平和の君のになう世界政府
「平和の君のになう世界政府」と題する講演は,1965年6月13日にアイルランドのダブリンとスコットランドのエジンバラで同時に始められ,その後数ヵ月にわたり世界の各地で順次おこなわれてゆきました。これによって,多くの土地に住む数十万の人々は,今や成就の最高潮を迎えようとしている大切な預言の意味を知り,その預言に対する認識を深めました。貴重な講演の筋書をこゝに掲載いたします。数百万の人々と共にあなたもこれを読み,預言の書,聖書と照らし合わせつゝその内容をお調べ下さい。
1 世界政府とはなんですか。なんの象徴になるはずですか。
全人類のための世界政府は,全地を治める唯一至上の政府となるでしょう。それは平和な兄弟愛に結ばれた,すべての人々の一致の象徴となるでしょう。だれに対する偏愛も,だれに対する偏見もないこうした政府が,人々のために果たす益を想像するだけで私たちの心はおどります。
2 今日,20世紀の市民は,世界政府についてなにをしていますか。
2 私たち人間家族を支配するそのような世界政府は実現しますか。世界情勢の険悪な今日,この事は真じめな問題として少なくとも論じられてはいます。著名な一百科辞典a はこの問題についてこう述べています,「世界政府に関する大問題は,以前のいかなる時代の人々に対するよりも,20世紀の市民に対する挑戦となっている」。
3 この問題に関する一調査によると,世界政府の設立にはどんな条件のそろうことが必要ですか。
3 今日にいたるまで,そのような統治体制が企てられ,支配下に来るすべての人の支持を得たことはありません。人間的な見方をするなら,世界政府はそれを求める人が余ほど多くなければ実現しないでしょう。ここに引用した百科辞典はこの問題に関する一調査の結果として次のように述べています。「世界の国々の多くの人の考えと心の中に,世界管理のための基盤を作ろうという合意,共通の願い,ないしは集団意識がまず存在し,ついで,世界のいずれの国に住む人の行為についても,そのすべてではなくそのあるものを直接に規制する法律を作り,個人に対する直接の行動によってその法律を実施し,かつ人々の集団を他集団の侵略的,ないしは抑圧的な行為から守るある種の政府機関が建てられないかぎり,世界政府の樹立は不可能であろう」。
4 国際連盟と国際連合が真の世界政府でないのはなぜですか。
4 ニューヨーク市に本部を置く国際連合機構がすでに世界政府ではないか,と言われる方があるかも知れません。しかし,同じ百科辞典がこれを否定しています。「国際連盟も国際連合も世界政府に必要な幅の広い集団意識に基づいて設立されたのではない。また,これらの〔機構の〕いずれにも,法律の制定その実施,国家や集団による侵略,ないしは抑圧行為に対する制止などの権能は与えられなかった」。
5,6 (イ)法王ヨハネス23世は1963年の「地に平和」回文の中で,どんな「権威」について語りましたか。(ロ)回文は国際連合について何を「切望」しましたか。
5 バチカン市の教皇,故ヨハネス23世法王は,国際連合を世界政府であるとはみませんでした。1963年4月11日,聖週の木曜日に,同法王は有名な回文「パセム イン テリス」(地に平和)に署名しました。これは「全世界の聖職者ならびに忠実な人々」ばかりでなく,「善意ある人々のすべて」に宛てられたものでした。法王はこの回文の第4部で,「世界社会の公共の権威」についてふれ,このように述べました。
6 「我々は,国際連合機構が ― 組織においても手段においても ― その重要で高潔な職務にいよいよ耐えるものとなり,人格の尊厳に直接由来する権利,したがって譲渡することも侵すことも出来ない普遍的な権利の強力な保護者として,すべての人がこの機構に頼る日の来ることを切望する。すべての人が世界社会の生きた成員たることを次第に強く自覚するようになっているゆえ,この事はいよいよ望まれる」。
7,8 (イ)この回文はどんな会合の開催を促しましたか。演説者たちが必要であるとしたのはどんな「機関」ですか。(ロ)歴史家トインビーは世界政府の必要なことをどのように語りましたか。
7 この回文が,民主制度研究センターの主催により,1965年2月17日から20日まで,4日間にわたってニューヨーク市で開かれた国際平和大会の開催をうながしたことはたしかです。報道によると,「1963年4月に出されたヨハネス法王のパセム インテリス(地に平和)回文を,どのように実際に適用するかを研究すること」がこの会議の目的となっていました。牧師,学者,科学者,政治家など2000を越える人々が14ヵ国から招かれ,ニューヨーク・ヒルトンホテルでの会合に出席しました。出席し,演説した人の中には国連事務総長も含まれていました。多くの演説者は,「二者択一的な核戦争をかかえて,強力な国際機関が必要である」としました。(1965年2月21日付ニューヨークタイムズ)ニューヨーク,2月20日発のAP通信はこのように伝えました。
8 「著名な英国の歴史家アーノルド・トインビー氏は,本日,文明は人類の存続そのものが世界政府の設立いかんにかかる時点に達したと述べた。『相互の利益のために諸国家は国家主権を世界の権威機関に従属させるべきである。核時代において諸国家が生存するための条件はこれ以外にない』と同氏は語った」。
9,10 (イ)世界政府はどんなものであってはなりませんか。(ロ)世界連邦統一法人は何を目的としていますか。その指導者はソ連の共産主義者とどのように一致していませんか。
9 そのような公共組織はどのようにして生まれるのですか。正常な心でそうした目的のために働く人のすべてが認める通り,世界政府とは武力をもって制圧する強力な一国家の世界支配であってはなりません。西欧の民主主義諸国は,国際共産主義が世界支配を目ざしているとして,これを恐れています。先に引用した百科辞典は問題のこの面につきこう述べています。
10 「『国際連合を支持し,その発展をはかって,機能に限度を持ちつつも平和を保証するに十分な世界政府とする』ことを目ざす人々の大グループは組織されて統一世界連邦主義者法人となった。世界連邦主義の指導者が,ソビエト社会主義共和国連邦を世界社会主義ソビエト共和国とし,これをもって世界政府とすることを意図するソ連人に容易に同意することはないであろう」。
11 どんな現実を見るとき,満足のゆく世界政府の設立を人間に期待することはできませんか。
11 冷厳とした現実を見るとき,満足のゆく世界政府の建設を人間に期待するのは無意味ではありませんか。今日,相対立する政治観念に支配された東西両陣営の間には冷たい戦争がきびしく,その各陣営の中にさえ分裂があり,また個々の国家も内部的な政治抗争に終始しています。私たちのすべてが,全人類を犠牲とする核戦争の脅威をかかえているとは言え,この現状をもってしては世界政府の到来を望むことはできません。この世の精神に満たされた人々は国家主権に執着しています。自分の政治制度にのみ信頼を置く人々は,その政治観念にほとんど熱狂的に献身しています。ほかの考えを受け入れない人々に心の変化を期待することはできません。人間がこれまでに試みたあらゆる政治形態と,その実際の結果とから言うなら,一体どんな世界政府を望めるのですか。
12 世界政府はなぜ必要ですか。その設立をだれに期待できますか。
12 人間家族の保存と幸福のために世界政府は必要です。この事は時と共にいよいよ認められるようになっています。しかし,世界政府はただ人間の力によってのみ成るのですか。どうしても必要な世界政府の導入は,今日のいわゆる頭脳時代の人間に頼る以外にないのですか。人間と人間が誇る科学のほかに訴えるところはないのですか。幸いにもあるのです。私たちの地球は宇宙の小部分に過ぎませんが,全宇宙の偉大な統治者がおられます。その方にとって,地球の統治が困難であるはずはありません。地球の創造者ご自身がとうぜん地球を治められます。だれがそれを妨げられますか。
13 世界政府に伴う問題について,人間が論議を続けることはなぜ不必要ですか。そのような議論を続けることはどんな結果になりますか。
13 今日,世界政府の必要さを認める人々はそれをどんな形態にするか,どのように実施するか,だれを統治者とするか,またどのようにしてその世界統治者を選ぶかなどについて,際限なく論争を続ける必要はありません。現存する事物の制度が始まるずっと以前から,全人類のための世界政府の樹立は生ける最高の権威者によってすでに定められていたのです。大多数の人々はこの権威者を顧みず,その決定と意図されるところとを無視してきました。今日の核時代の指導者がこの方を無視しつづけるなら,自らに不必要な災を招き,やがては人間製の世界政府によって避けようとしている災やくそのものに陥る結果になるでしょう。
14,15 (イ)至上の権威者にとって世界政府はなぜ耳新しいものではありませんか。(ロ)この権威者は紀元前8世紀のエルサレムにおいて,政府に関するどんな布告を広めさせましたか。
14 正当な政府はただ至上の権威者にのみ由来します。この権威者にとって人類を治める世界政府はことさら新しいものではありません。この方は今日の核時代が始まる2600年以上も前から,私たちの時代に実現する世界政府に関する布告を出しておられました。その布告が発せられたのは紀元前8世紀です。当時,ニネベに都を置くアッシリアが世界強国となっていましたが,侵略によって領土を広げていたとは言え,世界政府にはなっていませんでした。アッシリアがおびやかしながらも征服することのなかった町があります。それはエルサレムです。この町で次のような政府設立の布告が発せられ,また広められました。カトリック教会公認の聖書からその布告の日本語訳をここにのせましょう。
15 「私たちのために,ひとりのみどり子が生まれた,ひとりの子が,与えられた,その肩には王のしるしがある。その名は巧妙な顧問,力ある神,永遠の父,平和の君と,となえられる。かれのおさめる所は,広大,かぎりなき,平和のうちに。かれは,ダヴィド(ダビデ)の座を,その国を,法と正義とをもって,いまも,いつまでも,かため,つよめられる。万軍の主のもえる愛が,それをおこなう」。―イザヤ 9:5,6,バルバロ訳。
約束された君
16,17 (イ)その布告はなにを予告していましたか。(ロ)しばらく前「平和の君」の称号はインドでどのように誤用されましたか。
16 この言葉の中で,神は無限の平和をもたらす世界政府の設立を予告されました。その支配権は平和の君と呼ばれる者にゆだねられます。この称号は人類を治める者に与えられるべきです。何年か前,この称号は誤まって用いられ,政治家をかねた力ある将軍に与えられました。西欧陣営最強の軍事国家の大統領職にあった時,彼はインドに儀礼訪問をしました。彼がインドの首都ニューデリーに着いたのは1959年12月9日でしたが,その模様を伝えた雑誌の一つはこのように書きました。
17 「〔マハトマ・〕ガンジーの死以来,インドでこれほどの大群衆が出たことはない。市民や近隣の村人100万人以上がニューデリー市街に群がって手を振り,……(『アイゼンハワー万歳!』)と叫んだ。叫ぶ人々の頭上には,『アイゼンハワー ― 平和の君』としるした紅白ののぼりがはためいた」。―「ものみの塔」1960年11月15日号423頁。
18 力ある神とも呼ばれる約束の平和の君は,なぜ地上の国家の大統領になりませんか。
18 しかし悲しいことに,その後彼の国自身は東南アジアで戦闘行為に加わり,そのことが世界平和をおびやかすようになりました。ヒンズー教徒の中には彼をしてビシュヌ カアバタル,すなわちビシュヌ神の生まれ変りとする者さえありましたが,このことは「平和の君」の称号を単なる人間に与えることの愚かさを示しています。万軍の主の政府布告によると,約束された平和の君は力ある神とも呼ばれますが,この君がアメリカ合衆国を初め,今日の地上の国々の大統領となることは決してありません。平和の君は「ダヴィド(ダビデ)の座を,その国を……かため,つよめ……る」と万軍の主は言われます。
19,20 (イ)そのため平和の君はだれの子孫でなければなりませんか。(ロ)万軍の主はこのことを定めるどんな契約を忠実なダビデと結ばれましたか。
19 このことのために,平和の君となる者はベツレヘムのダビデの子孫でなければなりません。ダビデは紀元前11世紀のエルサレムの王であり,その王国はやがてユーフラテス川から南のエジプトの川にまで及びました。(創世 15:18)この忠実なダビデに対して,万軍の主は厳しゅくな約束をされました。すなわち,王権がいつまでもダビデの家系にとどまること,そしてその王国の永遠に続くことが定められました。(サムエル後 7:1-17)聖書のバルバロ訳によると,昔の霊感を受けた詩篇記者の一人は神の約束をこのように言い表わしました。
20 「その昔,あなたは,敬虔な者に,幻影のうちにおおせられた,『私は,英雄に王冠をさずけ,民に選ばれた者を高めた。私のしもベダヴィドを見出し,聖なる油をかれにそそいだ。……しかし,かれから,私の愛を奪い返しはしない,私の真実にそむくことはあるまい。私は,契約を汚さず,私の口のことばを変えない。私は,この聖性にもとづいて,一たん誓った。決してダヴィドをあざむきはしない。かれの子孫は,永遠に続き,その座は,太陽のように,私の前にある。月が,永久にとどまるように,雲の上での真実の証」。―詩 89:20-38,バルバロ訳。
21,22 (イ)それゆえ,この平和の君はなんの相続者となりますか。(ロ)イザヤはこの君の誕生についてさらに何を預言しましたか。
21 万軍の主は平和の君について「かれのおさめる所は,広大,かぎりなき,平和のうちに」と言われましたから,政府をになうこの君はダビデ王の家系を永遠に相続する者でなければなりません。これが実現するために,このダビデの永遠の王国の相続者は,地上でダビデの家系に生まれ出なければなりません。この者の到来は予告され,その誕生は歴史を区切る出来事となりました。この君の誕生についてさらに預言したのは預言者イザヤです。それはエルサレムを都としたダビデの家系の王国が,敵国の連合勢力におびやかされていた時でした。時の王にむかってイザヤは言いました。
22 「ダヴィドの家よ,きけ,人のかんにん袋の緒をきらせるのは,あなたたちにとって大ごとではないのか? いま,あなたたちは,神のかんにん袋の緒をきらせようとしている。にもかかわらず,主おんみずから,あなたたちに,しるしを与えて下さる。みよ,処女がみごもり,ひとりの子を生み,それを,エンマヌエルと呼ぶだろう」。―イザヤ 7:13,14,バルバロ訳。
23 歴史の事実,また神の預言の成就であるこの子供の誕生についてマタイ・レビは何を書いていますか。
23 この子の誕生は歴史上の事実として長く認められてきました。またその誕生は,否定することも,ぬぐうこともできない歴史の記録にしるされ,万軍の主がご自分の約束どおりこの奇跡をなし遂げられたことを証するものとなりました。ローマ帝国の取税人マタイ・レビはこの誕生が神の力によることを説明しています。マタイはこの処女母をマリヤと呼んでいます。これがイザヤによる万軍の主の預言の成就であることに読者の注意をひいて,マタイ・レビはこう書いています,「これらのことは,預言者によって主がおおせられたみことばを実現するために起ったのである,『処女がみごもって,子を生むであろう。その名はエンマヌエルと呼ばれる』。その名は,『神はわれわれと共においでになる』という意味である」。(マタイ 1:22,23,バルバロ訳)神の命令にしたがって子供はイエスと名づけられました。
24,25 (イ)1世紀の医者ルカは誕生についてなにを調べましたか。(ロ)ルカの報告によると,生まれる子供について天使ガブリエルはマリヤに何を告げましたか。
24 第1世紀のある医者は,奇跡によって生まれたこのイエスにまつわる当時のうわさの真実性を確かめました。この医者すなわちルカは,友人であり,信者の一人であったテオピロの信仰を強めるために,自分の調べた事実を手紙にしました。医者ルカの報告によると,マリヤが神に選ばれ,神の子の処女母となることを告げた天使ガブリエルはこのように言いました。
25 「あなたはみごもって子を生むでしょう。その子をイエズスと名づけなさい。それは偉大な方で,いと高きものの子といわれます。また,かれは,主なる神によって父ダヴィドの王座を与えられ,永遠にヤコブの家をおさめ,その国は終ることがありません。……聖霊があなたにくだり,いと高きものの力のかげがあなたをおおうのです。ですから,生まれるみ子は聖なるお方で,神の子といわれます。……神には,おできにならないことはありません」。―ルカ 1:28-37,バルバロ訳。
26,27 (イ)ルカの記述は誕生とその場所についてどんなことを判断する手がかりとなりますか。(ロ)ルカによると,神はその晩,誕生の証人をどのように起こされましたか。
26 医者ルカのあげる事柄と数字とをもとにしてイエスの誕生の年を定めることができます。ルカはイエスの誕生がベツレヘムで起きた次第を述べていますが,それは7世紀以前の預言者ミカの予告の通りでした。(ルカ 2:1-7。マタイ 2:1-16。ミカ 5:2)誕生は混雑した町のある馬屋で起きました。町には人が多かったため,見落される者もいたでしょう。しかし,この誕生は母親のマリヤと養父ヨセフ以外の証人なしにはすまされません。神がご自分の子の誕生に証人を起こされました。神はベツレヘムの野原にいた羊飼いに御使を派遣し,馬屋のかいばおけに休む新生児を見つけるための指示を与えられました。
27 御使は,「今日,ダヴィドの町で,あなたたちのために,救い主がお生まれになった,すなわち,主キリストである」と語って,その子供がだれであり,どんな前途をもっているかを明らかにしました。子供の誕生に関するこの発表の後,「たちまち,天の軍勢の大群が天使に加わり,『いと高き所には神に栄光,地には善意の人々に平和』と神を賛美」しましたから,羊飼いのほかに天の証人たちもいました。このすぐのち,羊飼いは天使の言葉どおりに新生児を見つけ,神の子誕生の目撃者となりました。そののち羊飼いたちは,「天使が話したとおりのことを見聞きしたので,神をあがめ,たたえつつ」,自分たちの羊の群れに帰りました。―ルカ 2:1-20,バルバロ訳。
28 (イ)その子供はダビデ王に対してどんな関係にありますか。(ロ)この子供の政府についてどんな疑問がおきますか。なぜ?
28 この子供が神のキリスト,すなわち油注がれた者になり,ダビデ王の主となります。永遠の王国に関する神の約束を得たダビデ王は中東の小地域を治めたにすぎません。また,天使ガブリエルがマリヤに伝えたところによると,マリヤの子イエスは「父ダヴィドの王座」を与えられ,「ヤコブの家」,すなわち,アブラハムの孫,族長ヤコブから出る国民を治めます。それでは,イエス・キリストのになう政府が世界政府,全人類を治める政府であると言えますか。
29 (イ)彼がダビデ王の主となることは何を示していますか。(ロ)ダビデは自分に主があることをどのように示しましたか。
29 天使は発表の言葉の中で,イエスの政府がダビデ王の政府より偉大であることを示しました。天使は,誕生したイエスが預言されたキリストとなることを語っただけでなく,主,すなわち,イスラエルないしはヤコブの王であったダビデ王に対してさえ主になることを語りました。主なる神の言葉を書きとどめたダビデ自身も,ダビデに対して主となる者がいることを示しました。ダビデは書きました,「私の主に,神のみことば。『私の右にすわれ,私は,敵をあなたの足台としよう』。主は,あなたの力ある笏を,シオンからひろめられる。あなたの敵を治めよ」。―詩 110:1,2,バルバロ訳。
誤まった世界政府は拒絶された
30 (イ)ローマ皇帝の後継者はなぜ世界統治者でありませんでしたか。(ロ)浸礼者ヨハネはいつ伝道を始めましたか。
30 私たちが今取りあげている事柄が起きた第1世紀には,ローマ帝国が支配的な世界強国となっていました。しかしそれは世界政府ではありませんでした。帝国領土外の諸政府はローマを地上の中央政府としては認めていませんでした。それらの政府はそれぞれの国家主権を手離しませんでした。それゆえ,ローマ皇帝の後継者が世界政府をになう世界統治者となったことはありません。世俗の歴史にしたがえば,ローマ皇帝チベリウスの治世の15年目は西暦29年8月13日に終わりました。浸礼者ヨハネが中東の地にあらわれ,天国すなわち神の国の近いことを述べ伝えたのはチベリウスの15年目であり,右の日付よりも前でした。これは帝国ローマより上位にある政府です。
31,32 (イ)イエスが浸礼者ヨハネのもとに初めて来たのはいつですか。なんのためでしたか。(ロ)ヨハネは待ち望んでいたどんなしるしを得ましたか。
31 浸礼者ヨハネが自分の仕事を始め,自分より偉大な者の到来を発表し始めてから6カ月後に,マリヤの子イエスは浸礼を受けるためヨハネのもとに来ました。イエスに告白すべき罪はありませんでした。しかしイエスはヨハネに浸礼をあえて求められました。それに従ったヨハネは予め告げられていたしるしを得ました。マタイ伝 3章16,17節はこうしるしています。
32 「イエズス(イエス)は,洗礼をうけて,すぐ水からおあがりになった。すると,天が開け,神の霊が鳩の形でくだり,かれの上にくるのをごらんになった。そして,天から,『これは,私がよろこびとする愛子である』という声がした」。―バルバロ訳。ヨハネ伝 1章29-34節もごらん下さい。
33 (イ)その時,浸礼を受けたイエスはどんな立場にはいりましたか。(ロ)聖霊で油をそそいだ時,神はイエスとどんな契約を結ばれましたか。
33 この時イエスはキリストになりました。イエスの父である神がこの時彼に聖霊で油をそそがれたからです。イエスをイエス・キリストと呼べるのはこの時からです。イエスの先祖である羊飼いのダビデは油をそそがれて自分の国の王になりました。これと同じように,イエスも油をそそがれましたが,それは実際の油ではなく,天からそそがれた聖霊でした。これはイエスを王,ダビデ王に対しても主となる王に任命するものでした。イエスの国がダビデの国より上位にあるからです。マリヤを通してダビデの家系に生まれたイエスは,生まれながらにダビデの地上の王国とその王位に対する権利を持っていました。しかし,天の神により聖霊で油を注がれたことによって,イエスは天の王国の相続者となりました。油をそそがれた時,神はみ子イエスと天の王国の契約を結ばれました。それはのちにイエスがご自分の忠実な使徒に語られた通りです,「父が,私のために王国をそなえてくださったように,私もまた,あなたたちのために,王国をそなえよう。そして,あなたたちは,私の王国の食卓で飲食し,また座につく」。(ルカ 22:29,30,バルバロ訳)この王国はダビデの王国にまさります。
34,35 (イ)浸礼の40日後にイエスはどんな申し出を受けましたか。どのように?(ロ)その申し出にイエスはどう答えられましたか。
34 浸礼を受け,聖霊で油をそそがれてから40日後に,イエスは世界政府を提供されました。だれからですか。イエスと天の王国の契約をした神からではありません。サタン悪魔からです。イエスはちょうど40日間の断食を終えられたところでした。その時,敵対者悪魔は,天の永遠の王国に関する神の契約とは相いれない申し出をしました。悪魔は地上の世界政府を提供してイエスをいざなおうとしたのです。これはイエスの前に置かれた三つの大きな誘惑の一つですが,そのことを医者ルカはこう説明しています。
35 「〔悪魔〕はまたかれを高いところにつれていき,またたく間に,天下の諸国を示して,『この権力とこの国々の栄華とを,みなあなたにやろう。これらは私にまかせられているから,私は,自分ののぞみの人にこれをやるのだ。あなたが私の前に礼拝するなら,私はこれをみなあなたにやろう』といった。イエズスは,『“あなたの神なる主を礼拝し,ただ,神にだけ仕えなければならない”と書かれている』とお答えになった」。―ルカ 4:5-8,バルバロ訳。
36 そのような世界政府は人類に何を意味しましたか。イエスがそれをことわったことはなぜ人類への奉仕を拒んだことになりませんか。
36 イエスが悪魔の申し出を受け入れたなら,当時の異教のローマ帝国がどうなったか想像されますか。神聖ローマ帝国が西暦800年に設立され,1000年間続くことになったでしょうか。古代エルサレムが世界の都になったでしょうか。サタンがイエス・キリストに申し出たような世界政府は,目に見えない悪魔にあやつられた政府となったでしょう。悪魔のことを,イエスは「この世のかしら」と呼び,クリスチャン使徒パウロは「この世の神」と呼んでいます。(ヨハネ 16:11。コリント後 4:4,バルバロ訳)それは今日の統一世界連邦主義者法人や歴史家アーノルド・トインビーなどの提唱する世界政府になんらまさらないでしょう。それは神の国ではなく,油そそがれた平和の君を王とする天の王国ではありません。サタンからの世界政府の申し出をこばんだイエス・キリストは,人類への奉仕をこばんだのですか。決してそうではありません。
37 約3年半後,「天下の諸国」はエルサレムでイエスをどのように扱いましたか。
37 私たちは,天の永遠の王国に関して主なる神と結んだ契約にイエスが忠実であったことに深く感謝できます。イエスは自分の主である神以外の者に対する礼拝を一切こばみました。約3年半のち,悪魔に対する礼拝の報償として悪魔がイエスに与えることを申し出た「天下の諸国」は,イエスに敵対し,イエスを死なせました。熱狂したエルサレムの群衆は王であるイエスを受け入れず,「私たちの王はチェザル(カイザル)のほかにはありません」と叫びました。ガリラヤのヘロデ,アグリッパ王は刑の執行をとどめてイエスを救おうとはしませんでした。ローマ帝国の代表者であった総督ポンテオ・ピラトは怒号する群衆の歓心を求めて無実のイエスを刑に処しました。―ヨハネ 19:14-22。ルカ 23:1-12。使行 4:25-29
38 キリスト教国は19世紀前のそうした恥ずべき行為をなぜ非難できませんか。
38 それはまさに恥ずべき行為でした。しかし,今日のキリスト教国は,1900年前の諸国民のこうした行為をとがめられますか。今日の「天下の諸国」は実質的に,ないしは原則として同じことをしているのではありませんか。諸国は第一次世界大戦と第二次世界大戦を起こしました。しかし,それは神の国のためではありません。諸国は1919年に国際連盟,1945年には国際連合を選んで,イエス・キリストによる天の王国をはねつけました。極端な国家主義にしたがい,自国の主権に執着する諸国家は,主なる神の前で「私たちの王はチェザルのほかにありません」と言いつづけるのと同じです。そのほかに,カイザルでなくイエス・キリストを王として選んだ忠節な真のクリスチャンに対して,諸国家はどんな態度をとってきましたか。歴史の事実がそれを明らかにしています。
正当な世界政府の基礎を置く
39,40 (イ)神が油をそそいだ者に送られた「天下の諸国」は実際には何を成し遂げましたか。(ロ)神が「天下の諸国」の企てをくじかれたことを,使徒ペテロは五旬節の日にどう説明しましたか。
39 しかしながら,約束された神の国の統治者となるために神から油をそそがれた方に反対した昔の「天下の諸国」は,実際にはどんな事柄を成し遂げたのですか。生きた者と死んだ者とを含め全人類を治める正義の世界政府に関する神の意図を妨げたのではありません。神は「天下の諸国」の悪計をくじかれたのです。イエス・キリストが殺されて51日後のクリスチャン使徒ペテロの言葉がそれを説明しています。
40 五旬節を祝うため,エルサレムに集まった数千人のユダヤ人に向かってペテロは言いました,「イスラエルの人々よ,ききなさい。あなたたちの知っているとおり,神は,イエズスによって,あなたたちの中で奇跡と不思議としるしをおこない,それによって,ナザレト人のイエズスを,あなたたちの前で証認されました。神の不変のおぼしめしと,その予知とによってかれはわたされました。あなたたちは,かれを,悪人の手によって,はりつけにして,殺したのです。しかし,神は,死の束縛を解いて,かれをおよみがえらせになりました。かれは,死の支配下には止まれない方でした。……神が復活させたのは,そのイエズスであります。私たちはみな,そのことの証明者です。イエズスは,いま神の右手によってあげられ,おん父から約束の聖霊を受け,それをお配りになりました。それは,あなたたちが見聞きしているとおりです。ダヴィドは,天にのぼりませんでしたが,“主は,私の主にいわれた,私の右にすわれ,私が,あなたの敵を,あなたの足台にするまで”といっています。したがって,イスラエルのすべての人は,あなたたちが十字架にかけたそのイエズスを,神が主としキリストとされたことを,しかと知らねばなりません」。―使行 2:22-36,バルバロ訳。
41,42 (イ)こうしてイエスを天に上げた神は,君に関する詩篇 89篇27,28節のご自分の契約をどのように果たされましたか。(ロ)こうして高められた君は必要などんな条件をそろえましたか。
41 このきわめて驚異的な方法によって,ナザレの大工であったイエスは,御使ガブリエルによって預言者ダニエルに予告された「油をそそがれたかしら」になりました。(ダニエル 9:21-26,バルバロ訳)天の神の右手に上げられることによって,この「油をそそがれたかしら」は,先祖であるダビデ王の「主」とされました。こうして天に上げられたことは,永遠の王国について神がダビデと結ばれた契約を果たすものとなりました。霊感された詩の中で,その契約はこのように表現されています,「かれは,私にむかって,“あなたは私の父,私の神,私の救いの岩”,というだろう。そうだ,私は,かれを長子とし,地の王のうち,最も高きものとする」。―詩 89:27,28,バルバロ訳。
42 イエス・キリストは天の神の右手に上げられてダビデ王の「主」となり,「地の王のうち,最も高きもの」となったことによって平和の君として世界政府をになう条件をそろえました。
超国家以上のもの
43 (イ)人間の議論によれば,世界政府は政治的にどうあるべきですか。それが成功しないのはなぜですか。(ロ)このために天の平和の君が必要なのはなぜですか。
43 人間製の世界政府を唱道する地上の人間は,世界政府は超国家的なものでなければならないととなえます。超国家的とは,(辞書にしたがえば)「州や国家の政治上の限界を越える,あるいはその種の制限に束縛されない」という意味です。人間は自らの力で,人類世界の統治を目ざす,そうした超国家政府を設立するかも知れません。しかし,それは完全に必要を満たすものとはならず,それゆえに決して成功しないでしょう。真の世界政府は超国家以上のものでなければなりません。それは超自然,すなわち自然を上まわり,自然を越えるものでなければなりません。それは超人間,すなわち被造物である私たち人間が作り出すものを越えていなければなりません。自然界の法則に拘束されない神だけが,全人類家族のために,そうした超自然の世界政府を与えることができます。自然と人間を超越した者だけが世界統治者としての職責を果たせます。「油をそそがれたかしら」が天に必要なのはこのためです。
44 超自然の世界政府は「天下の諸国」の一部ですか。このことについてイエスが明確に語られたのはいつですか。
44 この超自然の世界政府は「天下の諸国」から出るのではありません。イエス・キリストは悪魔の手からこの「天下の諸国」を受けることを拒まれました。それは今日の国際連合機構の変形や拡大,また改革などではありません。それは「天下の諸国」と少しのかかわりも持ちません。ローマの総督ポンテオ・ピラトの前に立ち,反ローマの扇動者であるとの偽りの非難を反証された時,イエス・キリストはそのことを語られました。「あなたはユダヤ人の王か? ……あなたはなにをしたのか?」との総督の質問に対し,イエスは答えて言われました,「私の国は,この世のものではない。もし私の国がこの世のものなら,私の兵士たちは,ユダヤ人に私をわたすまいとして戦っただろう。だが,私の国は,この世からのものではない」。―ヨハネ 18:33-36,バルバロ訳。
45,46 (イ)キリストの王国はなにに由来しますか。それはダビデ王の国とどのように比べられますか。(ロ)ダニエルに送られた夢幻の中の四つの獣は何を象徴していましたか。しかし王国を受けついだのはだれですか。
45 このようにイエス・キリストの王国は人間に由来するものでも,悪魔に由来するものでもありません。それは神からのものです。それは天から働きかけます。それはダビデの王国をも含みますが,ダビデの中東の王国よりはるかに偉大です。地上におられたイエスはご自分のことを人の子と言われました。キリストの時より500年以上も前に,神は,この人の子の政府が国家的なものではなく,世界的なものであることを啓示されました。バビロンの王バルタッサル(ベルシャザル)の第1年に,神は,ご自分の預言者ダニエルに夢の幻を送られました。その夢幻の中でダニエルは次々と四つの恐ろしい獣を見ました。神の御使はその獣の象徴する意味をこう説明しました。
46 「四つの大きなけものは,地に起る四人の王である。のちに至高のものの聖徒たちが,国をうけついで,永遠に,代々かぎりなく,保つ」。―ダニエル 7:1-18,バルバロ訳。
47 夜の幻の中で,ダニエルは四つの獣の処刑ののちに,何を見ましたか。
47 天における神の法廷の開廷と,四つの象徴的なけものに対する神の裁きの執行とについて述べたダニエルはこう言葉を続けました,「私が,夜のまぼろしのうちに,みていると,天のくもとともに,人の子のようなものが,来て,日の老いたものの,もとにすすみ,そのみ前に,みちびかれた。かれには,権勢,威光,国が,与えられ,諸民,諸国,諸国語がかれに仕えることとなった。その勢力は,永遠のもので,過ぎ去ることがなく,その王国は,ほろびることがない」。―ダニエル 7:13,14,バルバロ訳。
48 (イ)彼と天の王国を分けるのはだれですか。(ロ)世界政府をになう彼の力を懸念する必要がないのはなぜですか。
48 ダニエル(7:27)は,人の子イエス・キリストの足跡に従う聖徒が,イエスと共に天の王国を分けもつことを繰り返し述べています。しかし,全人類世界の政府をになうことは,人の子,また平和の君にとってきわめて大きな責任となるでしょう。しかし,心配してはなりません。彼はこの仕事を果たせます。地を離れて天に帰えるにあたり,イエスは弟子たちに言われました,「私には,天と地との一切の権力が与えられている」。(マタイ 28:18,バルバロ訳)人間として地上におられた時にさえ,イエスは世界の仕事や問題と取り組む意欲と能力を示されました。
世界の大きな問題
49 (イ)イエスは世界のどんな大問題を解決するために地上に来ましたか。(ロ)イエスを世の罪をとりのぞく「神の小羊」と呼んだ浸礼者ヨハネはなにを意味していましたか。
49 世界のかかえる大きな問題の一つに「世の罪」をとりのぞくことがあります。近年における全世界的な犯罪の増加に伴い,これは以前にまさる問題となっています。神の子が地上に来たのも世界のこの問題に立ち向かうためでした。そのためには完全に利己心を去り,自らを犠牲とし,罪なくして人間としての自分の命をなげうつことが必要でした。40日の断食を終え,悪魔の誘惑を受けてのち,すでに浸礼を受け,油をそそがれていたイエスは浸礼者ヨハネのもとに戻りました。再びイエスを見た浸礼者ヨハネは彼を指さし,自分の弟子に言いました,「世の罪をとりのぞく神の子羊を見よ」。(ヨハネ 1:29,バルバロ訳)浸礼者ヨハネはユダヤの祭司の子であり,神との関係をあらため,国民を霊的に益するためにエルサレムの宮で小羊が犠牲とされることを知っていました。それゆえ,イエスを「神の小羊」と呼んだヨハネの言葉は,神がご自分のみ子イエスをいけにえとしてそなえられ,全世界の罪を潔めるためにイエスの血が流されることを意味していました。
50,51 (イ)モーセを通じて与えられた律法に示された通り,堕落した人類の罪を潔めるためには何が必要でしたか。(ロ)イエスはイザヤのどんな預言がご自分の身に成就すべきことを知っておられましたか。
50 コリントのヘブル人に宛てられた霊感の手紙は,神がイスラエル国民と契約をかため,仲立ちのモーセを通じてイスラエル人に律法を与えられた時のことを語っています。そしてヘブル書 9章22節はこう述べます,「律法によれば,ほとんどすべてのものは,血できよめられるのであって,血を流すことなしに罪が赦されることはない」。イエスは,堕落した人類の罪を潔める人間の血をそなえるために,自らの人間の命を罪のないままに犠牲とすべきことを知っておられました。イエスはイザヤ書 53章の預言が自分の身に成就すべきことを知っておられました。こう書いてあります。
51 「かれは,私たちの罪のために,つきさされ,私たちの悪のために,押しつぶされた。私たちを救う罰が,かれの上に,おそいかかり,その傷のおかげで,私たちはいやされた。私たちは,みな,羊のように,さまよい,おのおの,自分の道をあゆんでいたが,主は,私たちみなの罪を,かれの上に負わせられた。非道にあつかわれたかれは,身をひくくし,口をひらかず,屠所にひかれる小羊のように,毛を刈る人の前でもだす羊のように,口をひらかなかった。だから,私は,そのむくいとして,おびただしい人を,かれに与えよう。かれは,力あるものを,戦利品とする,それは,かれが,自分を死にわたし,悪人のかずに入れられたからである。かれは,おおくの人の罪をせおって,罪のために,とりつぎをした」。―イザヤ 53:5-7,12,バルバロ訳。
52,53 (イ)多くの人々をあがなうことについてイエスは何を言われましたか。(ロ)だれの命のためにイエスはご自分の肉を与えられましたか。だれの罪のためにイエスは和解の犠牲となられましたか。
52 地上での生涯の終わりごろイエスは弟子に言われました。「人の子が来たのも,仕えられるためではなく仕えるためであり,多くの人のあがないとして,自分の命を与えるためである」。―マタイ 20:28,バルバロ訳。
53 またイエスは,五つのパンと2ひきの魚とをもって,5000人の男,それに女子供を加えた大群衆に食事をさせる奇跡を行なわれましたが,そのすぐ後にこう語られました,「天からくだった生きるパンは私であって,このパンを食べる人は永遠に生きる。そして私の与えるパンは,世の命のために,〔わたされる〕私の肉である」。(ヨハネ 6:51,バルバロ訳)それゆえ,信者の仲間に手紙を書いた使徒ヨハネは,「罪を犯す人があるなら,私たちはおん父のみ前に一人の弁護者をもっている。それは義人のイエズス・キリストである。かれは,私たちの罪のためのとりなしのいけにえである。いや,ただ私たちの罪のためではなく,全世界の罪のためである」と述べねばなりませんでした。―ヨハネ第一 2:1,2,バルバロ訳。
54,55 (イ)神の小羊の血は宗教儀式における動物の犠牲や,戦場で死ぬ戦士の血と比べられますか。(ロ)ヘブル書 5章5,6節によると,神は犠牲のつとめのためにご自分のみ子を何にならせましたか。
54 宗教上の儀式においてこれまでに流されたすべてのいけにえの動物の血も,いえ,それだけでなく,これまで数十年の間に戦場で流されたすべての兵士の血も,罪とその処罰である死を人類から取り除くことはできませんでした。しかし,完全でけがれなく,罪のない神の小羊イエス・キリストの血は,神に受け入れられ,「世の罪」を潔め,神に対する人類の関係を正すものとなりました。またこれによって人類の前には,神のもたらす正義の新秩序下の地上の楽園で永遠の命を得る道が開けました。その正義の新秩序は神のキリストが治める天の王国の下におかれます。この犠牲のつとめを果たさせるため,神はご自身のみ子を罪ある人類世界全体に仕える大祭司とされました。次にあげるヘブル書 5章5,6節(バルバロ訳)はこのことを教えています。
55 「キリストも,大司祭となる誉れを自分でうけられたのではなく,こうかれにおおせられた方によって立てられた,『あなたは私の子である。私は今日あなたを生んだ』。他のところでは,『あなたはメルキセデクの位にひとしく,永遠の司祭である』といわれている」。
56 (イ)犠牲の仕事に照らして,彼を平和の君と呼ぶのはなぜ適当ですか。(ロ)生きている者のためにのみ永遠の命をそなえたのかどうかについてイエスは何を言われましたか。
56 しかしヘブル書 8章1節が私たちに銘記させるように,イエスは地上の祭司ではありません。「私たちには,天においてみいつの玉座の右にすわられるほどの大司祭がある」。(バルバロ訳)この大祭司は,自分の完全な人間の犠牲の価値を神にささげることによって,人類が神と和解する道を開き,人類を神との平和な関係に導き入れることを可能にしました。神の新秩序をもたらす世界政府をになうこの方が「平和の君」と呼ばれるのはひとつにはこのためです。イエスは,自分自身の完全な人間の命を犠牲にして,人類のうちご自分に従う者すべてのために永遠の命をそなえられました。イエス・キリストは「私は復活であり,命である」と言われましたから,その中には復活する死人も含まれます。イエスはまた言われました,「墓にいる人々がみな,そのみ声の呼びかけをきいて,墓を出る時が来る。善をおこなった人は命のために,よみがえる」。―ヨハネ 11:25; 5:28,29,バルバロ訳。
57 (イ)「来るべき世界の父」という称号はなぜ平和の君に適切ですか。(ロ)これは人間の目論む世界政府についてどんな疑問を感じさせますか。
57 支配下の地上の人々に永遠の命を与える平和の君は,その人々に対して父親のようになります。平和の君が「来るべき世界の父」あるいは「永遠の父」とも呼ばれるのはこのためです。(イザヤ 9:6,ドウエー,バルバロ訳)イエスは,父親としてのつとめを果たすにあたり,人の子として地上におられた時と同じようないやしを行なわれ,従順な人間を肉体的にも精神的にも完全に健康にされます。人間は向上し,やがてエデンの園また「よろこびの楽園」のようなパラダイスと化した地上で生気にあふれた人間としての完全さにいたります。(創世 2:8,ドウエー訳)今日の世界の政治家の建てるどんな世界政府が,すでに死んだ数十億の人々は言うに及ばず,その配下に住む生きた人々にさえこうした恩恵をさしのべることができますか。
超人間の障害を取り除く
58 (イ)長年月にわたり人類にとって世界平和達成の妨げとなってきたのはなんですか。(ロ)この障害について人間の世界政府は何が出来ませんか。
58 長年月の間,戦争をなくし,世界平和の達成を目ざす人間の努力には超人間の障害がありました。その障害とはサタン悪魔とそれに従う悪霊です。世俗的に賢い人々はサタンの存在を嘲笑し,サタンが人間の事柄に関係していることを否定するでしょう。しかし,イエス・キリストはそれを否定されませんでした。イエスは悪魔サタンが起こした実際の誘惑に耐え,サタンを「この世のかしら」と呼ばれました。(ヨハネ 16:11,バルバロ訳)使徒パウロはサタンを「この世の神」と呼んで,知られないながら実際に人々の崇拝の対象となっていることを示しました。礼拝を条件としてサタンがイエスに世界政府の授与を申し出たことはこれと一致しています。(コリント後 4:4。マタイ 4:8-10,バルバロ訳)サタン悪魔は単独でなく,悪霊を従えています。しかし,その数はわかりません。聖書の最後の本はサタン悪魔が「全世界を迷わ」していることを述べています。(黙示 12:7-9,バルバロ訳)人間の建てるいかなる世界政府も,目に見えない超人間の霊者であるこの世のかしらとその悪霊の影響を人類世界から除き去ることはできません。
59,60 (イ)それゆえどんな世界統治者が必要ですか。平和の君はどのようにこの求めにかないますか。(ロ)疑いなく,私たちは今どんな『短い時』にいますか。人間はなにを叫び求めていますか。
59 「神」サタン悪魔やその使いである悪霊より力があり,目に見えない超人間の霊者が世界統治者とならねばならないのはこのためです。この世界の偽りの神を拘束し,サタンと悪霊の活動を抑えることの出来る世界統治者が必要です。主なる神がそなえられた天のみ子,「平和の君」はそのような世界統治者です。「イエズス・キリストの啓示,それはすみやかに起るであろうことを,そのしもべたちに示すために,神がかれにまかせ,かれはまた,しもべのヨハネに告げられたものである」聖書の最後の本黙示録は,平和の君がサタンとその悪霊を拘束することを予告しています。(黙示 1:1,バルバロ訳)黙示録は象徴的な言葉で天における神の国の誕生の模様を描写しています。
60 この驚異的な出来事の直後に,天で大きな戦いが起こり,サタン悪魔は悪霊の使いと共に地に投げ落とされ,人類に邪悪な働きをする「自分の時のみじかさを知り」ます。サタンと悪霊が地に投げ落とされることは「地と海と(の)のろわれた」時代の初まりとなります。(黙示 12:1-12,バルバロ訳)時代に目ざとい人なら,今が地と海との人々に未曾有ののろいのある『みじかい時』であることをだれが疑えますか。そうしたのろいにともなう世界の困惑が,人々をして世界政府をしきりに求めさせているのです。
61 (イ)世界政府設立のしるしに関する質問に,イエスはどこで答えておられますか。(ロ)イエスの予告された「生みの苦しみのはじめ」をどこに見定められますか。
61 19世紀前,イエスの使徒は神の約束による世界政府設立のしるしをイエスに尋ねました。この問いに対するイエスの長い答えは,マタイ伝 24,25章,マルコ伝 13章,ルカ伝 21章にあります。イエスは「生みの苦しみのはじめ」として「国は国にさから」う世界的な戦争,疫病,ききん,地震などを予告されました。(マタイ 24:7,8,バルバロ訳)こうした「生みの苦しみのはじめ」は最初の世界大戦が起こり,その後に他の恐怖や災やくが続いた1914年にありませんでしたか。もしその時でないとするなら,人類史のどこにそうした事柄を求められますか。「生みの苦しみのはじめ」をなお将来に待つとするなら,他になにを期待しなければならないのですか。
62 (イ)イエスの預言に従い,ノアの日の洪水で滅んだ人々の悪例を避けるため,私たちはどうすべきですか。(ロ)今私たちはなにに頼るべきですか。そしてなぜ?
62 今は賢明に行動すべき時代です。神の預言の言葉に従い,明白なしるしの意味を読み取らねばなりません。大洪水前のノアの時代の人々のようになりたくはありません。「生みの苦しみのはじめ」とそれに続く事柄に関する預言の中でイエスはその人々について語られました,「人々は……洪水が来てすべてを亡ぼすまで何も知らなかった。人の子の来臨もそれと同様である」。(マタイ 24:37-39,バルバロ訳)半世紀前の「生みの苦しみのはじめ」がこのように強度のものであったなら,苦しみの絶頂,すなわちこうした苦しみの最後はどのようになるでしょう。それゆえ,今は平和の君のになう世界政府に頼らねばなりません。今や近づいた現存する事物の制度の終わりに私たちを保護できるのはこの政府のほかにありません。すでに死んだ私たちの愛する人々を墓からよみがえし,完全な支配下に生きさせることができるのはこの政府だけです。
63 平和の君の世界政府に道をあけねばならないのはだれですか。現在ののろいのある『短い時』はいつ終わりますか。
63 「天下の諸国」は平和の君の世界政府に道をあけねばなりません。サタン悪魔とその悪霊の使いも同じです。全世界を惑わし,争闘,混乱,犯罪,道徳腐敗,偽りの崇拝などを育てるこれらの者は拘束され,地上の人間と一切接触のない深みに閉じこめられねばなりません。この人間を越えた仕事が成し遂げられることによって,「地と海と(の)のろわれた」『みじかい時』は終わります。
64 世界政府の仕事はどれくらい続きますか。統治者に後継者の必要がないのはなぜですか。
64 平和の君のになう世界政府がなんらの妨げる者もなく全地を支配するのはこの時です。この政府が生きた者と死んだ者とを含め全人類のために果たす仕事は,いわゆる5カ年計画や支配者である人間の短い寿命によって限られる仕事とは異なります。神のみことばによると,悪魔や悪霊に妨げられることなく仕事は1000年間続けられます。(黙示 20:1-6,バルバロ訳)平和の君は天の不滅の命を持っておられ,世界統治者として後継者の必要はなく,また彼のあとをつぐ者はありません。―ヘブル 7:15-25,バルバロ訳。
65 (イ)その仕事の遂行はだれに益し,だれに栄光を帰しますか。(ロ)天使がルカ伝 2章14節で述べた言葉はなぜ無駄でありませんか。
65 今,天と地における一切の権威を授けられた平和の君は,天の栄光を受けたご自分の教会すなわち会衆と共に治める一千年の期間に,全人類のために偉大な仕事を果たされるでしょう。それは平和の君の父である神に多大な栄光を帰するものとなるでしょう。それゆえ,19世紀前,平和の君が人間として地上に生まれた時に天使の大軍が叫んだ言葉は無駄でありません。「いと高き所には神に栄光,地には善意の人々に平和」。(ルカ 2:14,バルバロ訳)平和の君の誕生と政府と称号を予告した言葉の一部はこうでした,「かれのおさめる所は,広大,かぎりなき,平和のうちに」。(イザヤ 9:6,7,バルバロ訳)それゆえ,全人類の前途は確かです。万軍の主のもえる愛がこの預言を成しとげられます。
66 善意の人々に約束された限りない平和にあずかるため,私たちはこれからなにを追い求めるべきですか。
66 神の小羊はあなたがたすべてのために死に,再び生かされ,天に上げられたのです。あなたはその限りない平和にあずかることを望まれますか。望まれるあなたは,これから平和の君と彼がになう世界政府とにより主なる神がさしのべられる永遠の命を追い求めなさい。
[脚注]
a 「アメリカナ百科辞典」,1956年版13巻96頁。
[12ページの図版]
イエスは天下の諸国を拒絶する
[15ページの図版]
「世の罪をとりのぞく神の小羊を見よ」。