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「わたしの助けはどこから来るのだろうか」ものみの塔 1980 | 3月1日
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になられます。エホバは右手,つまり利き腕のところに居られます。これには大きな意味があります。古代の戦闘では普通,右手で剣を振るったので,右手は左手に握られた盾で保護されることはありませんでした。大抵の場合,その戦士の右側に立つ忠節な友が保護を差し伸べました。そのような信頼の置ける友人同様,エホバ神は「右手を覆う陰」を備えてくださいます。
エホバが保護者となってくださると,日中の気の遠くなるような炎熱や月の夜空の凍えるような寒気にも匹敵する災難からも守られます。事実,エホバは,ご自分の僕たちに永続的な害をもたらすことになる禍いすべてからその僕たちを守ってくださいます。現在も,そして将来も,人が家を出るときも,帰るときも,神はそのような保護を差し伸べてくださいます。
それで,エホバを自分の助け手としている人すべては,決して心配する必要はありません。その人は困難を経験したり,非業の死に直面することさえあるでしょう。しかし,創造者に助けを求める限り,神は霊的な破滅をもたらすいかなるものからも守ってくださいます。ですから,そうする人々は,神に是認された僕として,しっかりと立ち続けます。
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読者からの質問ものみの塔 1980 | 3月1日
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読者からの質問
● 12月25日前後になると,星に導かれてイエスのもとへやって来た『三賢人』についてよく耳にします。では,彼らはベツレヘムにいるイエスを訪れたのですか。それとも後日,ナザレにいたイエスを訪れたのでしょうか。
ルカは,ヨセフとマリアがガリラヤのナザレから,エルサレムの南にある,ユダヤのベツレヘムへと旅をしたことについて述べています。イエスはその地の家畜小屋の中で生まれ,飼い葉おけに横たえられました。エホバ神はその誕生を,ベツレヘムで「幼児[ギリシャ語,ブレフォス]」を見つけることになっていた羊飼いたちにみ使いを通して発表しました。八日目にヨセフとマリアはイエスに割礼を施します。定められている40日の浄めの期間が終わると,二人は『幼子[ギリシャ語,パイディオン]を連れて』エルサレムの神殿へ行きました。その場所で,シメオンと女預言者アンナがイエスを見ます。―ルカ 2:1-38。レビ 12:2-4。
ルカの記述のそのすぐ次の節,ルカ 2章39節はさらにこう述べています。「こうして,エホバの律法に従ってすべてのことを果たしてから,彼らはガリラヤへ,自分たちの都市ナザレへ戻って行った」。では,『三賢人』についてはどうでしょうか。彼らはいつ,またどこにイエスを訪れましたか。
マタイは,「イエスが……ベツレヘムで生まれたのち」,幾人かの人が東方からエルサレムへやって来たことについて述べています。言い伝えによると,その数は三人だったとされています(この者たちが三種類の贈り物 ― 金・乳香・もつ薬 ― を携えていたからかもしれません)。しかし聖書はそう述べてはいません。また,その人たちを「王たち」とも呼んではいません。むしろ,マゴイ(英語の“魔術師<マジッシャン>”と関連のある語)と呼んでいます。(マタイ 2:1)この語には「賢人」という意味よりも,別の意味合いがあります。A・T・ロバートソン教授はこう説明しています。
「マタイ伝のこの部分では,むしろ占星術者という概念のようである。バビロンは占星術の発祥地であった」― 新約聖書の単語像」,第1巻15ページ。
マタイは,これらの占星術者たちがエルサレムに立ち寄り,ヘロデ王と話し合った後に,「ベツレヘムに」行った,と告げています。贈り物を手渡したなら,占星術者たちは戻って行って,その子の居所をヘロデに知らせることになっていました。しかし,神が介入され,占星術者たちに別の道を通らせました。それから神は,ヘロデがイエスを滅ぼしたいと思っているので,エジプトへ逃げるようヨセフに告げました。―マタイ 2:1-15。
マタイとルカの述べるところに照らして,占星術者たちは一体いつイエスを訪れたのだろうかと疑問に思われる向きもあるでしょう。それが40日の浄めの期間のあいだであったと考えるのは理にかなっていません。その期間の終わりに一家がエルサレムへ行ったことを,ルカははっきり述べているからです。一方マタイは,占星術者の訪問の直後に,ヨセフとその家族はエジプトへ逃げた,と述べています。ですから,エルサレムの神殿でその子をささげた後,一家はメシアの出ることになっていたダビデ王の町に定住する計画でベツレヘムへ戻り,後日,そこで占星術者の訪問を受けたものと思われます。
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