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あなたの運命は天に行くことですかものみの塔 1961 | 6月15日
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に」造られたのです。―詩 104:5。イザヤ 45:18,新口。
この地球は永遠に存続するだけではありません。神は地球にとって光栄あることがらを預言されました。だからこそイエスは私たちに,「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」祈れと言われたのです。(マタイ 6:9,10,新口)その時,「彼らは…どこにおいても,そこなうことなく,やぶることが」ありません。「それは,水が海をおおっているように,エホバを知る知識が地に満ちるから」です。神は徐々に,「人の目から涙を全くぬぐいとって」下さいます。「もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みも」ありません。―イザヤ 11:9,新世。黙示 21:4,新口。
こうなる以外にはありません。なぜなら,これが,地球と人間に対する神の最初の御目的であったからです。神は,私たちの最初の両親に,生めよ,ふえよ地に満てよ。これを従わせよ。すなわち地をエデンの園のようにしなさい。そして下等動物を支配しなさいと言われませんでしたか。アダムがこの御命令を正しく遂行しなかったからといって,地球に関する神の御目的が失敗に終わったわけではありません。「わが口から出る言葉も,むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし,わたしが命じ送った事を果す」。神にしてみれば,ある者が失敗すれば,他の者たちを用いて,御自分の目的を完成するだけのことです。―創世 1:28。イザヤ 55:11,新口。
大多数の人々が天に行くことを望んでいるのは,地上での運命を聞いたことがないためと,人間には不滅の魂があって,死ぬとその魂は,天か,火の燃える地獄か,どちらかに行くと誤り教えられているからです。しかしながら,聖書が明確に示すところによると,人間は魂であって,死ぬと,復活するまで死んだままです。―創世 2:7。伝道ノ書 9:5。ヨハネ 5:28,29。
ある人々が天に行く資格をもつのは,彼らが特定の段階をふみ,神が彼らのために特定の処置を取られることだけによるのです。彼らは,知識を取り入れ,信仰を働かせ,献身して洗礼を受け,それ以後は,「ますます励んで…受けた召しと選びとを」確かなものにし,死ぬまで忠実に献身をまっとおしなければなりません。神としては,個人的に彼らを選び,義なるものと宣言し,霊的子として生み出し,キリストの体の成員として霊でもって油をそそがれます。―ペテロ後 1:10,新口。
神がそのように扱っておられる人々は,神の御言葉の研究と,神の彼らに対する扱いと,彼ら自身のとる道とに基づいた,動くことのない確信をもっています。彼らは使徒パウロと同じように,「御霊みずから,わたしたちの霊と共に,わたしたちが神の子であることをあかしして下さる」ということができます。そして,忠実を維持するなら,「ともに栄光をうける」でしょう。―ロマ 8:16,17。
しかし,もし私たちが,こうした段階もふまず,神がそのように扱っておられる証拠もなく,特に,心から天的報いを望んでいないなら,輝かしいパラダイスの地に住める人々 ― その価値を証明すれば ― の部類にはいっているのです。天に行くことを望むのは何も悪いことではありませんが,そういう希望の土台になるものがないのにそれを望むということは愚かなことです。神の祝福はすべて過分のものです。私たちは愛と知恵に従って,その運命がどちらであろうと,感謝をもって受け入れます。
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老人の熱心ものみの塔 1961 | 6月15日
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老人の熱心
レバノンにて
神の霊の結ぶ顕著な実の一つは「従順」です。そのため,開拓に関する一連の手紙が協会から来た時,多くの人々が休暇開拓の仕事につきました。アルメニア人のかなり年配のある兄弟は,真理にはいってまだ日は浅いでしたが,伝道者として1ヵ月に100時間近く伝道していました。忠実な開拓者たちの群れに加わるようにすすめられた時,その人はさっそくそれに同意し,それ以後すばらしい仕事をしています。彼は,「たった」71歳です。しかし彼の新しい世のまぼろしはおどろくほどあざやかです。―1961年のエホバの証者の年鑑より
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