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愛の神が復しゅうを遂げられるのはなぜかものみの塔 1981 | 4月15日
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(ヨハネ 3:16)しかしイエスは神の復しゅうについて話すことをためらったでしょうか。そのようなことはありませんでした。聖書によれば,イエスはみ父と同じく,「義を愛し,不法を憎(まれた)」のです。イエスは特に,宗教指導者の不法と流血の罪を嫌悪されました。(ヘブライ 1:9。詩 11:5,7)イエスは当時のユダヤ人の僧職者たちに対し,また彼らについて語る際,手心を加えることは決してありませんでした。山上の垂訓の中で,イエスは彼らを3度「偽善者たち」と呼んでおられます。(マタイ 6:2,5,16)これらの僧職者に対してイエスは,『あなたがたは,あなたがたの父,悪魔からの者』と述べ,彼らを『へびの胤』と結び付けられました。(ヨハネ 8:44。創世 3:15,新)それから,殺されるわずか三日前には,これらのユダヤ人の宗教指導者を公の場で非難し,「へびよ,まむしらの子孫よ,どうしてあなたがたはゲヘナの裁きを逃れられるでしょうか」と述べられました。―マタイ 23:13-33。
19 (イ)イエスの態度や警告の音信が非常に愛に富んでいると言えるのはなぜですか。(ロ)しかしエホバがどんなことをされたのは当然のことでしたか。
19 そうすると,イエスは冷淡な方だったのでしょうか。そのようなことは決してありません。イエスはユダヤ人が間もなく自分を殺して流血の罪を重ねることを知っておられましたが,マタイ 23章の中で続けてこう述べておられます。「エルサレム,エルサレム,預言者たちを殺し,自分に遣わされた人びとに石を投げつける者よ ― わたしは幾たびあなたの子どもたちを集めたいと思ったことでしょう。めんどりがそのひなを翼の下に集めるがごとくに。しかし,あなたがたはそれを望みませんでした。見よ,あなたがたの家はあなたがたのもとに見捨てられています」。(マタイ 23:37,38。使徒 3:13-15)それから37年後,ローマ軍がエルサレムを略奪し,その神殿を破壊しましたが,それは反逆的な民110万人が死亡するという惨事となりました。ですからこの時になって,イエスの預言的な言葉の意味が余すところなく明らかになりました。間違いなくエホバは復しゅうを遂げられたのです。
20 愛と復しゅうに関し,どんな興味深い面がイザヤ書 61章1,2節に見られますか。
20 古代エルサレムで殺害されたと伝えられる預言者の中にイザヤがいます。イザヤは幾世紀も前に次の言葉を語りました。『主権者なる主エホバの霊がわたしの上にある。それはエホバがわたしに油そそぎ,温和な者たちに良いたよりを告げるようにされたためである。それはエホバの側の善意の年と,わたしたちの神の側の復しゅうの日をふれ告げ,すべて嘆き悲しむ者を慰めるためである』― イザヤ 61:1,2,新。
21 (イ)イエスがイザヤ書 61章1,2節の一部分しか引用されなかった理由としてどんなことが考えられますか。(ロ)イザヤ書 2章2-5節に関してどんな質問が生じますか。
21 イエスは地上における宣教を始めた時,この預言の一部分をお読みになり,エホバの主要な油そそがれた者としてのご自身にその預言を当てはめられました。(ルカ 4:18-21)しかしイエスは,これらのイザヤの言葉を引用された際,神の復しゅうの日に言及することまではなさいませんでした。なぜでしょうか。神の復しゅうの日をふれ告げることに重点が置かれるのは,イザヤ書 2章にある「末の日」になってからのようです。その時はもう到来しているのでしょうか。
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神の復しゅうの日は近づいていますかものみの塔 1981 | 4月15日
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神の復しゅうの日は近づいていますか
『エホバは復しゅうの日を持っておられる』― イザヤ 34:8,新。
1 ルカ 21章25,26節は現代に適用されますか。
イエス・キリストの予告によると,神が復しゅうを遂げられる時は,人間社会を揺り動かす問題ゆえに生じる「逃げ道を知らない諸国民の苦もん」によって見分けられます。イエスは,人々が『人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から
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