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非合法に戦うことなく,また世界的伝道をも止めずものみの塔 1955 | 3月1日
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7,新世)転向する者たちについて,黙示をうけた人は次のように言つています。『臆病者たちと信仰無き者たちについては,……その報いは,火と硫黄の燃える池である。これは第二の死を意味する。』(黙示 21:8,新世)ヱホバ神に感謝いたしましよう。以前に忠実であつた人々と,またいま私たちの中にいる忠実な人々は,臆病者ではなく,全世界に亘る伝道の自由のために戦う戦場を逃げてはいません。
21,22 (イ)伝道の自由のために,私たちが戦い,くるしみをうけるのをゆるすヱホバの主要な目的は何ですか?(ロ)エゼキエルの予言と一致して,さらにどんな目的を果しますか?
21 ヱホバは非常に良い目的のために,私たちがくるしみをうけ,又全世界にわたる伝道の自由のために戦うのを許されているということは明白です。主要な目的は,彼の大いにして聖なる御名と,ヱホバの言葉を立証することです。別の目的は,正しい種類の人々,つまり従順にして勇気ある人々を選ぶことです。ヱホバはこれらの人々でもつて地の人口を増し,新しい世で生活させたく欲しています。(マタイ 5:5,10。黙示 2:10)ヱホバは,その世の生活にふさわしくない者たちを亡しさります。
22 さらに,自由のための私たちの戦いの別の目的は,敵をハルマゲドンに導くことです。ヱホバはそれで,御自分の証者である私たちを用いており,私たちの全世界に亘る伝道の自由のための戦により,エゼキエル書にゴグと名づけられている悪魔の餌としています。予言のその本の中で,ゴグは導きだされて私たちヱホバの民を攻撃すると指摘されています。悪魔であるゴグは,見えると見えざるとを問わず,その勢力を用いてヱホバの証者に対し,地のあらゆるところから襲いますが,ヱホバはその予言の中でどのようにゴグがそうするかを示しています。ヱホバは,悪魔であるゴグをひきまわし,その顎に鉤をかけると述べ,ゴグの見える勢力,見えない勢力は,『イスラエルの山』,つまりヱホバの制度の上に襲いかかると示しています。(エゼキエル 39:1,2; 38:4)そのとき,サタンとその全制度,ならびに悪魔を支持しているすべての民は亡ぼされます。その死体は投げだされ,貪欲な鳥や,野獣は,それらの死体を食べるでしよう。(エゼキエル 39:4-7)ヱホバは終りにこう宣言されています。『われわが聖き名をわが民イスラエルの中に知しめ,重ねてわが聖き名を汚さしめじ。国々の民すなわち我がヱホバにしてイスラエルにありて聖き者なることを知るにいたらん。』(エゼキエル 39:7)戦いから身を退くことのないようにしましよう。あなた方が『全世界に亘る伝道の自由のための戦い』を行い続けて行くとき,ヱホバがつねに祝福されますように。『ヱホバを讃めまつれ。ヱホバを畏れる者はさいわいなり。……ヱホバをほめまつれ。』― 詩 112:1; 113:1。
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進んで仕えるヱホバの奴隷ものみの塔 1955 | 3月1日
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進んで仕えるヱホバの奴隷
あなたは誰の奴隷ですか?『誰のでもない。私は自由』と自信たつぷりにあなたは答えるかもしれません。でも,自由でいることはできないものです。この苦しみの時代では,あなたは二人の主人のうちの,どちらか一人に仕えるものです。つまり,ヱホバ神にか,または悪魔サタンに仕えるのです。使徒パウロは,次のように言いました。『あなた方は知らないのか? だれかに奴隷として身を捧げて,服従するならば,あなた方は,その服従の故に,その者の奴隷であり,死という罪の奴隷ともなり,または義という従順の奴隷ともなるのである。』(ロマ 6:16,新世)人間は,誰の奴隷になるかを選ぶことができます。それで,どちらの方が良い主人であろうか,という質問が生じます。サタンは,ある任意の独立,自墜落な道徳,放蕩な生活を許しますが,しかしサタンは悪い暴君であつて,サタンに仕えるならば,悲しみ,苦しみ,病気,そして死に至るものです。これとは別に,ヱホバ神は忠実,従順,正しい生活を要求されます。しかし,ヱホバ神は悪からあなた方を解放し,罪をゆるし,そして教え切れない程多くの祝福と永遠の生命にいたる道を指し示されます。
昨年の夏に,全世界にわたつて,開催されたヱホバの証者の地方,国家大会で,幾千人という人は水の洗礼によりヱホバ神にその献身を象徴しました。それらの人たちには,この二人の主人のどちらを選ぶかは,難しいことでなかつたのです。ヱホバ神が,その僕たちにいまであつても,賜わる祝福と比較するときに,古い世の与えるものは,全く浅いものであるとこれらの人々は見ました。それで彼らはイエスに従つて,サタンの束縛から離れ,正義の主人ヱホバ神に奉仕するためにその生命を献身し,そして,ヱホバ神の従順な奴隷になりました。
献身とは,キリスト・イエスを通して,ヱホバ神の御意をなそうと,厳粛な同意により,まつたく無条件に自らを捧げる行です。その御意は,聖書の中に述べられており,神の聖霊によつて明日にされるものです。ヱホバ神は,その献身のされる時から,その献身を知つておられます。しかし,人は洗礼をうけてから,その献身は公やけに認められ,その日から後には,その人は真のクリスチャンのように生活し,行動するものと期待されるのです。
イエスは模範を示す
イエスは同じ走路<コース>をとりました。30才になつて,レビ人の宮奉仕についての神の律法によつて,成人の年令になつたとき,彼はその決定に直面しました。生涯
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