神の善意をいま求める
「[知恵]を見いだす者は必ず命を見いだすであろう。そしてエホバから善意を得るのである」― 箴 8:35,新。
1,2 (イ)幾百万人の人たちが健康と命を求めながらも,それを得ることができないでいるのはなぜですか。(ロ)善を望んでいる者はどんな質問を考慮すべきですか。
あなたは何を求めておられますか。健康,幸福,満足,安全,長寿をもたらすものを捜し求めておられますか。地上の幾百万人もの人たちはこうした祝福を渇望していますが,それを見いだせないでいます。誤った源に求めているからです。多くの人は物質の富や経済上の成功を追い求めますが,富の報いは全く当てにならず,金銭は健康や命を買いえないことを思い知らされます。一方,快楽や自己満足を捜し求める人がいますが,それには道徳心と自尊心の喪失がつきものです。権勢を得ようと努める人もいれば,公平と平等だけを追い求める人もいます。周囲の事柄に全く幻滅を感じ,すべてを反抗と暴力で変革しようとする人もいれば,過度の飲酒や脳の働きを無感覚にさせる麻薬類で自分の思いを幻滅させ,一種の逃避を試みる人もいます。
2 しかし,このうちのどれかが真の幸福と命の源といえるでしょうか。人類を悩まし,分裂させている今日未解決の諸問題は,将来に対してあたたかい希望の光を投げかけているでしょうか。解決できないまま,日々,複雑と混乱の様相を濃くしてゆくいろいろな論争,人間男女の間に争い,闘い,憎しみ,殺し合いを生じさせる論争 ― こうした事態は,あなたの求めておられるものを必ず提供してくれますか。どん欲と憎しみが増大し,犯罪,暴力,不道徳,麻薬中毒,非行,あらゆる種類の悪が非常な勢いで広まってゆく世界 ― そうした世界が,あなたの渇望している良い物事を達成できる見通しを与えてくれますか。もしそうでないなら,箴言の次の知恵のことばを考慮することを望まれるかもしれません。「善をもとむる者は〔善意〕をえん 悪をもとむる者には悪き事きたらん」。(箴 11:27〔新〕)もし善を求めておられるのなら,他のどんな質問にもましてあなたの将来に ― そうです,全人類の将来に ― 重大な影響を及ぼす次の質問を考慮してください。あなたは神の善意を求めておられますか。
3 なぜ今は神の善意を求めるのに適切な時ですか。
3 この質問はなぜそれほど大切なのですか。なぜ,この今の時に,神の善意を求めることについて決定をしなければならないのですか。なぜなら,まちがえようのない,神のことば聖書が明らかにする証拠によると,わたしたちは人類の歴史の上で,聖書に「終わりの日」として示されている時,「エホバの〔善意〕の年とわれらの神の刑罰の日とを告しめ」る時を迎えたからです。―テモテ後 3:1-5,新。イザヤ 61:2〔新〕。
4 神は人類に善意を差し伸べたいとの望みをどのように示されましたか。
4 神は,ご自分に信仰を働かせる者,またご自分の善と愛ある親切に感謝を示す者に対し常に善意を示してこられました。ご自分の恵みを真に求める人間のだれをも拒むことがありません。今日まで何世紀もの間,多くの信仰の人は神の義と真理を求め,そして神の恵みと祝福を得てきました。箴言が述べているとおり,彼らは決してそれを悔いたことがありません。「エホバの祝福は人を富す 人の労工はこれに加ふるところなし」(箴 10:22)ご自分の愛ある親切と善意を望む人類がそれを得られるよう,エホバは常にご自分のほうから率先されました。人類の世に対するその愛ある配慮を示す証拠としては,み子イエスを地に遣わされたことが,今日に至るまでの最大のものです。それはイエスご自身が明らかにされたように,祝福と命を受けたいと望む地の住民にそれを与えるという,神の愛のこもった願いを示すものだったからです。「それ神はその独子を賜ふほどに世を愛し給へり,すべて彼を信ずる者の亡びずして永遠の生命を得んためなり」― ヨハネ 3:16。ヨハネ第一 4:9,10。
5,6 (イ)神の善意が人類に示されていることを聖書はどのように明らかにしていますか。(ロ)預言の成就として君たる王が出現したのはいつですか。
5 幾世紀にもわたってヘブル語聖書の中にある霊感を受けた預言は,神が地と地の住民である人類に関心を持っておられることを予告していました。その預言は,最初の人間夫婦アダムとエバが不従順と滅びに陥った直後のエデンの園にまでさかのぼります。その最初の預言は,『すえ』が神の主要な敵サタンである『へび』を憎み,そのすえが最終的に『へび』の頭を致命的に砕き,その結果,人間家族をよこしまな方法で罪と死に陥れた,人類の最大の敵に終わりをもたらすことを予告しました。そのあとに続く預言は,アブラハムのすえダビデより大いなる者,すなわち義と平和の公正な政府によって人類のあらゆる国民に祝福をもたらす王について,知恵と理解とをもって支配し,定めのない時に至るまで永続する支配権を持ち,あらゆる国民が公正と平和を求めて頼ることのできる王について,戦争状態にある諸国家や諸政府を終わらせ,義のうちに定めのない時まで立つ王国についての神の約束を告げています。―創世 3:15; 22:17,18。イザヤ 2:2-4; 11:1-5。ダニエル 2:44; 7:13,14。
6 さて,人類の中のふさわしい者たちに祝福と善意を与えるという神の目的において,次の段階が訪れました。人類に対する神の愛ある関心は,西暦紀元前2年ローマ領ユダヤで起きた奇跡的なでき事とそれを取り巻く状況によってきわめて劇的に示されました。約束されていたメシヤなる王,すなわち預言者イザヤによって数世紀前に予告されていた,平和と義をもって支配する君の到来する時が訪れたのです。「ひとりのみどりごわれらのために生れたり 我らはひとりの子をあたへられたり 政事はその肩にあり その名は奇妙また議士 また大能の神 とこしへのちゝ平和の君ととなへられん その政事と平和とはましくはゝりて窮りなし 且ダビデの位にすわりてその国ををさめ 今よりのちとこしへに公平と正義とをもてこれを立これを保ちたまはん 万軍のエホバの熱心これを成たまふべし」― イザヤ 9:6,7。
7,8 (イ)み使いによる発表がなされたときの状況はどんなものでしたか。それにはどんな祝福の約束が加えられていましたか。(ロ)羊飼いたちは約束に対する関心と神の善意に対する感謝の念をどのように表わしましたか。
7 幾世紀もの間約束されていたそのメシヤたる君の誕生は,神の善意を望み,平和と義を待ち望むすべての人にとって,確かに喜ばしい歓呼の声をあげる理由,また良いたよりとなるはずです。その時には神のみ使いでさえ,ベツレヘム市で起きたこの特筆すべき誕生をふれ告げるわざに加わりました。ユダヤの丘で羊の世話をしていた羊飼いは続いて現われた,畏敬の念を起こさせる,天使の光景を見る特権と恵みを得ました。聖書の記述者ルカは,神の善意を求める人たちの益のため,わたしたちのためにその時の様子を次のように述べています。「御使かれらに言ふ『おそるな。視よ,この民,一般に及ぶべき,大なる歓喜の音信を我なんぢらに告ぐ,今日ダビデの町にて汝らの為に救出うまれ給へり,これ主キリストなり。なんぢら布にて包まれ,馬槽に臥しをるみどりごを見ん,是その徴なり』たちまちあまたの天の軍勢,御使に加はり,神を讃美して言ふ,『いと高き処には栄光,神にあれ。地には平和,〔善意の〕人にあれ』」― ルカ 2:8-14〔新〕。
8 それら質素な羊飼いは,神の善意に関心を示すものであることが明らかになりました。というのは,彼らはその子どもを見るために直ちにベツレヘムに向かったからです。その子どもの誕生のゆえに,み使いまでが『天の神に栄光あれ』と布告したのです。そして,その誕生には『地上の善意の人に平和があるように』との約束が伴っていました。人類史上最も重要な,驚くべきでき事について特別な通知を受けたのですから,彼らは神から大いに祝福されたものだったのです。しかもその通知は,後代人間が考え出したラジオやテレビジョンなどのような,複雑な装置を持つ電子通信によってではなく,地球外からの超人間的な,神の霊の子たちによる直接の交信を通してなされたのです。神は彼らに対して善意をいだいておられたので,約束されたメシヤ,つまり主なるキリストを遣わすことによってご自分が何を人類のためにしようとしておられるかにつき,彼らがみ使いを通して目撃証人となることを許されました。このメシヤの母はダビデの子孫でしたから,彼は主ダビデの王統の子孫になりました。神が自分たちに示してくださった善意に対し,感謝の念にあふれた羊飼いは,「御使の語りしごとく凡ての事を見聞せしによりて神を崇め,かつ讃美しつつ帰れり」― ルカ 2:20。
9 神の「善意の人」のひとりとなることは何を意味していますか。
9 つまり,これら忠実なユダヤ人の羊飼いたちに与えられた特別な恵みそのものから明らかなように,神の平和を受ける「善意の人」とは,神がご自分の恵みと好意とをお与えになる人たちのことです。これが,イエスの誕生のさいに大勢の天使の発したことばを訳すに当って,いろいろな聖書の翻訳が明らかにしている考えです。アメリカ標準訳はルカ伝 2章14節をこう翻訳しています。「最も高いところでは神に栄光,地には彼の喜ばれる人々の間に平和があるように」。モファット博士の翻訳は次のとおりです。「高い天においては神に栄光が,地では彼が好意を示される人たちの間に平和があるように」。新英語聖書は次のとおりです。「至高の天では神に栄光,地では彼の恵みの宿る人々の間にその平和があるように」。これから明らかなように,神の平和の祝福は,神の善意を求めてその好意を得た人たちのためのものです。
10 (イ)イエスはどのような方法で,神の善意が多くの人に差し伸べられていることを明らかにしましたか。(ロ)すべての人がエホバから善意を受けるわけではありません。それはどのように明白でしたか。
10 イエス・キリストは地上における宣教期間中,ユダヤ国民の中で神の善意を望む者たちはそれを得ることができることに注意をひきました。彼がユダヤ国民の中にいるということ自体,神が彼らのために特別に善意を示しておられることを意味していました。そして彼らがその善意を受け入れるなら,永遠の福祉を自分にもたらすことになっていたのです。イエスは,30歳になるまで大工として過ごしたナザレ市にある会堂で,ある時預言者イザヤの巻き物を与えられました。彼はその中の61章1,2節(〔新〕)を読みました。「主エホバの霊われに臨めりこはエホバわれに膏をそゝぎて貧きものに福音をのべ伝ふることをゆだね 我をつかはして心の傷める者をいやしとらはれびとにゆるしをつげ縛められたるものに解放をつげ エホバの〔善意〕の年とわれらの神の刑罰の日とを告しめ(給ふ)」。イエスはこの預言を読み終えると,聴衆に向かってはっきりとこう言われました。「この聖書は今日なんぢらの耳に成就したり」。(ルカ 4:17-21)このように,イエスによって提供された良いたよりを受け入れる人たちには,すばらしい祝福が待っています。しかし,「善意の年」と「神の刑罰の日」という表現の間に,非常に対照的な考えが示唆されていることに気づくのは,それほどむずかしくありません。その意味は明らかに,相反する結果が定められているということであり,神の善意はすべての人に対するものではないことが明白です。それがすべての人に対するものであるなら,「刑罰の日」は必要ないことになります。
わたしたちの時代に対する例
11 イエスの時代のユダヤ人がエホバの「善意の年」を享受していたのはなぜかを説明しなさい。
11 1世紀当時のエルサレムにおいて,壊滅的な「刑罰の日」に先行した「善意の年」にかんする約束は,今日のわたしたちを懸念させる一連の状況のうちに模型的な成就を見ました。イエスによって始められた「善意の年」宣布のわざは,その後ペンテコステ以来,彼の油そそがれた忠実な追随者たちに受け継がれました。そのおもな内容は,神によって任命されたメシヤによる約束の王国を中心とする良いたよりの音信で,神がご自分の聖霊によって油そそいだ者たちの伝道活動によって公にされました。それは,ユダヤにいたすべてのユダヤ人に,預言者たちによって書きしるされた約束に信仰を働かせていたユダヤ人に,彼らの先祖が何世紀もの間待ち望んできたその祝福を差し伸べました。救いと命のための神の主要な代理者が彼らの中にいたのです。それは確かに「エホバの善意の年」でした。
12 彼らに対する「善意の年」はいつまでも続くわけではありませんでした。なぜですか。
12 しかし,彼らはそれを受け入れるでしょうか。祝福の前途を伴うこの「善意の年」は,ユダヤ国民が望む時にはいつでも当てにできるよう,常に彼らに差し伸べられるでしょうか。いいえ,続いて生じた事態は,そうでないことを明らかにしました。年は,初めと終わりのある一定の期間です。それと全く同様に,彼らに対する「善意の年」もいつまでも続くわけではありません。神の善意を得て,その益と祝福にあずかることをほんとうに望む人は,それが終わる前に,つまり「われらの神の刑罰の日」が臨む前に,すばやく断固とした行動を取る必要があります。
13 イエスの預言は,1世紀における「善意の年」についてどんな結末を予告しましたか。
13 神の善意を退ける者にふりかかる事柄にかんするイエスの預言は,限られた期間に関する警告を含んでいました。イエスは,西暦70年におけるエルサレムの滅亡へと,急速に発展する事態を描写しておられました。「汝らエルサレムが軍勢に囲まるるを見ば,その亡近づけりと知れ」。ユダヤにいるユダヤ人で,神の善意を得たいと誠実に願っていた者たちは,この警告を念頭に置いて,その次の指示に深い関心をいだくことになります。「その時ユダヤに居る者どもは山に遁れよ,都の中にをる者どもは出でよ,田舎にをる者どもは都に入るな,これ録されたる凡ての事の遂げらるべき刑罰の日なり」。イエスは次いで,その「善意の年」がユダヤ国民にとってどれほど限られたものになるかを正確に指摘し,前兆となるべき警告を加えました。「われ誠に汝らに告ぐ,これらの事ことごとく成るまで,今の代は過ぎゆくことなし」。―ルカ 21:20-22,32。
14 (イ)ユダヤ国民は神の善意を受け入れることを選びましたか。(ロ)彼らは何を受け入れることを余儀なくされましたか。どのようにですか。
14 イエスが予告されたとおり,37年後,つまり実にその世代のうちに,「エホバの善意の年」は停止し,ユダヤ民族,特にエルサレムの上に激しくふりかかる壊滅的な「刑罰の日」が,そのすぐあとに続いて起きることになりました。西暦66年,イエスが警告を与えられたとおりに,ローマの軍隊が来て都市を包囲しました。ローマの軍隊がしばらくの間撤退したとき,神の善意を求める人たちには,「山にのがれよ」とのイエスの警告に聞き従うだけの時間が残されていました。彼らはそのとおり山にのがれました。しかもすみやかに行動しました。ところが西暦70年には,ローマのチツス将軍が自分の軍隊を率いて,民と都市の両方に恐るべき破滅をもたらすためにやってきました。そして,110万人のユダヤ人を殺害し,別に9万7,000人を悲惨な奴隷としてローマ帝国じゅうに散らしました。こうして,西暦前607年,ご自分を退けたユダヤ国民を罰するため,神がバビロンの不敬虔な支配者ネブカデネザルの軍隊を用いられたのと同じように,西暦70年,壊滅的な「刑罰の日」が,神の「善意の年」を退けることを選んだ国民に暴虐と悲痛をもたらしたときにも,チツス将軍配下のローマ軍が神の目的にりっぱに仕えました。イエスとその追随者たちを迫害し,その死をもたらし,差し迫った災難からのがれて生きながらえるようにとの,イエスや彼の忠実な追随者たちによる警告に耳を貸そうとしなかったそれらみじめな犠牲者たちは,神の「刑罰の日」のもたらしたか酷な結果を味わうことを余儀なくされました。それは避けられない経験でした。
15 信じる者となった残れる者たちは,神の善意を受け入れることによりどのように益にあずかりましたか。
15 神はご自分のみ子と弟子たちの発表を通じて,ユダヤ国民全体に,ご自分の善意を差し伸べられました。しかし,それを受け入れ,従順な態度でそれに信仰を表明した者はごくわずかでした。残れる者たちだけが神の善意の人の平和を得ることを求めました。そしてイエスの弟子となり,イエスの追随者としてバプテマスを受けることにより,自分の決定を公のものとしました。その結果,これら「善意の人」は,エルサレムの滅亡をのがれ,また,滅亡に生き残ってみじめな奴隷の身になる事態に陥らずにすみました。警告に聞き従い,イエスの与えられた指示に則して行動したからです。
今日に対する教訓
16,17 (イ)ユダヤ国民の事情はだれにとって教訓となりますか。(ロ)「善意の年」を特徴づけるいくつかの有益な事柄はなんですか。(ハ)神の善意を求める時がまだ残されているのはなぜですか。
16 以上の事柄には,今日地上に生存しているすべての人に対する重大な教訓が含まれています。現在,地のあらゆる国民と家族を取り巻いている非常な「危機の時代」を考えると,わたしたちが,「終わりの日」,つまり「事物の体制の終結」の時として知られている期間に位置していることは疑う余地がありません。(テモテ後 3:1-5。マタイ 24:3,新)聖書の見地から限られているこの期間は,人類の世に世界的な規模で増大する災いや問題で満ちているにもかかわらず,神を愛する人たちにとって最も幸福な時でもあります。というのは,イエスが安息日にナザレで読んだイザヤの預言の中には,「われらの神の刑罰の日」に先だって多くの人が受ける霊的な祝福が述べてあったからです。その中には,「貧きものに福音をのべ伝ふること,心の傷める者をいやすこと,とらはれびとにゆるしをつげること,縛められたるものに解放をつげること」が含まれており,そのすべては,エホバの善意の年を宣布するわざとともに成し遂げられることになっていました。
17 このことは,わたしたちがまだ神の善意を受けることのできる時に住んでいること,「われらの神の刑罰の日」が神の善意を求めない人々に迫って来るまでにはまだ時間のあることを示しています。その「刑罰の日」は,「全能の神の大なる日の戦闘」すなわち「ハルマゲドン」の戦いで最高潮に達する,来たるべき大かん難において現実となるでしょう。そのとき神は,ご自分の善意を退け,ご自分と神の王国と義とに敵対する側を取った者すべてに刑罰を与えられます。―イザヤ 61:1,2。黙示 16:14,16。
18 人類は今日どんな選択に面していますか。
18 したがって,わたしたちの面している問題は次のとおりです。賢明に行動し,神の善意を求めるために今開かれている機会を受け入れ,神から命の恵みを与えていただけるようにしますか。それとも,信仰を欠いた1世紀のエルサレムの人々のように,愚かにも警告を無視し,指示を退け,その結果,神の最終的な「刑罰の日」の犠牲者となって,自分の運命を永遠の死で封じてしまいますか。
19 イエスの預言が再度成就していることを示す証拠をあげなさい。
19 聖書預言と20世紀のでき事から明らかなように,神の時間表によると,西暦1914年は現在の邪悪な事物の体制における「終わりの時」の始まりを画する年でした。この時がその年以来,人間の事態の絶えまない悪化を目撃したことは疑う余地がありません。二度の大戦をはじめ,小規模の戦争が何十となく起き,その中にはいまだに続いている戦争もありますし,いつほかの戦争が勃発するかわからない状態です。利己主義,憎しみ,犯罪,不道徳,あらゆる種類の不敬虔が増大している事実は,大多数の人類は神の善意を求めてもいなければ,自分のために神の善意を差し伸べてもらうなんらの理由をも提出していないことを明らかにしています。マタイ伝 24章の中でイエスは,この時代に人間関係が堕落することを詳しく説明しましたが,その預言が再度成就しています。今回はユダヤの地だけでなく,地のあらゆる国民に影響を与えるできごとのうちにそれが見られます。イエスは,『民が民に,国が国に逆ってたつ』ことを,食糧不足,『処々に起こる地震』,苦難,神の忠実なしもべたちに対する迫害とともに予告しました。「おほくの人つまづき,且たがひに付し,互に憎まん。多くの偽預言者おこりて多くの人を惑さん。また不法の増すによりて多くの人の愛,冷かにならん」。(マタイ 24:7-13)理性のある人ならば,これらのことばが他のどんな時にもまして,今の世代において真実となっていることを疑えないはずです。
20 (イ)現在,神の「善意の年」はだれに差し伸べられていますか。(ロ)そのおもな内容はどんな発表ですか。(ハ)特にだれにとって,王国の発表は「良いたより」ですか。
20 確かに今こそ,以前にまして神の善意が必要とされる時です。幸いなことに,「エホバの善意の年」は,肉のイスラエル人からなる限られた共同社会に対してだけでなく,人の住む地にいる全家族に開かれています。どうしてそう言えますか。イエスは,わたしたちの時代に対するご自分の預言の中のあとのところでこう説明しています。「〔王国〕のこの〔良いたより〕は,もろもろの国人に証をなさんため全世界に宣伝へられん,而して後,終は至るべし」。(マタイ 24:14〔新〕)イエスがわたしたちとともにいてその良いたよりを地上で宣べ伝えているわけではありませんが,世界的規模の団体であるエホバのクリスチャン証人は,1914年における王国の誕生以来,「王国のこの良いたより」を全地で宣べ伝えつづけています。しかもそのわざはいよいよ効果的になってきています。証人たちは,義を愛し,地上に完全で平和な政府を望むすべての人に向かって,み子キリスト・イエスが神によって天の王座に高められることにより,人々が長い間求め,祈ってきた神の王国が1914年に神から権限を与えられたことを忠実にふれ告げています。この発表は,神の善意を求めている人にとって「良いたより」です。なぜなら,神の恵みと善意を得,その結果完全な政府のもとで永遠の祝福と益にあずかるという見込みがそれには伴っているからです。それは神の「善意の人」にとって「良いたより」です。なぜなら,それは,神によって王位につけられたかたが,間もなく決然として地に注意を向け,地が神の最初の目的どおり喜ばしい平和な状態に回復されるために必要な,世をゆるがす大変革を実施されるからです。―ダニエル 2:44。ゼパニヤ 3:8。詩 37:10,11。
21 知恵はわたしたちがどんな道を取るよう導きますか。なぜですか。
21 警告に聞き従い,「エホバの善意の年」の残されている間に神の善意を求める選択をする人たちにとって,今すばらしい機会が開かれているのです。自分に最も益となることを選ぶのが賢明ではありませんか。信頼できる確かな源に将来の益を求めるのが知恵の道ではありませんか。聖書の箴言の中で知恵が語ることを聴いてください。「そは我を得る者は生命をえエホバより〔善意〕を獲ればなり 我を失ふものは自己の生命を害ふ すべて我を悪むものは死を愛するなり」。(箴 8:35,36〔新〕)そうであれば,自分の命を保護するのが実際的な知恵ではありませんか。自分の将来のために備えるのが賢明なことではありませんか。敬虔な知恵を退けて不法の道を選ぶ人は,知恵を憎んでおり,「死を愛する」者です。
22,23 (イ)古代のどんな例は,神の恵みを得たいと願う人の前に選択が提出されていることを明らかにしていますか。(ロ)神の善意を求めるのに遅滞は許されません。このことはなぜ重要ですか。
22 今日わたしたちが直面している選択はモアブの荒野をさまよっていたイスラエルの子らが,先祖アブラハムに約束された地にヨルダン川を渡ってはいろうとしていた直前に,彼らの前に提出された一つの選択を思い起こさせます。その時,モーセは集合している群集に語り,次の警告を与えました。「我今日天と地を呼て証となす我は生命と死および祝福と呪詛を汝らの前に置り汝生命をえらぶべし然せば汝と汝の子孫生存らふることを得ん 即ち汝の神エホバを愛してその言を聴き且これに附従がふべし」― 申命 30:19,20。
23 それと同様に,わたしたちも今日選択をしなければなりません。命を望む人は,エホバの声に聴き,その恵みを確かなものとするための手段を講じたいと思うはずです。善を望むなら,箴言 11章27節(新)が勧めているように,神の善意を得るために何かをするはずです。「善をもとむるものは〔善意を求めつづける〕悪をもとむる者には悪き事きたらん」。幸いなことに,わたしたちはまだ「エホバの善意の年」のうちにいます。わたしたちがその永遠の恵みと善意を求める機会はまだ残されています。知恵は,待つことも遅滞も許されないことを示しています。今こそわたしたちの決定をする時です。神の善意を求める機会は,わたしたちのもとにいつもあるわけではないのです。ですから,今行動し,命を選んでください。神の善意を求め,神の『善意の人の間の平和』を地上で永遠に享受してください。
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イエスの誕生のさい,み使いたちは質素な羊飼いたちに向かって,『地には善意の人に平和があるように』と布告しました。あなたはこの「終わりの日」に神の善意を求めておられますか