「善意の人には平和」,それともハルマゲドン ― そのどちらですか
「いと高き処は栄光,神にあれ。地には善意の人に平和あれ」― ルカ 2:14,ロザハム訳。
1 いま「善意の人」となることに,なぜ関心を払うべきですか。
あなたは善意の人ですか。そうであれば,ほとんど二千年前,天使の軍勢が歌った言葉は,あなたのことを述べています。その時はなぜ天使が現われて語ったのですか。それはある出来事のためです。たとえ第三次世界大戦のおそれがいまあっても,この出来事が起きたことによって,やがて地上に永遠の平和がおとずれます。
2 それはどんな重要な出来事でしたか。これについて医師ルカの書いた事柄が,真剣な考慮に値するのはなぜですか。
2 それは中東の地における一人の男の子の誕生でした。この出来事はおとぎ話ではありません。丘の起伏するこの土地で勤勉に働く大ぜいの人々がそれを目撃しました。「我らの中に篤く信ぜられたる事の物語につき」「凡ての事を最初より詳細に推し尋ね」「汝の教へられたる事のたしかを悟らせん為に,これが序を正して,書贈る」と述べた一人の医師も,その出来事の真実を証明しています。この医師はルカです。19世紀以上前にルカの書いた言葉は今日にも伝えられており,15世紀に印刷術が発明されるまでは多くの言語で無数の写本に書き写されてきました。そこでむかし天使が,あなたをも含めて善意の人について語った言葉を今日まじめにとりあげるのは,理にかなっています。―ルカ 1:1-4,文語。
3 医学的に見て,この子供の誕生はなぜ重要ですか。この子の父について,どんな公の証言が行なわれましたか。
3 医学的に見て,この男の子の誕生はきわめて重要です。なぜならばこの場合のように処女から子供が生まれた例は,あとにも先にもありません。従って処女が身ごもったことは人間によらず,天の父によるのです。もしそうでなかったとすれば,天使はこの子の誕生に関心を示さなかったことでしょう。責任をのがれるために姿をくらました不義の父親のうませた子供ならば,聖なる天使がその誕生を証しするはずはありません。だれからも望まれないこのような子供の誕生を喜ぶいわれはなく,またこの子から全人類が益を受けることもないでしょう。天使の軍勢が現われ,いま生まれたこの子の父がだれであるかを人間に告げたことは,この男の子が清い処女から奇跡的に生まれた証拠であり,その誕生がほまれとなり益になるという証拠です。天使は神に栄光を帰し,従ってこの驚くべき男の子の父が天の神であることを示しました。
4 この子はどこで,またどんな出来事のあった時に生まれましたか。その時はどんな季節でしたか。
4 当時はローマ帝国が中東の平和を維持していました。アラブ人はその時まだ回教徒になっていません。この子はローマ領ユダヤの町ベツレヘムで生まれたのです。宿には人があふれていたため,母親のマリヤは子供を飼葉おけの中に寝かせました。時はユダヤの月チスリの中頃すなわち10月1日頃で,それは人々が税の登録に出かける季節であり,羊飼が一晩中外で羊の群れを守ることのできる季節でした。その時起きた事の記録を詳細に集めた医師ルカは,すべての「善意の人」のために次のことを書いています。(ルカ 2:8-20,一部は新世)
5,6 (イ)天使は何を告げましたか。だれに対してですか。(ロ)この人々は,どのようにして誕生を目撃しましたか。その事を見てどう感じましたか。
5 「さて,この地方で羊飼たちが夜,野宿しながら羊の群れの番をしていた」。「すると突然にエホバのみ使いが彼らのかたわらに立ち,エホバの栄光が彼らのまわりにきらめいた。それで彼らは非常に恐れた」。「御使は言った,『恐れるな。見よ,すべての民に与えられる大きな喜びを,あなたがたに伝える。きょうダビデの町に,あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは,幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが,あなたがたに与えられたしるしである。するとたちまち,おびただしい天の軍勢が現れ,御使と一緒になって神をさんびして言った,『いと高きところでは,神に栄光があるように,地の上では,み心にかなう人々に平和があるように』」。「そこでみ使いたちが彼らを離れて天に去ると,羊飼たちは互に言い始めた,『是非ベツレヘムまで行き,エホバがお告げになったこの出来事を見てこようではないか』」。「そして急いで行って,マリヤとヨセフ,また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。
6 「彼らに会った上で,この子について自分たちに告げ知らされた事を,人々に伝えた。人々はみな,羊飼たちが話してくれたことを聞いて,不思議に思った。しかし,マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて,思いめぐらしていた。羊飼たちは,見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので,神をあがめ,またさんびしながら帰って行った」。
7 その時,天使の告げた事と一致して,何が当然でしたか。
7 ほとんど二千年前のその時,み使いはいと高きところで至上者の神に栄光あれと,歌いました。これを目撃した忠実な羊飼いも,約束のメシヤすなわち主なるキリストを人類のために遣わされた神に栄光を帰しました。マリヤはダビデの子孫であり,従ってキリストはダビデ王の家系に生まれました。そのとき天の神に栄光が帰せられたのは当然です。
8 当時の出来事から見て,その時だれが平和を享受していましたか。
8 「地には平和」と歌われた言葉を考えてみましょう。これらの羊飼い,またヨセフと妻マリヤが「善意の人」であったことは,疑いりありません。ベツレヘムに生まれて40日後の幼な子イエスを,ヨセフとマリヤが,エルサレムの宮に連れてきたとき,イエスを見た2人の人すなわち年老いたシメオンと年老いた女予言者アンナも善意の人でした。年老いたこの2人は,神の行なわれたことを神に感謝しました。これら「善意の人」には平和がありました。しかし時のエルサレムの王は善意の人ではありません。それはローマから任命された,エドム人のヘロデ大王です。平和とかかわりのないヘロデは,およそ2歳の幼児イエスを殺そうとはかりました。その後間もなくヘロデ王はいまわしい病気にかかって死にましたが,イエスは無事に成長し,「主なるキリスト」になりました。―ルカ 2:25-40。マタイ 2:1-23。
今日の問題
9 それ以後の世紀において,「地には善意の人に平和あれ」という句を唱えたいわゆるクリスチャンは,平和の人でしたか。どんな事実がありますか。
9 「地には平和,善意の人にあれ」。1900年のあいだ多くの人がこの句を口にしてきました。しかしその事は人類の世界にどんな影響を及ぼしましたか。心を慰めるこの言葉を天使が述べて以来,国際的な規模で世界に平和のおとずれたことはきわめてまれです。この点から見れば,ベツレヘムにおけるイエスの誕生によって,世界情勢が変わったとは言えません。イエス自身,ユダヤ人の宗教指導者の反感を買い,宗教指導者は西暦33年,ローマの総督ポンテオ・ピラトに訴えてイエスを死にわたしました。何世紀ものち,イエスの追随者を名乗る人は多く出ましたが,その人々の間には宗教上の争いがありました。クリスチャンをよそおった人々は回教徒と戦い,また多くのユダヤ人を殺しました。クリスチャンと自ら唱える人々が宗教上の不一致をめぐり,あるいは世の政治の争いに加わって互いに戦うことさえしました。これらのいわゆるクリスチャンはどう見ても平和な人でありません。また世界平和を促進する力ともなっていません。
10 統計によれば,予言者モーセの時以来,戦争の年と平和の年の数はどのようにくらべられますか。
10 紀元前1481年のむかしから第二次世界大戦終了までの長い期間にわたり,世界の平和と戦争の年をしらべた資料があります。紀元前1481年には,軍事国家エジプトが世界で最も支配的な強国でした。当時モーセとその民は遠くアラビヤ半島の荒野にあり,エホバ神から与えられた十戒を守って生活していました。その時から第二次世界大戦の終わった1945年までの3426年間に,世界が平和であった年は268年に過ぎません。従って戦争の年は三千年以上に及び,その間に八千の国際平和条約が破棄されました。それで12・8年間にわたる戦争の合間に1年の割合で平和の年がおとずれたことになります。しかし1945年以来,また世界平和と安全をはかる国際連合の設立を見た今日,世界は平和になっていますか。世界平和が今ほどおびやかされている時はありません。
11 キリスト教国はクリスマスのためにどんな主題を採用しましたか。しかし16世紀後の今日,キリスト教国の人々は何を恐れていますか。
11 一千年以上ものあいだ,キリスト教国ではクリスマスの時期になると,「いと高きところでは栄光,神にあれ,地には平和が善意の人にあれ」と歌われてきました。このように歌うのは容易なことです。しかし歴史が物語っているように,これによって世界平和は実現されませんでした。4世紀にキリスト国がクリスマスを採用してからも,キリスト教国は戦争のない世界を実現させていません。16世紀のあいだクリスマスを祝ってきたあげくの今日,キリスト教国の指導者は,ハルマゲドンに対する恐れを表明しています。
12-14 (イ)1962年にニューヨーク・タイムスの論説記者,(ロ)1961年にアイゼンハワー元大統領,(ハ)1960年のモスクワ会議をとりあげた,一新聞の社説は,それぞれハルマゲドンについて何を述べていますか。
12 1962年5月6日付ニューヨーク・タイムスの社説に次のことばが出ています。「核実験によって強固なものとなった防衛力と大義名分を楯に,ケネデイ大統領は原子ハルマゲドンを回避するため,ソ連との妥協点を求めてあらたな努力を払っている。これはルーズベルト,トルーマン,アイゼンハワー諸大統領がとったのと同じ道である。
13 これよりさき1961年9月16日,アイゼンハワー元大統領はイリノイ州シカゴにおける一晩餐会の席上,もし恐れられている核戦争が起こるならば,「シカゴは30分以内にハルマゲドンの滅びにあう」と述べました。
14 1960年11月6日付ニューヨーク・タイムスの社説「モスクワ会談」は,次のように述べています。「ソ連と中共の態度をくらべた場合,最も根本的に異なるのは次の点であろう。すなわちソ連は水素爆弾の戦争が人類にもたらす滅びの恐ろしさを理解しているが,中共は核ハルマゲドンさえも恐れないかのような言い方をする」。
15-17 (イ)水素爆弾の存在する現在,第三次世界大戦はどんなものになると言われていますか。(ロ)冷戦の最高潮についてある新聞の社説は何と述べていますか。(ハ)フォーリン・アフェアズ誌の一筆者によれば,世界はどこにむかっていますか。
15 水素爆弾が作られて以来,第三次世界大戦を「熱核ハルマゲドン」と呼ぶことが行なわれてきました。a
16 東西両陣営のあいだにつづく冷い戦争に関して,一新聞の社説は次のように述べています。「それは単に明るい将来を目ざす精神的な運動ではない。それは世界中の悪に対抗するものであって,その結末が一国あるいは一陣営の勝利や敗北でなく全人類の運命を左右する,一種のハルマゲドンである」b
17 フォーリン・アフェアズ誌の寄稿家は警告しています。「この明白な問題にだれも取り組もうとしないからといって,我々がハルマゲドンにむかって押し流されてよいはずはない。いまこの問題の検討を怠るならば,将来において大惨事を招くことは目に見えている」c
18 第一次世界大戦後50年目の平和への努力にも拘わらず,第三次世界大戦の恐れはなぜ真実のものですか。
18 第一次世界大戦の勃発から50年目を迎えた年は,大国の指導者の平和攻勢が始められた年でした。ローマ法王でさえも,聖書にゆかりのある中東の各地をおとずれ,平和と一致の実現を目ざす意気込みを見せました。1964年1月21日に再開された国連の軍縮会議は何ヵ月ものあいだ会議を重ねたにも拘わらず所期の目的を達成していません。共産主義陣営においても,ソ連と中共のみぞは深まる一方であり,西の陣営に屈する国々では,東西間の冷い戦争がこの時代のうちに終わることはあるまいとの見通しを立てています。キリスト教国の教会やユダヤ教の会堂では,国連に平和の希望を託す祈りがささげられています。第三次世界大戦が恐れられているのも,いわれのないことではありません。
19 「ハルマゲドン」という言葉の真実の意味は,何によらなければなりませんか。ハルマゲドンにおいて「善意の人」に何が期待されていますか。
19 ハルマゲドンを警告する宗教家,政治家,軍人,科学者は,一つのことを見落としています。それは何ですか。人々が見落としているのは,ハルマゲドンとは実際に何かという問題です。これらの筆者や話し手はこの言葉を聖書から借用しています。すなわちベツレヘムにおいてイエスの生まれたとき,天使の大軍が現われて神に栄光を帰し,善意の人に平和を告げたことを述べている本です。従ってこの世の賢人の考えている意味にではなく,聖書から見て正しい意味に,ハルマゲドンという言葉を,理解しなければなりません。一般の理解に従えば,ハルマゲドンは善悪二つの勢力の最終的な戦いです。しかしこれらの二つの勢力に特定な名称は与えられていません。それは分裂状態にある人類が,軍事力をつくして互いに戦う実際の戦いです。自分たちは勝利を得る善の勢力の一部であると,人々は好んで考えます。しかし聖書は,ハルマゲドンの戦いにおいてだれとだれが戦うかを明白に述べています。「善意の人」はこの戦いに加わりません。天の神が正義のために戦うからです。
20 「ハルマゲドン」の語は何回,出ていますか。また何に関連してどこに出ていますか。
20 この事柄を正しく理解するため,来たるべきハルマゲドンの戦いについて述べた聖書の預言的なことばを読んでみましょう。ハルマゲドンというこの力強い言葉は聖書の巻末の本,黙示録の中に1回だけ出ています。この最後の本は,「すぐにも起るべきこと」を忠実なクリスチャンに示すため,霊感によってクリスチャン使徒ヨハネに与えられたものです。ハルマゲドンを前以て描いたこの預言は,つぎつぎにそそがれる七つの災のうち,6番目の災に関連して述べられています。これらの象徴的な災は,「神の激しい怒りがその頂点に達する」最後のものです。(黙示 1:1; 15:1; 16:12)6番目の災がそそがれると,神の怒りをひき起こす何ものかが暴露されます。6番目の災がそそがれたとき,使徒ヨハネは次のことを見ました。
21 黙示録 16章の幻の中で,ハルマゲドンに関連してヨハネの見たものは何ですか。
21 「そして私は,たつの口から,獣の口から,にせ預言者の口から,蛙に似た三つの汚れた霊感の表現が出るのを見た。それらは悪鬼に霊感された表現で,しるしを行なう。そして人の住む全地の王たちのもとに出て行く。全能の神の大いなる日の戦いに彼らを集めるためである……それらはヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる場所に王たちを集めた」。―黙示 16:13-16,新世。
22 だれがハルマゲドンに集められていますか。全能の神の側につく者がその中にいないことは,どうして明白ですか。
22 「人の住む全地の王たち」という表現は,今日の政治指導者すべてを含んでいますか。そうです。王,大統領,民主,共産,中立いずれの体制の指導者を問わず,そのすべては,ハルマゲドンと呼ばれる場所に戦いのために集められています。しかしこれは何をめぐっての戦争ですか。それは少なくとも一部の政治指導者と軍隊が全能の神に組して地の王たちと戦う,王たち同志の戦争ではありません。なぜかと言えば,使徒ヨハネは,「人の住む全地の王たち」が全能の神の敵によってこの戦いに集められるのを見ました。王たちは悪鬼に霊感された表現によって集められます。悪鬼は全能の神の友ではありません。その証拠に,クリスチャンの弟子ヤコブは,信ずるふりをしているに過ぎないクリスチャンに次のことを書き送っています。「あなたは,神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ,信じておののいている」― ヤコブ 2:19。
23 「人の住む全地の王たち」は,だれの側に立って戦うため,ハルマゲドンに集められていますか。
23 全能の神のことを考えただけでおののく悪鬼の見えない力に導かれるままに,「人の住む全地の王たち」(キリスト教国をも含む)は,これら悪鬼に組して戦うため,ハルマゲドンに集められて行きます。それは「悪霊のかしら」すなわち見えないサタン悪魔に組して戦うことです。(マタイ 12:24)ヨハネに与えられた黙示の中で,サタン悪魔はたつとして描かれ,その口からは,ハルマゲドンの戦いに王たちを集める蛙に似た「霊感された表現」が出てきます。
24 蛙のような「霊感の表現」を口から出す獣は,何の象徴ですか。
24 悪鬼に霊感された表現は,象徴的な獣の口からも出てきます。黙示録 13章2節から7節にある通り,竜すなわちサタン悪魔はこの「獣」に力と位と権威を与え,あらゆる民族,国民,言語,国の上に権力をふるうことを獣に許します。従って「獣」は,目に見えないさまでサタン悪魔から支配されている地上の政治組織です。
25 にせ預言者はどんな組織を表わしていますか。
25 悪鬼に霊感された第3の表現は,「にせ予言者」の口から出てきます。予言をするこの組織の名前からも明らかなように,それはいつわりのものです。世界情勢について何を預言しても,それは全能の神の預言者ではありません。その口から出る預言のことばや宣伝の文句は,当然に地の王たちをハルマゲドンにかりたてます。
26 (イ)王たちが集められている「大いなる日の戦い」は,「熱核ハルマゲドン」を意味しますか。どんな事実を見ると,このような考えは間違いのように思えますか。(ロ)しかし,王たちがそこに集められることは,結局何を意味しますか。
26 聖書を深く研究している人々は,現在の出来事や情勢の中に聖書の預言の成就を認め,それを見守っています。それですべての政治指導者がその軍隊もろとも,ハルマゲドンにおける「全能の神の大いなる日の戦い」にいやおうなく集められているのを見ています。これは必ずしも,「熱核ハルマゲドン」と呼ばれる第三次世界大戦にむかって進んでいるという意味ではありません。少なくとも表面だけを見れば,国際連合,世界平和基金,平和部隊その他の機関による全人類の努力は,一つの方向すなわち人々が自信をもって「平和だ無事だ」と言える世界の実現に向かって進められているように見えます。(テサニロケ前 5:3)d 世界平和を目ざすこれらの努力にも拘わらず,悪鬼の盛んな活動によって地の王たちはハルマゲドンに集められています。そして遂に全能の神に戦いを挑むことでしょう。
27 黙示録 17章は,地の「王たち」と大いなるバビロンとのどんな関係を描いていますか。
27 地の王たちについて,このように述べると,キリスト教国の宗教指導者は反論するかも知れません。地の王たちはこれら宗教指導者の教会に属しているからです。しかし霊感の聖書は,このハルマゲドンへの行進について,少しも疑問の余地がないほど明白に述べています。黙示録の次の章すなわち17章をごらん下さい。その章は大いなるバビロンのこと,地の王たちが宗教的な意味で大いなるバビロンと姦淫をしていることを述べています。大いなるバビロンは地の王たちと手を結んでいるのみならず,「あらゆる民族,群衆,国民,国語」の上に座っています。(黙示 17:1,2,15)大いなるバビロンが,古代バビロンに起源を持つ偽りの宗教の世界帝国であってみれば,それも当然です。それは偽りのものです。バビロンから出た偽りの宗教の帝国の勢力は,今日全世界に及んでいます。しかしこの宗教はどうにもならないほど混乱しています。
決定的な戦い
28 宗教と結びついていながら,これらの「王たち」は,黙示録 17章13,14節によると,だれに敵対して戦いますか。
28 「人の住む全地の王たち」は,宗教と結びつきがあります。従って一見すると,このような政治と宗教の合同によって,諸国家が神に導かれるように見えるかも知れません。宗教の名前が違い,形態は異なっても,結局は一つの同じ神の崇拝であるという考えは,めずらしくありません。この考えはだれも傷つけません。しかしそれは正しいですか。黙示録 17章13,14節は,大いなるバビロンと結ぶ地の王たちについて何を述べていますか。「彼らは心をひとつにしている。そして,自分たちの力と権威とを獣に与える。彼らは小羊に戦いをいどんでくるが,小羊は,主の主,王の王であるから,彼らにうち勝つ」。ここで「小羊」と呼ばれ,主の主,王の王と呼ばれているのはだれですか。それは天のイエス・キリストです。イエスはむかしベツレヘムで生まれて人間となりました。
29 このかたが「小羊」と呼ばれているのは,なぜふさわしいことですか。小羊に敵対する王たちは,実際にはどなたと戦いますか。
29 イエスはまた「世の罪を取り除く神の小羊」とも呼ばれています。(ヨハネ 1:29)この小羊は地上で犠牲となって死にました。しかし全能の神は,イエスを死からよみがえらせ,天に住む不滅の霊者とならせました。栄光を与えられたイエスは,いま王であり,全地の支配権を神から与えられています。イエス・キリストはむかし地に下ったとき,「人の住む全地の王たち」がしてきたような大いなるバビロンとの宗教的姦淫を行ないませんでした。そこで大いなるバビロンの影響を受ける王たちが小羊と戦うとき,それは全能の神の側に立つ戦いですか,あるいは全能の神に敵対する戦いですか。答えは一つしかありません。それは敵対の行為です。
30 黙示録 19章11-16節において,神の小羊はどのように描かれていますか。
30 黙示録 17章14節は,地の王たちがハルマゲドンにおいて戦うことを述べているに過ぎません。戦いの模様は黙示録 19章11節から21節に描かれています。そこで使徒ヨハネは,天が開け,神の小羊が白い馬に乗る戦士のさまで現われるのを見ました。ヨハネは次のように述べています。「〔彼の〕名は『神の言』と呼ばれた。そして,天の軍勢が,純白で,汚れのない麻布の衣を着て,白い馬に乗り,彼に従った。その口からは,諸国民を打つために,鋭いつるぎが出ていた。彼は,鉄のつえをもって諸国民を治め,また,全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。その着物にも,そのももにも,『王の王,主の主』という名がしるされていた」。この者は神の側にあって戦います。しかしだれに敵対して戦うのですか。
31,32 黙示録 19章17-21節によれば,彼はだれと戦いますか。だれが勝利を得ますか。
31 使徒ヨハネは戦いの模様を報じています。「なお見ていると,獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり,馬に乗っているかたとその軍勢とに対して,戦いをいどんだ」。この戦いの行なわれるとき,地の王たちとその軍隊はハルマゲドンにいます。悪鬼の霊感する表現が,彼らをそこに集めました。では,つづくハルマゲドンの戦い,すなわち「全能の神の大いなる日の戦い」に勝利を得るのはだれですか。ヨハネはそれに答えています。
32 「しかし,獣は捕えられ,また,この獣の前でしるしを行って,獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も,獣と共に捕えられた。そして,この両者とも,生きながら,硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。それ以外の者たちは,馬に乗っておられるかたの口から出るつるぎで切り殺され,その肉を,すべての鳥が飽きるまで食べた」。―黙示 19:11-21。
33 ゆえにすべての政治組織,その支配者と軍隊は,ハルマゲドンにおいてどうなりますか。
33 これは疑問の余地がないほど明確にハルマゲドンの戦いを描いています。この戦いは人類の目前に迫っているのです。19世紀前の預言的な幻の中で,ヨハネはだれが戦いに勝つかを見ました。それでいま「全能の神の大いなる日の戦い」にだれが勝利を得るかは明白です。それは神のために戦う王の王,主の主であり,その後に従う天使の軍勢です。獣とその像およびにせ預言者によって表わされている地上の政治組織は全く滅ぼされ,火と硫黄の池に投げ込まれたかのように消滅します。現在の同盟や連合による世界の統一は,もはやあり得ません。政治の指導者とその防衛組織は官民を問わず天使の軍勢によって滅ぼされます。そして墓に葬られず,腐肉をついばむ鳥の餌食となります。王の王の口から出る象徴的な「つるぎ」が,この滅びをもたらします。「善意の人」は地上にいてこれを目撃することでしょう。
34 この戦いにまき込まれる人はどうなりますか。なぜそうですか。
34 ゆえに自分を欺いてはなりません。ハルマゲドンの戦いにまき込まれるならば,全能の神と戦うことになります。それはこの世の政治指導者が神とみ子,すなわち王の王,主の主イエス・キリストに敵対して戦う戦争だからです。これにまき込まれるならば,必ず滅びを受けます。そして勝利のみ子イエス・キリストの治める千年のあいだ神の国の下に死からの復活を受ける望みは,全くありません。
もう一つの道
35 (イ)ハルマゲドンにおいて解決されなければならない論争は何ですか。(ロ)神はその時なぜ,力を用いますか。
35 ハルマゲドンの決戦に臨む両方の陣営にだれが加わっているかを見ればわかるように,これは世界支配をめぐる戦いです。ハルマゲドンにおいて解決されるべき問題は,全世界の支配権はだれのものか,腐敗した組織制度の政治家と,神のみ子イエス・キリストと,そのどちらが今よりのち永遠にわたって世界を治めるかという事です。1914年から1918年まで,おもにキリスト教国の国々の間で行なわれた第一次世界大戦は,世界の政治的,経済的支配権をめぐる戦いでした。1939年から1945年まで「これまたおもにキリスト教国の国々が参加して行なわれた第二次世界大戦も,同じ問題をめぐって起きたのです。第三次世界大戦が起きるならば,現代の諸問題を分析して考え得る限り,やはり同じ問題を論争点として戦われることでしょう。この事実と一致して,今日の世界を治める人々は,神の敵である見えない悪鬼の影響に支配され,神の任命した王イエス・キリストに主権を渡そうとしません。そのため神はハルマゲドンにおいて力を用いざるを得ません。こうして国々は,ハルマゲドンにおいて全能の神のみ子による滅びを身に招きます。それは人類史上かつてない大患難の時です。―マタイ 24:21,22。
36 どんなことを真剣に自問すべきですか。聖書は何と答えていますか。
36 ゆえに真剣に次のことを自問しなければなりません。私たちは,「全能の神の大いなる日の戦い」で,諸国家と共に滅びることを望みますか。ハルマゲドンにおいて全能の神に敵対することを望みますか。それを望まないとすれば,何をすべきですか。滅び以外に道は一つしかありません。それはどんな道ですか。神のことば聖書は,「善意の人」に臨む「平和」を求めることを教えています。
37 「善意の人に平和」をさしのべているのは,どなたですか。この平和を享受することは,結局何を意味しますか。
37 「地には善意の人に平和あれ」と歌ったのは,天使の軍勢でした。しかしその前に,「いと高き処には栄光,神にあれ」とも,天使は歌っています。従ってこの平和は,人間の造り出した国連あるいは古代バビロンの宗教に起源を持つ偽りの宗教の世界帝国,大いなるバビロンがもたらす平和ではありません。それは最高至上の神のさしのべる平和です。この神について文語聖書の詩篇 83篇18節は次のことを述べています。「然ればかれらはエホバてふ名をもち給ふ汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし」。私たちはハルマゲドンにおいてエホバの敵とされ,エホバの敵にまわることを望みません。私たちの願いは,その危急の時にエホバが私たちに対し平和をもって臨んで下さることです。それは私たちが生命を全うし,救われることを意味します。神の平和は,神の条件に従って「善意の人」にさしのべられます。
38 (イ)天使の述べたこれら「善意の人」は,何時から存在していますか。(ロ)世界平和の促進に努める人々が,その中に含まれないのはなぜですか。
38 それで今度は次のことを尋ねなければなりません。これら「善意の人」とはだれですか。どうすればその一人になれますか。これら「善意の人」は,この時代にはじめて出現したのではありません。イエスのベツレヘム誕生のとき,天使の軍勢が敬虔な羊飼にその言葉を告げて以来,「善意の人」は存在していました。その時以来19世紀にわたって,何時もこのような人がいたのです。人間の歴史上もっとも困難な今の時代にも,このような人々がいます。ただどの時代においてもそうであったように,その人々は少数者です。平和運動や平和攻勢の立て役者としてニュースに広く報道される有名人は,その一人ですか。世界平和を目ざす国連などの政治組織に属する人々も,その一人に数えられますか。そうではありません。なぜですか。このすべての人々は,神の方法による神との平和ではなく,人間の手段による世界平和を求めているに過ぎないからです。
39 これらの人々はどんな意味において,「善意の人」ですか。
39 天使の述べたこれらの人々は,どんな観点から「善意の人」なのですか。それは神に対して善意を持ち,友好的な目で神を見る人という意味ですか。あるいは神がその人々に対して善意を持たれ,従ってそれは神から善意を受けている人という意味ですか。天使が語ったのは明らかに,ふさわしい人に対する神の善意という意味です。決定的に重要なのは,神に対する私たちの善意ではなく,神から善意を受けることです。ご自分の友になる者を決め,その条件を定めるのは神だからです。神に対して信心深い態度を持ち,キリスト教国の教会に属しているから,あるいはユダヤ教を奉ずるからといって,神の条件にかなうわけではありません。
40 エホバ神崇拝を口にするだけでは不十分なことを使徒パウロは,当時のユダヤ人の場合について,どう示していますか。
40 たとえば1900年前,あらゆる国民の中で選民の地位を占めたユダヤ人は,エホバ神崇拝の態度をとり,エルサレムの壮麗な宮を誇りにしていました。それにも拘わらず,かつてのユダヤのパリサイ人で,後にクリスチャン使徒のパウロは,生来のユダヤ人に関して次のように述べています。「兄弟たちよ。わたしの心の願い,彼らのために神にささげる祈は,彼らが救われることである。わたしは,彼らが神に対して熱心であることはあかしするが,その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら,彼らは神の義を知らないで,自分の義を立てようと努め,神の義に従わなかったからである。キリストは,すべて信じる者に義を得させるために,律法の終りとなられたのである」。(ロマ 10:1-4)遂に使徒パウロは,救いの音信をたずさえて非ユダヤ人すなわち異邦人に行く必要に迫られました。生来のユダヤ人がキリストによる神の義を拒絶したために,神はユダヤの国民を捨てられました。
41 (イ)神はユダヤの国民を捨てたことを,どのように明白にされましたか。(ロ)では当時の「善意の人」はだれでしたか。
41 イエス・キリストがエルサレムの城壁の外で不当に殺されてから37年後,神はユダヤの国民を捨てたことを,きわめて明白にされました。すなわち西暦70年に神は,ローマ軍がエルサレムとその宮を破壊し,生き残った9万7000人のユダヤ人をローマ帝国各地に奴隷として連れ去ることを許しました。それはこの宗教的な国民に対して,至上の神が善意を示されたことの表われではなく,神の怒りの表われでした。しかしその時にも神は,み子イエス・キリストの追随者となったユダヤ人の残れる者およびみ子に従った多くの異邦人に対して善意を表明されました。これらはその当時の「善意の人」です。彼らはエルサレムの破壊に生き残っただけでなく,みじめな奴隷となって捕われることも免れました。これら善意の人々は,のちに神の国の下で復活を受け,死から救われるにふさわしいことも証明しました。
42 聖書のいろいろな現代訳は,「善意の人」にこの意味があることをどのように示していますか。
42 数多くの現代訳聖書は,天使の軍勢の言葉にこの意味が盛られていることを示しています。ルカ伝 2章14節は,改汀標準訳では「もっとも高いところの神に栄光あれ,地には神のよろこばれる人に平和あれ」,新英訳聖書では「最も高い天では神に栄光,地では神の恵みの留まる人に平和があるように」,ジェイムス・モハット訳では高い天では「神に栄光あれ,地では神の恵む人に平和あれ」,アメリカ訳では「天と地において神に栄光あれ,神の恵む人には平和あれ」などのようになっています。他の現代訳を見てもほぼ同様です。それらはいずれも,神の喜ばれる人,神が善意を示される人に神の平和があることを明らかにしています。
43 (イ)神が当時,善意を示されていた事実に人々の注意をひくため,イエスはナザレにおいて何をしましたか。(ロ)この預言は,神が人間に与えるものをどのように対照させていますか。
43 神の善意は,イエス・キリストが地にこられた時,とくに表わされました。当時のユダヤ人にとって,それは永遠の福祉のために,神の善意をすすんで受け入れるべき時でした。イエスはその事実に人々の注意をひきました。30歳まで大工として過ごしたナザレの町の会堂において,預言者イザヤの書を手渡されたイエスは,その61章1,2節を開いて次のことばを読みました。「主エホバの霊われに臨めり,こはエホバわれにあぶらをそゝぎて貧しき者に福音をのべ伝ふることをゆだね,我を遣して心の傷める者をいやし,とらはれびとにゆるしをつげ縛められたるものに解放をつげ,エホバのめぐみの年とわれらの神の刑罰の日とを告しめ……たまふなり」。(文語)この預言の中でエホバ神の善意すなわちめぐみが,刑罰と対照されています。この事から明らかなように,神の善意はすべての人に示されるのではありません。(ルカ 4:16-19)ハルマゲドンにおいて「全能の神の大いなる日の戦い」が間もなく行なわれるとき,神は神に敵対して戦うすべての人に怒りを表わされます。
44 (イ)イザヤ書 49章8,9節によれば,19世紀前,神の善意はだれに示されましたか。(ロ)イザヤの預言の他の部分が成就するため,神の善意はどのように働きましたか。
44 神の善意は,地上に下って人間となったみ子イエス・キリストに対して表わされました。イザヤ書 49章8,9節はそのことを述べた神の預言です。「エホバかくいひたまふ,われ恵〔善意〕e のときに汝にこたへ救の日になんぢを助けたり,われ汝をまもりて民の契約とし国をおこし,あれすたれたる地をまた産業としてかれらにつがしめん,われ縛められたる者にいでよといひ,くらきにをるものに顕れよといはん」。(文語)救いを祈り求めた忠実なみ子イエス・キリストに対する善意のゆえに,全能の神は3日目にイエスをよみがえらせて死から救いました。こうして天に永遠に生きるイエスは,イザヤの預言のあとの部分を成就できました。―ヘブル 5:7-9。
45 (イ)ゆえに今日,「善意の人」になることを望む人は,どんな事実に喜ぶことができますか。(ロ)使徒パウロは,コリント後書 6章1,2節において,どのようにこの事に注意をひいていますか。
45 このゆえに今日善意の人となって,現在も,ハルマゲドンの危険な時にも平和を享受したいと願うならば,私たちは幸いを得ます。神の敵に刑罰が下される「全能の神の大いなる日の戦い」までに残された今の短い期間は,なお神の「善意の時」です。今はなお「救いの日」であり,滅びから救うために神の設けられたご準備にすがる時です。使徒パウロのことばは,その事に注意をひいています。「わたしたちはまた,神と共に働く者として,あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる,『わたしは,恵みの時にあなたの願いを聞きいれ,救の日にあなたを助けた』。見よ,今は恵みの時,見よ,今は救の日である」。―コリント後 6:1,2。
46 パウロの言葉によれば,今日私たちは何をすべきですか。そうする事は,何を意味しますか。
46 使徒パウロがイザヤのこの預言(49:8)を引用して,私たちの益のためにその意味を明らかにしたのは,19世紀前のことです。以来多くの時を経た今日,その言葉はいっそう力強く私たちに訴えてくるはずではありませんか。善意の時がなお残されているいま,イエス・キリストを通して示された神の恵みに十分与りますか。そうすることは私たちの救いとなります。
どのように神の善意を得るか
47,48 どうすれば,すでに何十万人を数える「善意の人」の一人になれますか。
47 今日少なくとも194に及ぶ世界の各地において,あらゆる国民,言語,人種を含む何十万の人々が「善意の人」となっています。この人々は神の恵みの中に留まり,何時までも神に是認された者となるために全力をつくしています。ではどのようにして善意の人となったのですか。それは聖書に教えられている知恵の道に従ったからです。聖書の箴言(8:35)は,天の知恵を得ることについて,次のように述べています。「それは我を得る者は生命をえエホバよりめぐみを獲ればなり」。(文語)
48 何もしないでいて神の善意を得ることはできません。箴言 11章27節にあるように,「善を求める者は,〔神の〕恵みを得る,悪を求める者には悪が来る」からです。必要なのは,バプテスト,メソジスト,長老派など,キリスト教国の教会の会員になることではなく,神の真の民になることです。そうでなければ,神の善意は得られません。詩篇 149篇4節はそのことを示しています。「エホバはおのが民をよろこび,救にて柔和なるものを美しくし給へばなり」(文語)詩篇 147篇11節もごらん下さい。「エホバはおのれを畏るる者とおのれの憐憫をのぞむものとを好したまふ」。(文語)エホバによみされるならば,エホバの善意を得ることになります。
49 (イ)真実の「善意の人」は今日,何をしていますか。(ロ)どのようにその事をしていますか。
49 天国の望みを抱く人も,パラダイスの地を望む人も,真実の意味において「善意の人」は,求める人々が神の善意を得るのを助けるために忙しく働いています。そこで関心をもって求めるこれらの人々に,それぞれの言語の聖書と聖書の理解を助ける手引きを配布することが行なわれています。これらを学ぶとき,神の善意を得るための要求を知ることができます。竜と獣とにせ預言者の口からは,悪鬼に霊感された,蛙のような表現が出てきます。これらの表現にまどわされないようにするには,天からの知恵が必要です。天の知恵は,神の霊感によって書かれた聖書にしるされています。そのため,神の「善意の人」は今日,家庭における個人的な聖書研究を無料で行なって,求める心を持つ人々を援助しています。また聖書を学ぶこれらの人々は,会衆の集会に来て「善意の人」と交わるように招待されます。
50,51 今日,真実の「善意の人」とはだれですか。その人々はどなたの手本にならいましたか。
50 本当の「善意の人」は,キリストを通して神に献身し,水のバプテスマによって献身を公にした人,すなわち神と和解した人々です。時には何千人に及ぶこれらの人々が水の浸礼を受ける光景は,一般の人々に感銘を与えています。一例をあげると,1958年の夏,ニューヨーク市のヤンキー・スタジアムとポログランドで開かれた,エホバの証者の「神のみ心」国際大会において,7136人がバプテスマを受けました。
51 この人々はなぜバプテスマを受けたのですか。いうまでもなく,神の最も偉大な善意の人イエス・キリストにならうためです。イエス・キリストは次の命令を与えて,追随者を全世界に遣わしました。「それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し,あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ,わたしは世の終りまで,いつもあなたがたと共にいるのである」。(マタイ 28:19,20)イエスご自身もバプテスマを受けられ,み心を行なうためエホバ神に献身したことを象徴されました。今日でも同じく,「善意の人」となり,任命されたエホバの奉仕者となった人は,バプテスマを受けて神への全き献身を公に表わしました。
52 これら「善意の人」はどんな態度でハルマゲドンに面していますか。そして諸国民に何を告げていますか。なぜですか。
52 献身してバプテスマを受けたこれらのクリスチャンは,ハルマゲドンにおける「全能の神の大いなる日の戦い」が始まろうとしていても,恐れません。この戦いが神の国を論争点としていることを,その人々は知っています。この戦いは,王の王,主の主であるみ子の治める神のみ国をめぐって,最後まで戦われるでしょう。1900年前にイエス・キリストは,この大問題が今日の全人類の前に明らかにされることを予見されました。そこで組織制度の終結の時を迎えたこの時代に関する預言の中で,次のように言われました。「そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:14)異邦人の時の終わった1914年以来,そしてとくに第一次世界大戦の終結した1918年以来,福音の伝道を命じたこの預言を成就してきたのは,神の「善意の人」です。こうしてすべての国とくにキリスト教国にこの音信が伝えられました。キリスト教国は,メシヤの治める神の国よりも国際連合に頼っています。
53,54 (イ)福音が伝道されるにつれて,大ぜいの人々はどんな選択をしていますか。その人々はどんな人になりますか。(ロ)箴言の言葉に一致して,この人々は支配している王の恵みをどのように受けますか。
53 メシヤである王の即位によって天に神の国が建てられたことを告げる「福音」は,救われることのないこの組織制度が滅びる時まで,なお宣べ伝えられます。伝道がつづけられ,またその規模が大きくなるにつれ,福音を聞いてそれを行動にうつす人は,ますます増加しています。その人々はハルマゲドンにおいて諸国家と共に滅びるよりも,神との平和を保つ道を選んでいるのです。
54 神と神への奉仕に献身し,この献身を公の水のバプテスマによって表わした人々は,神の恵みを得る道をとっています。それは「善意の人」となる道です。いま即位した王イエス・キリストを思い,その人々は霊感による箴言の次のことばを心に留めています。「賢いしもべは王の恵みをうけ(る)」。「正しいくちびるは王に喜ばれる,彼は正しい事を言う者を愛する」。(箴言 14:35; 16:13)そこで献身した人々は賢明に振舞い,いま建てられた神の国をあらゆるところであかしとして宣べ伝えるために舌を用い,喜んで伝道のわざに加わります。
55 (イ)支配している王の霊的な兄弟に対して,彼らはどのように愛を示しますか。(ロ)王の父に祝福された事実から,この人々はだれであることがわかりますか。
55 羊にたとえられるこれらの人々は,王イエス・キリストを愛するだけでなく,霊的な意味でキリストの兄弟となる人々を愛します。キリストの霊的な兄弟のうち,少数の人がいま地上に残されており,福音伝道のわざを指導しています。羊のような人々は,これらの霊的な兄弟に善を行なって王に対する愛を示します。御国を証言するわざを成し遂げようとするキリストの霊的兄弟を助けるのは,愛を示す道です。そこで彼らはキリストの兄弟の残れる者に加わって御国の音信を伝道し,また御国の証者として受ける苦難にもあずかります。そうしながら待ち望んでいるのは,すべての国の人々に証として宣べ伝えるわざが成し遂げられた時です。王はそのとき,この人々に次のことばを与えるでしょう。「わたしの父に祝福された人たちよ,さあ,世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい……あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりに〔善を〕したのは,すなわち,わたしにしたのである」。天の王の父から祝福されるのは,神の「善意の人」の一人に数えられることです。羊にたとえられたこの人々が王の右におかれることは,それを表わしています。―マタイ 25:31-40。
56 山羊にたとえられた人々は,ハルマゲドンでどうなりますか。しかし王の右におかれた羊のような人々は何を受けつぎますか。
56 山羊にたとえられた,神の国の敵は,そのとき永遠に滅び,全く消滅します。羊にたとえられた,正しい人々は,神の国の下で「永遠の生命に入」ります。(マタイ 25:46)そして「善意の人」に与えられる神の平和を何時までも享受することでしょう。神はこれら「善意の人」のことを昔から考慮されていました。それでおよそ六千年前に世の基がすえられた時から,神は,愛するみ子の国の治める清められた楽園にこの人々を住まわせる準備を始められました。天の御国において,王は霊的な兄弟たちと共に治め,全人類を祝福します。「善意の人」に数えられなかった人々は,ハルマゲドンにおいて滅び,こうして清められた地は,天の御国の地的な領域となります。地は楽園となって,神の国に対する賛美と感謝とにみちるでしょう。サタンと悪鬼がそれを妨げることはできません。
57 いまどんな行いをすれば,平和な地上の楽園に住むことが可能となりますか。
57 「善意の人」にとって,楽園の地は栄光と平和のみちた永遠の住みかとなります。読者の皆さんはそれを望まれますか。神の恵みを失った人々と共にハルマゲドンで滅びるのを避けるためにさっそく行動し,いま心からすすんで神の「善意の人」となって神からの平和を享受するとき,楽園の地に住む望みがかなえられます。
[脚注]
a 1961年10月26日付はニューヨーク・タイムスの社説「モスクワにおける論争点」。
b 1959年10月18日付ニューヨーク・タイムス社説「完全軍縮への道」
c 1960年6月1日付ニューヨーク・タイムス,C・L・ザルツバーガー。
d 1964年4月22日,ジョンソン米大統領はニューヨーク世界博覧会の開幕に際し,祝辞の中で次のように述べました。「しかしながら,博覧会の主題 ― 理解による平和 ― を達成し,我々が科学を征服したように人間の技術と知恵を用いて闘争を征服するのでなければ,今日の希望も,これらの誇るべき偉業も明日の破壊の底に沈んでしまうであろう。
「平和はこの時代に可能なだけでなく,予想以上に早く実現するものと私は観測している。私の予想が正しければ,次の世界博において,人々は,今日の我々が1939年とは異なるように,今日とは異なるアメリカを見るであろう……
「このすべての夢と希望と期待は,戦争の脅威のない世界においてのみ,実現可能となる……」。―1964年4月23日付ニューヨーク・タイムス,26頁。
e 新世界訳1958年版欄外。またヤングの直訳聖書(1898年)には,「エホバかく言い給う,『わが喜ぶ時に我なんぢに答え,救いの日に我なんぢを助けたり」とあり,アイザック・リーサーの「聖書の24冊の本」には,「主かくのたまう,われ恵みの時なんぢに答え,救いの日にわれ汝を助けたり」とあります。