その2
1 エホバの挑戦のことばはだれに向けられていますか。
諸国家に対して次のように言われるエホバはだれのことを意味しておられるのですか。「彼らのうち,だれがこの事を告げ,さきの事どもを,われわれに聞かせることができるか。その証人を出しておのれの正しい事を証明させよ」。エホバのこの挑戦の言葉は諸国家の神々に向けられているのです。これらの神々は証人すなわち彼らの神が預言の神であり,崇拝を受けるべき正しい神であって,偽りの神であるとの非難を自ら一掃できることを証言する証人を求められています。エホバに対する自らの立場をこのような神々に弁明させなさい。
2 エホバのことばの真実は十分の時間をかけて証明されていますが,キリスト教国の三位一体の神をも含め他のすべての神々について,的をついたどんな質問をできますか。
2 文字に書かれたエホバのことば聖書は,西暦1世紀の末までに書き終えられました。以来18世紀以上にわたる長いあいだ,み名によって聖書に書かれていたエホバの預言は成就をみてきました。しかしキリスト教国の三位一体の神をも含めて,諸国家の神々はどうですか。この世のあらゆる国の神々の中に,「この事」すなわちエホバが聖書の中で告げられた事を告げ得る神がいましたか。あるいは今いますか。これら諸国家の神は「さきの事どもを,われわれに聞かせる」つまり前以て事柄を告げることができますか。これらの神々は過去において預言し,預言は成就しましたか。これらの神々は現在の困難な時代について預言しましたか。西暦1914年以来の世界の出来事また状態は,これらの神々が真実を語ったこと,また真実の預言の神であって預言を成就させる力を持つことを証明していますか。
3 これらの神々は何をするように求められていますか。
3 これらの神々に諸国民の中から証人を出させなさい。30億に余る世界の人々の中から,必要とする二,三人の証人を出して,これらの神々が真の神であることを証明するのは,たしかに可能でなければなりません。これらの証人をして,神々の聖典の述べることに耳を傾けさせなさい。それは彼らの神の預言を指して,「『これは真実だ』。我々の神の真実は証明された」と言うためです。
4,5 (イ)諸国民の神々のうち,その神なることを証明する証人を出せる神は,いくつありますか。(ロ)エホバはいま何と言われますか。
4 しかし問題の多いこの世界のただ中にあって,これらの神々に関し「これは真実だ」と証言する証人がどこにいますか。どの神が諸国民の現在の悩みを少しでも前以て預言し,また説明し,その成行きを告げましたか。この事の証人を出せる神はありません。地上の証人の提出する証拠によって義と宣言される神は,これらの神々の中にありません。しかし神であることを証明するこれらの事柄をすでに行なったひとりの神があります。神々を裁く法廷のご自身の証人にむかって,この神は言われます。
5 「エホバ宣給はく,なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり,さればなんぢら知りて我を信じわが主なるを悟りうべし,我よりまへにつくられし神なく我よりのちにもあることなからん ただ我のみ我はエホバなり,われの外にすくふ者あることなしわれ前につげ,また救をほどこし,また此事をきかせたり,汝等の中には他神なかりき,なんぢらはわが証人なり,われは神なり,これエホバ宣へるなり」― イザヤ 43:10-12,文語。
6 真の神の証者となっているのはだれですか。またどのように証者とされましたか。
6 この霊的な裁きの場所でこのように証人となっているのがエホバの証者であることは全く明白であり,そのことに疑問の余地はありません。単にエホバの証者の名を使い,その一人であると公言したところで,人は正真正銘のエホバの証者になるわけではありません。1931年,オハイオ州コロンバスに集まった,献身したクリスチャン聖書研究生は正式の決議によってこの名を採用し,以後,全世界のクリスチャン会衆は同じ決議を採決してこの名で呼ばれることを公に表明しました。今日エホバの証者として知られている人々の会衆は194カ国にあり,その数は2万2761に上ります。この名に関する決議を採決したからといって,それだけの理由でエホバの証者になったわけではありません。エホバはご自身の証者を選びます。そして選ばれるために,人は神の要求にかなうことが必要です。
7 人が真の神の証人であることは,どのように証明されますか。
7 証者は新しい契約の仲保者イエス・キリストを通してエホバ神に全く献身していなければなりません。それは霊的イスラエルの一人になるためです。そのことのためにエホバの証者となる責務が生じます。彼らはエホバの名で呼ばれ,その名を負う人々だからです。しかしみ名を証言し,信仰のわざを行なって真実にエホバの証者であることを証明しなければなりません。1931年以前に,これを証明し人々がありましたか。
8,9 (イ)これに疑いのある人は何をすることができますか。(ロ)エホバの証者がイザヤ書 43章10節を勝手に解釈して自分たちに適用したという非難は,なぜ間違っていますか。
8 疑いを抱く人があれば,1919年以降とくに1926年から,この名の採用された1931年7月26日に至るまでのエホバの証者の歴史をしらべてごらんなさい。献身してバプテスマを受けたこれらのクリスチャンは,証者となるためのエホバのご要求にかなっていたことがわかるでしょう。政治問題に関する本を書いた有名なジャーナリスト,ウォルター・コラーツは「ソ連の宗教」と題する本の338頁から344頁に,エホバの証者を根絶やしにしようとする共産主義ソ連の企てを書いており,まず初めに次のことを書いています。
エホバの証者という名は1931年から用いられている。この派の者はこの名の由来を,勝手に解釈したさまざまの聖書の句とくにイザヤ書(43:10)の句「主のたまはく,なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり」に求める。これが「エホバのたまはく,なんぢらはわが証人なり」に変えられている。イエス自身,「エホバのおもな証者」であった。1931年までこの派の人々は,聖書研究生,ラッセル派など,いろいろな名前で呼ばれていた……
9 しかしこの点でエホバの証者はコラーツのいうように「さまざまの聖書の句」を「勝手に解釈」しているのではなく,また「主」という表現を「エホバ」に変えたわけでもありません。エホバの証者は300年以上前の1611年に出された欽定訳すなわちジェイム王訳のかわりに,アメリカ標準訳,ロバート・ヤングの直訳聖書などの現代訳を使っただけです。これらの現代訳は神のみ名を正しく訳しています。
メシヤの証人
10 真のクリスチャンは,他にどなたのためにも証人となりますか。
10 今日のエホバの証者ように真実のクリスチャンがイエス・キリストの証人になるべきことは明らかです。昇天の直前,イエスは弟子たちにむかって,「あなたがたは,これらの事の証人である」と言われ(ルカ 24:48),また「あなたがたは……エルサレム,ユダヤとサマリヤの全土,さらに地のはてまで,わたしの証人となるであろう」と言われました。(使行 1:8)また聖書の最後の本の中でも,真のクリスチャンは「神の戒めを守り,イエスのあかしを持っている者たち」と呼ばれています。(黙示 12:17; 1:9; 19:10; 20:4)ゆえに1931年以後においてさえ,エホバの証者はイエスのことを証してきました。それは「神の戒めを守」ることです。
11,12 (イ)エホバの証者はなぜエホバとイエスのおふたりについて証ししなければなりませんか。(ロ)イエスは何で油そそがれましたか。どなたによって?
11 しかし聖書の最後の本の中で筆者の使徒ヨハネは,クリスチャンである自分について「ヨハネは,神の言とイエス・キリストのあかしと,すなわち自分が見たすべてのことをあかしした」と述べています。(黙示 1:1,2)真のクリスチャンは神とキリストすなわちメシヤの両方について証ししなければなりません。キリストあるいはメシヤの称号は「油そそがれた者」を意味するという事実を忘れないで下さい。だれかが油そそがれるには,油そそぐ者がいなければなりません。従ってイエス・キリストについて十分に証しするためには,油をそそいでイエスをキリストすなたちメシヤにしたかたについて証しすることが必要になります。油そそがれたものと,油そそいだものの両方を証ししなければなりません。ではイエスに油をそそいだのはどなたですか。また何によって油をそそぎましたか。油をそそいだかたについて,イエスご自身が述べています。ユダヤ人の会堂でイザヤ書を手渡されたとき,イエスは61章1,2節をヘブル語で次のように読みました。
12 「主エホバの霊われに臨めり,こはエホバわれに膏をそそぎて貧しき者に福音をのべ伝ふることをゆだね,我を遣して……エホバのめぐみの年……を告しめ〔る〕なり」。(イザヤ 61:1,2,文語)ヘブル語で書かれたこの句の中には神のみ名がヘブル語でしるされています。〔יהוה〕この句を読んでのち,イエスはユダヤ人に語りかけ,「この聖書は今なんぢらの耳に成就したり」と言われました。(ルカ 4:16-21,文語)こうしてイエスは,主エホバから聖霊によって油そそがれたことを公に述べました。地上のイエスが天からの聖霊で自分自身に油をそそいだのではありません。3年半ののち,イエスは天からの聖霊によって弟子たちにバプテスマを施しました。しかしイエスは霊によってご自身に油をそそいだのではありません。その事を行なわれたのは主エホバです。またイエスの言われた通り,主エホバがイエスを遣わして宣べ伝えさせ,「エホバのめぐみの年を告」げさせました。ゆえにイエスとエホバは同じかたではありません。エホバは遣わし手,イエスは遣わされた者であり,エホバは油のそそぎ手,イエスは油そそがれた者すなわちメシヤです。
13 イエスはどなたの証人でしたか。イエスはこの事をどのように証明されましたか。
13 イエスはご自身に油をそそいだ主エホバのことを常に証ししました。イエスは生まれたときからエホバの証者となる責務を持っていました。ユダヤ人の処女マリヤから生まれたイエスは,神が預言者イザヤによって「エホバのたまはく,なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり」と言われた国民の一員であったからです。(イザヤ 43:10,文語)ローマの総督ポンテオ・ピラトの前で生死を決する裁きを受けたとき,イエスは言われました,「わたしは真理についてあかしをするために生れ,また,そのためにこの世にきたのである」。(ヨハネ 18:37)だれの真理についてあかしをするのですか。使徒たちと共にした最後の祈りの中でイエスは天の神に祈り,「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります」(ヨハネ 17:17)と言われました。それは主エホバの真理でした。
14 証者であるイエスについて,ヨハネは何と述べていますか。
14 聖書の最後の本の中で使徒ヨハネがイエス・キリストを指して次のように述べているのは全く理にかなったことでした。「忠実な証人,死人の中から最初に生れた者,地上の諸王の支配者であるイエス・キリスト……わたしたちを,その父なる神のために,御国の民とし,祭司として下さったかた」。(黙示 1:5,6)また使徒ヨハネはイエスの語った次の言葉を引用しています。「アアメンたる者,忠実な,まことの証人,神に造られたものの根源であるかたが,次のように言われる」― 黙示 3:14。
15 イエスがエホバの証者でなければならなかったことを示すどんな証拠が,ほかにもありますか。
15 イエス・キリストはどなたのために「忠実な,まことの証人」となりましたか。イザヤ書 43章10節から12節のことばを語りかけられた国民の一員として生まれたイエスには,エホバの証者となる責務がありました。イエスはこの務を忠実にはたしました。イエスが言われたこと,またヘブル語聖書から引用されたことの記録は,イエスがエホバの証者であったことを証明しています。今日イエスにむかって,あなたはいずれの神の証者ですかと問うことをしたとすれば,エホバの証者という答を得るでしょう。イエスはエホバの証者であり,今もなお天において「その父なる神」の「忠実な証人」です。―黙示 1:5,6。
16 イザヤ書 43章10節から12節は,ユダヤ人のクリスチャンのほかにも,だれに語りかけられていますか。
16 この点において,すべてイエスの弟子は生来のユダヤ人であっても異邦人であっても,イエスにならうことが必要です。(コリント前 11:1)異邦人のクリスチャンもユダヤ人のクリスチャンと共にエホバの証者となるのです。エルサレムにおける使徒と長老の会議の席上,弟子ヤコブはアモス書 9章11,12節の預言を異邦人のクリスチャンに適用して次のように述べました。「神が初めに異邦人たちを顧みて,その中から御名を負う民を選び出された次第は,シメオンがすでに説明した。預言者たちの言葉も,それと一致している。すなわち,こう書いてある」。(使行 15:14,15)従って生来のユダヤ人のクリスチャンと同様,異邦人のクリスチャンも,神のみ名によって呼ばれます。その理由で,イザヤ書 43章10節から12節は,改宗してイエス・キリストの弟子になったユダヤ人と同様,霊的イスラエルに属する異邦人のクリスチャンにも語りかけられています。
17 キリスト教国がその主張する通りのものであるとすれば,その人々は何でなければなりませんか。
17 これはコラーツの言うように,エホバの証者の名の起源を「勝手に解釈したいろいろな聖書の句」に求めることではありません。神の聖霊は弟子ヤコブによって,エホバの証者の存在するいわれを示し,またそれがだれであるかを示しています。キリスト教国がクリスチャンの名にふさわしく行なってきたならば,キリスト教国の中でクリスチャンととなえるすべての人がエホバの証者でなければなりません。そのことに例外はないのです。
前にも後にも造られた神はない
18 キリスト教国の教職者はエホバの証者であるという事をどのように主張しますか。そしてイザヤ書 43章10節をどう解釈していますか。
18 エホバはイエスの旧約の名であり,従ってイエスはエホバであって,我々はエホバの名のかわりにイエスの名を使うに過ぎぬ,ゆえにイエスの証人である我々はエホバの証者であるというキリスト教国の教職者の主張は成り立ちません。教職者はイザヤ書 43章10節を指摘します。それはエホバが「なんぢらはわが証人なり」と言われ,更に「我よりまへにつくられし神なくa我よりのちにもあることなからん」と述べられている聖句です。また「ただ我のみ我は主なり,われのほかに救ひ主あることなし」(欽定訳)と述べた11節もひきあいに出されます。教職者に言わせれば,これはエホバとイエスがひとりの同じ神であることを証明しています。ここで主エホバは「われのほかに救ひ主あることなし」と言われ,新約聖書はイエスを我らの救い主と呼んでいるからです。
19 このような解釈をするキリスト教国の教職者は何を見落していますか。
19 このように論ずる教職者は,オバデヤ書 21節にある後代の預言を忘れています。「こうして救う者はシオンの山に上って,エサウの山を治める。そして王国は主のものとなる」。主エホバのほかにも救い主のあることに注目して下さい。これらの牧師は他の救い主のことを述べた次の聖句を指摘しません。「主がひとりの救助者をイスラエルに賜わったので,イスラエルの人々はスリヤびとの手をのがれた」。(列王下 13:5)「あなたは大いなるあわれみをもって彼らに救う者を与え,敵の手から救わせられました」。(ネヘミヤ 9:27)「これはしるしとなり,あかしとなる……主は救う者をつかわして,彼らを守り助けられる」。(イザヤ 19:20)このようにエホバは救い主となる他の人々をつかわされます。
20 イエスがどのように人類の救い主となったかを説明しなさい。
20 この事実と一致して聖書は次のことを明白にしています。すなわちイエス・キリストは人類を救うためエホバ神に用いられたひとつの器であったということです。使徒行伝 5章30節から32節にある通り,クリスチャンの使徒たちはユダヤ人の議会にむかって次のことを述べました。「わたしたちの先祖の神は,あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ,そして,イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために,このイエスを導き手とし救主として,ご自身の右に上げられたのである。わたしたちはこれらの事の証人である」。使徒パウロも使徒行伝 13章23節に「神は約束にしたがって,このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られた」と述べています。ヨハネ第一の書 4章14節に使徒は書いています,「わたしたちは,父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て,そのあかしをするのである」。イエス・キリストだけが救い主であると論ずる人は,これらすべての聖句に反対して,イエス・キリストの父なる神もまた救い主であることを否定することになります。しかし父なる神は独り子を地におつかわしになり,人間イエス・キリストとなった独り子はあがないの犠牲となって死なれました。このことからわかるように,父なる神は救いの唯一の源です。また父なる神は御子を死からよみがえらせて,ご自身の御子をも救われました。―ヘブル 5:5-8。
21,22 イザヤ書 43章10節を説明するため,牧師は次にどんな論議をしますか。それは何をすることになりますか。
21 しかしこれでも納得しないキリスト教国の教職者は,再びイザヤ書 43章10節を持ち出します。その聖句の中でエホバはご自身の証者にむかって「我よりまへにつくられし神〔El〕なく我よりのちにもあることなからん」と述べられています。イエス・キリストを「大能の神,とこしへのちゝ,平和の君」と呼んでいるイザヤ書 9章6節を次に指摘して教職者は次のように論じます。すなわちエホバの前にも後にも造られた神はないのだから,これはエホバとイエスが同じひとつの神であり,エホバはイエスであることを証明するという論です。また新世界訳聖書のヨハネ伝 1章1節に「はじめに言があった。言は神と共にあった。言はひとりの神であった」とあるのは間違っていると論じます。
22 このように論ずる三位一体の牧師は,イザヤ書 43章10節の文脈を全く無視してエホバのことばを論じており,エホバの預言者のことばを少しも理解していないことを示しています。
23,24 イザヤ書 43章において,エホバはイスラエルに何を告げていますか。10,11節をどのように理解すべきですか。
23 43章1節は,エホバがヤコブの民の創造者であり,イスラエル国民の造り主であることをイザヤの民に告げています。イスラエルの国民がエホバを創造して自分たちの神にしたのではありません。他の国民すなわち異邦の国民は神々を創造し,その像を造りました。しかしイスラエルの国民とその神エホバの場合は異なっています。この重大な事実のゆえにエホバは諸国民の神々に挑戦し,それらの神々が将来を知って将来を告げる真実の神であることを証言する証人を出すようにと挑戦しています。イスラエルの国民は神を表わす像を作ることを許されなくても,自分たちの神が実在する生ける神であることを証明する多くの事実を提出できました。従ってエホバはイスラエル人がご自身の証者であり,その選ばれた僕であると述べられています。それはなぜですか。
24 エホバは次のように説明されています,「さればなんぢら知りて我を信じわが主なるを悟りうべし,我よりまへにつくられし神なく我よりのちにもあることなからん ただ我のみ我はエホバなり,われの外にすくふ者あることなし」。(イザヤ 43:10,11,文語)その選民の神エホバは異邦の民の創造した神々とは異なります。イザヤ書 43章10節において,エホバは「われの前にも後にもわれは神を創造せず」と言われたのではありません。「我よりまへにつくられし神なく」,すなわち他のものによってつくられた神はないと言われました。それでエホバの言葉は,他の者がそれぞれの神を造ることを述べているのです。
25-27 金属,木石の神の本体について,エホバは何と述べられていますか。
25 エホバのこの言葉は,非イスラエルの国民がそれぞれの神々を創造し,金属,木石の像を造ることを述べています。そのことはイザヤ書 43章10節の文脈から明らかです。43章の後の部分は,エホバに罪を犯してバビロンに捕われた民が解放されることを述べ,次の章はエホバの言葉を次のように述べています。
26 「されどわが僕ヤコブよわが撰みたるイスラエルよ今きけ なんぢを創造しなんぢを胎内につくり又なんぢを助くるエホバかくいひたまふ……おそるるなかれ をののくなかれ我いにしへより聞せたるにあらずや告しにあらずや,なんぢらはわが証人なり,我のほか神あらんや,我のほかには磐あらず,われその一つだに知ることなし」。
27 「偶像をつくる者はみな空しく,彼らがしたふところのものは益なし,その証をする者は見ることなく知ることなし かゝるが故に恥をうくべし たれか神をつくり又えきなき偶像を鋳たりしや 視よその伴侶はみなはぢん,その匠工らは人なり……鉄匠は斧をつくるに炭の火をもてこれをやき鎚をもてこれをきたひ つよき腕をもて之をうちかたむ,飢れば力おとろへ水をのまざれば,〔金属の偶像をつくる者は〕つかれはつべし」。かわいて疲れはてる金属細工人が,かわくことなく,疲れることのない神を金属から打ち出すことがどうして出来ますか。
28 木の神を拝む者の愚かさは,どのように述べられていますか。
28 ついでエホバの預言者イザヤは,木の神を作る者に告げています。このような者は像を刻むために上質の木を選びます。「これを神に作りてをがみ偶像につくりてその前にひれふす……之を拝み之に祈りていふ,なんぢはわが神なり我をすくへと」。しかし同じ木の残りは神にはなりません。木彫師はそれを燃やしてあたたまり,パンをやき,肉をあぶります。そして考えることをせず,悟ることをしません。「我その〔木の〕なかばを火にもやしその炭火の上にパンをやき肉をあぶりてくらひ,その木のあまりをもて我いかで憎むべきもの〔偶像〕を作るべけんや」。木彫師が火に燃やすことのできる木から作った像がどうして神と言えますか。―イザヤ 44:1-20,文語。
29,30 ついでエホバはご自身の証者に何をせよと告げていますか。また預言の神であることを更に証明するどんな事を告げていますか。
29 この明白な論理を述べてのち,エホバ神はご自身の選民に語りかけて,次のように言われます。「ヤコブよイスラエルよこれらのことを心にとめよ,汝はわが僕なり我なんぢを造れり〔なんぢ我を造れりではない〕なんぢわが僕なり,イスラエルよ我はなんぢを忘れじ我なんぢのとがを雲のごとくに消し〔て天から見ず〕,なんぢの罪を霧の如くにちらせり,なんぢ我にかへれ我なんぢを贖ひたればなり」― イザヤ 44:21,22,文語。
30 あがなう神エホバは,バビロンを倒して神の民を解放し,故国に戻ってエルサレムと宮を再建させる者の名を次に預言されました。これはそのことの起きる190年以上前のことです。エホバはペルシャの征服者クロスの名を預言されました。歴史によればクロスは紀元前539年にバビロンをくだし,その後イスラエルの捕われ人を解放しました。エホバはその民をあがなわれました。(イザヤ 44:23-28)それはエホバが神であり,真実の預言の神であることを証明する多くの事実のひとつではありませんか。たしかにそうです。
31 (イ)イザヤ書 43章10節の正しい理解を述べなさい。(ロ)しかしご自身の独り子のために何をするとエホバは述べられていますか。
31 そこでイザヤ書 43章10節に話を戻すと,異邦人の国民はエホバより先に存在していませんでした。従って偶像崇拝の諸国民が造った神は,永遠から神であるエホバより先に存在していたのではありません。(詩 90:2)また4300年前のノア時代の洪水後に存在するようになった諸国民が,真実の預言をし得る実在の生ける神を造り出したこともありません。従ってエホバの後にも,エホバのような神はかつて存在したことがないのです。しかしキリスト前8世紀にしるされたイザヤ書 9章6節の預言によって,エホバはご自身のひとり子を「奇妙,また議士,また大能の神,とこしへのちち,平和の君」とするお目的を明らかにされました。(文語)エホバはイザヤの時代すなわちイザヤ書 43章10,11節のことばが述べられた時代に,この預言を成就させませんでした。ではイザヤ書 9章6,7節の預言はいつ成就しましたか。西暦1世紀にエホバはそのひとり子に対してこの事をされました。神のひとり子はイエス・キリストとなりました。
32 従ってエホバ神に関する私たちの結論は何ですか。
32 では主イエス・キリストの父であるエホバのような神がありますか。そのような神はひとつもないことを,私たちは証言できます。真実の預言をし得る全能の神としてエホバは始めであり終りであって,天にも地にもエホバのような神を造り得る被造物はありません。また自分を神にしてエホバにくらべることのできるものもいません。この事は今日に至るまで真実です。イザヤ書 44章6,7節は次のように述べています。「エホバ イスラエルの王イスラエルをあがなふもの万軍のエホバかくいひたまふ,われは始なりわれは終なり,われの外に神あることなし 我いにしへの民をまうけしより以来たれか我の如く後事を示し又つげ又わが前にいひつらねんや,試みに成らんとすること来らんとすることを告げよ」。
33 (イ)神であることについてのエホバの挑戦に答え得た神がありましたか。(ロ)従って私たち各人は何になることを決意すべきですか。
33 今にいたるまで世の諸国家の神々はこの挑戦に答えていません。神であることの証拠を与えて,証人を出すことのできた神はありません。しかしそれとは反対に,挑戦の主エホバは,その神なることを証明する証拠をご自身の代表者たちにお与えになりました。聖書によっても,歴史に記録された事実を見ても,エホバが神であることを証明する証拠は私たちの前にあります。あなたが無神論者でもなく不可知論者でもなくて,キリスト教国の内外を問わず,何かの宗教を実践しているならば,あなたにお尋ねすることがあります。あなたはいずれの神の証者ですか。世界中の他の人々が何と答えても,主イエス・キリストにならう追随者となった私たちは次のように答えます。私たちはエホバのクリスチャン証者です!
[脚注]
a 「つくられし神なく」のかわりに「神よりつくられたるものなし」という読み方のあることが,欽定訳の欄外に示されています。
[345ページの図版]
崇拝する神を作った木の一部で食物を調理する