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「あらたに生れ」るとはどういうことですかものみの塔 1969 | 2月15日
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あたかもあらたに生まれるときのように,天における霊の命の希望を理解するということはありません。なぜなら,神に忠実であることを証明すれば,地上の楽園で永遠に生きられるように神は取り計らわれているからです。ケンタッキーの前述の家を訪れたその奉仕者は,そうした楽園を待ち望んでいる人のひとりなのです。
では,このような人々は神の恵みを今受けていないということですか。決してそうではありません! バプテスマのヨハネの場合と同様,神の是認を得ています。その証拠の一つは,エホバが彼らに聖霊を与えられ,クリスチャンの宣教を行なわせるとともに,霊の実を生み出させているという事実です。(ガラテヤ 5:22,23。ルカ 12:11,12)したがって,前述の家の人の質問に対するその奉仕者の答えがいかに正確で正しいかを知ることができます。
その奉仕者が携えていた,神の天の御国と来たるべき地上の楽園にかんする聖書の音信を,もっと詳しく知りたいのでしたら,あなたの住む地域のエホバの証人とともに聖書を討議する機会を利用なさるようお勧めします。
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福音の伝道を第一にするものみの塔 1969 | 2月15日
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福音の伝道を第一にする
「福音は先もろもろの国人に宣伝へらるべし」a と言われたこの福音は,何を意味しますか。それは,「神はそのひとりごを賜ふほどに世を愛し給へり,すべて彼を信ずる者のほろびずして永遠の生命を得んためなり」という福音ですか。それが福音であることには一点の疑いもありません。クリスチャンは,イエスが最後にお与えになった次の使命を忠実に果たし,多年その福音を人々に知らせてきました。「往きて,もろもろの国人を弟子となし……教へよ」― マルコ 13:10。ヨハネ 3:16。マタイ 28:19,20。
しかしマルコ伝 13章10節の前後の文脈からすれば,イエスは特別な種類の福音について考えておられたことがわかります。どうしてですか。この福音の伝道は,ご自分の臨在と,この事物の体制の終わりが近いこととを示す大きなしるしの一部であるとイエスは述べられたからです。この福音が伝道されてきたのは特に1919年以来のことです。この福音は,神の国が天に建てられ,サタンは天から追い落とされ,神のハルマゲドンの戦いが迫り,そして,まもなく神の国の祝福を受けて地は楽園となり,記念の墓に眠る死者さえよみがえってくることを人々に告げています。
イエスは,建てられた御国のこの福音がまず伝道されなければならないことを予告して,事の緊急さを示されました。ゆえにエホバの証人は福音の伝道を緊急な事柄としなければなりません。残された時はまさに縮まっているからです。サタンは,自分のために残された期間がごくわずかしかないことを知って,懸命に働いているのです。(黙示 12:12)では,イエスの真の追随者がそれ以上に懸命に働くのはまさに当然ではありませんか。彼らもまた,この御国の福音の伝道のために残されている時がますます少なくなっていることを知っているのです。福音の伝道にとって恵まれた現在の状態が,いつまでも続くと期待するのはまちがっています。そのうえ,この世代は,すべてのことが成就するまで過ぎ去らないと,イエスは言われませんでしたか。詩篇 90篇10節によれば,一世代とは70年ないし80年です。1914年における異邦人の時の終わりを目撃した世代に残された年月はごくわずかです。―ルカ 21:24,32-36。
ゆえに物質を追い求めるのはむなしいことです。昨年の9月末,アメリカの一テレビ番組で行なわれた,ボクシング界のかつての一チャンピオンとのインタビューは,この点を明らかにしています。彼はプロボクサーとして100万ドルの富を得ましたが,そのすべてを失ったのです。ところが今や神の真理を得たため,かつてないほど幸福に暮らしていると述べました。福音の伝道を第一にすれば,確かに幸福を見いだせます。これは否定できない事実です。それは人に与える生活だからです。「与ふるは受くるよりも幸福なり」とあるとおりです。―使行 20:35。マタイ 6:33。
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