4章
後継者なしに千年間治める王たち
1 だれの時代以来,人間の立てた王国は不満足なものであることを示してきましたか。
人間の立てた王国は結局人類の必要を満たすものとはなりませんでした。人類家族は少なくとも西暦前22世紀つまり4,150年余の昔から,人間の立てた王国をもつようになりました。記録に残る最初の人間の王の名はニムロデです。箱船を建造したノアの曾孫ニムロデは,創世記 10章8-12節の記録によれば,自分勝手に王になったようです。
2 (イ)ノアは王国に対してどんな態度を取りましたか。(ロ)今日,大多数の人びとは明らかにどんな統治形態を好んでいますか。
2 ノアはニムロデの王国が始まった後まで生き延びましたが,彼をバベル(もしくはバビロン)の王にしたわけではありません。ノアは自らをさえ王とはせず,かえって膨張する人類家族の一族長として留まりました。(創世 9:28,29; 10:32–11:9)今日,たいていの民族は固有の家系の世襲後継者を持つ王には飽きています。一般選挙による大統領を持つ共和政体や民主政体のような人民による統治形態が明らかに好まれています。しかし,そうした民主政体のもとで人びとは,たいてい一政党が立てる一団の支配者たちにすぐ飽きてしまい,別の政党の候補者を選出して政権の交替を図ろうとします。
3 人間の立てた王国はもうたくさんだと考えているのはだれですか。そのかたは,人間の立てた最初の王国の占めた地で,何を宣言させましたか。
3 世襲後継者を持つ,人間の立てた王国に飽きているのは人間だけではありません。神も飽きておられます。事実,神は今日の地上の,人間の立てたあらゆる政府に飽きておられます。a たとえ人びとはもうたくさんだと考えてはいなくても,神はそう考えておられます。事実,人間の立てた諸政府は神の地所(地球)の上で失政,もしくは不満足で不十分な支配を続けてきました。ゆえに神は,人間の立てた諸政府すべてをご予定の時に滅ぼして,ご自分のみ子イエス・キリストの千年統治への道を開くことを,人間の立てた最初の王が権力を握った場所であるバビロンで宣言させました。預言者ダニエルを通して神は,バビロンの王ネブカデネザルに言われました。「それらの王たちの日に,天の神は,決して破滅に至らされることのない一つの王国を建てられます。そして,その王国はほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらの王国をすべて打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時まで立ちつづけるでしょう」― ダニエル 2:44,新。
4,5 (イ)人類を治める支配者で,神に愛されているのはだれですか。(ロ)使徒ヨハネによれば,神に対するそれら支配者の愛は,彼らがほかにだれをも愛していることを保証しますか。
4 神のこの目的によれば,天のいと高き神は,地上の王その他の政治支配者を愛してはおられません。その多くはキリスト教世界と呼ばれる領域の王また政治支配者でありながら,神を愛してはいません。もし神をほんとうに愛していたなら,神のみ子イエス・キリストが弟子たちに,「それでは,王国と神の義をいつも第一に求めなさい」と言われたことを行なっていたでしょうし,人間の立てた今日の政府の政治的公職についてはいなかったでしょう。(マタイ 6:33)天の神の愛される者を人類の王として戴くのは非常に重要なことです。このことはそのような王の提携者たちにもあてはまります。人類を益するには,それら提携者は神に愛される者であるべきです。それゆえに神は彼らをその職に留まらせるのです。第一,それゆえにこそ神は彼らをその職につけるのです。彼らは生ける唯一,真の神を愛しており,また今後も愛してゆきます。ということは必然的に,彼らはまた地上の人びとをも愛する者であることを意味しています。使徒ヨハネはまさにこの点についてこう書きました。
5 「『わたしは神を愛する』と言いながら自分の兄弟を憎んでいるなら,その者は偽り者です。自分がすでに見ている兄弟を愛さない者は,見たことのない神を愛することはできないからです。そして,神を愛する者は自分の兄弟をも愛しているべきであるという,このおきてをわたしたちは彼から受けているのです」― ヨハネ第一 4:20,21。
6 支配者たちが自国の国境や主権を固執してきたため,人類はどのように影響を受けてきましたか。
6 人間の王その他の政治支配者は,国民や民族を分割するものとなる,国あるいは国家の境界線を守ることに汲々としてきました。政治支配者はそれぞれ自国の領土内で支配権を保持することに努め,また領土内の人びとからは忠節を要求します。現行の事物の体制のもとでは,地は数多くの国あるいは国家の領土に区分され,おのおのの領土内では人びとは国家の主権を主張しており,こうした事態は全人類の一致を達成するどころか,逆に国家間の抗争を進展させてきました。それでいまや,興味深い疑問が提起されます。
7 地にかかわる天的な支配権に関して神はどんな目的を持っておられますか。啓示 14章1-5節はこのことをどのように示していますか。
7 神の目的は,イエス・キリストをただ独り王として千年間治めさせることではありません。神の最愛のみ子は,政府の所在地である天のシオンの山にただ独りで王として立つのではありません。そうではなくて,使徒ヨハネはこう述べています。「またわたしが見ると,見よ,子羊がシオンの山に立っており,彼とともに,十四万四千人の者が,彼の名と彼の父の名をその額に書かれて立っていた。……そして彼らは,み座の前および四つの生き物と長老たちの前で,新しい歌であるかのような歌をうたっている。地から買い取られた十四万四千人の者でなければ,だれもその歌を学び取ることができなかった。……これらは,子羊の行くところにはどこへでも従って行く者たちである。これらは,神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られたのであり,その口に偽りは見いだされなかった。彼らはきずのない者たちである」― 啓示 14:1-5。
8 14万4,000人の王国相続者の成員の領土上の割当てや言語の問題についてはどんな疑問が起きますか。
8 このように14万4,001人の王なる支配者が地を治めるということは,地が14万4,000の領土に分割され,14万4,000人の各人がそれぞれ独自の領土を治め,住民は頭なる王イエス・キリストのもとにある特定の支配者に対して責任を持つことを意味していますか。地の住民をそのように分けるなら,たとえ見えないとはいえ境界線を設ける結果になり,ひいては境界線で分離される住民の間にある程度の相違が生ずるのではないでしょうか。また,以前中国語を話していた王国相続者は中国語を話す人びとの住む地域を治め,ロシア語を話す王国相続者はロシア語を話す住民を,英語を話す王国相続者は英語国民をといった具合に,言語を異にするグループに応じて治めるよう任命されるのでしょうか。分裂を生む言語上の障壁は引き続き存続し,相互理解を妨げるのでしょうか。
9 (イ)14万4,000人の王国相続者は,イエスのどんな命令に応じて,どんな人びとの中から選ばれてきましたか。(ロ)彼らの言語上の違いに関してどんな疑問が生じますか。
9 それは当然で,もっともな疑問です。しかしこの点,キリストの14万4,000人の共同相続者を構成する個々の者に対して,かしらなる王イエス・キリストを通して王としての責務のどんな割当てが与えられるかを聖書は何も示していないということを述べておかねばなりません。クリスチャン会衆が創設された西暦33年以来,過去19世紀余にわたって,キリストのそれら14万4,000人の共同相続者は,多くの言語を用いる国民や民族そして部族から選ばれてきました。復活させられたイエス・キリストは,昇天する何日か前,ガリラヤに集まっていた弟子たちに言われました。「それゆえ,行って,すべての国の人びとを弟子とし…彼らにバプテスマを施し(なさい)」。(マタイ 28:19)では,王国の栄光のうちにある14万4,000人の仲間の王たちは天で言語上の違いのために分裂し,通訳を必要とするなどと考えられますか。使徒パウロは「人間やみ使いのいろいろなことば」について書きました。―コリント第一 13:1。
10 14万4,000人の者たちは天でどんな言語を用いますか。彼らが以前地上で用いていた言語はどうなりますか。
10 復活して栄光を受ける14万4,000人の者はすべて,一つの天上の言語を話すことは疑いありません。その言語の賜物は,死から復活するさい新しい霊のからだを持つ彼らに授けられます。とはいえ,以前の地上の言語が彼らの思いの中から消し去られるわけではありません。というのは,彼らは以前人間として用いていた言語によって自分がだれであるかを見分けることにより,自分が以前の同じ自分であることを識別できるからです。しかし,天的な復活にあずかるさい,彼らは主イエス・キリストの言語を話し,イエス・キリストはその天の父,エホバ神の用いる言語を話します。
一つの人種,一つの言語
11 千年期王国のもとでは,現在地上に見られる言語上の障壁に関しては何が行なわれますか。どのようにして,またなぜですか。
11 同様に,キリストおよびその14万4,000人の仲間の王たちによる千年統治のもとでは,現在地上に見られる言語上の障壁は人類から除去されます。地に対する神の最初の目的は,一つの共通の言語,つまり人間の最初の地的な父親,完全な人間アダムの言語を話す人間で地を心地よい程度に満たすことでした。エデンの園で人類は一つの言語を用いて生活を始めました。ノアの日の全世界にわたる大洪水の後,神は人類に,一つの言語,つまりアダムの十代目の子孫,義人ノアの言語を用いさせ,義にかなった営みを新たに開始させました。その一つの言語は,バベルの塔の建設が企てられるに至るまで続きました。
12 神はバベルの塔のそばで講じた処置のもたらした言語上の影響をどのようにして拭い去りますか。
12 次いで全能の神は,努力を結集して悪事に携わっていた建設者たちの一致を打ち砕きました。どのようにしてですか。それは言語を混乱させ,そのようにして人びとを地上の別々の地方に種々の言語群として四散させることによってです。(創世 11:1-9)神はご自分の最初の目的と調和して,一つの語族,つまり神が人類の最初の人間の父親に授けた言語,ただし神がバベルの塔のそばで考案した他の種々の言語からの修飾語をおそらく伴う,はるかに語彙の多い言語の通用する状態に人類全体を連れ戻すでしょう。
13 このようなわけで,だれにとって一時的な言語上の問題が生じますか。しかし,結局はどんな益がもたらされますか。
13 ノアの洪水の八人の生存者を含め,大洪水前の人びとが神の千年期王国のもとで死人の中から地上で復活するさい,それは彼らにとって大きな問題とはなりません。しかし,人類のその他の人びとの大多数にとって,それは新しい言語,つまり神が全人類のために意図された言語を学ぶことを意味します。その王国の用いる,言語を教える有能な教官のことを考えれば,それは何ら大きな問題はありません。復活させられる赤ちゃんにさえ,幼い時から新しい言語を教えることができます。そのようにして,人びとはすべて,相互の言語上の用語や表現を十分に理解して,互いに直接話し合えるようになります。それは人類家族の一致を図るなんとすぐれた影響をもたらすことでしょう。人びとはすべて,霊感のもとに記されたヘブライ語聖書bをおのおの自分で読み,その預言がすべてどのように適中したか,またヘブライ語聖書には預言者マラキの時代に至るまでの正確な歴史上の記述がどのように収められているかを研究できるのです! その時,正直な心の持ち主は,使徒パウロのようにこう言えるでしょう。「すべての人が偽り者であったとしても,神の真実さが知られるように」― ローマ 3:4。
14 第一の復活にあずかる人たちのために,現代の人種,国民,部族間の障壁はどのようにして排除されますか。
14 言語上の障壁について言えることは,人種・国民・部族に起因する現代の障壁にもあてはまります。「第一の復活」にあずかる14万4,000人の王国相続者にとって,それら後者の障壁はすべて過去のものとなります。そうした障壁はみな肉にまつわるものです。彼らは以前この地上で持っていた肉体を伴って復活させられるわけではありません。こう書かれているからです。「わたし[使徒パウロ]はこのことを言います。肉と血は神の王国を受け継ぐことができず,朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはありません」。(コリント第一 15:50)「たとえ,[わたしたちクリスチャンは]キリストを肉によって知ってきたとしても,今はもう決してそのような知り方はしません」。(コリント第二 5:16)「第一の復活」にさいして,14万4,000人の王国相続者は現代の人種,国民,部族間のあらゆる障壁をかかえた人間の性質ではなく,「神の性質」を受け継ぎます。(ペテロ第二 1:4)彼らはみな,天の特別な家族の兄弟たち,つまり神の子たちとなります。「さて,子どもでもあるならば,相続人でもあります。実に,神の相続人であり,キリストと共同の相続人です」。(ローマ 8:17)こうして彼らの間には,「神の性質」に従って一致が見られるでしょう。
15,16 (イ)14万4,000人の王国相続者は一致を保つために,どのようにして人間的,地的障害を克服しますか。(ロ)彼らは,神への祈りの中でイエスが彼らのために懇願したどんな事がらにあくまでも忠実をつくしますか。
15 しかし,それら14万4,000人の王国相続者はこの地上で肉のからだで試練を受けている時でさえ,人類一般の人種・国民・部族間の障壁のゆえに分裂させられるようなことは許してはきませんでした。肉によれば,彼らは「すべての国の人びと」で成る「弟子」たちです。(マタイ 28:19)しかし彼らは第一にキリストの弟子であって,どの人種,国民あるいは部族の出身者かは単なる二義的な事がらとみなしています。そして,バプテスマを受けたキリストの弟子であるがゆえに,地上で一致団結し,肉的,人間的障害すべてを克服します。この世の人種・国民・部族間の闘争に対して厳正中立の立場を明らかにし,その立場を保持して,地方的・国家的または国際的政治に参加しないのはそのためです。彼らは,イエス・キリストが彼らに関して神への祈りの中で次のように懇願した事がらにあくまでも忠実をつくします。
16 「わたしは彼らに関してお願いします。世に関してではなく,わたしに与えてくださった者たちに関してお願いするのです。彼らはあなたのものだからで(す)……わたしはあなたのみことばを彼らに与えましたが,世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないのと同じように,彼らも世のものではないからです。……またわたしは,わたしに与えてくださった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように,彼らも一つになるためです。わたしは彼らと結びついており,あなたはわたしと結びついておられます。それは,彼らが完全にされて一つになり,あなたがわたしを遣わされたこと,そして,わたしを愛してくださったと同じように彼らを愛されたことを世が知るためです」― ヨハネ 17:9-23。
国際的平安が守られる
17 (イ)戦争に関して14万4,000人の者たちはキリスト教世界やユダヤ人社会の宗教家に見倣ってはきませんでした。どうしてそういえますか。(ロ)彼らは天の王たちとして,聖書のどんな規則を地上の人びとに実施しますか。
17 破滅的な戦争に携わる国々の政府のもとで生活しているという理由でローマ・カトリック教徒はローマ・カトリック教徒に,正教会の信徒は正教会の信徒に,新教徒は新教徒に,また生来のユダヤ人は生来のユダヤ人に対してそれぞれ肉の武器を取って戦い合ってきましたが,14万4,000人の王国相続者が地上で彼らに見倣わなかったのはそのためです。一方の手に福音もしくは聖書を携え,他方の手に剣あるいは機関銃を持って弟子を作るわざに赴いたりはしませんでした。多種多様な国民の中から来てはいるものの,イザヤ書 2章4節の預言の述べる次のような原則を履行してきました。『かれらはその剣をうちかえて鋤となし その槍をうちかえて鎌となし 国は国にむかいて剣をあげず戦いのことを再びまなばざるべし』。それで,もし彼らが地上にいたとき,神から与えられたこの規則にあくまで忠実だったのであれば,彼らは地を治める王となるとき,その規則を実施し,平和のためのその同じ規則を堅く守ることを地上の住民に要求するでしょう。
18 使徒ヨハネが予見したとおり,地上の他のどんな国際的集団が,行動を律するこの規則を堅く守っていますか。
18 その喜ばしい前ぶれとして,今や国際的な大群衆がそれら王国相続者の残れる者と交わっており,行動を律する,平和のためのその同じ規則を堅く守っています。それは使徒ヨハネが次のように述べて描写したとおり,世界の歴史上の今の時代に集められることが予告されていた驚くべき集団です。「これらのことののち,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった。そして大声でこう叫びつづける。『救いは,み座にすわっておられるわたしたちの神と,子羊[イエス・キリスト]とによります』。……『これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている。また,み座にすわっておられるかたは彼らの上にご自分の天幕を広げられるであろう』」― 啓示 7:9-15。
19 神の新しい体制は,すでにどんな相互関係を持って地上で生活している人びととともに出発しますか。彼らは,長い命を愛する人たちに書き送られたペテロのどんなことばに留意しますか。
19 エホバ神は今日見られるこの「大群衆」の上にご自身の保護の天幕を広げ,彼らをして近づく「大患難」を無事に切り抜けさせてくださるのですから,全地にわたる神の新しい事物の体制に生きて入るのは,平和愛好者の国際的な一集団です。戦争をする諸国民はそのとき存在しません! 神の新秩序のもとで人類社会は,すでにすべてが互いに平和な関係にある「大患難」生存者とともに出発します。彼らは永遠の命を愛するゆえに,使徒ペテロの引用した次のようなことばと調和して行動し続けるでしょう。「命を愛して良い日を見たいと思う者は,舌を制して悪を口にせず,くちびるを制して欺きを語らぬようにし,悪から遠ざかって善を行ない,平和を求めてこれを追い求めよ」― ペテロ第一 3:10,11。詩篇 34:12-14。
20 (イ)キリストはご自分に関する聖書の預言を成就するため,その平和を乱されるままにはされません。それはどんな預言ですか。(ロ)キリストの統治はソロモンのそれとどのように似ていますか。
20 「大患難」の嵐の後,全地にわたる平和は清められたこの惑星の上に虹のように輝くでしょう。エホバの用いられる千年期の王,子羊イエス・キリストはその平和が乱されるのを許しません。さもなければ,イエスはご自分に関して昔発表された次のような預言にふさわしく行動してはいないことになります。「ひとりの子供がわたしたちのために生まれた。ひとりの子がわたしたちに与えられた。君としての支配権はその肩に置かれる。そして,その名は不思議な助言者,力ある神,永遠の父,平和の君と呼ばれる。ダビデの王座とその王国の上にあって,今よりのち,定めのない時まで,公正と義とによってそれを堅く立て,それを支えるため,君としての支配の豊かさと平和とには終わりがない。万軍のエホバの熱心がこれを行なう」。(イザヤ 9:6,7,新)イエス・キリストは「ソロモン以上のもの」であることを忘れてはなりません。(マタイ 12:42)ダビデの子,ソロモン王の40年間の統治は,「平和を好む」という意味のソロモンという名にふさわしく平和によって特徴づけられました。とはいえ,イエス・キリストは千年にわたる平和を保持されるのです。
「ダビデの王座とその王国の上に」
21 平和の君の君としての支配も,またその平和もだれの王座と王国から切り離せませんか。
21 イザヤ書 9章6,7節をもう一度読んでみると,平和の君の「君としての支配」は,「ダビデの王座とその王国の上に」あることに気づきます。その約束された終わりのない平和を,西暦前1070-1037年までエルサレムで王として支配したダビデの王座とその国王から切り離すことはできません。その平和はアメリカ合衆国の大統領や,人間の立てた,世界の平和と安全のための機構としての国際連合などに依存してはいません。どうしてですか。
22 (イ)どんな根拠に基づいてエホバの熱心はその預言を成就させますか。(ロ)宗教についていえば,ダビデはどんな人でしたか。
22 なぜなら,「万軍のエホバ」はダビデ王に関してその治世の初めごろ,エルサレムで破ることのできない契約もしくは神聖な約束を結ばれたからです。どんな根拠に基づいてですか。ところで,ダビデは無神論や不可知論者ではなく,非常に信心深い人でした。とはいえ,当時の非イスラエル民族の偶像崇拝者または多神教徒のようではありませんでした。聖書の詩篇に収められているダビデの作った数多くの詩篇もしくは叙情詩を読むと,ダビデはアブラハム,イサクそしてヤコブの神エホバのまじめな崇拝者だったことがわかります。最もよく知られている彼の詩篇の一つである詩篇 23篇の中で,ダビデはこう述べました。『エホバはわが牧者なり われ乏しきことあらじ わが世にあらん限りはかならず恩恵と憐みとわれにそいきたらん 我はとこしえにエホバの宮にすまん』。(詩篇 23:1,6)また,詩篇 40篇8,9節ではこう言いました。『わが神よわれは聖意にしたがうことを楽しむ なんじの法はわが心のうちにありと われ大いなる会にて義をつげしめせり 見よ われ口唇をとじず エホバよなんじこれをしりたもう』。
23,24 (イ)神の契約の箱をエルサレムに運んだのち,それを収めることに関してダビデは何をしたいと願いましたか。(ロ)その建築工事に関してエホバはダビデに何と述べましたか。
23 ダビデ王はエルサレムを首都にしたのち何か月かを経て,聖なる契約の箱つまり「真の神の箱」をエルサレムに運ばせ,王宮の近くに張られた天幕の中に置きました。ダビデは自分の宮殿の住まい,つまり「杉材の家」と,エホバの契約の箱の置かれている所との相違を痛感しました。そしてついに彼は,エホバの箱を置くに値する神殿の建造を預言者ナタンに示唆しました。(サムエル後 7:1-3,新)ところが神は,次のような知らせをダビデに伝えました。
24 「おまえは多くの血を流し,大いなる戦争をした。おまえはわたしの前で多くの血を地に流したから,わが名のために家を建ててはならない。見よ,男の子がおまえに生れる。彼は平和の人である。わたしは彼に平安を与えて,周囲のもろもろの敵に煩わされないようにしよう。彼の名はソロモンと呼ばれ,彼の世にわたしはイスラエルに平安と静穏とを与える。彼はわが名のために家を建てるであろう」― 歴代志上 22:8-10,口語。
25 ダビデの願いを十分認めたエホバは,ダビデのためにどんな家を建てることを約束されましたか。
25 これは神のみ名に敬意を表して崇拝の家を建てたいとのダビデの愛のこもった願いをエホバが正しく評価しなかったという意味ではありません。エホバはそうしましたし,またそのことを示すために契約を結びました。つまり,ダビデのために家を建てる厳粛な約束をしました。それは文字どおりの住まいとしての家ではなくて,ダビデの一族の歴代の王家です。預言者ナタンは次のような知らせをダビデ王に伝えました。「〔エホバ〕はまた『あなたのために家を造る』と仰せられる。……『あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう。あなたの位は長く堅うせられる』」― サムエル後 7:11-16,口語〔新〕。
26 深い感謝の意を表したダビデは,その家にかかわるエホバのみ名と目的に関して祈りの中で何と言いましたか。
26 この神聖な契約に対する深い感謝の意を表したダビデは,祈りの中でこう述べました。「〔エホバ〕神よ,今あなたが,しもべとしもべの家とについて語られた言葉を長く堅うして,あなたの言われたとおりにしてください。そうすれば,あなたの名はとこしえにあがめられて,『万軍の〔エホバ〕はイスラエルの神である』と言われ,あなたのしもべダビデの家は,あなたの前に堅く立つことができましょう。万軍の〔エホバ〕,イスラエルの神よ,あなたはしもべに示して,『おまえのために家を建てよう』と言われました。それゆえ,しもべはこの祈りをあなたにささげる勇気を得たのです。〔主権者なる主エホバ〕よ,あなたは神にましまし,あなたの言葉は真実です。あなたはこの良き事をしもべに約束されました。どうぞ今,しもべの家を祝福し,あなたの前に長くつづかせてくださるように。〔主権者なる主エホバ〕よ,あなたがそれを言われたのです。どうぞあなたの祝福によって,しもべの家がながく祝福されますように」― サムエル後 7:25-29,口語〔新〕。
27 エホバはダビデと結んだ王国契約を固守していることを示すためイザヤを通して,また後にはエゼキエルを通してゼデキヤ王に何と言われましたか。
27 主権者なる主エホバはダビデのその祈りに答えられました。300年余の後,万軍のエホバの熱心が平和の君の君としての支配を「ダビデの王座とその王国の上に」確立し,「今よりのち,定めのない時まで」それを支えることをエホバが預言者イザヤを用いて告げ知らせたのはそのためです。(イザヤ 9:6,7,新)それから1世紀余の後,エルサレムのダビデの子孫の治める王国がまさに滅ぼされようとしていたとき,エホバは王位継承権がダビデの家から離れないということを告げ知らせて,ダビデとの王国契約を固守していることを示されました。エホバはエルサレムのダビデの王座に着いた最後の王ゼデキヤに語りかけて,預言者エゼキエルを用いてこう述べました。「かぶりものを取り除き,王冠を取り去れ。これは同じではなくなる。低いものを高く上げ,高い者を低くせよ。破滅,破滅,破滅,わたしはこれを生じさせる。それは,正当な権利を持つ者が来る時まで決してだれのものにもならない。わたしは必ずそれを彼に与える」― エゼキエル 21:25-27,新。
28 (イ)ダビデの家の王国はいつ覆されましたか。その70年後,ゼルバベルはユダを治めるどんな職務につきましたか。(ロ)ダビデの家を清めることに関してゼカリヤは何を預言しましたか。
28 西暦前607年のエルサレム崩壊のさい,ダビデの王座は覆され,生き残ったユダヤ人はバビロンに追放されました。70年後,神を恐れるユダヤ人の残れる者はバビロンから解放されて,ユダの地に戻り,エルサレムでソロモン王の建立した最初の神殿の敷地に別の神殿を建てることになりました。ダビデ王の子孫,シャルテルの子ゼルバベルは,ユダとエルサレムの総督になりました。エホバは預言者ハガイおよびゼカリヤを起こして,神殿再建のわざに携わる総督ゼルバベルを激励しました。ダビデと結んだ王国契約に対してなおも忠誠を示したエホバは,預言者ゼカリヤに霊感を与えてこう言わせました。『その日罪と汚穢を清むる一つの泉ダビデの家とエルサレムの居民のために開くべし』― ゼカリヤ 13:1。
29 エルサレムとユダにいつエドム人の王が立てられましたか。ダビデと結ばれた王国契約に関してどんな疑問が生じたと考えられますか。
29 その後400年余を経て,パレスチナの地はローマ帝国の支配下にはいり,ローマの元老院の任命で,ヘロデ大王と呼ばれた非ユダヤ人のエドム人がエルサレムとユダヤ州の王になりました。こうして何世紀も経ったのですから,平和が限りなく続くことになっていた永遠の王国のためにダビデと結んだあの契約のことなど,エホバ神はすっかり忘れられたのではありませんか。神がその契約を結んで以来,合計1,000年余を経た今となっては,その契約は廃れ,時代遅れとなり,また失効状態にあるように思えるゆえに生命を保っている何らかのしるしをもはや示してはいないのではありませんか。不信仰な者ならそう考えたかもしれません。しかし,神についてはどうですか。
ダビデ王の永遠の相続者の誕生
30,31 (イ)エホバはダビデ王のどんな家系を見守りましたか。(ロ)エホバはその家系のだれの娘に注目しましたか。彼女はだれと婚約しましたか。
30 王国契約の神聖な作成者で,忘れることのない神は,ダビデに対するご自分の誓約を確実に実行する態勢を整えました。忠実なダビデ王のために王家を造ることを約束した神は,ダビデの男子の子孫を見守りつづけました。そして,ソロモン王を通してではなく,ダビデの別の息子ナタンを通して続くダビデの家系の一つに目を向けました。その特定の家系は他の20人の人びとを経て続き,預言者ゼカリヤの時代にエルサレムの総督となったゼルバベルを生み出します。ゼルバベルにはレサという名の息子がいましたが,その息子の後,他の16人の人たちを経て家系はなおも跡切れずに続き,後にマタテの息子ヘリが生まれました。(ルカ 3:23-31)次いで神は,ヘリの男子の子孫ではなく,その娘に注目しました。その娘は西暦前1世紀の後半,ローマ領ユダヤ州の町,ベツレヘムで生まれました。その名はマリアです。
31 やがてマリアはローマ領ガリラヤ州のナザレの町に連れてゆかれました。その町で婚期に達した彼女は,ヤコブの子でナザレの住人であるヨセフという名の大工と婚約しました。
32 ヨセフとのその婚約はなぜ適切でしたか。ダビデの相続者に関してどんな疑問が生じましたか。
32 その婚約はたいへん適切なものでした。なぜですか。というのは,ヨセフは片田舎の町ナザレのしがない大工でしたが,ナタンの家系ではなく,ダビデの最初の王位継承者ソロモンの家系の,ダビデ王の子孫だったからです。それでヨセフには,先祖ダビデの王室の王座に着く正当な権利がありました。では,ヨセフはダビデ王の約束久しい永遠の相続者の直系の父親になるのですか。
33,34 (イ)エホバはなぜ,マリアとともにおられる証拠をお与えになりましたか。(ロ)ここで起きたできごとは,ヤコブが臨終の床で述べたどんな預言の成就に資するものでしたか。
33 さて,婚礼が催され,ヨセフが合法的に娶った妻マリアをその家から導いて,彼女のために用意した住まいに連れて行く前のこと,きわめて異例な事がら,この20世紀の頭脳時代の人びとが信じようとしない重大なことが起こりました。時はいまや西暦前3年も終わりごろのことでした。神にとってそれは待望久しい特別の時でした。突如,神がマリアとともにおられる証拠が明らかにされました。それは彼女がユダヤ人の娘だったからではなくて,ユダの部族のダビデの王家の子孫だったからです。ゆえに,そのできごとは,族長ヤコブがその四番目の息子ユダに関して霊感のもとに述べた預言の成就に資するものでした。それは遠い昔の西暦前1711年のことで,臨終の床にあったヤコブはユダに関してこう言いました。
34 『ユダは獅子の子のごとし……雄獅子のごと(し)……誰かこれをおこすことをせん 杖ユダを離れず法を立つる者その足の間をはなるることなくしてシロ[つまり,それを持つ者]の来たる時にまでおよばん 彼にもろもろの民したがうべし』― 創世 49:8-10。
35,36 (イ)神はマリアの年取った親族エリサベツのためにどんな奇跡的なことをすでに行なわれましたか。(ロ)み使い,ガブリエルは,ダビデの王座に対する神の目的についてマリアに何と述べましたか。
35 神はユダの部族またダビデ王家の処女マリアとともにおられることをどのように示されましたか。神はレビ人の祭司ゼカリヤの妻で,マリアの年取った親族エリサベツのために行なった以上の重大なことをマリアのために行ないました。神はゼカリヤとエリサベツの生殖力を奇跡的に回復させたので,彼女はいまや妊娠六か月目を迎え,ほどなく男の子を産もうとしていました。その子はバプテストのヨハネと呼ばれることになりました。しかし,大工ヨセフとの婚約期間がなお満了していない,ユダヤ人の処女マリアのために,神は何を行なわれましたか。医師ルカはこう述べます。
36 「その六か月めに,み使いガブリエルは神のもとから遣わされ,ナザレというガリラヤの都市に,つまり,ダビデの家のヨセフという人と婚約していたひとりの処女のもとに来た。その処女の名はマリアであった。そして彼女の前に現われた時,彼はこう言った。『こんにちは,大いに恵まれた者よ。エホバはあなたとともにおられます』。しかし彼女はそのことばを聞いてひどく思い乱れ,このあいさつはどういうことなのだろうと考えていた。それでみ使いは彼女に言った,『マリアよ,恐れてはなりません。あなたは神の恵みを得たのです。そして,見よ,あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。あなたはその名をイエスと呼ぶのです。これは偉大な者となり,至高者の子と呼ばれるでしょう。そしてエホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません』」― ルカ 1:26-33。
37 ガブリエルはマリアが人間の父親なしに男児を生むことをどのように説明しましたか。
37 これはマリアのいいなずけの夫ヨセフがイエスの直系の普通の父親とはならないことを意味しました! 何ですって? 人間の父親なしに男児が生まれるのですか。その奇跡的な処女懐胎がどのようにして生ずるかをマリアに説明するため,み使いガブリエルはさらにこう述べました。「聖霊があなたに臨み,至高者の力があなたをおおうのです。そのゆえにも,生まれるものは聖なる者,神の子と呼ばれます。そして,見よ,あなたの親族エリサベツでさえ,あの老齢で子を宿し,不妊の女と言われる彼女が,今や六月めを迎えています。神にとっては,どんな布告も不可能なことではないのです」― ルカ 1:34-37。
38 マリアに関してはいまやどんな事が生じましたか。彼女の宿した子はだれの子になるはずでしたか。
38 マリアはそのような仕方で,ダビデ王の永遠不変の相続者となる者の地的母親になることに応じましたか。ルカ 1章38節はこう述べています。「するとマリアは言った,『ご覧ください,エホバの奴隷女でございます! あなたの布告どおりのことがわたしの身になりますように』。すると,み使いは彼女から去って行った」。その後まさしく聖霊がマリアに臨み,いと高き神の力が彼女を覆いました。そこで,彼女はいいなずけの夫ヨセフによらずに奇跡的に妊娠しました。それはいと高き神エホバが今やマリアの宿した子イエスの父親であることを意味しました。霊感のもとに記された他の聖句は,エホバ神がご自分の天の最愛の独り子の生命をマリアの胎内の卵細胞に移して身ごもらせたことを述べています。(ヨハネ 3:16。フィリピ 2:5-11)このことに関しては汚れたことは一つもありませんでした。「生まれるものは聖なる者,神の子と呼ばれます」とあるのはそのためです。そのすべては神の定められた時に起きました。次のように記されているとおりです。「時の限りが満ちたとき,神はご自分のみ子を遣わし,そのみ子は女から出て律法[モーセの律法]のもとに置かれ(ました)」― ガラテア 4:4。
王国契約の永久相続者
39 (イ)マリアの子イエスをヤコブの家を治める王にしようとしていたのはだれですか。(ロ)イエスはマリアを通してどんな権利を相続しましたか。
39 み使いガブリエルがマリアに告げた事がらは,確かにその子イエスがダビデ王の永久相続者になる者であることを示しました。「エホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません」。(ルカ 1:32,33)そのイエスに彼の父祖ダビデの王座を与えることになっていたのは19世紀前のユダヤ人でも,今日の生来のユダヤ人でもありません。王国のその王座をイエスに与えようとしておられたのは天の父,エホバ神でした。ダビデの場合,その王座は単に,イスラエルの十二部族の父である族長「ヤコブの家」を治めるものでした。それで,ユダヤ人の処女マリアにより,その初子はダビデの王家の者として生まれたので,イエスはダビデの王国を継ぐ人間としての権利をマリアを通して生まれながら持つことになりました。この事実を証明するものとして,霊感を受けた使徒パウロは神からの良いたよりについてこう書きました。「[それは]神のみ子に関するものです。そのみ子は,肉によればダビデの胤から出ましたが,聖なる霊によれば,死人の中からの復活によって神の子と力づよく宣言されたかたです。(そうです,それはわたしたちの主イエス・キリストで[す])」― ローマ 1:1-4。
40 (イ)ヨセフはマリアの子イエスに関して何を行なう義務を神に対して負っていると感じましたか。こうして,彼はイエスに何を与えましたか。(ロ)ルカはヨセフをだれの子と呼んでいますか。なぜですか。
40 マリアが妊娠していることがわかった後,そのいいなずけの夫はそのわけを知らされ,マリアを自分の妻として彼女のための家に連れて行くよう命じられました。ヨセフはナザレでそのとおりにしました。ヨセフはソロモン王の家系のダビデの子孫cでしたから,マリアによって与えられた神のみ子を自分の初子として養子にし,そのようにしてダビデの王座につく正当な権利をイエスに与えるのは神に対する自分の責務であることを悟っていました。(サムエル後 7:13-16)そこでヨセフは,生後八日目のイエスに割礼を受けさせ,その名をイエスと呼び,また生後四十日目にエルサレムの神殿で自分とマリアのための清めの儀式にさいして赤子のイエスを捧げたのです。(マタイ 1:17-25。ルカ 2:21-24)イエスが「ヨセフの子」と呼ばれたのはそのためです。(ヨハネ 1:45; 6:42)また,イエス・キリストの系図にかんして医師ルカがこう述べているのもそのためです。「なお,イエス自身は,その業を開始された時,およそ三十歳であり,人の意見では,ヨセフの子であった。ヨセフはヘリの子」。(ルカ 3:23)ヨセフは実際にはヤコブの子でしたが,「ヘリの子」とも呼ばれました。なぜなら,ヘリの娘マリアと結婚していたからです。それで彼はヘリの義理の息子でした。
41 「ナザレのイエス」と呼ばれたその人は西暦前2年にどこで生まれましたか。
41 イエス・キリストは後に「ナザレのイエス」また「イエス,ガリラヤのナザレから来たかた」と呼ばれました。(ヨハネ 19:19,欽。マタイ 21:11)それはイエスがナザレで生まれたという意味ですか。そうではありません。というのは,イエスが生まれる前のこと,その母マリアと彼女の夫ヨセフはふたりともユダのベツレヘム生まれの者だったので,ローマ皇帝,カエサル・アウグスツスの布告に従って登録をするため西暦前2年,ベツレヘムに下らねばならなかったからです。こうしてイエスは,エッサイの子ダビデが生まれたゆえに「ダビデの町」と呼ばれたベツレヘムで生まれることになりました。―ルカ 2:1-7,欽。
42,43 マリアの子が神のメシアになるという趣旨のガブリエルの証言のほかに,他のみ使いの行なったどんな証言がありますか。
42 マリアの子であるこのイエスがメシアもしくはキリストつまりダビデの王座と王国の永久継承者となるべき油そそがれた者になることを証言したのは,み使いガブリエルだけではありません。西暦前2年10月の初めごろ,イエスが生まれた夜のこと,もうひとりの天使も証言しました。そのみ使いは,同年のその時期になおベツレヘムの近くの野原で羊の群れを世話していた羊飼いたちに輝かしいさまで現われました。
43 驚いた羊飼いたちにみ使いは言いました。「恐れてはなりません。見よ,わたしはあなたがたに,民のすべてに大きな喜びとなる良いたよりを伝えているのです。きょう,ダビデの都市で,あなたがたに救い主,主なるキリストが生まれたからです。そして,これがあなたがたへのしるしです。あなたがたは,幼児が布の帯にくるまり,飼い葉おけの中に横たわっているのを見つけるでしょう」。次に生じた事がらはその誕生が尋常なものではないことを示しています。「すると突然,大ぜいの天軍がそのみ使いとともになり,神を賛美してこう言った。『上なる高き所では栄光が神に,地上では平和が善意の人びとの間にあるように』」― ルカ 2:8-14。
44 幼子イエスはなぜエジプトに連れてゆかれましたか。彼はどうしてナザレで大工になりましたか。
44 悪魔サタンは「主なるキリスト」となるべきこの神のみ子の誕生に気づきました。この世に対する自分の支配権を失うまいと気を配る悪魔サタンは,イエスがエルサレムの神殿で捧げられた後のある時,それもヘロデ大王の手を借りて幼子イエスを殺させようとしました。そこで,神のみ使いはヨセフに妻子とともにエジプトに逃れ,さらに知らせがあるまでそこに留まるよう命じました。ヘロデ王の死後,神のみ使いはヨセフにその民の地に帰るよう命じました。しかし,ヘロデ王の子アケラオがベツレヘムを含め,ローマ領ユダヤ州を支配していたので,ヨセフはベツレヘムを避けて通り,ガリラヤ州のナザレに帰りました。そこでイエスは育てられ,ナザレ人と呼ばれるようになりました。その町で,この未来の王は大工として働きました。―マタイ 2:1-23; 13:55。マルコ 6:1-3。
45 (イ)実際にメシアつまりキリストとなるためには,イエスはダビデのように何を注がれる必要がありましたか。(ロ)イエスはいつ,またなぜバプテスマを受けるためにヨルダン川に行きましたか。
45 しかし,油そそがれた者という意味のキリストもしくはメシアという言葉は,イエスが実際に油を注がれる時までは真の意味では適用できませんでした。彼の先祖であるベツレヘムの羊飼いダビデは,イスラエルの王として実際に即位する何年も前に神の預言者サムエルによって油を注がれました。(サムエル前 16:1-13。サムエル後 2:1-4; 5:1-3)イエスについても同様のことがいえます。完全な人間イエスが30歳を迎えたとき,その親族,バプテストのヨハネはバプテスマを施すわざを始めました。なぜなら,ヨハネは当時,「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」と告げて,神の王国を知らせ始めたからです。(マタイ 3:1,2)その知らせに接したイエスは,神のメシアの王国の事がらに専念すべき時が来たことを知りました。そして,ご自分の人間としての生活の30年目の終わりが近づいたころ,ナザレを去り,ヨルダン川で人びとにバプテスマを施していたヨハネのもとに赴きました。なぜですか。罪の悔い改めの象徴としてのバプテスマを受けるためではなく,「天の王国」つまり神の王国に関連して神の意志を行なうために自らをエホバ神に全く捧げることを象徴するためでした。ヨハネはそのことを理解してはいませんでした。それでこう記されています。
46 (イ)そこでバプテスマを受けたとき,イエスはどのようにしてメシアもしくはキリストになりましたか。(ロ)その場で神は,バプテスマを受けたイエスをなぜご自分の子と呼ばれましたか。
46 「その時,イエスがガリラヤからヨルダンに,ヨハネのところに来られたが,彼からバプテスマを受けるためであった。しかし,ヨハネは彼をとどめようとして言った,『わたくしはあなたからバプテスマを受ける必要のある者ですのに,あなたがわたくしのもとにおいでになるのですか』。イエスは答えて言われた,『このたびはそうさせてもらいたい。このようにしてわたしたちが義にかなうことをすべて果たすのはふさわしいことなのです』。そこでヨハネはとどめるのをやめた。バプテスマを受けたのち,イエスはすぐに水から上がられた。すると,見よ,天が開け,イエスは,神の霊がはとのように下って自分の上に来るのをご覧になった。見よ,さらに天からの声があって,こう言った。『これはわたしの子,わたしの愛する者であり,この者をわたしは是認した』」。(マタイ 3:13-17)バプテスマを受けたイエスの上に神の霊がそのように下ることにより,イエスはバプテストのヨハネではなく,神によって油を注がれました。こうして,メシア,つまりキリスト,すなわち油そそがれた者となりました。それは西暦29年初秋のことでした。神はまた,その時イエスをご自分の子と宣言されました。なぜなら,今や神はご自分の霊によってイエスを霊的な子として生み出されたからです。(ヨハネ 1:32-34)イエスは今や,人間としてのメシアよりも高位の霊的なメシアもしくはキリストとなりました。
47 イエスは単に人間としてのメシアになるどんな機会を退けましたか。イエスは油を注がれたことと一致して,どんなわざに携わりましたか。
47 さて,イエス・キリストは自らをエルサレムで「ヤコブの家」を治める地的な王にしようとしましたか。いいえ,しませんでした。荒野で誘惑を受けたとき,イエスは,ヤコブの家どころか,この世のあらゆる王国を治める王になるようにとの悪魔サタンの申し出を拒絶しました。(マタイ 4:1-11。ルカ 4:1-13)後日,大勢の群衆に奇跡的な仕方で食物を与えた後,たらふく食べた何千人ものユダヤ人がイエスを自分たちの地的な王にしようとしたので,イエスは人びとの企てを退けて立ち去りました。(ヨハネ 6:1-15)イエスはご自分の王国は,彼をメシアなる王として油を注いだ方,エホバ神から来るものであることを知っておられました。神の霊によって油を注がれることにより自分に課せられた予備的なわざを正しく評価したイエス・キリストは,「ヤコブの家」の地の至る所で神の王国を教えたり,宣べ伝えたりする平和なわざに携わりました。西暦30年にバプテストのヨハネが投獄された後は特にそうでした。
48 ナザレの会堂でイエスは,イザヤのどんな預言をナザレの人びとに読んで聞かせましたか。イエスは地上でのその生涯の残りの期間,何を行なうことに努めましたか。
48 ナザレの会堂でイエスはナザレの人びとにイザヤ書 61章1,2節を読んで聞かせ,こう言いました。「エホバの霊がわたしの上にある。貧しい者に良いたよりを宣明させるためわたしに油をそそぎ,捕われ人に釈放を,盲人に視力の回復を宣べ伝え,打ちひしがれた者を解き放して去らせ,エホバの受け入れられる年を宣べ伝えさせるために,わたしを遣わしてくださったからである」。バプテスマを受けたイエスはご自分の説教の主題としてのこの言葉を述べてから,こう言い始めました。「あなたがたがいま聞いたこの聖句は,きょう成就しています」。(ルカ 4:16-21)こうしてイエスは,以前の自分の町の人びとにご自分がエホバの油そそがれた者,メシアつまりキリストであることを理解させようとなさいました。そして,地上でのその生涯の残りの全期間中,エホバの霊によって油そそがれて行なうよう権限を受け,委任された事がらを果たすべく努力されました。
49,50 (イ)イエスはイスラエル王国を再興するために軍隊を組織しましたか。(ロ)イエスは,自分が王ではあっても,なお王国のために戦ってはいないことをピラトにどのように説明しましたか。
49 したがってイエスはこの世の政治に干渉しませんでしたし,マカベア家のように軍隊を組織してローマ人をその地から追い出し,エルサレムにダビデの王国を再興したりはしませんでした。なぜですか。
50 イエスはそうしなかった理由をローマ総督ポンテオ・ピラトに説明しました。それもイエスは宗教上の敵の手で同総督に引き渡され,ローマ帝国に対する動乱扇動者として処刑されようとしていたのです。「あなたはユダヤ人の王なのか」という総督の質問に答えたイエスは,最後にこう言いました。「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません」。そこで,ピラトは言いました。「それでは,あなたは王なのだな」。真理を証ししたイエスは,こう答えました。「あなた自身が,わたしが王であると言っています」。そうです,彼はローマ帝国が当時世界強国となっていた世のものではない王国の王だったのです。―ヨハネ 18:33-37。
51,52 (イ)イエスはご自分に「付き添う者たち」に対して,何を行なうよう教えましたか。(ロ)イエスは十二使徒に,次いで70人の福音宣明者に政治活動,それとも福音宣明のわざを遂行するよう命じましたか。どのように命じましたか。
51 イエスの述べた「わたしに付き添う者たち」とはだれですか。それは十二使徒(「遣わされた者」)を含めた,武器を持たないその弟子たちです。イエスは,それら弟子たちもやはりこの世の政治や暴力闘争に加わらず,約束された神の王国の良いたよりを平和裏に教え,また宣べ伝える仕事に専門的に従事するよう教えました。
52 ある時,十二使徒を遣わしたイエスは,地下の政治運動を組織してユダヤ人の間で反乱を扇動するよう彼らに命ずるどころか,むしろこう言われました。「行って,『天の王国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病気の人を治し,死んだ者をよみがえらせ,らい病人を清め,悪霊を追い出しなさい。あなたがたはただで受けたのです,ただで与えなさい」。(マタイ 10:1-8)後に,他の70人の福音宣明者を派遣したときにも,イエスは同様の指示を与え,何を宣べ伝えるべきかを彼らに告げてこう言われました。「また,どこであれ,あなたがたが都市に入り,人びとがあなたがたを迎えてくれるところでは,あなたがたの前に出される物を食べ,そこにいる病気の者たちを治し,『神の王国はあなたがたの近くに来ました』と告げてゆきなさい」― ルカ 10:1-9。
53,54 (イ)イエスはご自分の臨在とこの体制の終結に関する預言の中で,どんな宣べ伝えるわざを予告しましたか。(ロ)この宣べ伝えるわざを続行するとはいっても,自分たちの宣べ伝える政府はどんなところからのものであるかを知っているゆえに,何に干渉することは許されませんか。
53 イエスは過ぎ越しの日に亡くなる少し前の西暦33年ニサン11日のこと,将来のご自分の臨在と事物の体制の終結に関する驚くべき預言を述べました。その預言の中でイエスは,ご自分に付き添う者たち,つまり弟子たちのなすべき著しいわざを確かに予告しました。こう言われたからです。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:3-14)この事物の体制の全き終わりが来る前に,全世界で王国を宣べ伝えるこのわざが,イエスの弟子たちによって行なわれなければならないのです。「また,あらゆる国民の中で,良いたよりがまず宣べ伝えられねばなりません」。(マルコ 13:10)弟子たちは王国を宣べ伝えるこのわざをあらゆる国民の間で平和裏に行なったからといって,世の政治に干渉したり,国際的闘争に加わったりすることは許されませんでした。
54 弟子たちはその指導者イエス・キリストのように,神のメシアの王国を単に宣べ伝えることになっていたにすぎず,地を治めるその王国を樹立する権限や権能を与えられてはいませんでした。それは地的な政府になるのではなく,「そのようなところからのものでは」なかったのです。それは全人類を治める超人的権力を伴う天的な政府だったのです。それで当然,いと高き方である天の神以外に,地の全住民を治めるそのメシアの政府を樹立できる者はいませんでした。
55 油を注がれた者としての務めを遂行し,聖書の預言を成就することに関するかぎり,全人類を支配するイエスの資格に関して異議を唱えることができるでしょうか。
55 では,全人類を治める王として千年間支配すべく油そそがれた者であるメシアつまりキリストの地上での生涯に関して,天であれ,地上であれ,だれが文句を言えますか。まるでイエスは千年期の王になるにはふさわしくない,その資格がないなどといって,だれかが正当な反対を唱えられますか。それはだれにもできません。地上でのイエス・キリストの非の打ち所のない生活を指摘した使徒ペテロは,ローマ軍百人隊の隊長コルネリオとその異邦人の友人たちにこう言いました。「あなたがたは,ヨハネの宣べ伝えたバプテスマののちにガリラヤから始まり,ユダヤ全体にわたって話題となった事がらを知っています。すなわち,ナザレから来たイエスのことで,神がどのように聖霊と力をもって彼に油そそがれたかです。彼は善を行ないながら,また悪魔に虐げられている者すべてをいやしながら,国じゅうをまわりました。神がともにおられたからです。そしてわたしたちは,彼がユダヤ人の土地で,またエルサレムで行なったすべての事がらの証人です」。(使徒 10:37-39)あらゆる証拠は,イエス・キリストは油を注がれることによってなすべく委ねられた事がらすべてを地上で成し遂げたことを示しています。イエスはついには殉教の死をさえ遂げて,ご自分に関する聖書の預言をすべて成就なさいました。
[脚注]
a イザヤ書 1章14節; 7章13節; 43章24節と比べてください。
b とはいえ,神の事物の新秩序における一つの世界語は,現代のヘブライ語アルファベットの角張った字母で印刷されたり,書かれたりするという意味ではありません。今日でさえ,英語で用いられているローマ字のアルファベットの字母で綴られたヘブライ語の出版物が残っています。たとえば,1949年に南アフリカで出版された「タリヤグ・ミリム」という教本,1927年エルサレムで出版された「アビ」と題する伝記,1933-1934年にテル・アビブで発行されたデロル紙の一部などがその例です。
c もし,ダビデ王の王統の者であるヨセフが,ダビデの王座につく「正当な権利」をヤコブ,ヨセフ(二番目の),シモンあるいはユダなどの自分の直系の普通の息子に与えるまで待ちたいと考えたのであれば,その正当な請求権は発効しなかったでしょう。(エゼキエル 21:27)なぜですか。なぜなら,ヨセフはエコニヤ(またはコニヤ,あるいはエホヤキン)の血筋を引く,ソロモン王の子孫で,エコニヤに関してはエレミヤ記 22章24-30節にこう記されているからです。『エホバいいたもう我は生く ユダの王エホヤキムの子エコニヤはわが右の手の指輪なれども我これを抜かん……エホバかくいいたもう この人を[ダビデの王座の相続権に関しては]子なくしてその命のうちに栄えざる人と記せ そはその子孫のうちに栄えてダビデの位に座しユダを治むる人かさねてなかるべければなり』。(マタイ 1:11-16; 13:55)したがって,処女マリアの子イエスはエコニヤ(コニヤ)の生来の子孫とはならず,ダビデの子,つまりバテシバの子ナタンの家系を経てダビデ王の血筋の者となったので,ヨセフが自分の養子にした息子イエスに正当な権利を与えたのは無駄なことではありませんでした。このために,ルカ 3章23-38節に記されているイエスの系図にはエコニヤ(コニヤまたはエホヤキン)の名は出ていません。