神の畑はなぜ豊かに産出するか
1 こんどは他のどんなギリシャ語について考えますか。それはクリスチャン・ギリシャ語聖書中に何回使われていますか。
霊感によってクリスチャン・ギリシャ語聖書を書いた人々がアイオーンの語をどのように使ったかを理解したいま,私たちの研究しているギリシャ語の別の言葉コスモスとこれとの相違をいっそう明確にできます。コスモスはとくに使徒ヨハネをはじめ,霊感の筆者によって187回使われ,欽定訳では1回の例外を除いて全部をworld<ワールド>(世,世界)と訳しています。この例外はペテロ前書 3章3節にあり,そこではコスモスを「飾り」と訳しています。新世界訳もこれと変りません。それでコスモスを186回は英語のworld<ワールド>と訳し,ペテロ前書 3章3節において1回だけ「飾り」と訳しています。コスメチック(kosmétikos)(化粧品)という言葉はこれから出ているのです。
2 「新しいコスモス」という表現が霊感の聖書に使われていないのはなぜですか。
2 注目すべきことに霊感の筆者は新しい天と地,新しいエルサレムのことを述べていますが,新しいコスモスという表現は使っていません。聖書のコスモスという言葉が人間家族,人類,人々を示唆し,それに関連して何時も使われていること,そして新しい人類が地上に生まれるのではないことを理解すれは,その理由がわかるでしょう。人類はあがなわれるのです。神のみ子イエス・キリストは,完全なアダムがエデンにおいて罪のゆえに失ったものを人類に代わって買い戻すため,完全な人間の犠牲となって死なれました。―ペテロ後 3:13。黙示 3:12; 21:1,2。
3 コスモスはどう定義されますか。
3 ペテロ前書 3章3節にペテロがこの言葉を使っている例からわかるように,コスモスの最も単純な意味は「配列」または「飾り,美しさ,装身具」です。巧みに配置されたものには美があるからです。これと一致してクリスチャン・ギリシャ語聖書の中でコスモスは人類一般に関連した物事の配列という意味によく使われています。そこで霊感による筆者は時に周囲の事物の成り立ち,人がその中に生まれてきて生活し,また比較的なものであるにしても考慮と尊敬を示さねばならない事物のとりきめという意味にコスモスを使っています。人間の周囲にあつて人間に影響を及ぼす事物の構造は地上にでき上っています。この2番目の意味にコスモスが使われている例に注目して下さい。
4-6 ヨハネ伝 16章21節。コリント前書 14章10,11節およびヨハネ第一書 3章17節にあるコスモスの意味は何ですか。
4 イエス・キリストは大きな苦難を受けるすぐ前に忠実な使徒たちに向かって言われました,「女が子を産む場合には,その時がきたというので,不安を感じる。しかし,子を産んでしまえば,もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世〔kósmos〕に生れた,という喜びがあるためである」。(ヨハネ 16:21,新口)これがおもに意味しているのは,人間家族の中にひとりの人が生まれ出たということではなく,新生児が以後ずっと生活してゆく人間社会のことです。
5 集会のとき聞く人々にわからない言葉を使うなといましめた言葉の中で,使徒パウロは次のことを述べました,「世には多種多様の言葉があるだろうが,意味のないものは一つもない。もしその言葉の意味がわからないなら,語っている人にとっては,わたしは異国人であり,語っている人も,わたしにとっては異国人である」。(コリント前 14:10,11,新口)このように人間を囲む環境また人間の周囲の事物を成り立たせている枠の中には,他の種類の音たとえば楽器の音を別にしても多くの言語の音声があります。とくに2796の言語と方言が数えられているいま,その事が言えるでしょう。しかしそのすべては人間にとって共通の経験です。
6 クリスチャンの愛に欠けることの例として使徒ヨハネは次のように書いています,「世の富を持っていながら,兄弟が困っているのを見て,あわれみの心を閉じる者には,どうして神の愛が,彼のうちにあろうか」。(ヨハネ第一 3:17,新口)この世の中で得た生活の糧を十分に持っているならば,クリスチャンは愛を行いに表わし,物に乏しい兄弟に分け与えなければなりません。
7 イエスは,人間の周囲に成り立っている事物の支配者がだれであると言われましたか。ルカ伝 4章5-8節はこの事実をどのように裏づけていますか。
7 裏切られて敵の手に渡される直前にイエス・キリストの言われた言葉は,全人類に影響を与え,人間の周囲に成り立っている事物の見えない支配者の正体を明らかにしています。「今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。わたしはもはや,あなたがたに,多くを語るまい。この世の君がこようとしている。だが,彼はわたしに対してなんの力もない……この世の君がさばかれる」。(ヨハネ 12:31; 14:30; 16:11,新口)この世の見えない支配者は,メシヤすなわちキリストとして宣教を始める準備をされていた時のイエスに対して何の権威も持たなかったのと同様,その地上のわざを終えようとしていた時のイエスに対しても権威を持っていませんでした。イエスが宣教のわざを始めるのに先だって荒野における40日間の断食を終えたとき,「悪魔はイエスを高い所へ連れて行き,またたくまに世界のすべての国々を見せて言った,『これらの国々の権威と栄華とをみんな,あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて,だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで,もしあなたがわたしの前にひざまずくなら,これを全部あなたのものにしてあげましょう』」。このようにサタン悪魔は,たとえ人間に見えなくても「この世の君」であることを自ら示しました。しかしイエスは悪魔との取引を拒絶したのです。―ルカ 4:5-8,新口。
8 イエスは人間としてどのようにこの世に勝つことができましたか。
8 完全な人であったイエスは,この世を去る前に世に勝ちました。イエスが使徒と共にした最後の過越しに関して次のことが聖書に出ています。「この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り」,イエスは弟子たちの足を洗いました。(ヨハネ 13:1-5,新口)更にその夜がふけてからイエスは弟子たちに向かって言われました,「わたしは父から出てこの世にきたが,またこの世を去って,父のみもとに行くのである……あなたがたは,この世ではなやみがある。しかし,勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。(ヨハネ 16:28,33,新口)イエスは以前に弟子たちに語られたことを身をもつてお示しになりました。「自分の命を愛する者はそれを失い,この世で自分の命を憎む者は,それを保って永遠の命に至るであろう」。(ヨハネ 12:25,新口)ご自分の人間の生命すなわち魂を犠牲にしたイエスは,不滅の生命を得て天のみ父と共になるにふさわしいことを証明しました。
9 コスモスの第2の定義は何ですか。それはルカ伝 12章29,30節にどう示されていますか。
9 人がこの世に生まれるとき,全人類の周囲に成り立っている事物の中に来ます。これを指してコスモスが使われている例は他にもありますが(マタイ 16:26; 24:21。ヨハネ 18:36。ロマ 5:12),今度は別の用法をとりあげてみましょう。聖書に使われているこの用法は,異教からは奇妙に見えるかも知れません。それはクリスチャン会衆とは別の,あるいはそれに敵対した人間の集団を指してコスモスが使われている場合です。からだに必要なものについて心配することをいましめたのち,つづいて述べたイエスの言葉はその例です。「これらのものは皆,この世の異邦人が切に求めているものである。あなたがたの父は,これらのものがあなたがたに必要であることを,ご存じである」。―ルカ 12:29,30,新口。
10 適当な聖句を例にあげてコスモスの第2の定義を説明しなさい。
10 この世と弟子たちをくらべてイエスは言われました,「それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず,知ろうともしないので,それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら,それはあなたがたと共におり,またあなたがたのうちにいるからである。もうしばらくしたら,世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし,あなたがたはわたしを見る」。(ヨハネ 14:17,19,新口)イエスは弟子たちが世の憎しみを受けることを前以てお告げになりました。「もしこの世があなたがたを憎むならば,あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを,知っておくがよい。もしあなたがたがこの世から出たものであったなら,この世は,あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし,あなたがたはこの世のものではない。かえって,わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから,この世はあなたがたを憎むのである」。(ヨハネ 15:18,19,新口; 7:7。ヨハネ第一 3:13)使徒と共に祈った最後の祈りの中でイエスは神に言われました,「わたしは彼らのためにお願いします。わたしがお願いするのは,この世のためではなく,あなたがたがわたしに賜わった者たちのためです。彼らはあなたのものなのです。わたしは彼らに予言を与えましたが,世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように,彼らも世のものではないからです」。―ヨハネ 17:9,14,新口。
11 コスモスには9節にあげた意味のあることをパウロ,ヤコブ,ヨハネはどのように示していますか。
11 世は神から離れ,神の民に敵対しています。ゆえに使徒パウロは次のことを書きました,「神はキリストにおいてこの世をご自分に和解させ,その罪過の責任をこれに負わせることをしないで,わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。神がわたしたちを通して勧めをなさるのであるから,わたしたちはキリストの使者なのである。そこで,キリストに代って願う,神の和解を受けなさい」。(コリント後 5:19,20,新口; 7:10)弟子ヤゴブもまた,神から離れた人々に次の警告を与えています,「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは,困っている孤児や,やもめを見舞い,自らは世の汚れに染まずに,身を清く保つことにほかならない」「不貞のやからよ。世を友とするのは,神への敵対であることを,知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は,自らを神の敵とするのである」。(ヤコブ 1:27; 4:4,新口)使徒ヨハネはこの事の理由を明らかに告げています,「わたしたちは神から出たものであり全世界は悪しき者の配下にあることを,知っている」。(ヨハネ第一 5:19,新口)私たちは世を愛してはなりません。―ヨハネ第一 2:15-17。
神の働く畑
12 コスモスの第3の定義を述べなさい。ヨハネ伝 1章9,10,29節にはどのようにこの意味のコスモスが使われていますか。
12 ギリシャ語のコスモスの第3の用法は単に人々,一家族としての全部の人,地上の全人類,道徳や生活の仕方とは無関係にあらゆる人々,神の被造物としての人間を指す用法です。この見地からヨハネ伝 1章9,10節は次のように述べています,「すべての人を照すまことの光があって,世にきた。彼は世にいた。そして,世は彼によってできたのであるが,世は彼を知らずにいた(新口)」。バプテスマのヨハネがイエス・キリストを指して次のことを叫んだのも,やはりこの見地からです。「見よ,世の罪を取り除く神の小羊」。―ヨハネ 1:29,新口。ヨハネ第一 2:2。
13 (イ)この定義に留意してヨハネ伝 3章16,17節を読み,スカルの町のサマリヤ人がイエスのことをどう思ったかを説明しなさい。(ロ)イエスそして次に弟子たちはどの世の光でしたか。
13 現在成り立っている世の中に住む人々のことを指して,イエスはユダヤ人の支配者ニコデモもむかって言われました,「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは,世をさばくためではなく,御子によって,この世が救われるためである」。(ヨハネ 3:16,17,新口)スカルの町のサマリヤ人もこのように考えました。サマリヤ人の女にむかってイエスがご自分のメシヤすなわちキリストであることを明らかにされたのち,サマリヤの人々は自らイエスの言葉を聞いて次のように言ったからです。「この人こそまことに世の救主であることが,わかったからである」。イエスはユダヤ民族のみならず,サマリヤ人また他の民族の救い主でもあったのです。(ヨハネ 4:42,新口)イエスはこの事実をユダヤ人の前ではっきりと言われました。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は,やみのうちを歩くことがなく,命の光をもつであろう」「わたしは,この世にいる間は,世の光である」。(ヨハネ 8:12; 9:5,新口)イエスの弟子たちもまた世の光となるのです。―マタイ 5:14-16。ピリピ 2:15。
14 犠牲の小羊であるイエスについて,ペテロは何と書きましたか。
14 小羊としてイエスがご自分を犠牲にささげられたことに関し,使徒ペテロは次のように書きました,「なんぢらが……贖はれしは……きずなくしみなき羔羊の如きキリスト貴き血に由る……彼は世のはじめ〔ギリシャ語katabolé〕の前より預じめ知られたまひしが,この末の世に現れ給へり」。―ペテロ前 1:18-20。
15,16 (イ)厳密に言えば「世の初め」とは何時でしたか。(ロ)イエスはこの事をどのように示されましたか。
15 イエスは(西暦)29-33年のあいだメシヤすなわちキリストとして「末の世に」現われました。それは世のはじめではありません。従って「世のはじめ」はそれよりも前のことです。では何時のことですか。アダムとエバがエデンの楽園を追われ,罪に定められたとき,もっと厳密に言えばアダムとエバが子供を持った時です。これらの子供たちはアダムから受け継いだ罪のため死に定められていますが,それから救われる機会もあります。(ロマ 5:12,13)聖書に示されているかぎり,あがなわれるにふさわしい人類の世の最初の者はアベルでした。
16 その時が世(コスモス)のはじめであったことは,イエスを殺そうとたくらんだユダヤ人の指導者にイエスの言われた言葉からもわかります。「だから,あなたがたは,自分の先祖のしわざに同意する証人なのだ。先祖が彼らを殺し,あなたがたがその碑を建てるのだから。それゆえに,『神の知恵』も言っている,『わたしは預言者と使徒とを彼らにつかわすが,彼らはそのうちのある者を殺したり,迫害したりするであろう』,それで,アベルの血から祭壇と神殿との間で殺されたザカリヤの血に至るまで,世の初めから流されてきたすべての預言者の血について,この時代がその責任を問われる」。(ルカ 11:48-51)このようにイエスは,世の初めから預言者の血を流すことがアベルに始まったことを示しています。ゆえにアベルは「世のはじめ」に生きていました。イエス・キリストは神の小羊であるご自身の犠牲によって,人類の世からアダム以来の罪を除くことができます。―創世 4:2-11,25。マタイ 23:35。ヘブル 11:4; 12:24。
17,18 (イ)イエスはどのように「世のはじめの前より知られ」ていましたか。(ロ)創世記 3章15節に記録されているように,エホバはどのようにこれを人類に啓示されましたか。
17 では神の天のみ子イエス・キリストはどのように「世のはじめの前より預じめ知られ」ていたのですか。エホバ神は,その愛するみ子が人類の世をあがなうために神の小羊として犠牲になることをアベルの時代よりも前にご存知でした。完全なアダムとエバがエデンの園で罪を犯す以前には,完全な人間の犠牲によって人類の世をあがなう必要はなく,神がこのような目的をたてる必要はありませんでした。しかし最初の人間が罪を犯したとき,神は直ちにその事を知りました。二人は罪を意識し,神の目からかくれたからです。神の問いに答えて二人は罪を告白しました。この時直ちに神は,アダムとエバの子孫の世をあがなう目的をおたてになったのです。誘惑者サタン悪魔をあらわす蛇にむかって神の言われた言葉は,神のこのお目的を明らかにしています。「わたしは恨みをおく,おまえと女とのあいだに,おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き,おまえは彼のかかとを砕くであろう」。―創世 3:15,新口。
18 神は地上においてイエス・キリストとなったひとり子をおもに指して,「女のすえ」と言われました。このみ子の「かかとを砕く」ことは,み子の死を意味します。死によって神のみ子は絶対の忠実を証明しただけでなく,「世(コスモス)の罪を除く神の小羊」となり,あがないの犠牲となりました。このように創世記 3章15節によれば,神はアダムとエバに宣告を下し,二人をエデンの園から追放する前,そしてエバが苦しんで子供を生む前に,キリストをあらかじめご存知でした。従ってこれは「世のはじめの前」すなわち罪を相続したにしても,神の女のおもなすえの犠牲によってあがなわれ得る人類の世界の始まる前のことです。これは紀元前3897年頃,忠実なアベルが羊の犠牲をささげる前のことです。地上において実際に死を遂げるはるか前から,イエス・キリストは父なる神に知られていました。―創世 22:1-18。出エジプト 12:3-28; 29:38-42。
19,20 (イ)キリストと共にだれが「世のはじめの前より」選ばれたことを,パウロは述べていますか。(ロ)どのようにしてこれは可能でしたか。
19 使徒パウロも使徒ペテロと全く同じギリシャ語の表現を用いて次のように書きました。「賛むべきかな,我らの主イエス・キリストの父なる神,かれはキリストに由りて霊のもろもろの祝福をもて天の処にて我らを祝し,御前にてきよくきずなからん為に,世の創の前より我等をキリストの中に選び,御意のままにイエス・キリストに由り愛をもて己が子となさんことを定め給へり……我らは…その血によりて贖罪,すなはち罪の赦を得たり」。―エペソ 1:3-7。
20 この聖句から次のことを理解しなければなりません。すなわちエホバ神が蛇のすえに対抗する女のすえについて言われたとき,他に14万4000人の霊的な子を選んですえに加わらせ,おもなる子の花嫁とすることをお定めになったのです。こうして神はイエス・キリストと共になる14万4000人を「世の創の前より」選ばれました。この事を可能にするため,神はイエスがその血によるあがないの犠牲を備えることをよしとされ,ひとり子であるイエス・キリストを通して14万4000人を選び,霊的な子とすることを予め定められました。このように選ばれてイエス・キリストと共に女のすえになる14万4000人は,人類の罪の世から解放されます。蛇のすえが多くの人から成るのと同じく,女のすえも神の多くの子たちから成っているのです。
「世の初めからしるされ……」
21 (イ)黙示録 13章8節の本当の意味は何ですか。その理由を説明しなさい。(ロ)この特定の「いのちの書」には何人の名前がしるされますか。
21 黙示録 13章1-8節は,大いなるへびの地上の政治組織を獣にたとえ,また次のように述べています,「地に住む者で,ほふられた小羊のいのちの書に,その名を世の初めからしるされていない者はみな,この獣を拝むであろう」。(新口)小羊が世の初めからほふられたことはここにしるされていません。黙示録 5章6-10節に示されているように,小羊は世の初めの前から知られ,(西暦)33年にはじめてほふられました。ゆえに黙示録 13章8節は,いのちの書がほふられた小羊のものであり,象徴的な獣を拝む者がいのちの書に名前をしるされず,また今後もしるされることがないと述べています。栄光を受けた神の小羊と共に天における不滅性を与えられる人を選ぶにあたり,神は偶像崇拝者を「世の初めから」考慮のうちに入れていません。この特定のいのちの書には,象徴的な獣とその像を拝むことを拒絶する14万4000人の名をしるす余白しかありません。―黙示 15:2,3; 20:4; 21:27。
22,23 (イ)「いのちの書」すなわち黙示録(17:8)の書にだれがしるされると考えられますか。なぜ?(ロ)マタイ伝 25章34節においてキリストはどのようにこの事を指摘していますか。
22 獣の像を崇拝する現代の人々について黙示録 17章8節は次のように述べています,「地に住む者のうち,世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは……驚きあやしむであろう」。(新口)いのちの書が「世の初めからほふられた小羊」のものであるとは,ここにしるされていません。ゆえにこの書には,来るべき組織制度において地上の生命を得る人々の名がしるされるものと思われます。ヘブル書 11章4節,12章24節に信仰の人としてあげられているアベルの名は最初にしるされていることでしょう。(黙示 20:12-15)アベルは「他の羊」の一人であり,良い羊飼イエス・キリストは他の羊のためにもご自分の魂すなわち人間の生命を与えました。―ヨハネ 10:14-16。
23 ゆえにアベルは神の国の地の領域に住み,地上において神の「女」の御国から祝福を受けます。(創世 3:15)今日キリストの霊的な兄弟すなわち神の女のすえの残れる者に善をする羊のような人々と共に,アベルは幸福な生命を得ます。(黙示 12:1,2,5,6,17)いま成就しつつある羊と山羊のたとえの中でイエス・キリストが言われたのは,明らかにこの特権のことです。そのたとえの中でイエスは右に集められた羊にむかって言われます,「わたしの父に祝福された人たちよ,さあ,世の初め〔ギリシャ語katabolé〕からあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい」。―マタイ 25:34,新口。
24 マタイ伝 25章34節において,イエスが「土台」すなわちテメリオスではなくてカタボーレを使われたことには,どんな意義がありますか。
24 ここでイエスの言われた「初め」(katabolé)というギリシャ語は,イエスがクリスチャン会衆の「土台」であるという時の「土台」(themélios)に相当するギリシャ語と異なっています。(コリント前 3:10-12。エペソ 2:20-22)たしかにこの二つのギリシャ語は同じものを指すのではなく,天にあるシオンの「隅のかしら石」としてイエス・キリストがおかれたのは,世の「初め」と同じ時ではありません。(イザヤ 28:16。ペテロ前 2:5,6)イエス・キリストがシオンの基となったのは,「世の初め」より何千年も後のことです。女のすえに関する創世記 3章15節の言葉が述べられて以来,神は「他の羊」を祝福するメシヤの国を準備し始めました。従って御国の地的な領域で他の羊の受ける祝福は「世の初めから用意されている」のです。
「新しい天と新しい地」
25,26 ペテロは,ノアの洪水前に何が存在していたことを示していますか。どんな時宜を得た質問が出ますか。
25 神の国の下ですべての「他の羊」が祝福されるのは,約束された「新しい天と新しい地」の時代です。使徒ペテロは新しい天と新しい地のことに論議をすすめるにあたってまず次のように書いています,「神は……古い世界〔コスモス〕をそのままにしておかないで,その不信仰な世界に洪水をきたらせ,ただ,義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された」。(ペテロ後 2:4,5)この後でペテロは洪水前の状態を次の言葉で述べています,「古い昔に天が存在し,地は神の言によって,水がもとになり,また,水によって成ったのであるが,その時の世界は,御言により水でおおわれて滅んでしまった」。―ペテロ後 3:5,6,新口。
26 ペテロはここで洪水にまき込まれた三つのものをあげています。その事に注目して下さい。すなわち(1)「古い昔(の)天」(2)「水がもとになり,また,水によって成った地」(3)「その時の世界」です。この全部が滅びましたか。滅びたのは何でしたか。
27 洪水で滅びなかったものは何ですか。洪水によって地にどんな変化が起きましたか。
27 地は滅びませんでした。それは今なお「水がもとにな」っています。しかしそれはもはや「水によって成っ」てはいません。なぜなら,むかし地球のまわりに存在していた水は,雲からではなく天から洪水となって地の上に落ちたからです。ノアの生涯の600年目に至るまでの「古い昔(の)天」は,現在の天すなわち地球のまわりの外界の状態とは異なっていました。地球のはるか上空には何十億トンの水をたたえた水の環があって,地球の周囲をとり巻いていました。創世記 1章6-8節によれば,神が言葉を出して命ぜられたとき,その水の環は遙か上の天におかれました。それは天蓋のように地球を取り巻いており,従って地球は「神の言によって……水によって成った」のです。地球をとりまいたこの水の環はノアが600歳の11月,神のことばによって地の上に落ちました。それはもともと地の上にあったのです。こうして昔の天の特徴であった水の環はなくなりましたが,太陽,月,星のある天そのものは残りました。(創世 1:14-19; 6:5–8:7)では滅びたものは何でしたか。
28 (イ)ペテロ後書 3章6節に示されているように,だれが洪水で滅びましたか。(ロ)だれが滅びを免れましたか。
28 ノアの箱舟の外にいた人々は滅びました。「その時の世界は,御言により水でおおわれて滅んでしまった」と述べているペテロ後書 3章6節の言葉は,その人々のことを指しています。その人々は「古い世界」を作りあげていました。そしてペテロ後書 2章5節の述べているように,神は「その不信仰な世界に洪水をきたらせ」て罰しました。それは腐敗と暴力をほしいままにして神から離れ去った人類の世界でした。ノアおよびノアと共に箱舟の中にいた7人の人々だけが世の道から離れていました。もちろん当時の地上にはネピリムがいます。それは不従順になった天使すなわち神の子たちが人の美しい娘と結婚して生み出した子孫でした。(創世 6:1-4)ネピリムは超人間の力を持っていたかも知れませんが,しょせんは肉体を持つ者であり洪水によって滅びました。ネピリムの母親つまり天から来て化体した天使の妻となった者たちも人間であり,洪水にあって滅びました。しかしネピリムの父親は再び霊界に戻り,洪水を免れたのです。―ペテロ前 3:19,20。ペテロ後 2:4。ユダ 6。
29 何が滅び,何が保護されたかを要約して述べなさい。
29 ペテロのあげている三つのもののうち,文字通りの天と文字通りの地は滅ぼされませんでした。地の上から滅ぼされたのは当時の人間社会つまり「不信仰な世界」「その時の世界」でした。
30 ハルマゲドンのとき,だれが滅び,だれが保護されますか。
30 そむいて神から離れ去った人々すなわち「不信仰な」人々は滅びましたが,人間家族がことごとく拭い去られたわけではありません。ゆえに今日にも現代の人間社会が存在しています。それは同じく不敬虔な社会です。それはアダムとエバから出たものであり,来るべきハルマゲドンの宇宙的な戦争で滅びてしまうでしょう。(黙示 16:14,16)しかし人間家族は地上に生き残ります。ノアおよび共に箱舟にいた7人の人々と同じく,現代の「他の羊」もその戦いのあいだ保護され,「新しい天と新しい地」の時代にはいるからです。(マタイ 24:36-39)こうして人類は地上に何時までもつづくでしょう。
31 明らかにどんな理由で,ペテロは天と地に関してコスモスの語をその手紙の中に使うことをやめていますか。それで「地」という言葉の意味について,どんな結論になりますか。
31 使徒ペテロはその手紙のあとの部分において「今の天と地」「新しい天と新しい地」に関連してコスモスすなわち地上の人々を意味する世という言葉を使っていません。明らかにペテロは今度は文字通りの天地ではなく,比喩すなわち象徴的な意味で「天」および「地」という表現を使っているからです。ではエホバ神から離れた不敬虔な人々はどのように表現されていますか,その人々は「地」という表現の中に含まれていると理解しなければなりません。「地」という言葉は多くの場合,地上の人々を指すからです。―創世 11:1。詩 97:1。エレミヤ 22:29。
32 論理的に言ってペテロの手紙の中で他にも何が象徴的な意味を持ってきますか。
32 従って現在の象徴的な天と地を滅ぼす手段である火も象徴的なものとなります。それでペテロ後書 3章7,10節の成就するとき,文字通りの天と地は滅びません。「しかし,今の天と地とは,同じ御言によって保存され,不信仰な人々がさばかれ,滅ぼされるべき日に火で焼かれる時まで,そのまま保たれているのである……しかし主〔エホバ〕の日は盗人のように襲って来る。その日には,天は大音響をたてて消え去り,天体は焼けてくずれ,地とその上に造り出されたものも,みな焼きつくされるであろう。(新口)この火のような艱難の時,人類に対するサタン悪魔の見えない支配と,地上にある不敬虔な人々の社会は滅ぼされます。しかし神と和解しているクリスチャンは生き残ります。
33 新しい天と新しい地とは何ですか。
33 ゆえにペテロは次のようにつづけています,「しかし,わたしたちは,神の約束に従って,義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる」。(ペテロ後 3:13,新口)新しい天は象徴的な意味であり,見えないところから支配する,メシヤによるエホバの御国を意味しています。新しい地は組織された「他の羊」です。よい羊飼イエス・キリストは他の羊のためにご自分の人間の生命を与えました。この地上の新しい社会には義が住み,また栄えます。それで文字通りの地はどこに行っても楽園の中に義がみちるでしょう。
34 それで神の畑とは何ですか。すべてのクリスチャンは何をすべき責務を心に銘記しなければなりませんか。
34 栄光あるこの音信は全人類に関係があります。今の天と地が不敬虔な人々と共に滅ぼされる前に,この福音を全地の人々に宣べ伝えるのはキリストを通して述べられた神のみ心です。(マタイ 24:14)人類の世界は今日かってないほどに神の働く畑となっています。神のみ心を行なうために献身したクリスチャンとして,私たちの責務は神の同労者となり,きわめて大切なこの救いのわざに携わることです。私たちに示された神の過分のご親切に感謝しつつ,私たちはすすんで「神と共に働く」ことを決意します。このようにして私たちは愛の心を持ち,イエス・キリストを通して示された神の過分の恵みをいたずらに受けなかったことを神に示します。―コリント前 3:9。コリント後 5:19–6:1,新口。
[271ページの図版]
飾り(コスモス)
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世(コスモス)にうまれる
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アベル,あがなわれる人類の世界(コスモス)の最初の者
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不敬虔な人々の世界(コスモス)は水におおわれて滅びた