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『わたしは血肉に助言を求めなかった』ものみの塔 1976 | 7月15日
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は,日が暮れるまでには部屋が見付かるものと確信して任命地に向かいました。ところが部屋を見付けることができず,鉄道の駅に引き返して行きました。するとそのとき,突然一人の婦人がやって来ました。そして,部屋を捜しているのはわたしたちではないかと尋ねました。まさに打ってつけの部屋があったのです。ここでもまた,わたしたちは何も無いところから業を始めました。
年月がたつにつれて聖書研究を始めることができるようになりましたが,それにはたゆまぬ努力が求められました。というのは,わが家の台所が集会を開くのに手狭になるまでに,八年間の熱心な働きが必要だったからです。とにかく,基礎は据えられ,会衆は成長してゆきました。ですから1967年に,わたしたちは別の区域に割り当てられました。それは,リエージュからそれ程遠くないアイワールとその近郊です。
わたしたちは,事実上何もないところから会衆を築き上げるのを助けるという特権に再びあずかりました。やがて会衆は大きくなり,1972年には手ごろな会館を建てられるまでになりました。
1971年の初頭,妻の健康状態が急に思わしくなくなりました。妻は,容赦なくガンに冒されていったのです。妻は25年にわたってわたしの忠実なパートナーとなり,ルュクサンブールに神の真理の光を輝かせるため,共に苦難を忍び,犠牲を払ってきました。
数多くの難儀を経験しながら,神の是認を意識していた使徒パウロ同様,わたしも長年にわたって全時間奉仕に携われたことをうれしく思っています。わたしは,自分の生命力すべてをもってエホバに仕えるという決定を下す前に,血肉と協議しなかったことを少しも後悔していません。もう一度すべてをやり直さねばならないとすれば,1936年当時行なったと全く同様,自転車に乗って神のみ言葉を宣べ伝えるために出掛けて行くことでしょう。エホバは,必要な物すべてを,惜しみなく備えてくださいました。わたしは,エホバが与えてくださる仕事をこれからも忠実に果たしてゆきたいと思っています。
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読者からの質問ものみの塔 1976 | 7月15日
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読者からの質問
● 使徒ペテロに関する記述の中で,「それは彼のみ使いだろう」と述べられている,使徒 12章15節の言葉は何を意味していますか。
それが何を意味しているかをその記述は説明していないので,はっきりしたことは言えません。しかし,この言葉を語った人は,ある人たちが「守護天使」と呼ぶ,使徒ペテロを表わす聖なるみ使いのことを念頭に置いていたのかもしれません。
ヘロデ・アグリッパ一世はペテロを捕縛して,投獄しました。同使徒は,獄の中で『二本の鎖でつながれてふたりの兵士の間[におり]……戸口の前には番兵たち』がいました。晩になってエホバのみ使いの手で解放されたペテロは,ヨハネ・マルコの母であるマリアの家に行きました。―使徒 12:3-12。
「彼が門口の戸をたたくと,ロダという名の下女が応対に出て来たが,それがペテロの声だとわかると,喜びのあまり門を開けずに中に駆け込み,ペテロが門口に建っていると知らせた。彼らは,『あなたは気が狂っているのだ』と言った。しかし彼女は,確かにそうだと強く言い張るのであった。みんなは,『それは彼のみ使いだろう』と言いだした」― 使徒 12:13-15。
クリスチャンであったと思われるロダは,ペテロをよく知っていました。興奮したロダの驚くべき報告から,弟子たちはどんな結論を引き出し得たでしょうか。
弟子たちがここで使ったギリシャ語アゲロスは字義的には,「使者」を意味します。この語は人間の使者を指すのに使われる場合もありますが,聖書の中で,天からの霊者としての使者,つまりみ使いを指すのに用いられているのもこの語です。(ヤコブ 2:25。ガラテア 1:8)この語が二通りに適用され得ることから,弟子たちの言葉は,ペテロが獄の中から伝言を託して遣わした人間の使者が門口に立っていることを意味していたのだ,とみなしてきた注釈者もいます。しかし,そうであるとは思えません。というのは,それほど見張りが厳重であったなら,ペテロはどのようにして使者を遣わすことができたのでしょうか。また,そうした見解は,ロダがその声をペテロのものと認めた理由を説明してもいません。
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