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ガリラヤから預言者は出ない?ものみの塔 1961 | 10月1日
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んでしたか。「めんどりが翼の下にそのひなを集めるように,わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに,おまえたちは応じようとしなかった。」またユダヤ人議会の前で裁かれたとき,イエスは言われませんでしたか,「わたしは毎日,宮ですわって教えていたのに,わたしをつかまえはしなかった。」― マタイ 23:37; 26:55,新口。
イエスが余すところなく証言しなかったとすれば,エルサレムとその宗教指導者をそのように強い言葉で非難できなかったはずです。そのうえエルサレムにほど遠くないユダヤに住んでいたラザロ,マリヤ,マルタとの間に友情の結ばれたことを考えると,イエスは彼らの家に度々客となり,従ってユダヤにおいてもしばしば伝道したに違いありません。イエスはイスラエルの家の失せた羊のすべてにつかわされました。そしてその1人をもおろそかにしなかったのです。その宣教の最後の年にイエスはガリラヤにおいて多くの時を過ごしました。しかしそれは御自分の時がまだ来ていないことを知っておられたからです。「そののち,イエスはガラリヤを巡回しておられた。ユダヤ人たちが自分を殺そうとしていたので,ユダヤを巡回しようとはされなかった。」― ヨハネ 7:1,新口。
それでは共観福音書を書いたマタイ,マルコ,ルカはイエスの宣教の記録を片寄って伝えているのですか。必ずしもそうではありません。今日でも伝道の経験を語るとき,時間の多少よりは聞く耳を多く得たかどうかが話の中心になるのと同じく,イエスの宣教の経験を記録した人々も同様にしました。素ぼくで暖かい心を持ち,正直で謙遜また気取らないガラリヤ人は,ユダヤ特にエルサレムの高慢で博識な富める人々よりもすなおにイエスの言葉に耳を傾けたのです。
ユダヤに住むユダヤ人はガリラヤに出て来てイエスに従い,ガリラヤのユダヤ人はユダヤでイエスに従いましたから,イエスの死の5日前にイエスを王としてたたえた群衆は,イエスにずっと従ってきたガリラヤ人あるいはすぎこしのためエルサレムに上ったガリラヤ人がおもでした。エルサレムの指導者たちが公にイエスを捕えることを恐れたのは,これらの人々のためであったかも知れません。イエスの体が苦しみの杭からとりおろされた後,香料を塗る用意をしたのは「イエスと一緒にガリラヤからきた女たち」であったという事実も,これを裏書きするように見えます。イエスの裁きのときイエスの死を呼び求めたのは,エルサレムの宗教家の影響を受け易いユダヤ人が大部分であったと考えられます。―ルカ 5:17; 23:55。マタイ 27:20-25。
次のことに間違いはありません。ガリラヤ人を余りにも見下げたパリサイ人は,偏見のために盲目となり真理と事実を見ることができなかったのです。今日でもパリサイ人のような牧師の中にその仲間がいます。新世社会のエホバの証者の中には大学出や高い教育を受けた人が比較的に少ないという批評が時おり宗教出版物の中に出ます。高い教育を受けた人がどの程度いるかという事は,エホバの証者の伝えている音信とは全く無関係の事柄です。むしろそれはエホバの証者にとって有利なことです。学問のあった使徒パウロは,人間的に知恵のある者,権力のある者,身分の高い者が多くは召されなかったと書いていませんか。イエスの時代に全くその通りでした。―コリント前 1:26。
ですから身分,教養,人種,教育が違うからといって,エホバの証者のもたらした音信を率直にしらべるのをさしひかえてはなりません。それをあなたの聖書とくらべ,あなたがたしかに真実であると見きわめた事柄に応じて行動して下さい。神の前ではよい頭よりも良い心が大切であるということを心に留めましょう。
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マタイか,マルコか,ヨハネかものみの塔 1961 | 10月1日
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マタイか,マルコか,ヨハネか
時折り聖書協会は聖書のうちのどの本を新しい言葉に訳すか,決定を下さねばなりません。そのような場合,聖書の66冊の本のうち,マタイの福音書がいちばん最初に選ばれるように思えます。ところが,実際にはそうではありません。たいていの場合,便宜ということも考慮に入れなければならないのです。そして,マルコの福音書は,簡潔で短いので,最初に選ばれます。しかし,ヨハネの福音書は,いちばん人気があるので広範囲に配布されている本です。
聖書は1165の言葉に訳されていますがその中221は聖書全部を訳したもの,277はクリスチャン・ギリシャ語聖書を訳し,そして残りの667の言葉は聖書のうちの一つか一つ以上の本を訳しています。
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