4章
真の幸福に導く実際的な手引き
1 (イ)今日,どんな手引きがあれば良いと思いますか。(ロ)聖書はどうして手引きとして勧められますか。
暗い夜,明るい街灯で歩道が照らされているのは,うれしいことです。また,安心して歩くこともできます。世界の歴史の中でも最も暗い時代である今日,自分自身と自分の家族の歩む道を明るく照らすものとなる有用な指針があれば,本当に良いと思います。しかも,もし,輝かしい幸福な将来にわたしたちを導く手引きを入手できるのであれば,本当にそのような手引きについて知りたいと願うでしょう! ある賢人はかつて神にこう語りかけました。
「あなたの御言葉はわたしの足のともしび,わたしの道の光です」。(詩篇 119:105,新)
神の「言葉」は,聖書に記されています。聖書をお調べになれば,それが幸福で有意義な生活を送るための健全で現実的な手引き,また助けであることが分かるでしょう。
諸問題を解決する書物
2 ヒンズー教の一指導者は,山上の垂訓の実際的な価値について何と述べましたか。
2 聖書は私たちにとって大変実際的な価値のあるものとなり得ます。このことを認めた識者は少なくありません。一例として,S・J・コーリー著,「キリスト教信仰の珠玉集」には,ヒンズー教の指導者マハトマ・ガンジーと前駐印英国総督アーウィン卿の間で交わされた会話に関する次のような報告が載せられています。
「アーウィン卿は,マハトマをそのアーシュラム(道場)に訪ねた。会話を交わしているうちに,アーウィン卿はその主人役にこう尋ねた。『マハトマ,あなたの国とわたしの国の問題の解決策は何かについて君の考えを率直に話してくれまいか』。すると,そばにあった燭台から小さな書物を一冊取り出したガンジーは,それを開いてマタイ伝 5章を示しながら,こう答えて言った。『あなたの国とわたしの国が,この山上の垂訓の中でキリストが述べた教えについて意見の一致を見るならば,わたしたちの二国の問題のみならず,全世界の問題をも解決することになるでしょう』。これはヒンズー教徒の言葉なのである!」
3 嘆き悲しむ人たちは,どうすれば幸福になれますか。(イザヤ書 61:1,2)
3 聖書の実際的な教えの一例として,その有名な訓話の一部を考慮してみましょう。それは真の幸福の源を示して,次のように始まっています。
「自分の霊的な必要を自覚している人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです。
「嘆き悲しむ人たちは幸いです。その人たちは慰められるからです」。(マタイ 5:3,4)
この複雑な時代にあって,多くの人は自らを霊的な面で充足させるため,思考のための糧の必要性を感じています。世界の悪い状態のために,多くの人々は嘆き悲しみ,心を痛めています。あなたもその一人ですか。もしそうでしたら,こうした危機的な時代を招いた理由,および将来に対してどんな希望があるかを知ろうと努力なさるなら,あなたも幸いな人となれるでしょう。その希望について学ぶとき,あなたの嘆きは実際,慰めに変わるでしょう。
4 どのような人々は今,また将来,神の祝福を享受できますか。(詩篇 24:4,5)
4 イエスの訓話は次のような言葉で続きます。
「柔和な人たちは幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。
「義に飢え渇いている人たちは幸いです。その人たちは満たされるからです。
「あわれみ深い人たちは幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。
「心の純粋な人たちは幸いです。その人たちは神を見るからです。
「平和を求める人たちは幸いです。その人たちは『神の子』と呼ばれるからです」。(マタイ 5:5-9)
あまりにも暴虐の多い世の中にあって,柔和な人たちが周囲にいるのは何という祝福でしょう。であれば,そうなることを聖書が保証しているように,全地がそのような人々で満たされるとき,人類は本当に幸福でしょう。読者は,今日見られる不正直や不正,邪悪な事がすべて地上から除かれるのを見たいと思われませんか。確かにそう望まれるでしょう! ご自分の生き方として義を追い求めるなら,あなたは今でも幸福になれますし,生きて,神が全宇宙に義を回復なさるのを見る時,その幸せは満ちあふれることでしょう。この困難な時代においてさえ,あわれみ深い人,心の純粋な人,および平和を求める人は神の祝福によって満足のゆく生活を送ることができます。それに,これは間もなく全地にあふれる幸福を前もってほんの少し味わうことに過ぎないのです。
試練の時でも幸い
5 もし,だれかがあなたのしている聖書の勉強に反対したなら,あなたはどうなさいますか。(ペテロ第二 3:3,13)
5 「良いたより」をお調べになれば,将来に対する真の希望と共に,明るい積極的な見方を持つよう助けられるでしょう。しかし,あなたが聖書を学んでいるゆえに,中には反対したり,あなたをあざけったりする人がいるかもしれません。そのために,聖書の勉強をやめるべきでしょうか。いいえ。というのは,それはこの困難な時代に幸福へと導く唯一の手引きを捨て去ることを意味するからです。イエスはその垂訓の中でこう続けておられます。
「義のために迫害されてきた人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです。
「人びとがわたしのためにあなたがたを非難し,迫害し,あらゆる邪悪なことを偽ってあなたがたに言うとき,あなたがたは幸いです。喜び,かつ喜び躍りなさい。天においてあなたがたの報いは大きいからです。人びとはあなたがたより前の預言者たちをそのようにして迫害したのです」。(マタイ 5:10-12)
そのような反対者に抵抗してこられたのですから,あなたは幸いです。というのは,実りの多い意義深い生活,また神からの永遠の報いを目指して進歩することになるからです。
6 どのような聖書の勉強が勧められていますか。(申命記 11:18,19)
6 一方,聖書の勉強を始めると,自分の家族や友人の中のほかの人々も関心を持ち,一緒に勉強に加わるようになる場合も少なくありません。あなたもそのような人たちに勉強を勧めてみてはいかがですか。家族で一緒に聖書の討議をするのは良いことです。それは幸福な家庭を築くのに大いに貢献します。
7 聖書を勉強すれば,深刻な家庭問題さえどのように解決できるかを,例を挙げて説明しなさい。
7 時には,次の報告が示すように,聖書は深刻な問題を解決して多くの家族を助けてきました。
フィリピンのある男の人は大酒飲みで,ばくち打ちで,たばこを一日に40本も飲む始末で,喉頭ガンにもかかっていました。子供は9人もいましたが,家族はめったにその父親の姿を見かけませんでした。彼は名目上クリスチャンでしたが,その時間とお金の大半をいかがわしい場所で費やしていたのです。家族はばらばらに崩れ始めました。ところが,彼は訪れたエホバの証人の謙遜さと親しさに感銘を受けました。最初に,何人かの子供たちが,それから家族全部が聖書を勉強し始めました。この男の人は汚れた習慣を捨てるには大いに努力しなければなりませんでしたが,しかし今では,彼とその家族のほかの7人の人たちが既に神に献身しており,同時に家族全部でその聖書研究を続けています。たばこをやめたお陰で,彼ののどはすっかり治りました。彼は今では献身的な家庭人となり,親族はその変化に驚き,親族の多くの人たちもまた,聖書の勉強に関心を持つようになりました。
たとえ,あなたの家族が問題をかかえているとしても,それはこの男の人の問題程深刻なものではないかもしれません。それにしても,聖書はやはり,あなたのご家族の一致をもたらす驚くべき影響を与えるものとなり得るのです。
真の隣人愛
8 聖書は間違った欲望をどのように戒めていますか。(ヨハネ第一 2:15-17)
8 山上の垂訓のほかの幾つかの教えを調べてみることにしましょう。その中で,イエスは,人類を悩ましている諸問題の根本原因を探っておられるのです。例えば,イエスはさかのぼって十戒に言及して,こう語っておられます。
「『あなたは姦淫を犯してはならない』と言われたのをあなたがたは聞きました。しかし,わたしはあなたがたに言いますが,女を見つづけてその女に情欲をいだく者はみな,すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです」。(マタイ 5:27,28)
それで,間違った欲望には注意しなければなりません。もし,そのような欲望を心の中で培うと,悪行を犯すようになります。ですから,築き上げる健全な事柄を頭と心で思いめぐらして,正しい欲望を培うのは,何と大切なことでしょう。
9 どんな模範に従えば,人類の諸問題は解決できるでしょうか。(ルカ 6:35)
9 イエスの時代には,「あなたは隣人を愛し,敵を憎まねばならない」と教える人々がいました。しかし,イエスはそれとは異なったことを述べておられます。
「しかし,わたしはあなたがたに言いますが,あなたがたの敵を愛しつづけ,あなたがたを迫害している者たちのために祈りつづけなさい。それはあなたがたが,天におられるあなたがたの父の子であることを示すためです。父は邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を昇らせ,義なる者の上にも不義なる者の上にも雨を降らせてくださるのです」。(マタイ 5:43-45)
自分の敵のためにさえ良いことを求めるとは,何と利他的な行ないでしょう。それにしても,これは地上の生きている人々すべてに,邪悪な者にさえも惜しみなく必要物を供給なさる,私たちの天の父なる創造者に見習う行ないであることに注目してください。もし全人類が他の人々に対してこのような愛ある思いやりを示したなら,全世界の諸問題は確かに解決できたでしょう!
10 どうして,日常の必要物について思い煩ってはなりませんか。(ルカ 12:15)
10 さらに,この垂訓はこう述べます。
「このゆえにあなたがたに言いますが,何を食べまた何を飲むのだろうかと自分の魂のことで,また何を着るのだろうかと自分の体のことで思い煩うのをやめなさい。魂は食物より,そして体は衣服よりたいせつではありませんか。天の鳥をよく観察しなさい。彼らは種をまいたり,刈り取ったり,倉に集め入れたりはしません。でも,あなたがたの天の父は彼らを養っておられます……野のゆりから,それがどのようにして育っているか,教訓を得なさい。労したり,紡いだりはしません。しかしあなたがたに言いますが,栄光をきわめたソロモン[王]でさえ,これらの一つほどにも装ってはいませんでした。では,神が,……野の草木にこのように衣を与えておられるなら,ましてあなたがたに衣を与えてくださらないことがあるでしょうか……それで,思い煩って,『わたしたちは何を食べるのか』,『何を飲むのか』,『何を身に着けるのか』などと言ってはなりません。これらはみな,諸国民がしきりに追い求めているものです。あなたがたの天の父は,あなたがたがこれらのものをすべて必要としていることを知っておられるのです」― マタイ 6:25-32。
11 (イ)「諸国民」は何を追求していますか。どんな結果を招いていますか。(マタイ 6:19-21)(ロ)真の幸福に至る道とは,どんな道ですか。(ルカ 11:28)
11 ここでイエスは,衣食住を備えるために私たちすべてが持っている普通の関心事について話しておられます。幸福であるためには,それらのものは必要です。とはいえ,わたしたちの周囲の人類の諸国民は往々にして,必要物ではなく,人間の欲望を追求しています。この貪欲な世は,人間の所有するものに対する利己的な欲望や誇りを強調して,人類の不幸を助長しています。物質上の所有物はある程度の一時的な喜びをもたらしはしますが,しかし永続する真の幸福に至る道は,『[神の]王国と神の義をいつも第一に求める』ことなのです。(マタイ 6:33)あなたは義に対するご自分の愛に動かされて,そうしておられますか。そうであって然るべきでしょう。山上の垂訓は,そうするための励ましを与えてくれます。
危機的な時代における真の指針
12 (イ)今日,わたしたちの周囲には,予告されていたどんな状態が見られますか。(ロ)しかし,健全な指針をどこに見いだせますか。(ペテロ第二 1:19)
12 わたしたちが今,生活しているこの時代において,義を求めるのは特に重要なことです。わたしたちの周囲の世の中を見ると,それが使徒パウロの述べた次のような説明といかによく合致するかが分かります。
「終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。というのは,人びとは自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,裏切る者,片意地な者,誇りのために思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,敬神の専念という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい」。(テモテ第二 3:1-5)
パウロは,このような状態が「終わりの日」に見られるようになると述べています。しかも今日,人類社会が清算日に直面しようとしていることは何と明らかなのでしょう。それはいよいよ悪化の一途をたどっています。では,実際どこに指針を求められるでしょうか。パウロは,『あなたを賢くし……救いに至らせることができる』「聖なる書物」に注意を喚起して答え,こう付け加えています。「聖書全体は神の霊感を受けたもので……有益です」。(テモテ第二 3:15,16)私たちの創造者であられる神は,「聖書全体」を用意し,この「終わりの日」における私たちの益と励ましのためにそれを保存させてくださいました。
[31ページの図版]
イエスの述べた山上の垂訓には,『全世界の諸問題を解決し得る』教えが説かれている
[34ページの図版]
この家族は聖書を勉強して問題を解決するよう助けられた。あなたもまた,助けを得ることができる
[36ページの図版]
あらゆる人々の上に太陽を照り輝かせておられる,愛ある神に見習うとき,幸福がもたらされる
[38ページの図版]
この危機的な「終わりの日」にあって,生き残るためには聖書の指針が必要