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自己犠牲の精神を培う王国宣教 1981 | 11月
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取決めができた最初の月に,会衆は以前には550から600冊ぐらいの平均だったのが,1,000冊以上の雑誌を配布したとのことです。
7 日曜日の野外奉仕にいつもは携わっていなかったある開拓者の姉妹は,月の第1日曜日に出掛けられるよう予定を調整しました。そのまさに最初の日曜日に,姉妹は2冊の本を配布し,週中は仕事をしていて日曜日にしか研究できない人たちと2件の研究が始まりました。エホバは姉妹の自己犠牲の努力を豊かに祝福されました。
奉仕の拡大
8 みなさんは雑誌経路に関する「わたしたちの王国奉仕」,1981年8月号の優れた提案を覚えておられますか。これらの提案を適用した人たちは,雑誌に載せられた優れた音信を定期的に受け取る人々と同じように祝福されてきました。確かに,時間,努力および関係するどんな犠牲も豊かな報いをもたらします!
9 自己犠牲の精神を示す方法はほかにもあります。野外活動に1時間しか費やさないのが常であったなら,あと30分かそれ以上奉仕にとどまることをわたしたちの事情は許すでしょうか。成し遂げることには喜びがありますし,奉仕により長くとどまれば一層多くの関心を持つ人に会い,さらに多くの文書を配布できるでしょう。奉仕により多くの時間を費やせば,野外奉仕におけるわたしたちの効果性を増すのに役立つことでしょう。また,丸1日をレクリエーションや他の個人的な活動に費やすことよりも,世の休日に野外奉仕を楽しめば,自己犠牲的であることを示すことにもなります。
10 昨奉仕年度は様々な点で際立った年でしたが,これはしもべたちの自己犠牲の努力に対するエホバの祝福によるものです。では,1982奉仕年度中エホバへの奉仕においてさらに進歩を遂げることを注意深く考慮することにしましょう。そして,わたしたちの業に祝福をいただけるよう,確信をもってエホバに仰ぎ求めたいと思います。
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開拓奉仕を行なう格好の時王国宣教 1981 | 11月
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開拓奉仕を行なう格好の時
1 マタイ 24章14節の成就は,サタンが底知れぬ深みに投げ込まれる前の『短い時』の間に生じます。(啓示 12:12)それはつまり,わたしたちにとっても,この体制の終わりが来る前に王国の音信を宣べ伝えるための時が短いことを意味します。あなたも疑いなくその業に参加する決定を下しておられることでしょう。伝道之書 3章7節で賢人は,「語るに時」があると述べました。今こそその時なのです! しかしあなたは,そうするためにどれだけの時間を費やすべきか,という質問に取り組んでこられましたか。それは,あなたの命と他の人々の命に深い影響を及ぼし得る決定です。あなたの命にと言うのは,あなたが魂を込めた奉仕をささげる時,エホバは喜ばれるからです。他の人々の命にと言うのは,「収穫は大きいですが,働き人は少ない」からです。―マタイ 9:37。
わたしは開拓奉仕をすべきだろうか
2 奉仕において魂を込めるために,あなたは開拓奉仕をしなければならないでしょうか。それは事情によります。魂を込めた奉仕とは,神への奉仕において自分にできるすべてを行なっているという意味です。多くの人が開拓奉仕を行なえない事情にあることは明らかです。全時間奉仕よりも優先させねばならない種々の聖書的責任があります。ですから,自分の時間を開拓奉仕に用いるか,用いないか,という決定は,あなただけが下すことのできる決定なのです。―ガラテア 6:5。
3 多くの人は,人生において開拓奉仕を行なえるような事情の時点に達します。この事はイエスの場合に真実だったのではありませんか。イエスが30歳に達した時,み父から割り当てられた特別な業を開始する時が到来しました。イエスはちゅうちょされませんでした。(ルカ 3:23)続く全時間奉仕における3年半の間に,それまでの30年間に比べてどれほど多くのことをイエスが成し遂げられたか,考えてもみてください。その最初の30年間の出来事を描くのに,聖書はわずか数行を費やしているに過ぎません。しかし,3年半のその全時間伝道の記録は聖書の4冊の本をほとんど満たし,しかもヨハネは次のように語っています。「実に,イエスの行なわれた事はほかにも多くあるが,仮にそれが事細かに記されるとすれば,世界そのものといえども,その書かれた巻き物を収めることはできないであろうと思う」― ヨハネ 21:25。
4 真のクリスチャンすべてが従うべき手本,模範がここにあります。霊的な発育を遂げるにあたって,わたしたちはこの方を生活のかがみとしたいと思います。『わたしのことばはあなたがたの間で進んでゆかない』とイエスが語られた人々のようには決してなりたいと思いません。(ヨハネ 8:37)イエスの「ことば」は,イエスに倣って全時間伝道の業をしたいとあなたが願うところまであなたの中で進んできたでしょうか。自ら全時間の伝道者である使徒パウロはその域に達しました。パウロは「もし良いたよりを宣明しなかったとすれば,わたしにとっては災いとなるのです!」と述べたほど自分の責任を強く感じていました。―コリント第一 9:16。
あなたの事情はどんなものですか
5 わたしたちはみな,霊的な成長の過程で,開拓奉仕をしたいと願う域に達することができます。そうです,たとえ多くの人が実際に開拓奉仕を行なえない事情にあるとしても,わたしたちはみな,開拓者精神を持つことができるのです。もしかしたらあなたは最近学校を卒業されたか,卒業間近であるかもしれません。あなたは「組織」の本の「正規開拓奉仕」の題目の下で述べられていることに注目したことがありますか。136ページにはこう述べられています。「若い人たちはみな,この奉仕の分野を真剣に考慮してしかるべきです。若い人は,何年かの必要な普通の教育を終了したなら,自分の人生をどうするつもりですか」。それは続いてその質問に答え,献身してバプテスマを受けた人の場合「そのことには少しも疑問がないはず」であることを示しています。
6 「組織」の本の136ページは続いて,「開拓奉仕は,特定の年齢層に限られてはいません。開拓者の隊伍には,若い人や年取った人,独身の人や結婚している人,身体の強健な人,それに中には健康にあまり恵まれていない人も含まれています」と述べています。
7 1981年9月には1,177人という実に大勢の方々が正規開拓奉仕を始めました。今はあなたにとって開拓奉仕を行なうのに格好の時ではありませんか。ある伝道者たちは,少なくとも1年間開拓奉仕を行ない,自分にそれができるかどうか検討します。その中の多くの方が,年々続けていきたいと思うようになることでしょう。そうです,わたしたちの多くは毎日種々の決定を下します。しかし,開拓奉仕を行なうという決定以上に,幸福と永続する益をもたらす決定を人が下せることはまれです。ソロモンより偉大な方は,語るに時があることをわたしたちに告げておられます。今こそ事情の許す方々にとって開拓奉仕を行なう格好の時です。―マタイ 24:14。
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その1 ― 正確な報告に貢献する王国宣教 1981 | 11月
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その1 ― 正確な報告に貢献する
1 わたしたちはみな,どうして良い報告を聞きたいと思うのでしょうか。なぜなら,それはさわやかさや励みを与えるからです。「遠い地からの良い知らせは,疲れた魂に対する冷たい水のようだ」と,賢明な箴言の筆記者は述べました。―箴 25:25,新。
2 漁に出掛けてさえ,正確な報告が求められます。人が漁から戻る時,その人は自分に会うすべての人の好奇心を満たさないわけにはいかないのではないでしょうか。漁師から「うん,少しばかり取れたよ」と言われて満足する人はいません。次の質問が何かは分かりきっています。そしてその数が大きなものならどんなに励みになることでしょう! ペテロとその仲間たちは,夜通し漁をしたのに何も取れなかったことをイエスに報告しなければならなかった時,少々気落ち気味でした。しかし,舟の他の側に網を下ろすようにとイエスがお告げになり,彼らが153匹の大きな魚をたぐり上げた時,その興奮はいかばかりだったでしょう!(ヨハネ 21:11)彼らは幾らか取ったとも,たくさん取ったとさえもその記録が述べていない点に注目してください。むしろ,153匹の大きな魚という正確な報告をしています。魚の大きさまで報告されているのです! ペテロとその仲間たちはどれほど励みを受けたことでしょう!
3 ところで,もしそれが励みを与えるものであるなら,わたしたちの兄弟たちについて,また彼らのしていることや得ている結果について良い報告を聞くのはなおさら励みになるのではないでしょうか! 仮に毎月「わたしたちの王国奉仕」が,過ぐる月になにがしかの人が野外奉仕に出て,かなりの時間を費やし,いくばくかの文書を配布した,云々と告げるとしたらどうでしょうか。とても興奮するどころではないでしょう。むしろ,毎号の「奉仕報告」で,自分たちの一致協力した努力が月々挙げている優れた成果を見て励まされるのです。例えば,日本の戦後最初の野外奉仕報告が会衆の伝道者数に関して何を示していたかをご存じですか。それによれば,4人の宣教者と5人の伝道者がいました。それは1949年の昔のことです。それと,「わたしたちの王国奉仕」のこの号にある野外奉仕報告とを,励まされないかどうか比較してみてください。
あなたにできること
4 しかし,わたしたち各自が毎月自分のしたことを報告することだけではなく,その報告が正確であることも大切です。それが正確であることをどのように確かめられるでしょうか。この点で,王国伝道者各人が「組織」の本の125-127ページで定められている指針を復習するのは良いことです。野外奉仕活動を数えたり報告したりすることについて,旅行する監督,長老たち,その他のどんな人も,協会によって公にされたことを踏み越えて規則や決まりを定めるのはふさわしくありません。協会は,献身し,バプテスマを受けた証人ではない人々に神の真理を宣明することにどれほどの時間が費やされているかに関心があります。ゆえに,霊的に強くない人やしばらく交わっていない人たちに牧羊その他の訪問をした時間は,その人がバプテスマを受けた証人であるなら数えるべきではありません。それは愛の労苦です。唯一の例外は,新しくバプテスマを受けた人が協会の出版物を2冊研究し終えていない場合です。
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