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覚えていますかものみの塔 1978 | 11月15日
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の欠如を示しました。エリアブはエホバのみ名が崇められることより,わずかな数の羊の方に関心があったようです。―9月1日号 31ページ。
● アンティオキアのクリスチャンに「心からの決意を抱いてその後も主のうちにとどまるように」と励ましたバルナバは何を意図していたのですか。―使徒 11:23。
彼は仲間の信者が心からその愛全体をもって主イエス・キリストに結びつき続けることを訓戒したのです。これは彼らの人生の唯一の目的となるべきでした。―9月15日号 6ページ。
● イエス・キリストの弟子たちは,いつまたどのように,イザヤ書 61章3節の成就として,「頭飾り」,「歓喜の油」そして「賛美のマント」を初めて与えられましたか。
これは西暦33年のペンテコステの日のことでした。その時,彼らのこうべは神の是認という冠で飾られました。それはまるで慰めの油が彼らのこうべに注がれ,彼らを元気づけて歓喜にまで至らせるもののようでした。彼らはもはや気落ちした霊は持たず,「賛美のマント」を着せられているかのように,エホバへの賛美が彼らを見分けるしるしとなりました。―10月1日号 20ページ。
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読者からの質問ものみの塔 1978 | 11月15日
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読者からの質問
● 第二次世界大戦中にドレスデン,スターリングラード,広島や長崎がひどく破壊されたことを考えると,どうしてイエスは西暦70年にエルサレムに生じた事件を『今に至るまで起きたことがなく,二度と起きないような大患難』と言うことができたのでしょうか。
その預言は,西暦70年にエルサレムとユダヤ人に生じた出来事だけに限らず,その後の時代にも適用するものでした。しかしそのユダヤの都市と国民の歴史にも当てはまるものでした。
この言葉は,イエスの将来の臨在と事物の体制の終結に関する使徒たちの質問に対し,イエスが述べられた預言的な解答の中に含まれています。(マタイ 24:3,21。マルコ 13:19)エホバの証人は,イエスがここで述べた事柄の多くが,二重に成就したことを何度も指摘してきました。つまり最初の限定的な成就は,西暦70年における,ローマによるエルサレムとユダヤ教の事物の体制の崩壊及びそれに至るまでの発展段階において見られました。第二に,そして主だって適用されるのは,イエスがメシア王国の王として目に見えない天の臨在を始められた1914年からで,まだ起こっていない,全世界に広がる邪悪な事物の体制の終わりも含まれます。―「ものみの塔」1970年4月15日号229ページから244ページと「神の千年王国は近づいた」の293ページから332ページをご覧ください。
この預言の中でイエスは,目覚め続け,それに備える必要性を力説してこう語られました。「あなたがたの逃げるのが冬期または安息日にならないように祈っていなさい。その時世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです」― マタイ 24:20,21。
エルサレムとユダヤに居住し,ユダヤ教の事物の体制の終結によって直接に影響を受けようとしていたクリスチャンにとって,目覚めていることは命にかかわる問題でした。ローマの軍隊は西暦66年にその町を包囲したものの,不意に撤退してしまいます。それはイエスがルカ 21章20-22節で語った明確な合図でした。そして歴史の示すところによると,従順なクリスチャンはそれに答え応じてエルサレムの町とユダヤから逃げました。それでイエスが“大患難”に関しその次に述べられた事柄を文字通りのエルサレムの町とユダヤに適用するのは当を得たことでした。
西暦70年,ローマ人によってもたらされた崩壊は,バビロニアが西暦前607年にエルサレムの町を滅ぼした時より広範であると同時に,ひどいものでした。また西暦70年の患難は,ユダヤ人の建てた都市や神殿,またそこを中心として築かれた崇拝の体制を永久的に破壊し,終わりをもたらしました。そういうわけで,西暦70年の出来事を,「世のはじめから今に至るまで[その都市や国家及び事物の体制に]起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」と預言的に描写したイエスは正しかったことになります。
しかしこれにはそれ以上のことが関連しています。わたしたちにも関係があるのです。なぜですか。マタイ 24章21節のイエスの言葉には明らかにより大きな意味があるからです。全地を支配するメシアなる王としてのキリストの目に見えない臨在は,西暦70年に始まったのではありません。イエスご自身,それを期待さえすべきでないと説明されました。弟子たちは一時期,「神の王国がいまやたちどころに出現するものと想像して」いました
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