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初期クリスチャンの,神に対する忠節は試みられたものみの塔 1974 | 5月15日
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今日でも同様に,死に面するまでの忠節を神に対して示したクリスチャンがいます。彼らは,互いを“兄弟”また“姉妹”と呼び,この世の戦争や政治とのかかわりをいっさい避け,互いに対して深い真の愛を示しています。彼らは,偽りの非難を受けているにもかかわらず,熱心に真理を宣明しています。あなたは神に対するこれほどの忠節を示すのに足る信仰を培っておられますか。エホバの証人は,そうした信仰を得たいと真に望んでおられるかたがたを喜んでご援助いたします。
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一世紀当時の収税人はどのようにみなされていたかものみの塔 1974 | 5月15日
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一世紀当時の収税人はどのようにみなされていたか
収税人が一般に人気を博したことはかつて一度もありませんでした。西暦一世紀当時,ガリラヤおよびユダヤの地方に住んでいたユダヤ人の間では特にそうでした。
ユダヤ人はローマ当局による課税に激しい憤りを感じていたため,付加税が課せられるかもしれないと伝えられるだけで反乱が起きるほどでした。使徒 5章37節には,そうした暴動の一例が次のように記録されています。「ガリラヤ人ユダが登録のころに立ち上がり,民を引き込んで自分につかせました」。
この種の登録は,単なる税金の支出以上の種々の大きな問題を引き起こしました。『現在,この土地の主人はだれなのだろう。こうした新たな要求が加えられるたびに,ローマが課しているくびきは重くなるばかりではないか。平和を維持するためにユダヤ人にはある程度の自治が許されてはいるが,ユダヤ人の権利をさらに侵害する行為に対して今は戦うべき時ではないか』と,ガリラヤ人ユダのような人々は考えました。また歴史家ヨセハスによると,彼らは,『ローマ人に屈服して税を払う者は憶病者だ』と言って,抵抗することを同胞に勧めました。
しかし,ユダヤ人が課税に対しで憎しみをいだいていた理由には,外国の国家権力に対する服従を認めることになるという理由以外にもう一つ別の理由がありました。税金の徴収方法やそれに伴って生じた税金の悪用について考えると,その点が明らかになります。
ローマの徴税制度
人頭税と租税はローマ帝国の官吏によって徴収されました。しかし,商人によって一国から持ち出される品物や輸出入品に課税する権限は公売に付され,その種の税を課す権利は最高入札者に与えられました。彼らは税を徴収するさいに,入札時に支払った額以上の利益をその税収入から得ました。収税吏として知られるこうした人々は,自分の領地内のある地方では徴税権を下請人に委ねました。次にそれら下請人は,直接徴税に当たる他の者たちを監督しました。
たとえばザアカイは,エリコおよびその周辺の収税人の頭であったようです。(ルカ 19:1,2)また,イエスに召されて使徒となったマタイは,実際に徴税の仕事を行なっていた人のひとりでした。レビという名でも知られているマタイは,カペルナウムもしくはその近郊に収税所を持っていたようです。―マタイ 10:3。マルコ 2:1,14。
西暦137年の日付の入ったパルミラの税率に関する布告は,当時の税制が悪用された例を示すものとなっています。その序文は,初期の時代(西暦一世紀)には税率が一定していなかったことを述べています。課税額は慣例に従って,多くの場合収税人の気の向くままに定められました。このため,しばしば争いが起きました。
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