御国が近づいた ― いつ?
1 (イ)クリスチャンにとって非常に大切なものはなんですか。なぜそうですか。(ロ)御国についてどんな質問が出ますか。
神の国はクリスチャンにとって非常に大切なものとされてきました。キリスト教時代以前の神のしもべもまた御国を待ち望んでいたのです。エホバのみ名をきよめ,人類に平和と祝福をもたらすこの神の国は,聖書全巻の主題となっています。イエスは御国について多くのことを語り,御国を目立たせ,御国に関して多くのたとえを語りました。「御国」ということばが四つの福音書の中に110回以上出ていることを見ても,御国の到来は非常に重要な事柄です。そして次の問いが重要なものとなります。神の国が近づいたと,いつ言えますか。また神の国が近づいたとの知らせは,わたしたちにどんな意味がありますか。
2 『御国が近づいた』ということが初めて宣明されたのはいつですか。
2 このことが初めて宣明されたのは西暦29年のことで,それを聞いたのはヨルダン川のほとりのユダヤ人の群衆でした。これを力強く宣べた人のことばを聞くため,大ぜいの人が集まってきたのです。それは祭司ザカリヤの子でイザヤ書 40章3節の預言を成就したヨハネでした。「荒野で呼ばわる者の声がする,『〔エホバ〕の道を備えよ,その道筋をまっすぐにせよ』」。「悔い改めよ,天国は近づいた」。これがヨハネの音信の主題でした。―マタイ 3:2,〔新世〕。ルカ 1:5,13。
1世紀にそれが意味したもの
3 (イ)「天国が近づいた」ことを宣明したのは,ヨハネとその弟子たちだけですか。説明しなさい。(ロ)イエスの油そそぎは,ダビデの王統の王たちのそれにくらべてどのようにまさっていましたか。(ハ)そのとき御国が近づいたと言えたのはなぜですか。
3 これを宣べ伝えたのはヨハネとその弟子だけでしたか。そうではありません。ヨハネが伝道を始めてからおよそ6ヵ月後,王となるべき人がバプテスマを受けるためヨハネのもとに来ました。天使ガブリエルはこの者の誕生前に次のことを告げていたのです。「彼は大いなる者となり,いと高き者の子と,となえられるでしょう。そして〔エホバ神〕は彼に父ダビデの王座をお与えになり,彼はとこしえにヤコブの家を支配し,その支配は限りなく続くでしょう」。(ルカ 1:32,33〔新世〕)ヨハネがバプテスマを施した時に,驚くべきことが起きました。それは次のように記録されています。「聖霊がはとのような姿をとってイエスの上に下り,そして天から声がした,『あなたはわたしの愛する子,わたしの心にかなう者である』」。(ルカ 3:22)イエス以前において,ダビデの家系の王たちは,血肉の人間である祭司の手で特別な油をそそがれるのが常でした。しかし人としてイエスの名を与えられたこの者に対しては,エホバご自身が天から油をそそぎました。(ヘブル 1:9)しかもはるかに大きな力と権威を与える聖霊によって油をそそいだのです。こうしてイエスは待ち望まれたメシヤあるいはキリスト,すなわち神の油そそいだ者となり,神の国の王に任命された者となりました。イエスは人々の中にあってエホバの王でした。王であるイエスが臨在していたので,天国は彼らの中にありました。エホバの王また代表者として王の威厳を持つ神のみ子には,インマヌエルを名のる十分の権利がありました。その称号は「神われらとともにいます」という意味です。人々は神からの王と実際にことばをかわすことができ,御国の原則と要求を学ぶことができました。
おもだったエホバの証人
4 その生まれと,油をそそがれたことのゆえに,イエスにはどんな責務がありましたか。それはなぜですか。
4 イエスが油そそがれたのは王となるためだけでなく,伝道するためでした。エホバのみ名をきよめることが御国のおもな目的である以上,王はエホバの証人でなければなりません。王として任命されたイエスは,天の王位につく資格があることを証明するために,忠実を試みられました。イエスは,預言者イザヤが次のように述べたイスラエルつまりヤコブの国民のひとりとして生まれました。「ヤコブよなんぢを創造せるエホバいまかくいひたまふ,イスラエルよ汝をつくれるもの今かく言給ふ……なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり…なんぢらはわが証人なり,われは神なり,これエホバのたまへるなり」。(イザヤ 43:1,10-12,文語)イエスは,ご自分が証人となる務めをもって生まれたこと,またエホバの善意の年とわれらの神の刑罰の日を宣べ伝えるために神の霊で油そそがれたことをご存じでした。―イザヤ 61:1,2。ルカ 4:19。
5 イエスはわたしたちエホバの証人のためにどんな手本を残されましたか。
5 イエスはエホバの最も偉大な証人となり,王のすぐれた資格があることを示しました。ポンテオ・ピラトの前で,イエスはりっぱなあかしをされました。「わたしは真理についてあかしをするために生れ,また,そのためにこの世にきたのである」。(ヨハネ 18:37。テモテ第一 6:13)イエスが刑柱の上で死なれた時そばにいたヨハネは,イエスのことを「忠実な証人,死人の中から最初に生れた者,地上の諸王の支配者であるイエス・キリスト」と呼んでいます。あらゆる点で,イエスは追随者である今日のエホバの証人の手本です。―黙示 1:5; 3:14。
6 (イ)イエスの宣教は,何を宣明することばで始められましたか。(ロ)イエスには不滅の生命のほかにどんな報いが父から約束されていましたか。(ハ)イエスは地上において御国のわざをどのように行なわれましたか。(ニ)生来のイスラエルと霊的なイスラエルが構成上似ている点を述べなさい。
6 荒野において忠実を徹底的にためされてのちカペナウムにもどったイエスは,ヨハネと同じく,「悔い改めよ,天国は近づいた」ということばで教えを宣べ始めました。(マタイ 4:17)死に至るまで忠実な証人であることの報いを,エホバはイエス・キリストに約束されました。この報いは花嫁です。しかしそれは人間の妻ではなく,えりぬきの追随者のグループから成る霊的な花嫁です。彼らはイエスのように最後まで忠実な証人であって,イエスのような死すなわち犠牲の死を遂げます。(ヨハネ 3:29。ローマ 6:3)イエスのもとに来てイエスに従った人々つまりやがて花嫁の成員となる人々の中から,イエスは12人を選んで使徒とし,これに徹底的な訓練を授けたのち,「天国が近づいた」ことを宣べ伝えるわざにつかわしました。(マタイ 10:1-7。マルコ 3:14-19。ルカ 6:13-16)それでエホバのみ名をあかしするのに加えて,イエスは御国のわざ,御国を発展させるわざを行なわれました。イエスは御国においてご自分とともになる人々に教えと訓練を授けたからです。イエスの12使徒は,イスラエル12部族の先祖となった,族長ヤコブのむすこたちに相当しました。(創世 49:28)やがて御国の組織となる新しいクリスチャン会衆は霊的イスラエルと呼ばれ,小羊の12使徒を礎石として建てられています。しかし12使徒から成る礎石はすべておや石であるメシヤ,イエス・キリストの上に建てられています。―エペソ 2:20。黙示 21:2,9,10,14。
シオンの王はシオンに来る
7 (イ)イエスはどんな者としてイスラエルに現われることが必要でしたか。(ロ)預言は,イエスの地上の宣教の終わる時をどのように示していましたか。その時何が起きますか。
7 御国の証人となるのに加えて,イエス・キリストはシオンの王としてシオンに公に来なければなりません。ゼカリヤ書 9章9節の次の預言が成就するためです。「シオンの娘よ,大いに喜べ,エルサレムの娘よ,呼ばわれ。見よ,あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得,柔和であって,ろばに乗る。すなわち,ろばの子である子馬に乗る」。3年半のあいだイエスは地上において最も偉大なエホバの証人となりました。ダニエル書 9章26,27節に預言された七十週年目も半ば近くになり,イエスの宣教は終わりに近づきました。この預言は,神にささげられる人間の犠牲としてイエスが絶たれ,そのことによってエルサレムの宮における犠牲と供え物が真の価値を失って廃止されることを告げています。ヨハネが語ったように,イエスは「世の罪を取り除く神の小羊」となり,エルサレムの祭壇の上ではなく神の設ける偉大な祭壇の上で犠牲となるのです。―ヘブル 13:10。ペテロ第一 1:19。
8 西暦33年の過ぎ越しに関してとくに何が重要ですか。
8 ダニエルの預言の七十週目の半ばは,西暦33年の過ぎ越しの時にあたります。忠実なユダヤ人であるイエスはエルサレムにおいて過ぎ越しの祭りをしなければなりません。イエスはそれ以前に何度もエルサレムをおとずれています。生後40日目のイエスは,母マリヤの,律法による清めの儀式の時に宮に連れてこられました。(ルカ 2:21-38。レビ 12:1-4)それ以後,イエスは何回もエルサレムをおとずれました。西暦32年,仮庵の祭りのためにエルサレムに上ったのはその著しい例です。イエスは公にではなく,ひそかにそのことをされました。イエスの死の時期がまだ来ていなかったその時でさえ,ユダヤ人はイエスを殺そうとうかがっていたからです。(ヨハネ 7:1-13)その時期はイエスが王としてご自身を表わされた時にはじめて来ました。西暦33年ニサン14日のこの過ぎ越しは,イエスが犠牲としてささげられる時です。
9 ソロモンは王としてどのようにシオンに来ましたか。
9 1000年前に王としてシオンに来たときのソロモンは父ダビデ王のらばに乗り,群衆の歓呼に迎えられました。使徒マタイと使徒ヨハネは,大いなるソロモン,イエス・キリストがシオンの王として来られた時の模様を述べています。
10 王としてのイエスの入城に備えて,イエスの弟子は何をしましたか。
10 「さて,彼らがエルサレムに近づき,オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき,イエスはふたりの弟子をつかわして言われた,『向こうの村へ行きなさい。するとすぐ,ろばにつながれていて,子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。もしだれかが,あなたがたに何か言ったなら,主がお入り用なのです。と言いなさい。そう言えば,すぐ渡してくれるであろう。』こうしたのは,預言者によって言われたことが,成就するためである。すなわち,『シオンの娘に告げよ。見よ,あなたの王がおいでになる,柔和なおかたで,ろばに乗って,くびきを負うろばの子に乗って』弟子たちは出て行って,イエスがお命じになったとおりにし,ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると,イエスはそれにお乗りになった。
11 マタイの記録によれば,イエスは群衆にどのように迎えられましたか。
11 「群衆のうちの多くの者は自分たちの上着を道に敷き,また,ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。そして群衆は,前に行く者も,あとに従う者も,共に叫びつづけた。『ダビテの子に,ホサナ。〔エホバ〕の御名によってきたる者に,祝福あれ。いと高き所に,ホサナ』。イエスがエルサレムにはいって行かれたとき,町中がこぞって騒ぎ立ち,『これは,いったい,どなただろう』と言った。そこで群衆は,『この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである』と言った」― マタイ 21:1-11,〔新世〕。
12 イエスが王として来られたこと,およびそれが弟子たちに及ぼした影響について使徒ヨハネはなんと述べていますか。
12 「その翌日,祭にきていた大ぜいの群衆は,イエスがエルサレムにこられると聞いて,しゅろの枝を手にとり,迎えに出て行った。そして叫んだ,『ホサナ,〔エホバ〕の御名によってきたる者に祝福あれ,イスラエルの王に』。イエスは,ろばの子を見つけて,その上に乗られた。それは『シオンの娘よ,恐れるな,見よ,あなたの王がろばの子に乗っておいでになる』と書いてあるとおりであった。弟子たちは初めにはこのことを悟らなかったが,イエスが栄光を受けられた時に,このことがイエスについて書かれてあり,またそのとおりに,人々がイエスに対してしたのだということを,思い起した」― ヨハネ 12:12-16,〔新世〕。
13 イエスは,ユダヤ人の宗教指導者にどのように迎えられましたか。
13 マルコ伝 11章11節は次のことばを加えています。「こうしてイエスはエルサレムに着き,宮にはいられた。そして,すべてのものを見まわった後,もはや時もおそくなっていたので,十二弟子と共にベタニヤに出て行かれた」。こうしてシオンは御国が近づいたことを公に知らされました。しかし神の国に敵対した,バビロン的な宗教指導者の感化を受けたシオンは王を認めようとせず,王を受け入れなかったのです。マタイ伝 21章15,16節は次のことをしるしています。「祭司長,律法学者たちは,イエスがなされた不思議なわざを見,また宮の庭で『ダビデの子〔したがってダビデの王位継承者〕に,ホサナ』と叫んでいる子供たちを見て立腹し,イエスに言った,『あの子たちが何を言っているのか,お聞きですか』。イエスは彼らに言われた,『そうだ,聞いている。あなたがたは「幼な子,乳のみ子たちの口にさんびを備えられた」とあるのを読んだことがないのか』」。(詩 8:2)しかし宗教指導者はイエスを殺すことをすでに決めていました。彼らは,「ローマ人がやってきて,わたしたちの土地も人民も奪ってしまう」ことを恐れたのです。―ヨハネ 11:47-57。
地上のシオンはその王を拒絶する
14 その翌日イエスは何をされましたか。それは何の前兆ですか。
14 シオンの王すなわち「エホバの位」にすわるかたが彼らの中にいられました。天国はまさに近づいていたのです。しかし指導者に動かされた人々はイエスを王として受け入れませんでした。翌日イエスはエルサレムにもどってこられました。「イエスは宮に入り,宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ,両替人の台や,はとを売る者の腰掛をくつがえし,また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。そして,彼らに教えて言われた,『「わたしの家は,すべての国民の祈の家ととなえられるべきである」と書いてあるではないか。それだのに,あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった』。祭司長,律法学者たちはこれを聞いて,どうかしてイエスを殺そうと計った。彼らは,群衆がみなその教に感動していたので,イエスを恐れていたからである」。(マルコ 11:15-18)こうしてイエスは力と権威をもって宮を清め,宮で行なわれていた宗教的な商業主義を一掃しました。これはイエスが御国の権力をもってふたたび来られる時,今日のバビロン的宗教の商業主義者がどうなるかを示す,彼らにとって不吉な前兆です。
15 過ぎ越しの晩に何が起きましたか。
15 過ぎ越しの晩,イエスの敵の先頭に立ったイスカリオテのユダは,ゲッセマネの庭でイエスを裏切りました。そしてイエスはユダヤ人のサンヒドリンすなわちエルサレムの最高法廷で死刑を宣告されたのです。翌朝サンヒドリンはイエスをローマ総督ピラトに渡しました。ローマの支配下にあったユダヤ人はみずからの手で死刑を執行できなかったからです。―マタイ 26:47–27:14。
16 (イ)ユダヤ人の宗教指導者は,イエスに対する憎しみをどのように表わしましたか。(ロ)彼らはどのようにイエスをピラトの前に訴えましたか。
16 イエスをしらべたピラトは死にあたる罪を見出すことができなかったので,過ぎ越しの時にひとりの死刑囚を釈放するならわしに従ってイエスを釈放することを申し出ました。ユダヤ人の宗教指導者は,イエスではなく,殺人者で強盗のバラバの釈放をしつように叫び求めました。(使行 3:13-15; 13:28)彼らはイエスを木にかけることを要求し,無実の血に対する責任を免れることを望んだピラトとは反対に,「その血の責任は,われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」と叫びました。(マタイ 27:15-26)彼らは,ローマ皇帝テベリオ・カイザルに対する反逆者としてイエスを訴えました。なんとかしてイエスを救おうとしたピラトは「見よ,これがあなたがたの王だ」と言い,またユダヤ人の愛国心に訴えて「あなたがたの王を,わたしが〔杭〕につけるのか」と言いましたが,「祭司長たちは答えた,『わたしたちには,カイザル以外に王はありません』」― ヨハネ 19:14,15,〔新世〕。
17 宗教指導者は彼らが神に対する反逆者であることをどのように示しましたか。
17 このような行ないをしたユダヤ人の宗教指導者は,大きな罪を犯しました。まず彼らは,エホバのつかわされた王を認めることをあえて拒絶し,またユダヤ人に対しては,彼らの王がまぢかにいることを悟るように助けることを拒絶しました。そのうえ彼らはみずから神の祭司ととなえながら神に反逆する者となり,異教の最高僧院長を王として受け入れることによって祭司の職を汚しました。イエスを死に渡してからでさえ,彼らはイエスが王と呼ばれることを望みませんでした。それで総督ピラトがイエスの刑柱に掲げさせた罪状書き「ユダヤ人の王,ナザレのイエス」ということばに反対したのです。―ヨハネ 19:12-22。
18 イエスの墓に,ユダヤ人はどんな処置を講じましたか。それにもかかわらず何が起きましたか。
18 ユダヤ人の指導者はピラトに願い出て墓を封印し,とるにたりない策を講じました。そうしておいて安心して過ぎ越しの祭りをしたかもしれません。しかし彼らはイスラエルの王を葬り去ることができませんでした。三日目のニサンの16日すなわちエホバの宮で大麦の初穂のささげられる日に,神はみ子イエス・キリストを死からよみがえらせて,はるかにまさった初穂とされたからです。
19 (イ)宗教指導者はどんな預言を見過ごしていましたか。(ロ)イエスの墓の番兵はだれを見ましたか。しかしだれを見ませんでしたか。なぜですか。
19 祭司長その他の宗教指導者は,ダビデ王自身が詩篇 16篇10節に書いた次のことばを見落としていました。「あなたはわたしを陰府に捨ておかれず,あなたの聖者に墓を見させられないからである」。ニサンの16日にイエスはよみがえらされました。しかしもはや人間が傷つけたり,殺したりできる肉のからだの持ち主ではありません。イエスが人間としてユダヤ人の中に臨在されていたとき,そしてこの臨在のゆえにシオンにとって天国が近づいたと言えたとき,イエスは忠実を証明し,栄光ある不滅の霊者によみがえらされるにふさわしいことを示しました。それで祭司長とパリサイ人がピラトの許しによって墓に配置した番兵は,イエスの復活を見ることができなかったのです。霊者は人間に見えません。しかし彼らは,墓の封印を破った,化身した天使を見ました。使徒ペテロはのちに次のように書いています。「キリストも,あなたがたを神に近づけようとして,自らは義なるかたであるのに,不義なる人々のために,ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし,肉においては殺されたが,霊においては生かされたのである」― ペテロ第一 3:18。マタイ 27:57–28:4,11-15。
『御国が近づいた』ことが伝道されなかったとき
20 (イ)イエスはご自分の復活をどのように証明しましたか。(ロ)イエスはそのとき天において支配し始めましたか。
20 イエスは奇跡的に人間のからだに化身して何度も現われ,ご自分の復活の証拠を忠実な弟子たちに十分に示されました。そののちイエスは昇天して父の右に坐し,天において王権をとる時のくるのを待ちました。(詩 110:1,2。ヘブル 10:12,13)イエスが復活して50日目の五旬節の日に,使徒ペテロは立って詩篇 16篇10節を引用し,次のように述べています。「〔ダビデは〕キリストの復活をあらかじめ知って,『彼は黄泉〔ヘブル語シェオールのギリシャ語訳〕に捨ておかれることがなく,またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。このイエスを,神はよみがえらせた。そして,わたしたちは皆その証人なのである」― 使行 2:29-33。
21 (イ)「天国が近づいた」という音信は,イエスの復活後に宣明されましたか。それはなぜですか。(ロ)御国はなぜ将来のものでしたか。(ハ)パウロがコリントの会衆に書き送った手紙は,御国がその当時,支配していなかったことを,どのように示していますか。
21 イエスの昇天後,王はもはや臨在せず,したがって天の御国が近づいたとはもはや言えません。事実,イエスは,クリスチャン会衆の成員となった人々に対する以外には,王の権力を行使していませんでした。それでイエスの死後,イエスの弟子たちは「天国が近づいた」ということを宣明しなかったのです。イエスは,ご自分が去ってのち,栄光と御国の権力をもってふたたび来ることを,弟子たちに告げておかれました。イエスは地上にいた時,その意味のたとえを語られました。(ヨハネ 14:3。マタイ 25:31。ルカ 19:11-27)王が人間となって地上のシオンに現われることはもうありません。御国はいまや将来のものです。それはやがて天,つまり天のシオンから全地を治めます。しかし「異邦人の時」である七つの時が終わるまで,「エホバの位」にすわる王はありません。その時が終わるのは西暦1914年です。(ダニエル 4:25。詩 2:6,8; 110:2。黙示 12:5,10)御国が支配していなかったこと,そしてやがては天国で王となって治めるイエスの弟子たちでさえも,自分たちを王と考え得なかったことは,使徒パウロがコリントのクリスチャンを叱って言った次のことばからも明らかです。「あなたがたは,すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。わたしたちを差しおいて,王になっているのだ。ああ,王になっていてくれたらと思う。そうであったなら,わたしたちも,あなたがたと共に王になれたであろう」― コリント第一 4:8; 2:2。
いま『御国は近づいた』
22 (イ)今日どんな音信を宣明することができますか。なぜですか。(ロ)御国の音信と同時に何が宣明されていますか。
22 しかし今やすべての証拠は,王が天において権力を執り,支配を始めたことを示しています。それゆえ,「天国が近づいた」という音信が全世界にふたたび宣べ伝えられているのです。地上のシオンすなわちエルサレムの時代に天国が近づいた時のイエスの伝道と同じく,「天国が近づいた」ことを宣明する今日の伝道においても,バビロン的な宗教の指導者に対するさばきの音信が同時に宣べ伝えられています。とくにそれは,神の国を信じて神の国を伝道すると称しながら,実際には御国の支配を望まず,『設立された御国』の音信の伝道を妨げて,人々が御国を認めることを妨げている者たちを暴露しています。―イザヤ 61:2。
23 (イ)地上の宣教期間にイエスの行なわれたいやしの奇跡は,なんの予表ですか。(ロ)アブラハムの契約の約束する祝福が地の人々に十分に及ぶ前に,まず何が必要ですか。
23 イエスは,地上において多くのいやしの奇跡を行ない,宮を清め,また人々を救う強力なわざを行なわれました。御国にあって支配するとき,イエスは同様なわざを全世界的に,また完璧に行なわれることでしょう。しかしそのいやしが行なわれる前に,御国の敵対者,なかでも偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンが一掃されねばなりません。そののち,次のように叫ぶことができます。「ハレルヤ,全能者にして主なるわれらの神〔エホバ〕は,王なる支配者であられる」。(黙示 19:6,〔新世〕)そのとき神の支配は現在よりもさらに広いものとなります。そのとき,まことの崇拝に敵対する宗教は存在しないからです。ついで神の国にいま敵対している世の政府が一掃されて,キリストの栄光の千年統治が始まり,神の支配はあらゆるところに及びます。キリストの選んだ14万4000人の人々はキリストとともに支配し,アブラハムの契約が約束する祝福を地の全家族に及ぼすことでしょう。―創世 22:18。ガラテヤ 3:29