-
神はなぜ義人が苦しむのを許してこられましたかものみの塔 1971 | 11月15日
-
-
汝等わが名の故に凡ての人に憎まるべし。
-
-
神はなぜ義人が苦しむのを許してこられましたかものみの塔 1971 | 11月15日
-
-
このことばは早くも1世紀にその成就を見ました。
4 パウロ自身,クリスチャンが迫害されたこと,またタルソのサウロとしての彼自身そうした迫害者のひとりであったことを認めて,使徒行伝 26章9-11節にしるされているとおり,こう述べました。「我もさきにはナザレ人イエスの名に逆ひて様々の事をなすを宜きことと自ら思へり。我エルサレムにて之をおこなひ,祭司長らより権威を受けて多くの聖徒を獄にいれ,彼らの殺されし時これに同意し,諸教会堂にてしばしば彼らを罰し,強ひて涜言を言はしめんとし,甚だしく狂ひ,迫害して外国の町にまで至れり」。
5 (イ)キリストにあって敬虔な専心の念をもって生活したいと願う人たちはどんな境遇に面するとパウロは述べましたか。(ロ)初期クリスチャンは迫害をどのようにみなしましたか。(ロ)どんな疑問が生じますか。
5 後日,タルソのサウロはクリスチャンの使徒パウロとなるに及んで,今度はほかならぬ彼がかつて仕えた人々の手から迫害を受けて苦しみました。彼はクリスチャンとしてテモテにこう書き送りました。「凡そキリスト・イエスに在りて敬虔をもて一生を過さんと欲する者は迫害を受くべし」。(テモテ後 3:12)また,ピリピ人に対してはこう語りました。「汝等はキリストのために啻に彼を信ずる事のみならず,また彼のために苦しむ事をも賜りたればなり」。(ピリピ 1:29)パウロのことばによれば,初期クリスチャンは信仰のために迫害を甘受しただけでなく,キリストのために苦しむことを特権とみなしたのです。
-