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聖書の真理は自由をもたらすものみの塔 1974 | 3月15日
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聖書の真理は自由をもたらす
西アフリカで奉仕しているある宣教者は次のように語っています。「わたしはある婦人を訪問しました。この婦人は以前わたしたちの業に反対していましたが,今回は聖書を勉強することに同意しました。しかし,研究は定期的でなく,うまく続くだろうか,とわたしは心配していました。でも,心霊術の問題を考慮した時,彼女が研究を真剣に行なっていることに気づきました。この婦人はその週のうちに,心霊術に関係している物品を,一つだけ残して全部投げ捨ててしまいました。
「次の研究のとき,彼女はそれをわたしの所に持ってきて,壊す前に中を見てもよいか,と尋ねました。それは,子どもが欲しかった時分に『まじない師』から,これを持てば必ず妊娠するといわれて渡されたものでした。しかし,彼女は妊娠しませんでした。砂を敷きつめた大きな盆のまん中に,小さなどびんがさかさまに置かれてありました。彼女は非常に注意深く,つぼを起こしました。何もありません。はさみで盆の中をくまなく掘り起こしましたが,それでも何もありませんでした。『まじない師』にだまされていたことを知って激怒した彼女は,すぐさま立ち上がると,その全部を窓の外にほうり出してしまいました」。
確かに,今ではバプテスマを受けたエホバの証人となっているこの婦人の例が端的に明示しているように,偽りの信仰から『真理は人を自由にします』― ヨハネ 8:32。
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読者からの質問ものみの塔 1974 | 3月15日
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読者からの質問
● 聖書はイエスが「三日三晩」墓の中におられたことを述べています。これはイエスがまる72時間墓の中におられたという意味ですか。―ブラジルの一読者より
この質問が生まれるのは,イエスがこう言われたことがあるからです。「ヨナが巨大な魚の腹の中に三日三晩いたとおり,人の子もまたそのように地の心に三日三晩いるのです」。(マタイ 12:40)聖書読者の多くはこれをまる三日三晩,つまり72時間と解します。しかし聖書から得られる証拠は,イエスが72時間も墓の中におられたのでないことを示しています。
イエスはニサンの14日の過ぎ越しの日,つまり現在金曜日として知られている日に死なれました。そして現在日曜日と呼ばれる日の早朝にはすでによみがえらされていました。マルコの記録は次のようになっています。「週の最初の日の朝とても早くに,[マリア・マグダレネ,ヤコブの母マリア,それにサロメは]記念の墓に来たのである。その時,太陽はすでに昇っていた。……記念の墓の中に入ると,ひとりの若者が白い長い衣をまとって右側に座っているのが見え,彼女たちはぼう然とした。その者は彼女たちに言った,『ぼう然とすることはありません。あなたがたは,杭につけられたナザレ人のイエスを捜しています。彼はよみがえらされました。ここにはいないのです』」― マルコ 16:2-6。ヨハネ 20:1。
もしマタイによる書 12章40節が,24時間の完全な日三日を意味しているとすれば,イエスはいつ埋葬されたことになるでしょうか。日曜日の早朝から72時間さかのぼると木曜日の早朝になります。しかしイエスは午後3時ごろに死なれたのですから,水曜日の午後には墓に収められていなければならなかったでしょう。(マタイ 27:46,50)しかしイエス・キリストの死と復活にかんする記録には,問題の期間が,水曜日から日曜日にわたるものであったことを暗示するものは何もありません。では証拠を調べてみましょう。
女たちが墓に行ったのは,イエスのからだに香料を塗るためでした。彼女たちはその香料を安息日の直後に買っています。(マルコ 16:1。ルカ 23:56とくらべてください)これはどの安息日だったでしょうか。もしニサンの14日が水曜日の午後にまでおよんでいたとしたら,これは木曜日,ニサン15日,種入れぬパンの祭りの第一日,したがって安息日にもなります。(レビ 23:5-7)ユダヤ暦の日は日没から始まるので,次の安息日は,金曜日の夕方に始まって土曜日の夕方までつづく,週の安息日だったでしょう。
マリア・マグダレネ,ヤコブの母マリアそしてサロメが,ニサンの15日が終わるとすぐに(そのような計算でいくと木曜日の夕方)香料を買い,それからイエスの墓に行くのをニサンの18日(日曜日)の早朝まで待ったというのは道理に合わないようです。ニサン18日の早朝といえば,イエスの死からまる三日半以上経過していたことになります。そのように日が経過してからでは,香料を塗っても遺体にはほとんど何の効果もなかったでしょう。(ヨハネ 11:39をごらんください)また女たちが(安息日ではなかったはずの)ニサンの16日には何もしないで過ごし,ニサン18日の日曜日にできるだけ朝早く,急いで墓に行ったというのもおかしな話です。a
イエスの埋葬と復活とのあいだの期間がまる三日なかったことを支持するこれらの要素を考えると,なぜイエスは,「人の子もまたそのように地の心に三日三晩いるのです」と言うことができたのかという疑問が生じます。(マタイ 12:40)それはなぜかと言いますと,サムエル前書 30章12,13節ではっきり示されているように,「三日三晩」という表現は,足かけ三日を
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