とこしえの命に導く真理を持つ
「もしあなたがたがわたしのことばのうちにとどまるならば,あなたがたはほんとうにわたしの弟子であり,また,あなたがたは眞理を知り,眞理はあなたがたを自由にするでしょう」― ヨハネ 8:31,32,新。
1 考え深い人々にとって現在の事物の体制に関しては何がいっそう明らかになっていますか。
この事物の体制が瓦解しつつあることはかつてないほど明らかであり,その退廃を示す証拠は日ごとに増大しています。人々が信頼してきた物事は窮状を克服しえないものであることが次々に判明しています。聖書はわたしたちの時代について正しくこう予告しました。「終わりの日には対処しにくい危機の時代が来るでしょう」。(テモテ後 3:1,新)イエス・キリストもわたしたちの時代について正しく預言されました。「地にては国々の民なやみ,海と波との鳴り轟くによりて狼狽へ,人々おそれ,かつ世界に来らんとする事を思ひて胆を失はん」― ルカ 21:25,26。
2 (イ)今日の心の正直な人たちはだれに比べられますか。(ロ)『しるし』を持っているかどうかはどんな結果を招きましたか。
2 エホバ神は現在のこの事物の体制が存分に結実するに足る十分の時間を許されました。今やその本性に関しては疑問の余地がありません。心の正直な人たちはそうした現状に全くあいそをつかしています。この点で彼らは西暦前607年における崩壊以前のエルサレムにかかわる幻の中で預言者エゼキエルが見た人々に似ています。その幻の中でエホバは,秘書官の,インクつぼを携えたひとりの男にこう告げました。「邑の中エルサレムの中を巡れ而して邑の中に行はるゝところの諸の憎むべき事のために歎き哀しむ人々の額に記号をつけよ」。(エゼキエル 9:4)次いでエホバは破滅をもたらす者たちの一団に言われました。「彼にしたがひて邑を巡りて撃てよ汝等の目人を惜み見るべからず憐れむべからず老人も少者も童女も孩子も婦人も悉く殺すべし然ど身に記号ある者には触べからず」。(エキゼエル 9:5,6)破滅が生じたとき,そのしるしは命を意味するものとなりました。
3 (イ)今日『しるしをつける』どんなわざが進行していますか。(ロ)どんな根拠に基づいて,とこしえの命のためのしるしがつけられるのですか。
3 今日,同様に『しるしをつける』わざが進行しており,この「終わりの日」においても人々はおのおのどんな人間かが明らかにされています。イエスは予告しました。「人の子その栄光をもて,もろもろの御使を率ゐきたる時,その栄光の座位に坐せん。斯て,その前にもろもろの国人あつめられん,之を別つこと牧羊者が羊と山羊とを別つ如くして,羊をその右に,山羊をその左におかん」。(マタイ 25:31-33)左側の人たちは「去って永遠の切断に入り」,恵みを意味する右側の人たちは「永遠の命」にはいります。(マタイ 25:34,41,46,新)とこしえの命のためのしるしをつけられるのはどんな種類の人ですか。ヨハネ第一書 2章17節〔新〕はこう述べます。「世と世の慾とは過ぎ往く,然れど神の〔意志〕をおこなふ者は永遠に存るなり」。とこしえの命にあずかるべく生き長らえさせられる人は,神の意志を行なう者であることが明らかにされています。そのような人は,神の意志に関して何が真理かをどのようにして知るのですか。
4 イエスはどうして自分の持っているものが真理であるとの全き確信をいだいておられたのですか。
4 イエスは神の意志に関する真理を知っており,また他の人に教えた事柄が真理であることに全き確信を持っておられました。それはなぜですか。イエスはその追随者に関して天の父にこう言われました。「我は御言を彼らに与へたり……真理にて彼らを潔め別ちたまへ,汝の御言は真理なり」。(ヨハネ 17:14,17)また,次のように言われました。「わが己によりて何事をも為さず,ただ父の我に教へ給ひしごとく,此等のことを語(るなり)。我を遣し給ひし者は,我とともに在す。我つねに御意に適ふことを行ふによりて,我を独おき給はず」。(ヨハネ 8:28,29)人間として存在する以前,イエスは測り知れない長年月の間,天の父とともにおられました。したがって,地上におられたとき,創造者の意志と目的に関する真理を告げることができました。(ヨハネ 1:14,18; 16:28)そのうえイエスは,地上での全宣教期間中,当時入手できたヘブル語聖書を用いましたが,その中には神のお考えが文章の形で収められていたのです。ゆえに,真理としての神のことばに言及したイエスは,エホバとの親密な交わりの結果として得た特別な情報はもとより,ヘブル語聖書全巻をその中に含められました。
5 神の意志は何か,人を生き残らせるしるしとは何かをどのようにして学べますか。
5 したがって,イエスが話をしたとき,彼は神のお考えを話したゆえに,真理を話されました。イエスはエホバに関する真理を,かつて地上で生活しただれよりもよく知っておられました。イエスの真実の教え,またのちにはその忠実な追随者たちの教えも聖書に書きしるされました。エホバは,ご自分のしもべたちの必要とする情報すべてが記録されるよう取り計らわれました。したがって今日,とこしえの命を得るため神の意志に関する真理を学んで実践したいと誠実に願う人たちは,霊感のもとに書きしるされた神のみことば全巻を指針として持っています。(テモテ後 3:16,17)各人はその中に収められている数々の真理によって,みずからを生き残らせるしるしとなるクリスチャンの人格を発展させることができます。―ロマ 12:2。コロサイ 3:10。
真理を分け与えるために用いられる
6 (イ)イエスの死後,神は真理を分け与えさせるためにだれを用いられましたか。(ロ)エホバはだれを用いているかに関するどんな証拠をお与えになりましたか。
6 イエスは,ご自分の死後,人類に真理を分け与えるためにだれが用いられるかを示されました。といっても,それは当時の偽善的な宗教指導者たちではありません。それはイエスに忠実に従った謙遜な人たちでした。それらの人たちこそ神の意志を行なっていたのです。イエスは彼らに言われました。「我なほ汝らに告ぐべき事あまたあれど,今なんぢら得耐へず。然れど彼すなはち真理の〔霊〕きたらん時,なんぢらを導きて真理をことごとく悟らしめん。己より語るにあらず,凡そ聞くところの事を語り,かつ来らんとする事どもを汝らに示さん」。(ヨハネ 16:12,13〔新〕)ここでイエスは神の強力な聖霊について話されましたが,それはイエスの忠実な追随者がクリスチャン会衆を構成するのを助け,彼らを真理の道に導くのです。五旬節のさい,エホバからのこの霊がイエスのそれら追随者に注がれ,今やエホバは真理を人類に分け与えさせるため彼らを用いておられることが示されました。(使行 2:1-4,14-18)神はユダヤ教の宗教体制を見捨てられたのです。(マタイ 23:38)それはイエスがユダヤ教の宗教指導者に言われたとおりに生じました。「汝らは神の〔王国〕をとられ,其の果を結ぶ国人は,之を与へらるべし」― マタイ 21:43〔新〕。
7 真理を理解するために絶対に肝要なのはなんですか。
7 後日,使徒パウロは言いました。「我らは奥義を解きて神の知恵を語る,即ち隠れたる知恵にして神われらの光栄のために世の創の先より預じめ定め給ひしものなり。この世の司には之を知る者なかりき,もし知らば栄光の主を〔突き刺さ〕ざりしならん。録して『神のおのれを愛する者のために備へ給ひし事は,眼いまだ見ず,耳いまだ聞かず,人の心いまだ思はざりし所なり』と有るが如し。然れど我らには神これを〔ご自分の霊〕によりて顕し給へり。〔霊〕はすべての事を究め,神の深き所までも究むればなり」― コリント前 2:7-10,〔新〕。
8 神の霊によって真理の道に導かれることを期待できるのはだれですか。
8 しかし,真理の道に導く神の霊を得るのは特にだれですか。ペテロと他の使徒たちはユダヤ教の最高法院に対して言いました。「人に従はんよりは神に従ふべきなり」。(使行 5:29)支配者としての神に服従する人たちは,その報いとして何を期待できますか。使徒たちはこう言いました。「我らは此の事の証人なり。神のおのれに従ふ者に賜ふ聖霊もまた然り」。(使行 5:32)そうです,神の意志を行ない,あらゆる点で『神に従ふ』人たちこそ神の霊を受けることを期待できる人々です。その霊は,神がご自分のしもべたちに知らせたいと望まれる事柄を彼らが正しく理解するよう導くのです。
神のしもべたちを集める
9 神のしもべたちに関するどんな最終的分離が生じますか。
9 使徒たちおよび1世紀の他の霊的に円熟した男子たちの死後,クリスチャン会衆には「〔雑草〕」がはびこりはじめました。それは神に仕えていると見せかけながら,実際には支配者としての神に服従しない人々です。小麦のような真のクリスチャンの間に雑草のようなにせクリスチャンが生ずることを予告したイエスは,その結末をも予告して言われました。「両ながら収穫まで育つに任せよ。収穫のとき我かる者に『まづ〔雑草〕を抜きあつめて,焚くために之を束ね,〔小麦〕はあつめて我が倉に納れよ』と言はん……〔事物の体制の終局〕にも斯くあるべし。人の子,その使たちを遣さん。彼ら〔王国〕の中より凡ての顛躓となる物と不法をなす者とを集めて,火の炉に投げ入るべし」― マタイ 13:30,40-42,〔新〕。
10 「終わりの日」には神のしもべたちにどんな責任が与えられますか。
10 聖書預言の成就に見られるあらゆる証拠は神の王国が西暦1914年に天で樹立されたことを示しています。その時,サタンの事物の体制の「終わりの日」が始まりました。(テモテ後 3:1-5,新)今や神のしもべたちを恵みを意味するキリストの右に最終的に集める時が来ました。そして彼らが集められた時,重大な責任が与えられました。というのは,イエスはこう預言されたからです。「主人が時に及びて食物を与へさする為に,家の者のうへに立てたる〔忠実で思慮深い奴隷〕は誰なるか。主人のきたる時かく為し居るを見らるる〔奴隷〕は幸福なり。誠に汝らに告ぐ,主人すべての所有を彼に掌どらすべし」。(マタイ 24:45-47,〔新〕)神の王国が樹立されたとき,地上で支配者としての神に服従する人たちには,キリスト・イエスとその天のみ使いの軍勢の導きのもとに王国の関心事すべてを監督する務めが与えられたという事実に慎重な注意を払ってください。神は,だれでも神の真理を欲する人にそれを分け与えさせるため,「小麦」にたとえられる人たちを用いられます。それら後者の人たちはその実体が十分に明らかにされるとともに,「雑草」もしくは「山羊」にたとえられている人たちから別にされます。
11 今日神の忠実な奴隷はだれによって構成されていますか。どんな根拠に基づいてそう言えますか。
11 「忠実で思慮深い奴隷」を構成する人たち ― それはだれですか。それはエホバの献身したしもべたちの油そそがれた残れる者です。それら残れる者こそ,宗教界で「行はるるところの諸の憎むべき事のために歎き哀しむ」人たちに真理を分け与えさせるため神が用いておられる者であるとどうして断言できるのですか。イエスは真理を持っている人たちがどのようにして見分けられるかを示し,次のように言われました。「すべて善き樹は善き果をむすび,悪しき樹は悪しき果をむすぶ。善き樹は悪しき果を結ぶこと能はず,悪しき樹はよき果を結ぶこと能はず。すべて善き果を結ばぬ樹は,伐られて火に投げ入れらる。然らば,その果によりて彼らを知るべし。我に対ひて主よ主よといふ者,ことごとくは〔天の王国〕に入らず,ただ天にいます我が父の〔意志〕をおこなふ者のみ,之に入るべし」。(マタイ 7:17-21,〔新〕)神に用いられる人たちとは,神の意志を行ない,支配者としての神にあらゆる点で服従している人々に違いありません。
「あなたがたが互いの間で愛を」
12 (イ)真理を持っている人たちの間にはどんな肝要な実が明らかに認められるはずですか。(ロ)キリスト教世界の諸教会はそれを示していますか。
12 神の意志を行なっている人たちを見分ける主要なしるしの幾つかにはどんなものがありますか。彼らはどんな『実』を生み出していなければなりませんか。それらの人たちを見分ける数多くのしるしの一つとしてイエスは次の肝要なしるしを指摘されました。「もしあなたがたが互いの間で愛を持っているならば,これによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るでしょう」。(ヨハネ 13:35,新)真理を持っている人たちの間にはそうしたクリスチャン愛がはっきりと認められねばなりません。こうした愛を持っていない人たちが真理を持っているとはまず考えられません。それでは,キリスト教世界の教会制度はそのような実を生み出しましたか。戦時中のような信仰を試みる時期に教会は何をしましたか。諸事実は議論の余地なく明白です。つまり,教会はこうした要求を無視し,追随者たちを派遣しては殺し合いを行なわせました。一例としてキリスト教世界最大の宗派に関し,1966年12月29日付,ニューヨーク・タイムズ紙はこう報じました。「伝統的に言って,カトリック教徒は自国の戦争遂行のための努力を支持し,戦争行為に対する道義的責任を政府当局者にゆだねている……過去においては地方のカトリック教会当局はほとんどいつも自国の戦争を支持し,軍隊を祝福し,自国の戦勝祈願をささげる一方,相手国の司教たちの他のグループも同様の結果を公に祈り求めた」。意味深いことに,同紙はこう指摘しています。「神学上の巧妙な論議によってしばしばあいまいにされたとはいえ,多くの人々にとってキリスト教の精神と戦争行為との間の矛盾は,武器が残忍さをいっそう増すにつれていよいよ明らかになっていると言えよう」。
13 神のみことばは,神の子たちである人々とそうでない人たちとをはっきり見分けるかぎとなるものを明示しています。それはなんですか。
13 神の真理のみことばは実体を見分けるかぎとなるものを次のようにたいへん明確に示しています。「之に由りて神の子と悪魔の子とは明かなりおほよそ義を行はぬ者および己が兄弟を愛せぬ者は神より出づるにあらず。われら互に相愛すべきは汝らが初より聞きし音信なり。カインに効ふな,彼は悪しき者より出でて己が兄弟を殺せり」。(ヨハネ第一 3:10-12)支配者としての神に服従せず,『自分たちの兄弟を殺す』人たちが真理を持っているなどとはとても言えません。真理と結びついていると言えるのは,そうした殺し合いに携わるのを拒んで,支配者としての神に一貫して服従する人たちだけです。
14 今日,真のクリスチャン愛をほんとうに実践しているのはだれですか。
14 地球のどこに住んでいようとも,この重大な問題で支配者としての神にほんとうに服従しているのはどんな人々のグループですか。アメリカ,カリフォルニア州のサクラメント・ユニオン紙は1965年7月9日付の社説で述べました。「もし全世界の人々がエホバの証人の信条に従って生活するならば,流血と憎しみはやみ,愛が王として君臨するであろうと言うに留めておこう」。そうです,百万人以上のエホバの証人の示す真正なクリスチャン愛の世界的なきずなは,彼らが真のクリスチャンのしるしを持っていることを示しています。証人たちは仲間のクリスチャン兄弟姉妹に示すよう神が要求される愛をほんとうに実践しています。自分の住んでいる国がどこであれ,証人たちは諸国民の戦争に参加することを拒みます。さもないと,証人たちは互いに殺し合う結果になるからです。
15 真のクリスチャン愛を示すがゆえに,神のしもべたちは何をこうむりましたか。
15 この問題でエホバの証人は支配者としての神にそむくよりは,むしろ迫害を甘んじて受けます。ドイツでは多数の証人たちが神の愛の律法に服し,ナチ政府の支配がもたらした殺りくに携わることを拒んだため強制収容所で処刑されました。共産主義国のソ連で証人たちは同様の理由でシベリアの強制収容所に送られ重労働に服させられました。アメリカでは実に今日に至るまで ― 支配者としての神に服従し,真のクリスチャン愛を示すがゆえに証人たちは最高5年の服役刑に処されているのです! 他の多くの国々でも同様の迫害が起きました。しかし,諸国民が何を行なおうと,エホバの証人は引き続き,『人に従はんよりは神に従い』ます。そうするゆえに当然のこととして証人たちはエホバから何を期待できますか。それは「神のおのれに従ふ者に賜ふ聖霊」です。
実体を見分ける他のしるし
16,17 (イ)真理を持っている人たちは聖書に対してどんな態度を示すはずですか。(ロ)僧職者とエホバの証人の聖書に対する態度を対比させなさい。
16 実体を見分ける他のしるしの一つとして,真理を持っている人たちは神のみことば聖書に対する敬意を示すでしょう。この点でイエスは型を残されました。イエスは当時の聖書を霊感のもとにしるされた神のみことばとして受け入れ,しばしば引用し,ご自分の追随者に推奨されました。(マタイ 19:4-6。ルカ 24:44,45)聖書の内容を和らげて述べたり,聖書をあざけったりされたことは一度もありません。しかし,今日のキリスト教世界の宗教指導者に関してこのことが言えますか。彼らは神のみことばに対する敬意をつちかい,その敵対者に抗してみことばを擁護することに率先していますか。行為に関する聖書の規準を推奨していますか。いいえ,それどころか聖書を卑下し,その一部を神話呼ばわりします。聖書の道徳規準を軽べつし,婚前交渉,姦淫,同性愛,暴力などを大目に見る,もしくは宥恕さえする宗教指導者がますますふえています。実のところ,聖書の敵対者に抗してそれを擁護するどころか,彼ら自身なんとその敵対者になったのです。
17 キリスト教世界の僧職者は神のみことばを尊敬することも,あるいは教会員にそれを実際に教えることもしていません。教会に通っている人に神の目的とその要求を自分の聖書から説明してほしいと尋ねてみると,このことはよくわかります。ほとんどの人はそうすることができないのですから,教会員が神のみことばから教えられていないのは明らかです。リーダーズ・ダイジェスト誌1966年5月号はこう評しました。「今日,教会の ― なかんずく『主流』宗派と呼ばれるものの ― 最高指導者の多くは二つの点で,すなわち(1)不可謬の神のみことばとしての聖書を格下げしようとする潜行的傾向に屈することにより,(2)教会の主要な推力を霊的な事柄から世俗のそれに振り向けようと努力することによって教会員の期待を完全に裏切っている」。しかしエホバの証人について,1969年8月6日付,フランス・ソワール紙は,「エホバの証人の教理は聖書に基づいている」と述べました。英国の1969年9月27日付,ウィークリー・ニュース紙は評しました。「証人たちの成功の秘訣はおそらく,彼らが自分たちの聖書に精通していることであろう」。そうです,エホバの証人は聖書全巻を神のみことばとして受け入れ,その真理を学びたい人にはだれにでも無償で聖書を教えます。このことは証人たちが世界中の200余の土地の関心のある人たちの家庭で100万件を優に越す聖書研究を司会しているという事実からも明らかです。これは現在行なわれている最も大規模な家庭聖書研究計画です。確かに世界の歴史上かつてない最大のものです。
18 神のしもべたちは神の名前に関連してどのように見分けられますか。
18 イエスは祈りの中で言われました。「天にいます我らの父よ,願くは,御名の崇められん事を」。(マタイ 6:9)また,こう祈られました。「われ御名を彼らに知らしめたり,復これをしらしめん」。(ヨハネ 17:26)神の真のしもべたちは「御名を負ふべき民」として呼び出されるのです。(使行 15:14)神の名前エホバ ― 英語でJehovah ― は聖書中で幾千回も言及されています。しかし,あなたはこの名前をだれから聞きましたか。ご承知のとおり,キリスト教世界の教会はそれをめったに用いない以上,もしエホバの証人がいなかったなら,おそらくあなたはこの名前を一度も聞いたことがなかったでしょう。今日,『エホバてふ名をもちたまふ汝のみ全地をしろしめす至上者なり』という事実を知らせているのはエホバの証人だけです。―詩 83:18。欽定訳。
19 「世に汚されぬ」ようにしているのはだれですか。
19 真のクリスチャンとしてのしるしを持っている人たちは自分自身を「世に汚されぬ」ようにしていなければなりません。(ヤコブ 1:27)神のみことばは,「誰にても世の友とならんと欲する者は,己を神の敵とするなり」とはっきり警告しています。(ヤコブ 4:4)サタン悪魔が「この世の支配者」で「この事物の体制の神」であることを考えれば,その理由は明らかになります。(ヨハネ 12:31,コリント後 4:4,新)僧職者はこの世の戦争を終始支持し,世の政治的陰謀に関係しており,確かに世の一部となっています。しかしエホバの証人についてはどうですか。1969年10月18日付,シカゴのツデー紙は述べました。「そのうえ,証人たちの信仰の型は,彼らの住んでいる政治的社会とのいっさいのかかりあいを持たないことを要求する」。支配者としての神に服従するエホバの証人はこの世の一部ではありません。
20 支配者としての神に服従する人たちはどんな音信を強調するに違いありませんか。
20 実体を見分けるもう一つのしるしは,「終わりの日」に関してイエスが指摘された次の重要な預言の成就でしょう。「王国のこの良いたよりは,すべての国の民に対する証として,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。そしてそれから,終わりが来るでしょう」。(マタイ 24:14,新)その王国はイエスの教えの主題でした。(マタイ 4:17,新)彼はご自分の追随者に次のように祈ることを教えました。「あなたの王国が来ますように。あなたの意志が天におけるごとく地上でも行なわれますように」。(マタイ 6:10,新)これはイエスが言われたときよりも幾世紀も前に預言者ダニエルが次のように話した王国なのです。「それはこれら[他の]王国すべてを打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時まで立つでしょう」。(ダニエル 2:44,新)人類のための唯一の希望は神の王国であることを今日だれが人々に教えていますか。この天の政府は神が悪を終わらせて平和ととこしえの命を従順な人々にもたらすためにお用いになる機関であることを教えているのはだれですか。僧職者はもはやこのことについてはほとんど触れません。しかし,エホバの証人はその現代の歴史の90年余にわたって,この雑誌の表紙に示されているとおり,エホバの王国を人類唯一の希望として力強く宣布しています。
21 エホバは今日の教会諸制度を用いておられますか。あなたの答えの理由を述べなさい。
21 以上,真理を分け与えるために神に用いられる人たちが生み出さねばならない実の幾つかをごく簡単に調べただけでも,エホバは確かにこの世の教会諸制度を用いてはおられないことがわかります。教会は全く混乱し衰退していますが,「神は乱の神にあらず,平和の神」です。(コリント前 14:33)キリスト教世界の僧職者は真理を持っておらず,神はそれら僧職者を用いておられないことをはっきり悟る誠実な人たちはふえています。それどころか,僧職者はイエスから次のように宣言された宗教指導者たちの現代的対型であることが終始いっそう明らかになってきています。「汝らは己が父,悪魔より出でて己が父の慾を行はんことを望む……われ真を告ぐるに,我を信ぜぬは何故ぞ,神より出づる者は神の言をきく,汝らの聴かぬは神より出でぬに因る」― ヨハネ 8:44-47。
22 真理を分け与えるために今日エホバに用いられているのはだれかということを決する特別な方法とはなんですか。
22 今日エホバに用いられているのはだれかということを決する特別の方法がほかにもあります。聖書預言,つまり事前に著わされた歴史は神からのものです。(ペテロ後 1:20,21)神は完壁な正確さをもって将来の事態を予見し,ご自分のしもべたちがそれにおくれを取らないようにさせることができます。エホバは「終のことを始よりつげ,いまだ成らざることを昔よりつげ(る)」かたです。(イザヤ 46:10)エホバはそうした事柄を支配者としてのご自分に服従する人たちに知らせました。「主エホバはその隠れたる事をその僕なる預言者に伝へずしては何事をも為たまはざるなり」とあるとおりです。(アモス 3:7)今世紀において将来のことを正しく知らされてきたのはだれですか。僧職者? 政治指導者? 経済界の首脳者? それともエホバの証人ですか。次の記事でこの問題を検討いたします。
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1970奉仕年度中,全世界の証人たちが人々を招いて自分たちの王国会館で行なった聖書の講演は合計1,103,567件に達した
証人たちはあらゆる機会を捕えて聖書の真理を他の人々に分け与える。このさし絵は尋ねてきた郵便集配人に証言しているところ。証人たちは聖書出版物を165の言語で提供している
[657ページの図版]
1970奉仕年度中,エホバの証人はあらゆる国籍の人々と合計1,146,378件の家庭聖書研究を定期的に司会した
エホバのクリスチャン証人は全世界206の土地で神のみことば聖書からの真理を人々に教えている