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過失は命取りになりかねない目ざめよ! 1977 | 9月8日
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極めて重大な過失
聖書が,神のご意志が天で成されていると同じように,地上においても成される時について述べているのですから,当然その時に生きているのは望ましいことです。ですから,その時に生きるという機会を見過ごすとすれば,それは極めて重大な過失となるでしょう。有名な山上の垂訓の中で,イエスは,「自分の霊的な必要を自覚している人たちは幸いです」と言われました。(マタイ 5:3)神の言っておられる事柄を知るために聖書に目を向けるのは,命を得る上で肝要なことです。そうすれば,宇宙の中で働いている物理的,そして道徳的な法則に反するような行為を避けることができます。人間は,神に関する知識を絶えず取り入れてゆかねばならないように造られています。『ただパンだけによって人は生きず,エホバの口から出るすべての言葉によって人は生きる』という言葉は文字通り真実なのです。―申命 8:3,新。
ですから,自分の生活の霊的な面をおろそかにして,なお罰を被らずに済むような人はいません。わたしたちは,世の一般の人々が,霊的なものではなく,物質的なものを追い求め,霊的な面をおろそかにした結果を見ています。しかし,クリスチャンであるととなえる人々にとって,霊的な事柄をおろそかにするのはさらに重大なことです。使徒パウロは,当時のクリスチャンに,自分たちの聞いた事柄に最大限の注意を払うよう警告する手紙を書き送りました。パウロは,古代イスラエル人に与えられた律法の下で,すべての不従順な行為に対して公正に従って罰が与えられたことを指摘しました。それから,イエス・キリストによって明らかにされた,「これほど偉大な救いをおろそかにした場合,わたしたちはどうして逃れられるでしょうか」と尋ねています。―ヘブライ 2:3。
神のみ言葉である聖書から神の目的を学ぶに当たって,今,注意深くあることは,現在,より幸福な生活をしてゆくのに役立つだけでなく,過失や事故のない世界での永遠の命へとわたしたちを導きます。
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コーヒー危機にどう対処しますか目ざめよ! 1977 | 9月8日
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コーヒー危機にどう対処しますか
ブラジルのコーヒー栽培家は1930年代には,コーヒーの供給過剰のため7,000万袋のコーヒーを焼いたと伝えられています。また,1940年代には,1ポンド(約454㌘)入りのコーヒー2袋をわずか77セント(約231円)で売りに出す広告がニューヨーク・ポスト紙に掲載されました。
コーヒー愛好家がよく知っているように,1970年代に入って事態は大きく変化しました。以前はついでに買う小さな買い物だったのが,今では1ポンドが4㌦(1,200円)から5㌦(1,500円)もする大きな買い物になりました。東京では,コーヒー1杯が300円もする喫茶店が現われました。英文
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