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あなたの益となる苦しみものみの塔 1979 | 1月15日
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こと,至高者をあなどって人の権利を奪い取ること,法廷で公義を曲げること,こうしたことを主が是認されたことは絶えてない」。(哀歌 3:34-36,新英訳聖書)仲間の人間を虐待する人はそのことについてエホバ神の前で言い開きをしなければなりません。「復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる」。(ローマ 12:19)それで,神の法を無視する人々の行なう悪のために全能者に対して自分の気持ちを苦くすることのないよう注意しなければなりません。
20 人間の苦しみのうち最も痛ましいものに面する場合にも何をすべきではありませんか。なぜ?
20 病気,事故,虐待などのために神の僕の置かれた状況が非常に痛ましい場合もあります。盲目の人,不具の人,四肢の不自由な人,その他重い障害を持つ人に対してわたしたちは心に深い痛みを覚えます。それは極めて自然なことです。しかし決して,そうです決して,人の経験する最悪の苦しみに面してもエホバ神に背を向けるようなことをすべきではありません。罪と不完全さによって人類に及んだあらゆる傷を元通りにし得るのはただエホバ神だけです。盲人として生まれたある人についてイエスの言われた言葉に注意してください。『それは神のみ業がこの人の場合に明らかに示されるためであった』。(ヨハネ 9:3)盲目の人々の目が明けられ,耳の不自由な人々の耳が開かれる時,足の不自由であった人々が歩き,跳び,走る時,それは至高者にとって何と大きな栄光となるのでしょう。(啓示 21:3-5)仮にそうした苦しみがかつて存在しなかったとすれば,わたしたちはエホバ神が人類のためにしてくださる壮大な物事について知ることはなかったでしょう。そして,とこしえの命の報いを思い見るとき,この事物の体制下での人間の苦しみはむしろ取るに足りないものとなります。苦しみなど全くなかったかのように思える時を迎えるのです。
21 (イ)どのような場合に苦しみはわたしたちの益となりますか。(ロ)逆境から益を受けるためには何を持つ必要がありますか。
21 なお忍ばねばならない苦しみによってわたしたち自身が仲間の人間に対する親切と思いやりと同情を深くし,聖書に述べられる義の要求に一層従う結果になるのであれば,その種の鍛練はまさに有益な目的を果たすことになります。そうなるために,わたしたちは自分の天の父に対し,ちょうど幼子が自分の父親に持つような全き信頼を抱くことが必要です。何であれエホバ神がわたしたちに臨むことを許された事柄はすべてわたしたちのとこしえの幸福と福祉に至るという不動の信仰を持たねばなりません。ですからわたしたちは,ローマ 8章28節の次の言葉を常に銘記していましょう。『神を愛する者たちの益のために,神はそのすべてのみ業をともに働かせておられる』。
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箴言の知恵の言葉ものみの塔 1979 | 1月15日
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箴言の知恵の言葉
「あなたの友,あなたの父の友を捨てるな,あなたが悩みにあう日には兄弟の家に行くな,近い隣り人は遠くにいる兄弟にまさる」― 箴 27:10,口。
聖書のこの箴言は,とりわけ危急の時に真の友を持ち,自分が真の友となることの大切さを強調しています。この聖句は初めに,自分がこのような友になるべきことを諭しています。苦難や悩みにあう日に,自分の友や自分の家族の友を「捨てる」べきではありません。ほんとうに必要とされる時にいなくなってしまう「よい時だけの友」であってはなりません。では,その逆を考えてください。危急の時に,肉身の兄弟が助けてくれるかどうかを知るために,その家まで長時間旅行しなければならないという場合より,進んで助けを差し伸べてくれる友を近くに持っている方が優れています。「兄弟よりもたのもしい友もある」と他の箴言が述べる通りです。―箴 18:24,口。
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