使命を与えられて遣わされようとしていました。そのために殺されるならば,それは全く不当なことです。しかし12使徒に対するこの同じ話の中で,イエス・キリストは少し前に次のことを言われました。
5 使徒たちに与えた同じことばの中でこれよりも少し前,イエスはマタイ伝 10章28節と関連のあるどんな言葉を述べましたか。
5 「わたしがあなたがたをつかわすのは,羊をおおかみの中に送るようなものである。だから,へびのように賢く,はとのように素直であれ。人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し,会堂でむち打つであろう。またあなたがたは,わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは,彼らと異邦人とに対してあかしをするためである……兄弟は兄弟を,父は子を殺すために渡し,また子は親に逆らって立ち,彼らを殺させるであろう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし,最後まで耐え忍ぶ者は救われる。一つの町で迫害されたなら,他の町へ逃げなさい」― マタイ 10:16-23。
6,7 (イ)使徒に与えたイエスの教訓は,彼らが侵入や略奪行為に携わるのではない事を,どのように示していますか。(ロ)聞かない人々の最後は何に任せるべきでしたか。イエスはマタイ伝 10章15節において,この事をどのように暗示していますか。
6 12使徒はその務めをはたすのに,武器を持つ必要がありましたか。家に侵入して略奪することを命ぜられましたか。そうではありません。イエス・キリストは彼らに次のことを告げました。「財布の中に金,銀または銭を入れて行くな。旅行のための袋も,二枚の下着も,くつも,つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。どの町,どの村にはいっても,その中でだれがふさわしい人か,たずね出して,立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。その家にはいったなら,平安を祈ってあげなさい。もし平安を受けるにふさわしい家であれば,あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ,その平安はあなたがたに帰って来るであろう。もしあなたがたを迎えもせず,またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば,その家や町を立ち去る時に,足のちりを払い落しなさい」。(マタイ 10:9-14)それで彼らは十字軍のように火と剣を持って人々のところに行くのではありません。彼らはだれに対しても,たとえ敵対する者に対しても戦いません。サンダルをはいた足のちりを払い落とすのは,彼らを受け入れなかった家または町がどうなっても,その結果は天からのものであることを示すためです。
7 イエスがつづいて述べた言葉は,その結果を暗示しています。「あなたがたによく言っておく。さばきの日には,ソドム,ゴモラの地の方が,その町よりは耐えやすいであろう」― マタイ 10:15。
なぜ敵はからだを殺すことを望んだか
8 彼らがすべての人に憎まれ,殺されることさえあるのは,どんな理由のために違いありませんか。
8 イエス・キリストの使徒の行いは全く平和なものでした。では人々が彼らを憎み,そのからだを殺そうとさえしたのはなぜですか。それはイエス・キリストが使徒たちを遣わして宣べ伝えさせた音信のためであったに違いありません。その音信はマタイ伝 10章5節から8節にしるされています。「イエスはこの十二人をつかわすに当り,彼らに命じて言われた,『異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。むしろ,イスラエルの家の失われた羊のところに行け。行って,「天国が近づいた」と宣べ伝えよ。病人をいやし,死人をよみがえらせ,らい病人をきよめ,悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから,ただで与えるがよい』」。これは天国すなわち神の国が近づいたという音信でした。
9 御国の近いことは使徒たちのどんなわざによって示されましたか。そのわざはどのように行なわれましたか。それで御国の音信は何の原因であったに違いありませんか。
9 「イスラエルの家の羊」は天国を祈り求めていたのです。御国の伝道者が病人をいやし,死人をよみがえらせ,らい病人をきよめ,悪鬼を追い出した奇跡は,天国の近づいた証拠でした。これらの奇跡は値なしで行なわれ,寄付を求める盆が回されることはなかったのです。人々が使徒を憎み,暴力をふるってまでも反対したのは,神の国の音信のためであったに違いありません。
10 使徒たちはこの音信をどうすべきでしたか。その事をしつづけるためには,何が必要でしたか。
10 たとえ音信が人々の反対を買っても,使徒たちはイエスの命じた通りに宣べ伝えることを恐れてはなりませんでした。その音信を広く宣べ伝えなければなりません。イエスは彼らに言われました,「だから彼らを恐れるな。おおわれたもので,現れてこないものはなく,隠れているもので,知られてこないものはない。わたしが暗やみであなたがたに話すことを,明るみで言え。耳にささやかれたことを,屋根の上で言いひろめよ。また,からだを殺しても,魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」。「身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」。(マタイ 10:26-28,一部は文語)それで神の国の音信を伝道しつづけるには,人をおそれないことが必要でした。
11 使徒たちは人を恐れないことをどのように示しましたか。どんな結果になりましたか。
11 使徒たちは人をおそれませんでした。ルカ伝 9章6節に「弟子たちは出て行って,村々を巡り歩き,いたる所で福音を宣べ伝え,また病気をいやした」としるされています。この伝道活動において,弟子たちに危害を加えた者はありませんでした。ルカ伝 9章10節にある通り,彼らは無事に帰ってきました。「使徒たちは帰ってきて,自分たちのしたことをすべてイエスに話した。それからイエスは彼らを連れて,ベッサイダという町へひそかに退かれた」。
12 1年以上のち,イエスは御国伝道のために何さえも失いましたか。だれの手によって? どのように訴えられましたか。
12 しかしイエス・キリストは神の国を伝道したために,それから2年たたない西暦33年,ご自身の人間の生命を失いました。イエスのからだを死に渡したのは,イスラエルの首都エルサレムの宗教指導者でした。イエスをエルサレムのローマ総督に渡したとき,彼らは,イエスが教えることをしたと言って訴えました。「彼は,ガリラヤからはじめてこの所まで,ユダヤ全国にわたって教え,民衆を煽動しているのです」。彼らはローマ総督に圧力を加え,イエスのからだをエルサレムの外で杭にかけて殺させました。しかしローマ総督は,「これはユダヤ人の王」と書いた札をイエスの頭上にかかげさせました。(ルカ 23:1-6,38)ローマ総督は,天の神がイエス・キリストを単にユダヤ人の王ではなく全人類の王としたことを知らなかったのです。
13 イエスは,弟子たちがどんな仕打ちを受けることを示しましたか。聖書の記録によれば,使徒たちはそのような目にあいましたか。
13 神の国を伝道したためにイエスがこのような苦しみを受けたとすれば,弟子たちは何を期待すべきですか。からだを殺す者をおそれるなと弟子たちに告げる直前に,イエスは次のことを言われました。「弟子はその師以上のものではなく,僕はその主人以上の者ではない。弟子がその師のようであり,僕がその主人のようであれば,それで十分である。もし家の主人がベルゼブル〔サタン悪魔をさす名〕と言われるならば,その家の者どもはなおさら,どんなにか悪く言われることであろう」。(マタイ 10:24,25)こうしてイエスは,神の国を伝道することによってご自分の受けると同様な仕打ちを使徒たちも期待しなければならないことを,理解させました。たしかに彼らは自分の国民であるユダヤ人のみならず,非ユダヤ人すなわち異邦人からも迫害されました。使徒ヨハネの兄弟である使徒ヤコブは,エルサレムの王ヘロデ・アグリッパ1世に殺されました。この王は使徒ペテロをも同様に殺そうとしましたが,その全ては神の天使によって阻止されました。―使行 12:1-11。
14,15 (イ)とくにどの会衆がこのような迫害を受けましたか。その会衆の中から出た著名な殉教者はだれですか。(ロ)この殉教者の死に対して責任のあった一人のユダヤ人は,自分がクリスチャンを迫害したことについて後に何と語りましたか。
14 使徒だけでなく,イエス・キリストの他の弟子たち,とくにエルサレムの会衆も迫害されました。殉教者の中でも目立っているのは,ユダヤ人に石で打たれた弟子ステパノです。ステパノの死に責任をもつ人々の中に,ユダヤ人のパリサイ人タルソのサウロがいました。何年ものちのこと,彼は王ヘロデ・アグリッパ2世の前で自分が迫害する者であったことを次のように述べています。
15 「わたし自身も,以前には,ナザレ人イエスの名に逆らって反対の行動をすべきだと,思っていました。そしてわたしは,それをエルサレムで敢行し,祭司長たちから権限を与えられて,多くの聖徒たちを獄に閉じ込め,彼らが殺される時には,それに賛成の意を表しました。それから,いたるところの会堂で,しばしば彼らを罰して,無理やりに神をけがす言葉を言わせようとし,彼らに対してひどく荒れ狂い,ついに外国の町々にまで,迫害の手をのばすに至りました」― 使行26:1-11。
16 このユダヤのパリサイ人はどんなわざのために,自らも迫害を受けましたか。彼はこのわざの多くをどのように行ないましたか。
16 このユダヤ人のパリサイ人は奇跡的に改宗させられ,イエス・キリストの会衆の成員となりました。すなわち使徒パウロです。(使行 9:1-25)パウロはアジア,ヨーロッパの諸都市に神の国を伝道し,そのために今度は迫害を受ける身となりました。パウロは家から家におとずれてこの伝道のわざを多く行ないました。それである時,小アジア,エペソの町の人々にむかって,次のことを述べています。「あなたがたの益になることは,公衆の前でも,また家々でも,すべてあますところなく話して聞かせ,また教え,ユダヤ人にもギリシャ人にも,神に対する悔改めと,わたしたちの主イエスに対する信仰とを,強く勧めてきたのである……わたしはいま信じている,あなたがたの間を歩き回って御国を宣べ伝えたこのわたしの顔を,みんなが今度二度と見ることはあるまい」― 使行 20:17-25。
17 獄にあったとき,パウロはどのように神の国を伝道しましたか。その最後の手紙はどこで書かれましたか。
17 それから程なくして使徒パウロも投獄されましたが,パウロはおそれずになお神の国を伝道しました。はじめてローマにおいて捕われの身となったとき,パウロは「たずねて来る人々をみな迎え入れ,はばからず,また妨げられることもなく,神の国を宣べ伝え,主イエス・キリストのことを教えつづけた」のです。(使行 28:30,31)使徒パウロの最後の手紙は,パウロがからだを殺す者の手によって処刑されるすぐ前,2度目に捕われてローマにいた時に書かれました。―テモテ後 4:16-18。
18,19 (イ)殺される危険に面しても,初期の弟子たちが恐れなかったのは明らかに何に力づけられたためですか。だれが同じように力づけられることになっていましたか。(ロ)この時代の何を先見し,また預言したゆえに,イエスは今日の私たちにこの助けが必要なことを認めましたか。
18 これら1900年前のイエス・キリストの忠実な追随者は,世の政治とかかわりを持ちませんでした。そして人類の唯一の希望として彼らが神の国を伝道したことは疑いありません。殺される危険に直面しても,彼らはイエスの言葉を心に留め,おそれませんでした。イエスの言葉は今日でも価値を失っていません。イエスは今日の御国の伝道者が心に留めるために,その言葉を述べました。イエスは,この時代に神の国が天に建てられて支配することを予見したからです。イエス・キリストは神の最大の預言者でした。今の時代について,イエスほど正確に預言した預言者は他にありません。中でもイエスは,設立された神の国を伝道する大きなわざが,その忠実な追随者によって成し遂げられることを預言しました。
19 この世の事物の制度の終わりに関する預言の中でイエスは,伝道のわざについて次のように言われました。「あなたがたは,わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう……しかし,最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:9-14)この預言は成就していませんか。たしかに成就しています。
20,21 (イ)その音信は何時から伝道され始めましたか。しかしどんな組織はそれを伝道しませんでしたか。(ロ)その音信は何を支持するものではありませんか。むしろ何を暴露しましたか。
20 今日,神の国の音信は,使徒パウロが伝道したのと同じく「公にも家々にも」全世界で宣べ伝えられています。史実によれば,この音信は第一次世界大戦直後の1919年から伝道され始めました。それを伝道したのは,キリスト教国の教会ではありません。キリスト教国は世界支配をめぐって行なわれた世界大戦の主要な参戦国であり,戦後もなお世界支配を望んでいたからです。当時,国際連盟が提唱され,1919年,アメリカの宗教家の多くはこれを「地上における神の国の政治的な顕現」と呼びました。しかしこの音信は国際連盟を支持したものではありません。今日では国際連盟の後をついで国際連合が存在していますが,世界の平和と安全をはかるこの組織も,すでに消滅した国際連盟と異なるところはなく,「地上における神の国の政治的な顕現」ではありません。
21 1919年以来,神から出た音信は,国際連盟も国際連合も共に神の国に代わって支配しようとする人間の試みであり,従って欺きのものであることを暴露しています。
22 イエスの預言した音信は,人間の作った代用物を支持する音信とどのように異なっていましたか。西暦1914年はどのように強調されましたか。
22 イエス・キリストがマタイ伝 24章14節に預言した真実の御国の音信は異なっています。それは全地を治める神の国が,異邦人の時の終わった西暦1914年に天に建てられたことを,すべての国に告げました。(ルカ 21:24)メシヤはエルサレムの王ダビデの子孫です。このメシヤの手に委ねられた御国によって地を治める神の権利は,2520年のあいだ異邦人(非ユダヤ人)の国々に踏みつけられていました。その間ダビデの国は地上に存在しませんでした。しかしエホバ神がその事を許した2520年の期間は,1914年に終わったのです。2520年にわたるこの期間は,バビロニア人が地上のエルサレムを滅ぼし,ダビデ王の家に属する王位をくつがえした紀元前607年に始まりました。以後ダビデの王位が地上のエルサレムに再び確立されることはありません。ゆえに西暦1914年,神の国は地上にではなくて天に建てられ,約束されたダビデ王の子すなわちイエス・キリストに与えられました。―エゼキエル 21:24-27。
23 (イ)御国の設立を示すものとしてイエスの預言した見える証拠に関し,何が言えますか。この音信は国々にどんな警告を与えましたか。(ロ)御国伝道者はこの事からどんな影響を受けましたか。
23 イエス・キリストは,この事を証明するいろいろな出来事を預言しました。それによって今日私たちは,ダビデの契約による神の国が,見えない天に建てられたことを知るのです。その証拠となる出来事は,1914年以来見えてきました。その年に第一次世界大戦が勃発し,世界は暴力の時代にはいりました。それは今日に至るまでつづき,なお悪化しています。設立された神の国を無視して国の主権を神の国に渡さなければ,ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれるところにおいて,「全能の神の大いなる日の戦い」に滅びる結果となます。神の国の音信は,すべての国々にその事を警告してきました。(マタイ 24:7-14)従ってこの特定の御国の伝道者が,マタイ伝 24章9節のイエスの預言通り「すべての民に憎まれ」ているのも不思議ではありません。これらの御国伝道者が世界中で迫害されてきたのは,歴史の事実です。
「彼らをおそれるな」
24 迫害にもかかわらず,なぜ御国の福音は今まで伝道されてきましたか。1933年,どんな特別な記事が出ましたか。とくにだれのためでしたか。
24 御国伝道者が,からだを殺すことのできる人間を恐れたならば,「この御国の福音」の伝道は激しい迫害のために阻止されてしまったことでしょう。32年前の1933年,「ものみの塔」誌の11月1日号は「彼らをおそれるな」と題する記事をのせました。その記事は,いま皆さんがお読みになっているこの号と同じく,マタイ伝 10章26節から28節をとくに論じています。それは当時とくに大きな危険に直面しようとしていた「残れる者」すなわち「聖所級」のために書かれました。この記事の第2節から最後の42節に至るまで残れる者のことが何回も出てくることは,それを物語っています。(黙示 12:17)良い羊飼イエス・キリストの一つの群れに集められ,楽園の地における永遠の生命の希望を抱く「他の羊」のことは,この記事の中に一度も出てきません。(ヨハネ 10:16)おそれるなとすすめたこの記事は,なお地上にある「残れる者」にとって時宜を得たものでした。「残れる者」とは,天国においてイエス・キリストと共に王となる忠実な追随者のことです。―ロマ 8:16,17。
25,26 (イ)ローマカトリック教会はその年をどのような年にしましたか。(ロ)にもかかわらず,それはなぜ危機の年でしたか。
25 1933年は危機の年でした。イエス・キリストのからだが殺されてちょうど1900年になるのを記念して,ローマ,バチカン市の法王は聖年を宣していました。ローマカトリック教会は,「宗教の潮がたかまり,諸国家を平和と繁栄に導く」ことを希望しました。しかしドイツではナチスの指導者アドルフ・ヒトラーが総統となり,3月23日には議会において独裁的な地位に選出されました。イタリアではムソリーニがすでに独裁者となってファシストの支配を強制していました。彼はまたローマ法王と政教条約を結び,法王はこれによってバチカン市の主権者となりました。
26 当時の日本は帝国主義的な野心に燃えた軍国主義者の支配下にあり,ナチス・ドイツおよびファシストのイタリアと結んで枢軸陣営を形成する動きを見せていました。また国際連盟に不満を抱いた日本は3月27日に脱退を宣言しています。それで世界情勢は国際平和と安全の方向にむかうことなく,第二次世界大戦の勃発にむかっており,国際連盟は致命的な打撃をこうむろうとしていました。このような政治情勢の下で,カトリック・アクションが,いわゆる民主的な国においてさえヨーロッパのローマカトリック独裁者と呼応して活動していました。
27 「彼らをおそれるな」と題するその記事によって,だれが信仰を強め,勇気を得ましたか。その後彼らはどんな経験をしましたか。
27 「彼らをおそれるな」と題する「ものみの塔」の記事は,御国伝道者とくにナチスドイツおよびドイツ第三帝国の支配下にはいった国々のエホバの証者に,大きな信仰と勇気を与えました。ナチスの独裁者からまっさきに迫害されたのはこの人々でした。神の国を否定してナチスの国家を崇拝することを拒絶したために,彼らは刑務所や,ひどい強制収容所に入れられました。エホバの証者はおそれずに神の国を伝道したために,「民主主義の国々」をも含め,全世界において迫害と反対の増し加わるのを感じ始めました。
28 第二次世界大戦の終わった1945年までに,何人の御国伝道者が殺されましたか。彼らは何に屈しませんでしたか。
28 ナチスおよびファシストの独裁者と軍国日本の支配者が倒れて第二次世界大戦の終わった1945年までに,「からだを殺す者」の手にかかって死んだ神の国の伝道者は何千人に上りました。ナチス・ドイツにおいて,刑務所や強制収容所にいれられた1万人のエホバの証者のうち,生き延びたのはわずか8000人でした。エホバの証者は単なる人間のおそれに屈しなかったのです。
29 今日,御国伝道者はどんな事態に面しているゆえに,マタイ伝 10章28節を心に留める必要がありますか。
29 当時の必要にこたえるため,「彼らをおそれるな」と題する記事が「ものみの塔」に出てから32年後の今日,私たちはもっと悪い事態に面しています。国際連合は世界の平和と安全を確立していません。水素爆弾や他の悪魔的な兵器の使われる第三次世界大戦のおそれに,すべての国がおののいています。ナチス,ファシストの独裁者はもういません。しかし共産主義国の支配体制をはじめ,他の独裁支配が盛んとなり,利己的なナショナリズムも野火のようにひろがっています。国家主権および国家の崇拝が形を変えて登場し,盛んに行なわれています。天の神の国の主権に敵対する諸国家のハルマゲドンへの行進は,ますます速度を早めているのです。神の国を支持し,神の国を伝道する人々は,イエスが使徒たちに与えたマタイ伝 10章28節のことばを,今までのどの時にもまして心に留めなければなりません。
30 それで信仰と忍耐を求める黙示録のどの聖句が今日にあてはまりますか。これらの聖句に述べられている人以外にだれがこれに関係していますか。
30 世界政治の象徴的な「獣」と,その像である国際連合の崇拝が全人類に強制されようとしている現在,「ここに,聖徒たちの忍耐と信仰がある」と述べた黙示録 13章10節の言葉は大きな意味を持ってきます。「ここに,神の戒めを守り,イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」と述べた黙示録 14章12節も同様です。これら「聖徒たち」の「残れる者」だけではありません。今日,「他の羊」の「大ぜいの群衆」がぞくぞくと「残れる者」に加わり,御国の伝道にすすんで参加しています。世界情勢の進展を考えるとき,「他の羊」の「大ぜいの群衆」にとっても,クリスチャンの忠実を守るために信仰と忍耐が必要です。からだを殺す人間をおそれるならば,「他の羊」はクリスチャンの忠実を守ることができないでしょう。
[脚注]
a マタイ伝 10章28節文語の言葉。