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支部の手紙王国宣教 1978 | 4月
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支部の手紙
王国伝道者のみなさん:
最近協会は2通の新しい会衆申込書を受け取りました。これによって何と,日本に1,000の会衆が設立されたことになります。長年日本で奉仕しておいでになったみなさんは「信じられない!」「夢のようだ!」と考えられるかもしれません。しかし,エホバが業を祝福しておられるので,その『信じられない,夢のような』ことが実現したのです。(イザヤ 60:22)戦後,業が再開された1949年全日本に二つの会衆が組織されました。10年後の1959年,それは47に,それからまた10年後の1969年には203に,そしてさらに9年後の1978年2月には1,000の会衆に加え232の孤立した群れが全日本で組織されていて,王国の良いたよりを全日本で宣べ伝えています。わたくしたちはエホバがもたらしてくださったこの拡大に感謝すると共に,残されている時の間も同様の拡大が続くことを確信して,力を尽くして奉仕に励み,人々を命の道に助けたいと思っています。
1月の野外奉仕報告も大変すばらしいものとなりました。伝道者数は4万3,441人の新最高数で,これは昨年の平均を8パーセント上回るものです。正規開拓者も新最高数で5,647人に達しました。開拓奉仕に対する熱心な支持はすばらしいもので,今奉仕年度最初の6か月間に759人が正規開拓奉仕を申し込みました。この「王国奉仕」折り込みにもある通り,真の満足と喜びをもたらす開拓奉仕をあなたも真剣に考慮してごらんになってください。それを捕えようとするすべての人に「活動に通ずる大きな戸口」は開かれているのです。(コリント第一 16:9)今すぐそれに参加できないとしても補助開拓奉仕を行なえるかもしれません。
今,日本の各地で特別開拓者たちのために開拓奉仕学校が開かれています。出席した特別開拓者たちは何といっていますか。「このような学校を備えてくださったエホバと,組織の深い愛をどれ程感謝したことでしょう。これ程深く聖書を考えたことはありませんでし
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聖書 ― エホバからの実際的な導き王国宣教 1978 | 4月
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聖書 ― エホバからの実際的な導き
1 人類に対する神のすばらしい贈り物の一つに神の真理のみ言葉,聖書があります。それは確かに実際的な導きとなるものです。このみ言葉に従う人は,それを通して神を知り,神の導きを受けるようになります。しかし,このことを知り,自分の生活において神のみ言葉の価値を認識しているのはどれ程の人々でしょうか。本当にごくわずかです。それでも詩篇記者は神のみ言葉について,それが『人の足のともしび,道の光です』と言っています。―詩 119:105,新。
2 隣人愛の精神をもって,わたしたちが他の人を助けて聖書に収められている神の知恵から益を得てもらうためにできることが何かあるでしょうか。一つのことは,神のみ言葉について知らない人々や,自分たちの生活におけるみ言葉の価値を疑う人により提起され得る幾つかの質問を知っている必要があります。
人類にとってどれ程実際的か
3 神のみ言葉の価値が分からない人々の中には,次のように言う人がいるかもしれません。「今どきその助言や忠告の通りにしても助けになりますか。もし貧しければ富ませてくれますか。病気ならばよくなるでしょうか。それによって生活の問題がなくなるというのでしょうか。わたしに何をしてくれますか」。
4 クリスチャンであるわたしたちは知っていることですが,聖書の忠告に従う人が,富を得,健康になり,生活で問題がなくなる,と聖書に述べられてはいません。ご存じのように,聖書はわたしたちを現実から離れさせ,夢の世界に連れてゆくような本ではありません。それは事実に立ち向かうことを拒む,人生に対する哲学的な取り組み方をしている本でもないのです。聖書がしているのは,実生活に真っ向から立ち向かうことです。さらに,それは一歩進んで,人生の諸問題を取り扱うのに助けとなる指針を述べています。これにより多くの場合,人は生活からもっと良いものを受けるようになり,今ゆたかな幸福を味わいます。しかし,より重要なことは,あらゆる場所の人類が待ちこがれている状態 ― この地に対する神のみ子,イエス・キリストによる王国支配の下での平和で隣人に対する真実の愛や気遣いが示される時代 ― での命が約束されているということです。
5 聖書はわたしたちの生活から問題をなくすとは主張していません。しかしながら,聖書の指針に従って生活すれば,当人の生活の仕方の変化のために,その人の生活は改善されます。例えば,多くの人はたばこや麻薬,過度な飲食による金銭浪費の習慣を打ち破ることに成功しました。
6 さらに,聖書の実際的な助言に従えば,精神的にも助けられます。これにより,人はいっそう健康になり,人生に対してより平衡の取れた見方が持てるようになります。掛かり付けの医師の所に行く人の50-70パーセントの患者は身体的な性質というより感情的な性質の病気のために苦しんでいると推定されています。聖書は,人の感情を損ない,人の態度をひねくれさせるような事柄から人々を離れさせます。(エフェソス 4:31,32)消極的な見方を積極的な見方に置き換えることにより,聖書とその実際的な助言は,確かに人を富ませるエホバの祝福を得させることに貢献する要素となるでしょう。―箴 10:22。
何を行なえるか
7 あなたの知っておられる友人や親戚や近所の人などに,聖書をもっとよく知るよう励ましてみてはどうですか。この実際的な本についてあなたの会衆の区域の人々に話し掛けることに定期的にあずかれば,多くの人に喜びを与えることになり,そして自分自身も満足を味わえます。―使徒 20:35。
8 4月中,わたしたちは特に「ものみの塔」の予約運動に精を出すことができます。この雑誌の助けにより,人々が聖書を知り,それから益を受けるようになるのを見るのは何と喜ばしいことでしょう。4月号の雑誌はどれも特別に予約のために特集されたものですから本当に楽しく奉仕できるでしょう。是非熱心に奉仕に参加し,人々を助けてゆきましょう。エホバからの実際的な導きである聖書について他の人々に語る時,わたしたちの隣人愛の歩みが良い結果をもたらしますように。
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気遣うことは分かち合うこと王国宣教 1978 | 4月
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気遣うことは分かち合うこと
1 「わたしは良いたよりのためにすべての事をするのです。それを他の人びとと分かち合う者となるためです」と使徒パウロは述べました。(コリント第一 9:23)19節でパウロは,良いたよりを他の人々に広める自分の務めを果たすために喜んでどの程度まで行なえるかを示しています。彼は「わたしはすべての人に対して自由ですが,できるだけ多くの人をかち得るため,自分をすべての人の奴隷としたからです」と言っています。そして22節で,彼はこう続けています。「弱い者たちに対しては弱い者となりました。弱い者たちをかち得るためです。わたしはあらゆる人に対してあらゆるものとなってきました。なんとかして幾人かでも救うためです」。
何を分かち合えるか
2 そうです,イエス・キリストの弟子を作ることは,週に1時間の聖書研究を彼らと共にすること以上を意味します。考えてみてください。これらの人は自分に対する神のご意志を学ぶと,幾つかの以前の習慣,以前の交わり,以前の友人,以前のレクリエーションの仕方,言い換えれば,古い体制を後にする必要を悟るようになります。中には,真の崇拝の側に立場を取る時に自分の家族からさえ疎外される人もいます。論理的に考えてみて,こうした面でのそれに見合った埋め合わせが与えられることなく,このすべてを彼らが行なってゆくことを期待すべきでしょうか。イエスはこのことについてふれ,こう言われました。「あなたがたに真実に言いますが,わたしのため,また良いたよりのために,家,兄弟,姉妹,母,父,子ども,あるいは畑をあとにして,今この時期に百倍を,すなわち家と兄弟と姉妹と母と子どもと畑を迫害とともに得,きたらんとする事物の体制で永遠の命を得ない者はいません」― マルコ 10:29,30。
3 良いたよりの側に立場を取る人は新しい友や家族をこの体制においても得るであろうとのイエスの保証があるからといってこれが自動的に生ずるとは言えないでしょう。それは実際には,そのようにしようというわたしたちの努力により成就するのではないでしょうか。このように,イエスはご自分の弟子が,ご自分の模範に従って他の人を助けるため自分自身を,そして友情や,支持や,時間や,そして資産を差し伸べるであろうとの確信を表明しておられました。こうした分かち合いは,本当に気遣う人によりなされます。パウロは一群のクリスチャンに次のように書き送りました。「こうして,あなたがたに優しい愛情をいだいたわたしたちは,神の良いたよりだけでなく,自分の魂をさえ分け与えることを大いに喜びとしたのです。あなたがたが,
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