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読者からの質問ものみの塔 1976 | 1月1日
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読者からの質問
● 動物が人を殺した場合,その動物から『血を要求する[新]』と神が述べておられる創世記 9章5節のことばは,どう理解すればよいでしょうか。
このことばの基本的な意味は,人を殺した動物は必ず殺されねばならないということです。人の命を奪った償いとして,その動物は殺されねばなりません。
洪水ののち,エホバ神は,血を食べることは禁じましたが,食用として動物を殺すことを初めて人間に許しました。(創世 9:3,4)それから,人間は神の像に造られているので,人間の命が動物の命よりも勝っていることを指摘し,神はこう言われました。
『汝らの命の血を流すをば我必ず討さん 獣これをなすも人これをなすも我討さん おおよそ人の兄弟人の命を取らば我討すべし おおよそ人の血を流す者は人その血を流さん そは神の像のごとくに人を造りたまいたればなり』― 創世 9:5,6。
ですから,食用のために,動物を殺すことができたとしても,人間を殺してはなりませんでした。もしある人が他の人を殺害し,自分にはそうする権威がないのに人の命を奪うなら,当然流血の罪を負うことになり,処罰として自分の命を奪われることになります。そして同じことは人間を殺した動物にも当てはまります。確かに,人を殺した動物は,それによって神の律法を破ったという意識はないでしょう。しかし,物を言わない動物でさえ人の命を奪うなら処罰を免れえないというこの定めは,確かに人命の尊さを人々に銘記させたことでしょう。
後日,エホバは,イスラエルに与えた律法の中で,人間を殺した動物に関する規定をお与えになりました。出エジプト記 21章28から32節によると,角で人を突き殺した雄牛は石で打ち殺されることになっていました。この律法の適用が雄牛だけに限られていなかったことは,広く認められています。雄牛が角で突くことは農耕社会では良く知られており,従ってそうした雄牛は,人間を殺した動物をどう扱うべきかに関する一つの例と言えます。動物が人間の命を奪うなら,その動物の命も奪われねばなりませんでした。
ノアの子孫となった人々の多くの社会で,その事の事実であることが証明されました。例えば,国際野生生物百科事典には次のように書かれています。「トラがひとたび,人間を襲ったり家畜を殺したりするようになると,その理由が何であれ,人々は結束してこれに立ち向かう。トラが法律で保護されている地域においてさえ,村人が総出で,そのトラを仕とめるまで休まずにトラ狩りをする」。
こうした行為を,単に自己防衛の手段とみなす人もいることでしょう。しかし,創世記 9章5,6節のことばは,人の命の尊さを深く銘記させずにはおきません。人の命を奪って処罰を免れることはできないのです。ですから,わたしたちは,流血の罪を犯さないように努めるとともに,その貴重な命を,命の与え主であるエホバ神に誉れを帰すような仕方で用いるべきです。―使徒 20:26,27。詩 36:7,9。
● マタイ 27章52,53節は,イエスの死にさいして,ある人々が墓の中からよみがえらされたことを意味していますか。
これらの聖句をそのように解すべきであると考えている聖書注釈者は少なくありません。しかし聖書学者たちは,これらの聖句の意味をは握し,正しく訳出するのが非常に難しいことを認めています。が実は,これらの聖句は,イエスの死にさいして生じた地震によって,エルサレム近郊の墓が破壊され,その中から死体が露出して通行人の目にふれるようになったことを示している,と考える十分の理由があります。
マタイ 27章52,53節にはこう書かれています。「墓も開け,眠りについていた聖徒たちの体が数多く起こされた。そして,[イエス]の復活ののち墓から出て来た彼らは,聖都に入り,多くの人に現われた」― コモン・バイブル。
しかし,このコモン・バイブルや他の聖書翻訳が暗示するように,イエスの死なれた時に復活が生じたとするなら,よみがえらされた人々は,それから三日めにイエスご自身がよみがえらされるまで待って,それから自分たちの墓を去ったのでしょうか。イエスは,「死人の中からの初子」となるべきかたでした。それでは,これら「聖人たち」つまり「聖なる者たち」を神がこの時に復活させるどんな理由があったでしょうか。(コロサイ 1:18。コリント第一 15:20)また,油そそがれたクリスチャン,つまり「聖なる者たち」が第一の復活にあずかるのは,この時より将来に予定されていたキリストの臨在期間中のことでした。―テサロニケ第一 3:13; 4:14-17。啓示 20:5,6。
厳密に言えば,その記録は,聖なる者たちの「体」がよみがえらされたとは述べていない点に注目してください。単に,それらの「体」が地震によって起こされた,もしくは墓から投げ出された,と述べられているにすぎません。1962年にコロンビアのソンソンの町で,同様のことが生じました。ティエンポ紙(1962年7月31日付)はこう報じました。「激しい地震により,その町の墓地に埋葬されていた200体の遺骸が,墓から地面にほうり出された」。墓地の近くやその中を通った人たちは,ほうり出された死骸を目にしました。そのため,ソンソンの住民の多くは,墓地に行って,再度,親族の遺体を葬らなければなりませんでした。
マタイ 27章52,53節を,イエスの死にさいして生じた地震によって同様のことが起き,死骸が地面に露出したという意味に訳出しても,ギリシャ語の文法の上からは何の問題もありません。例えば,ヨハネス・グレバーの聖書翻訳(1937年)は,その部分を次のように訳出しています。「墓は開かれ,そこに埋葬されていた者たちの体が数多くほうり出されてまっすぐに立った。こうした姿勢でそれらの体は墓穴から突き出ていたので,そこを通って市内に戻る多くの人がその姿を見た」。―新世界訳と比較してください。
死骸を地上にほうり出して人目にふれるようにし,エルサレムに向かう旅行者に話題を提供したこの激しい地震は,聖所と至聖所を隔てる神殿の幕が引き裂かれた出来事とともに,イエスが悪行ゆえに処刑された単なる犯罪者ではなかったことを証しする付加的な証拠となりました。イエスはまさしくメシアであり,天の命を受けるために,ほどなくして,死人の中からの初子となろうとしておられたかたでした。
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暴力に満ちた世界にどんな解決策がありますかものみの塔 1976 | 1月1日
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暴力に満ちた世界にどんな解決策がありますか
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