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古代キプロスを見る目ざめよ! 1979 | 5月22日
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です。これら初期の宣教者たちの努力は,キプロスにおいて良い実を産み出したでしょうか。では,この点に関する聖書の記述を考慮してみましょう。
「[パウロとバルナバは]キプロスに向けて出帆した。そしてサラミスに着くと,彼らはユダヤ人の諸会堂で神のことばを広めはじめた。彼らは付き添いとしてヨハネも連れていた。
「島じゅうをまわってパフォスまで来た時,彼らはある男に出会ったが,それは呪術師で,偽預言者であり,その名をバルイエスというユダヤ人であった。彼は執政官代理のセルギオ・パウロといっしょにいた。これはそう明な人であった。この人はバルナバとサウロを自分のところに呼び,神のことばを聞くことをせつに求めた。しかし,呪術者(事実,彼の名[バルイエス]はそのように訳される)エルマは彼らに反対しはじめ,執政官代理を信仰からそらせようとした。サウロ,つまりパウロであるが,聖霊に満たされ,彼をじっと見て,こう言った。『ああ,あらゆる詐欺とあらゆる悪事に満ちた者,悪魔の子,すべて義にかなったことの敵よ,エホバの正しい道をゆがめてやめないのか。では,見なさい,エホバの手があなたの上にある。あなたは盲目になり,しばらくは日の光を見ないであろう』。たちまち,濃いかすみとやみがその上にくだり,彼は手を取って導いてくれる者を探しまわるのであった。この時,執政官代理は起きた事がらを見て信者となった。エホバの教えにすっかり驚いたからである」― 使徒 13:4-12。
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礼儀正しさは報われる目ざめよ! 1979 | 5月22日
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礼儀正しさは報われる
礼儀正しさや良い作法が廃れてゆく世界にあって,いまだに他の人々に喜ばれることを信条としている人に出会うのは気持ちのよいものです。ブラジルのリオデジャネイロ州サンゴンサロのあるバスの運転手もそのような人の一人です。この人は,自分のしていることについて次のように語っています。
「私はバスの運転手ですから,おとなしい人や礼儀正しい人から荒々しい人やおこりっぽい人まで,あらゆる種類の人に会います。同僚の多くがとげとげしくなって,やり返すのも無理のないことです。しかし,私はクリスチャンにふさわしい礼儀正しさを実践することにしました。
「乗客を元気付けるのに一役買うのはどうでしょうか。親切にするのにお金はかかりません。ですから,ある停留所で降ろしてほしいと言われると,私はその人を呼んであげ,私のバスに乗ってくれたことに感謝し,その日が良い日でありますようにと言葉を掛けます。それに応じて返って来るほほえみや感謝の言葉は気持ちのよい報いです。
「“陽気なバスの運転手”についてのうわさが広まり,バス管理局は私の行状をほめる様々な手紙を受け取りました。例えば,全国陸運労働者連盟の会長は次のような手紙を寄せました。『すべての[運転手の]うち一人が私の注意を引いた。彼は,その運転,および乗客や歩行者の扱いの両面,さらに交通法規の遵守の面での行状のゆえに,特筆するに値する。それは,我々の住んでいる多難な時代,また規律の乱用と欠如が仕事のあらゆる分野で目立っている時代を考えに入れると,感銘を与えるものである。……人間としてまたプロとして,あらゆる点で優れた運転手であり,最大級の注意と考慮にふさわしい人物として推薦するために,私はこの運転手の名前を探り出した』。
「定年になったとき,私は休暇を取ることにしました。しかし,バス路線のオーナーは私に戻って来て,仕事を続けて欲しいと頼みました。私がいなくなったことで,乗客が文句を言っていたからです。
「最近,地元の新聞のインタビューを受け,私の際立った行状の原因を知りたい,と言われました。その結果として出た記事には,『エホバの証人の宗教団体の会員』と書かれていました。その見出しは次のようなものでした。『行状。停留所ごとに運転手のあいさつ ― 礼儀正しさを決して失わない運転手』。医師や技師や歯科医などと並んで,市の年間名誉賞状を受けたときは,本当にびっくりしました。私に親しみ深さの価値を高く評価するよう教えてくれた,自分の受けたクリスチャンの訓練に感謝しています。礼儀正しさは報われるとしか言いようがありません」。
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