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なぜ他の人を信頼しますかものみの塔 1977 | 8月1日
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の名においてかがみ,すべての舌が,イエス・キリストは主であると公に認めて,父なる神に栄光を帰するためでした」。(フィリピ 2:9-11)神はみ子を完全に信頼しておられるので,イエス・キリストがその高められた地位を決して誤用しないことをご存じです。
エホバ神が不完全な人間に対して示される信頼も驚くべきものです。過去1,900年間に,神はみ子と共に統治する14万4,000人の男女を選んでこられました。そのような人々を天の命によみがえらせる際,エホバは不滅性と不朽を与えられます。(コリント第一 15:42-54。啓示 5:9,10; 14:1-4; 20:6)これらの支配者たちは,み使いより高い地位に上げられますが,彼らがそうした地位を決して誤用しないことをエホバは確信しておられます。―コリント第一 6:3。
エホバ神はご自分のしもべたちをこのように信頼しておられるのですから,わたしたちもその模範に倣いたいと思うべきではないでしょうか。もしそう願われるなら,あなたは仲間の信者を,エホバ神に仕えることを真に願う者とみなすでしょう。確かに,だれかからがっかりさせられる場合があるかもしれません。しかし,エホバ神に本当に献身している人は,だれをも傷付けたいとは思いません。自分の弱さや不完全さによって問題が生じたとき,彼らはそれを深く後悔します。
とりわけクリスチャン会衆の長老たちは,仲間の信者に対して正しい態度を保つよう,細心の注意を払わねばなりません。兄弟たちが本当に正しい事柄を行ないたいと願っていることを銘記するなら,長老はささいな誤りを見て彼らをすぐに非難するようなことはないでしょう。また,一人一人を“厳重に監視”しなければ,仕事がきちんと行なわれないと考えているような印象を与えてはなりません。確かに,人は自分の仕事に忠実であるなら,信頼に足る者として扱われるべきです。
さらに長老は,自分より優れた才能,能力あるいは見識を持つ人々に助言を求めるべきです。(箴言 15:22)何か新しい事を始めるよう計画しても,それがうまくゆかないなら,誉れを受けることにはなりません。しかし賢明な人は,他の人の経験や知識や能力から益を得ようとします。彼の謙遜な態度は協力を得る面で大いに役立ち,仕事がうまくいったときに,より多くの人がその喜びにあずかれることになります。
同様に,夫が妻を信頼することは,幸福な結婚生活を維持する上で大いに役立ちます。妻は自分の務めを果たす際に,独創性を発揮する自由を余り与えられないなら,やがて仕事に対する喜びを失います。自分の知識や才能,能力を生かせないと感じ,欲求不満に陥ります。一方,夫がある重要な事柄を妻の良い判断に任せるなら,彼女は夫が好むような仕方で,喜んで物事を扱うでしょう。
子供を扱う際にも,親が子供を信頼していることを子供に確信させるのは良いことです。そうする一つの方法として,子供に特権や責任が与えられるのは,親から信頼されている証拠であるという点を,子供に理解させることができます。子供はこのことを知ると,親の信頼が間違っていなかったことを示そうと,一層励まされます。
確かに,他の人を信頼するなら,良い結果がもたらされます。それで,この点でエホバ神に倣うべき理由は十分にあるのです。それに加え,わたしたちを信頼する人々を失望させないように努力すべきです。他の人を信頼し,自分もまた他の人から信頼されるに値することを示すなら,隣人との良い関係を維持する上で大いに寄与することになります。
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なぜそれほど高価なのかものみの塔 1977 | 8月1日
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なぜそれほど高価なのか
● ラザロの姉妹マリアがイエス・キリストの頭と両足に注いだ「本物のナルド」には,300デナリの価値がありました。(マルコ 14:3-9。ヨハネ 12:3-8)これは,当時の約一年分の給料に相当します。(マタイ 20:2)マリアの用いた香油は,ヒマラヤ山脈に見られる芳香のある小さなカンショウ(Nardostachys jatamansi)の木から取られたものと一般に考えられています。そのような遠方で産出され,しかも珍しいということから,「本物のナルド」がそれほど高価である理由が分かります。
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