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見いだせる間に神を尋ね求めなさいものみの塔 1973 | 10月15日
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「そして[神は],ひとりの人からすべての国の人を作って地の全面に住まわせ,また,定められた時と人びとの居住のための一定の限界とをお定めになりました。人びとが神を求めるためであり,それは,彼らが神を模索してほんとうに見いだすならばのことですが,実際のところ神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません」。(使行 17:24-27,新)科学も聖書も,全人間家族の起源が初めのひとりの人にたどりうることを証言しています。そして,その初めの人間は,命と息を,創造者なる神から受けました。ついで興味深い点が指摘されています。つまり,人間の居住の限界は「地の全面」です。もとよりこれは,天空にその限界を伸ばせるとする野望的な態度と相いれません。人間は大気圏を旅行し,月の探査をさえ行なうかもしれません。しかし,人間はそのどちらの場所にも恒久的に住むことはできません。人間は,神の定めた境界内に居住することに甘んじなければならないのです。
7 神が何かの定め,あるいは他の類似のものを発する場合,そこには常に何が含まれていますか。
7 ついでパウロは,神が「定められた時と人びとの居住のための一定の限界[字義的には,『範囲を定めること』]とをお定めに」なったこと,それが,「人びとが神を求めるため」であったことを述べていますが,パウロは何を頭に描いていたのでしょうか。「定める」ということばに注目してください。主権者である神が,なんらかの定め,もしくは布告,律法,命令等を発する場合,それによって,神権的な境界,固定した限界,もしくは物事の境界線が直ちに確立されます。これはどんな場合でもあてはまります。この種のものが発せられると,一定の要求および義務が課せられることになり,それを守ることが求められるからです。従順であるためには,それによって定められた範囲の中にとどまらねばなりません。それに不従順であれば,そうした範囲もしくは限界を踏み越え,またはそれを犯し,自分に定められたわくから出たり,他の者の権利を侵害したりする結果になります。聖書に照らしてこの点をさらに調べることは神を尋ね求めるうえで助けになりますが,わたしたちはまず,「定められた時」と「人びとの居住のための一定の限界」ということについて調べましょう。
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見いだせる間に神を尋ね求めなさいものみの塔 1973 | 10月15日
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10 (イ)神が「定められた時」と「一定の限界」を設けられたことにはどんな目的がありましたか。(ロ)これに基づいて,さらにどんな論議と警告がなされていますか。
10 わたしたちは今,「定められた時」とか「人びとの居住のための一定の限界」に関してパウロが頭に描いていた事がらをいっそうよく理解できます。神はどのような目的でそれらのものを定めたのですか。人はしばしば,自分の知らない人や望まない人々が入って来ないようにするために高いへいなどの境界を設けます。しかし,この,神の場合には,これと対照的な喜ばしいものが含まれています。パウロは,人が「神を求め……ほんとうに見いだす」ための道標もしくは指標とすることがその目的であると述べています。「実際のところ神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけでは」ないのです。以上のことは,人間が命と運動を神に依存しているということによっても裏書きされています。「あなたがたの詩人のある者たちも,『そはわれらはまたその子孫なり』と言っている」とパウロは語りました。ついでパウロは,無知による崇拝の方式である偶像礼拝に惑わされることのないようにとの警告を与えています。「したがって,わたしたちは神の子孫なのですから,神たる者を……人間の技巧や考案によって彫刻されたもののごとくに思うべきではありません」。これを聴くわたしたちは,この点で何が求められているかを知りたいと思います。直ちにわたしたちはこう告げられます。「神はそうした無知の時代を見過ごしてこられはしましたが,今では,どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを人類に告げておられます」― 使行 17:27-30,新。
11 パウロの論議の中で最高潮をなすものはなんでしたか。それにはどのような神権的な境界が含まれていましたか。
11 使徒パウロは,許された範囲の中で手早く自分の論議の最高潮に至ります。短い話の中で,パウロは創造の初めに帰り,神が今人に求めておられることを告げ,将来のことに言及してそのことの理由をも示します。悔い改めが求められているのはなぜですか。「なぜなら,[神は]ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁くために日を定め,彼を死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えになったから」です。(使行 17:31,新)定められた「日」,任命された「人」など,神権的な境界に気づきますか。その人は,義の裁きを下し,誠実な態度で神を尋ね求める者に恵みを注ぐことが,神によって保証されています。ここに定められている時間的な範囲は,さきに使徒行伝 17章26節の中で取り上げられた「人びとの居住のための一定の限界」より重大な事がらに関するものです。好意的な裁きを願う今日のわたしたちは,神に対する従順と不従順,また,正しいこととまちがったこととの間の明確な分界線を見定めねばなりません。この線を自分で引いてはなりません。これから先に見る点ですが,このことには一般に認められている以上の注意が求められるのであり,そこには思いだけでなく心も関係しています。
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