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命の復活と裁きの復活ものみの塔 1978 | 12月1日
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16 「生きた者」とは特にだれのことですか。
16 その人々は地上にいる人々で,来たるべき「大患難」と,悪魔サタンおよび配下の悪霊たちの捕縛の時を生き残った人々でしょう。したがってその人々は,地的領域に対するキリストの千年統治が始まるときに依然として地上に生きているわけです。ここで特に指摘されているのは,そのとき地上のパラダイスで永遠に生きる希望を持ってキリストの臣民となる人々です。キリストの共同相続者となる見込みのある,油そそがれた残りの者も幾人か生き残っているでしょう。しかし,彼らが天の王国に移される前に,地上で裁きを始めるかどうかは,まだわかりません。(テサロニケ第一 4:15-17。ペテロ第二 3:11-14)しかし,キリストの「ほかの羊」の「大群衆」は,霊的イスラエル人の残りの者と共に「大患難」を通過し,生きたまま千年期にはいるでしょう。啓示 7章9節から17節は,それが事実であることを示しています。
17 この事物の体制が完全に終わるときに,地球が住人のいなくなる所となるかどうかなぜわかりますか。
17 以上のことはすべて,この事物の体制が完全に終わるとき,わたしたちの地球は住む人の全くいないところとなるのでないことを,共に立証しています。ですから,キリストの「ほかの羊」の「大群衆」が「生きた者」であって,裁きの千年期は,彼らをもって始まります。
18 この「大患難」生存者の「大群衆」に関する驚くべきこととは何ですか。それはどんな理由によりますか。
18 「大患難」生存者のこの「大群衆」に関する驚くべき点は,彼らが復活を経験しないということです。死んで,人体が分解したわけではないので,王イエス・キリストが記念の墓から彼らを呼び出す必要はありません。この羊のような人々は,キリストの霊的兄弟の油そそがれた残りの者に対する,過去における彼らの扱い方のゆえに,恵みを意味する王の右側に置かれています。そして王は千年統治の初めに彼らに対して,「さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなたがたのために備えられている王国を受け継ぎなさい」と言われます。こうして彼らは,地上のパラダイスで完全な人間の命を得る道へ招じ入れられるのです。(マタイ 25:31-46。ヨハネ 10:16)統治する「人の子」イエス・キリストが,記念の墓の中にいる人々を,復活によって呼び出すことを開始されるときにそこにいられることは,彼らの大きな特権と言わねばなりません。その復活は地上におけるとこしえの命を得る機会を彼らに与えるものとなるのです。
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「わたしはその者を終わりの日に復活させるでしょう」ものみの塔 1978 | 12月1日
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「わたしはその者を終わりの日に復活させるでしょう」
1 「わたしはその者を終わりの日に復活させる」というイエスの言葉は,今日生きているどの級の人々には当てはまらないものですか。
これはヨハネ 6章54節にある,イエスが言われた注目すべき言葉です。この言葉は,近づきつつある「大患難」を生き残る,生きた「大群衆」には当てはまりません。(啓示 7:9-17)ではイエスは,19世紀前に,どんな人々のことを念頭に置いて,このように言われたのでしょうか。
2 イエスはだれに向かって,またご自分が関係しているユダヤ人のどの祭りが近づいていたときに,復活に関してそのように言われましたか。
2 ヨハネ 6章54節を取り巻く節が示すところによると,イエスは単にユダヤ人だけでなく,十二使徒を含め,多くのイスラエル人の弟子たちに対しても,この言葉を語っておられました。西暦32年の過ぎ越し,すなわち「ユダヤ人の祭り」が近づいていました。(ヨハネ 6:4)その祝いの準備として,ユダヤ人はエルサレムの神殿で過ぎ越しの子羊をほふり,祭司たちはその血をはちに受けて,祭壇の基部にふりかけました。(マクリントック-ストロング共編,サイクロペディア,第七巻,「過ぎ越し」の項,738ページ,第一欄,第4節,1-34行。およびアルフレッド・エデルシェイム
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