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独立をめざすバハマ諸島目ざめよ! 1973 | 7月22日
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的自治の見込みに魅力を感じるようになりました。
政府内の多数党である進歩自由党は,もはや独立の問題を避けることはないと見ました。バハマ諸島を,文化的にも,経済的にも,政治的にも,真にバハマ人のものにすることが,彼らの望みとなり目的となりました。この目的追求は熱烈で,1972年の初めには独立ゼミナールが発足し,目標の日付も定められました。独立 ― 1973年7月。一般民衆もこの問題に関心を持つようになり,全部が全部同じように独立を望んでいるわけではないので,議論も盛んに戦わされました。
しかし,世論を最もよく示すのは選挙です。有権者はバハマ諸島の独立を求める進歩自由党を支持するでしょうか。野党のFNMは,大衆は独立を急いでいないという確信を持っていました。そして,経済的に,政治的に,社会的に全部用意がととのうまで変革は延期するのが最善だと信じていました。
問題はまもなく落着しました。総選挙は1973年4月までありませんでしたが,下院は7か月早く,8月10日に解散し,9月19日が投票日に定められました。
その結果
選挙熱は高まりました。いくつかの発砲事件や,方々で放火があり,破壊活動が盛んに行なわれました。両政治陣営とも,偏狭,狭量,露骨な暴行の的になりました。やじりたおす者たちが多数いて,双方の集会は妨害されました。それは特定の地域でだれに人気があるかによって左右されました。投票日の前夜は,騒ぎを予想して緊張した状態が見られました。もしだれかが結果に失望したなら,暴動が発生するでしょうか。
不思議なことに予想されていた騒ぎは起きませんでした。進歩自由党は信任投票を受け,そのメンバーの大多数は権力の座に復帰しました。問題は落着しました。多数派の意志と希望を成し遂げるための機関は活動を開始することになりました。1972年12月20日,イギリスは1973年の7月に独立を許可することを承諾しました。
しかし,独立が成し遂げられた時,人びとはどの程度益を得るでしょうか。それは一部人びとと彼らの指導者たちにかかっています。彼らもやはり,これまでこれらの島の諸問題を扱ってきた人びとと同じく単なる人間であり不完全です。支配権が移り変わっても,誇りや利己主義が根こそぎ抜き去られるわけではありません。それができる政府はひとつしかありません。それは神のことば聖書に預言されていた政府,神の王国です。エホバの証人はこの神の王国を人類の唯一の希望として宣べ伝えています。この義の政府は,どんな人間の政府にもできない方法で人類に自由をもたらします。というのは,その政府は人類を病気と,罪と,そして死からさえも解放するからです。―マタイ 6:9,10。黙示 21:4。
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「神の名において」目ざめよ! 1973 | 7月22日
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「神の名において」
● F・P・クロージャー准将は自著「わたしが殺した人びと」の中で,第一次大戦のさい自分の経験を述べ次のように書いている。「神の名において妙なことが行なわれており,神は奇妙な方法で利用されている。軍隊は神を守護者および霊感の源とする。それゆえに,自己流の『大義』を唱える側には選ばれた人気のある神がいて,すべての戦闘は,正義の戦い,義のための戦争となる」。僧職者については,同准将は次のように述べている。「戦争がぼっ発すると,説教壇は直ちに最も陰険な徴兵壇と化す。そして,この種の軍事的な宗教儀式は両陣営で行なわれる」。―176,179ページ。
しかし,ノートルダム大学神学部のウィリアム・ストーリー博士は,1969年8月9日付アベマリア紙上で初期クリスチャンについて次のように述べた。「コンスタンチヌス以前の教会[西暦325年以前]は人間の闘争に関して,確固とした非暴力の立場を取っていた」。それゆえ,ごく初期のクリスチャンは戦争に参加することなく,平和に暮らしていた。―ロマ 12:18。
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