神の全時間のしもべ
1 (イ)エホバの証人のうちどれだけの人が全時間奉仕者ですか。(ロ)イエスが示されたとおり,真のクリスチャンに対する神のみこころは何ですか。初期クリスチャンはそれにどう応じましたか。
バプテスマを受けたクリスチャンであるエホバの証人はすべて全時間奉仕者です。彼らはみこころを行なうため自分の命を神にささげています。そして,聖書を学んでいるので,そのみこころが何であるかを知っています。イエス・キリストはエホバの証人のおさたる者として,彼らに手本を示されました。(黙示 3:14)イエスは神の国の福音を伝道する者となり,どこに住む人にも福音を伝えました。(マルコ 1:14,15。ルカ 8:1; 4:15,16; 5:27)また弟子を訓練し,その仕事に加わらせました。弟子と別れるにあたり,イエスは「地のはてまで」ご自分の証人となるよう命じられました。(使行 1:8)弟子たちは,選ばれた少数の者だけがその仕事をし,他の者はただ見ているべきだとは考えませんでした。キリスト教を冷笑した世俗の歴史家さえ,初期クリスチャンが,「労働者,くつ屋,農夫」として自活するかたわら,福音を熱心に伝道したことを示しています。a 「文明の歴史」という本(C・ブリントン,J・クリストファー,R・ウォルフ共著)はこう書いています。「クリスチャンは自らの救いの見込みだけで決して満足しなかった。彼らは神のみこころをただ受動的に受け入れたのではない。クリスチャンは初めから熱心な宣教者であり,他の人を改宗させ,救おうとしていた」。
2 その精神が今でも生きていることを示すどんな証拠がありますか。
2 この精神は衰えておらず,現代の,エホバのクリスチャン証人の間に今でも生きています。彼らは,今の時代に対するイエスの預言的な宣言,つまり「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」ということばに注意を払っています。(マタイ 24:14)エホバの証人はイエスの予告されたこの仕事のため,世界の200近くの土地で,月々1400万時間もささげています。そして,こうした伝道に加え,会衆の集会にも定期的に出席しています。
3 バプテスマを受けたエホバの証人はすべて全時間奉仕者であるとどうして言えますか。
3 「福音」の伝道と集会の出席のほか,自宅でする個人的な勉強や読書があるにしても それでもってエホバの証人の一日が終わるわけではありません。それでは,エホバの証人がすべて全時間奉仕者であるとはどうしていえますか。それは,宣教奉仕がその生活の全面を支配しているからです。労働者,農夫,事務職員などのいずれであっても,彼らはまず第一に神の奉仕者です。彼らは奉仕者として自分が信じ,教える事柄に応じて仕事を選びます。そして,そのことのゆえに彼らは良心的に働きます。(コロサイ 3:22,23)従事する世俗の職業が変わっても,宣教奉仕をやめることはありません。何をする場合でも,彼らは自分が神の奉仕者であることを忘れません。子供のしつけ,市場での買い物,学校での勉強,あるいはくつろぐ時や食事の時など,すべては神の奉仕者であるとの自覚をもってなされます。「飲むにも食べるにも,また何事をするにも,すべて神の栄光のためにすべきである」。(コリント第一 10:31)彼らはことばだけでなく,行ないにおいても『光を輝かす』ことに努めます。それを見て,ほかの人も神をあがめるようになるためです。(マタイ 5:14-16。ペテロ第一 2:12。コリント第二 6:3,4)それで,エホバの証人は全時間奉仕者であり,毎日,そして1日24時間,神の奉仕者です。あなたは自分をそのように,つまり神の全時間奉仕者として考えていますか。
4 (イ)清い崇拝を押し進める面で,わたしたちすべては同じことを,同じ程度にできますか。(ロ)奉仕におけるどんな動機が神のみこころにかないますか。
4 もとより,清い崇拝を押し進める面で,他の人より多くの事をできる立場にある人もいます。すべての人に監督の資格があるわけでなく,またすべてが講演者としてすぐれているわけではありません。しかし,自分のできることを誠実に果たすなら,だれでも会衆の霊的な繁栄に大きく貢献できます。(ローマ 12:6-8)同じように,すべての者が野外宣教に同じ量の時間をささげられるわけではありませんが,惜しむ心からではなく,しいられてでもなく,また人を喜ばすためでもなく,やさしい天の父に対する深い感謝のゆえに,神の御名をおおやけにたたえるなら,それは神のみこころにかないます。―コリント第二 9:7。ヘブル 13:20,21。
開拓奉仕はあなたのもの?
5 (イ)どんなことを基準にして神のみこころにかなっているかどうかを判断しがちですか。なぜ?(ロ)どれだけの時間を野外宣教にささげるかを決めるにあたり,どんなことを考慮に入れるべきですか。
5 クリスチャン奉仕者の生活で特に目だつのは御国の福音の伝道であり,会衆への報告を目的としてその記録をつけるため,野外宣教にささげる時間の量だけで,自分が神のみこころにかなっているかどうかを判断しがちです。この仕事の大切さを意識するのは良いことであり,わたしたちすべてはそうすべきです。わたしたちは時を「生かして用い」,他の事に使う時間をこの重要な仕事にふり向けるべきです。使徒パウロはエペソの会衆に書き送りました。「あなたがたの歩きかたによく注意して,賢くない者のようにではなく,賢い者のように歩き,今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである」。しかしどんな時間をふり向けるのですか。伝道のため,聖書の勉強や集会の出席を減らし,自分の霊の思いを犠牲にしますか。父親は自分の家族をかえりみませんか。母親はより多く伝道するため,夫や子供をなおざりにしてよいですか。いいえ,そのようにするのではありません。これら必要な事柄をより計画的に行なって野外宣教の時間を生み出せるかもしれませんが,ここにあげた他の責任もクリスチャン奉仕者の生活の一部であることを忘れてはなりません。パウロは続けて述べました。「だから,愚かな者にならないで,〔エホバ〕の御旨がなんであるかを悟りなさい」。(エペソ 5:15-17,〔新世訳〕)ついでパウロは,自分の家族を身体的,情緒的,また霊的な面で正しく顧みることが『エホバの御旨』に含まれることを示しています。(エペソ 5:21-6:4)それで,野外宣教において自分の行なえる分を確かめるにあたっては,クリスチャンとしての自分の全生活を考え,霊的な面で真に家族全員の最大の益になり,それによって神に最大の栄光をもたらす道を選ばねばなりません。
6 (イ)世俗の学校を終えた若者の多くにとって,開拓奉仕にはいることはなぜ正しい決定ですか。(ロ)ある若い兄弟は最近,大学奨学金の申し出にどう応じましたか。なぜ?
6 自分の状態を検討し,神に対する自分の献身に真に一致した道は,「福音」の伝道に毎月100時間をささげる開拓奉仕者となって,宣教に全時間をあてることだと悟る人もいます。かれらは学校を終えた若い人であり,健康で,家族の義務その他,優先する責任がありません。(伝道 12:1,13)彼らは商業界で身を立てることを求めません。神のことばから見てやがて『廃業』することが明らかな制度と運命を共にすることを望まないからです。これらの人はこの世の「魅力的なさそい」にどう応じますか。ほんのしばらく前,高等学校の最終学年にあったある若い兄弟は,大学の全学費をまかなうほどの奨学金を提供されました。しかし彼は,たとえこの世で成功しても,それが長く続かないことを知っていました。彼は聖書の助言を思い出しました。「世と世にあるものとを,愛してはいけない……世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」。(ヨハネ第一 2:15-17)エホバに対する愛と,エホバの約束のことばに対する信仰に動かされた彼は,開拓者になりました。
7 (イ)アメリカ西海岸の一兄弟が自分の家を売って開拓奉仕にはいったのはなぜですか。(ロ)以来,その夫婦はどんな祝福を受けましたか。
7 アメリカ西海岸の既婚の一兄弟は自分の家の支払いに追われていました。そのため全時間の世俗の仕事につくことが必要でしたが,いくらかの時間を野外宣教にもあてていました。しかし自分に正直であった彼は,自分がエホバへの奉仕より世俗の仕事や家のことに心を奪われているのに気づきました。彼はエホバを喜ばすため,自分の霊の思いを強くすべきことを知っていました。(マタイ 19:21; 5:3)慎重に考えた彼は,自分の家を売り,妻と共に開拓者になりました。ふたりはかつてなかったほど奉仕を楽しむようになりました。やがてふたりは必要の大きな所で奉仕する特別開拓者になり,ついでものみの塔ギレアデ聖書学校に招かれて宣教訓練を受け,今ではコロンビアで奉仕しています。伝道の仕事に,より多く参加しようとした信仰のゆえに,エホバはふたりを豊かに祝福されました。
8 (イ)母親が子供の世話を果たしながら開拓奉仕をできるかどうかについて,どんな要素が問題になりますか。(ロ)開拓奉仕をした二人の母親の場合に,家族にはどんな影響がありましたか。
8 開拓奉仕者の中には子供を持つ人もいます。子供の世話をきちんと果たし,同時に全時間開拓奉仕の責任を受け入れることのむずかしい場合もあります。物事の整理の仕方,健康状態,子供の年齢や性質など,ここにはいろいろな要素がかかっています。しかし,夫と共に自分の事情を検討したある母親は,たとえしばらくでも,開拓者になることが家族全体の霊的な益になると考えました。そして実際にそうなったことを報告しています。学齢まえの男の子は母親について奉仕に行き,それを大変たのしみました。7歳の男の子は,いつになったら自分も開拓者になれるかと尋ねるようになりました。開拓奉仕をしている別の母親は述べました。「開拓奉仕によってほかの責任をまぬがれるわけではありませんので,わたしはより良心的な妻また母親となり,家事をよりよく果たすようになりました。宣教の面で実を結ぶには,いつも厚くエホバによりたのまねばなりません。これも開拓奉仕で学んだことです」。母親が開拓奉仕をしたことは家族に大きな祝福となりました。あなたの場合にもそうなりますか。
9 一人で子供4人を育てた母親は,その責任をどう果たしましたか。また開拓奉仕に対する見方をどう示しましたか。
9 オハイオ州のある証人の場合は事情が違っていました。彼女の願いは開拓奉仕であり,それは良い願いでした。しかし,彼女はエホバの証人になる2年前に夫をなくし,残された4人の子供を養うべき立場にありました。彼女はその責任を避けず,4人全部を,エホバを愛し,エホバに仕える子供に育てました。自ら開拓者になることのできなかった彼女は,子供一人一人に全時間伝道を願う心を持たせました。子供たちはいずれも,学校の夏の休暇を利用して5回から7回,全時間伝道に加わり,卒業後にはみんなが開拓奉仕者になりました。そして家族の責任を忠実に果たしたこの母親も最後に開拓者になる機会を得て喜びました。
10 開拓奉仕に適当な仕事を取り決めようと2年を過ごしたのち,一兄弟は何をしましたか。それ以来,彼は何を経験しましたか。
10 もう一人の御国伝道者には別の問題がありました。彼はパートタイムの仕事さえ適当に取り決めれば開拓できると考えました。しかし,雇い主とそのような取り決めを設けられないまま2年たちました。やがて彼は,エホバに全幅の信頼をおかないなら,決して開拓者になれないことに気づき,辞表を出しました。雇い主は彼をすぐ事務所に呼び,給料をもっと払おうと言いました。物質主義的な理由でエホバへの奉仕を減らすまいと決意していた彼は,立場を変えませんでした。4年たった今なお彼は開拓者であり,今でも必要な「衣食」を持っています。そして,自分の奉仕する土地に伝道者50人の新しい会衆を見る喜びもありました。―テモテ第一 6:8。
11 開拓奉仕をできなくても,多くの人はエホバ神への専心の献身をどう示していますか。
11 自分の事情を正直に検討してみると,野外宣教に毎月100時間をささげる正規開拓者になれない人も多くいます。これは神に対するその人の愛が少ないという意味ではありません。神の奉仕者であるということがその全生活を動かしているなら,彼らも全時間奉仕者です。不信仰の世界から何らかの圧迫がもたらされる場合でも,彼らは野外宣教に多くの時間をささげるほかの兄弟姉妹と同じく,正しいことのために確固とした態度をとります。彼らはエホバへの奉仕をいつも心にかけており,毎月熱心にそれに参加します。そして,ふさわしい者として宣教への参加を許されていることを神に感謝し,他の事柄の「時を生かして」まず神の国を求めています。
12 (イ)エホバの証人の多くは周期的にどんな特別の奉仕をしますか。なぜ?(ロ)どんな時に休暇開拓奉仕をできますか。
12 これら熱心な福音奉仕者の多くは,2週間かひと月,あるいはそれ以上の時を生かして周期的に休暇開拓奉仕をします。このためは細かな計画と余分の努力が必要です。彼らは100時間,2週間の休暇開拓であれば75時間を野外宣教にささげる月を大切にします。そして毎月はできなくても,エホバへの愛のゆえにできる時にいつでもそれをします。毎年4月は会衆での特別活動が多く,おおぜいの人がこの月に休暇開拓をします。そして休暇の時期に,あるいは一定の間隔を置いて一年中する人もいます。その人々は結果としてすばらしい祝福を受けるではありませんか。
外国宣教の挑戦に答える
13 (イ)1世紀のクリスチャン会衆で外国宣教活動を行なった人を何人かあげなさい。(ロ)それらの人はどんな経験をしましたか。また宣教をどのように見ていましたか。
13 西暦1世紀のクリスチャン会衆では,自分の環境を整えて外国宣教活動に参加する者もいました。その中には使徒パウロ,およびその仲間のバルナバ,マルコ,シラス,ルカ,テモテなどがいます。これは決して容易でありませんでしたが,霊的な報いの大きな仕事でした。ピリピでは二人の者が獄につながれましたが,その二人は獄吏と獄吏の家族を助けて信者にならせました。(使行 16:25-34)旅行は危険な場合が少なくなく,パウロは強盗,河川のはんらん,難船などに会いました。それでもパウロは自分に対する神の過分の恵みに感謝し,また「道」を学ぶ人々に深い愛をいだいていました。(テサロニケ第一 2:8,19,20; 4:1)彼の態度は使徒行伝 20章24節に示されています。「わたしは自分の行程を走り終え,主イエスから賜わった,神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら,このいのちは自分にとって,少しも惜しいとは思わない」。
14 (イ)現代において,宣教者の一夫婦は西アフリカでどんな特権を楽しみましたか。(ロ)今,宣教者となっている人々が,より容易な分野でエホバに奉仕することを選ばなかったのはなぜですか。
14 現代でも,宣教奉仕を生活の最大事として外国宣教者になる人がいます。そうした宣教者の一夫婦はカリブ諸島から,当時エホバの証人が一人もいなかった西アフリカに行き,その地に27年とどまって,1万人以上がエホバの御名をほめるのを見るまでになりました。宣教者の任命地で10年,15年,20年の間,忠実に奉仕している人も少なくありません。宣教者としての奉仕を選んだ人々は,より容易な分野でエホバに奉仕することができたかもしれません。しかし,神の過分の恵みに対する心からの感謝のゆえに,昔の忠実な預言者イザヤのごとく,「われこゝにあり我をつかはしたまへ」と言ったのです。(イザヤ 6:8,文語)彼らは,御国の福音をこれから伝道すべき土地があり,宣べ伝える者がなければ,その地の民はだれもエホバと御国を信じないということを知っていました。(ローマ 10:13-15)彼らは自分の事情を検討し,その奉仕を始めるに必要な変化の可能なことを知りました。信仰の不足によってそれを妨げられることはありません。彼らは約束どおり,エホバが必要な物を備えられることを知っていました。無関心な態度で,結局エホバはだれかほかの者を用いられるだろうとは考えませんでした。彼らは神に用いていただく特権に感謝していたからです。エホバに対する愛のゆえに,恐れの気持ちは全く消えていました。こうして彼らは招きに応じたのです。ものみの塔協会の宣教者の学校を卒業し,外国宣教の任命を受け入れた一兄弟は,何年もあとに語りました。「決定にあたって事情を考慮するのは必要ですが,御国と御国の事柄に有利に事を決めるなら,結果が失望に終わることはありません」。
ベテルで奉仕する
15 ベテル奉仕者の行なう仕事のあるものは,1世紀のテルテオやシルワノがした仕事とどう似ていますか。
15 こうして神の国のことを第一にする,決定をした人の中には,ものみの塔協会のベテル・ホーム,支部事務所,印刷工場などでの奉仕に招かれた者もいます。ここでの仕事も1世紀のクリスチャン兄弟の仕事に似ています。テルテオは書記として働く特権を得,パウロの口述にしたがいローマ人あての霊感の手紙を書きました。(ローマ 16:22)シルワノも使徒ペテロの指示の下に聖書の一部を記録しました。(ペテロ第一 5:12)今日ベテルで奉仕する兄弟は,一時に1通の手紙を書くのでなく,数百万冊の聖書を多くの言語で印刷製本しています。またある者の特権は,「忠実な思慮深いしもべ」を通じて備えられる聖書の助言を毎時数万部の早さで印刷する機械を操作することです。―マタイ 24:45-47。
16 (イ)どんな点でベテルの奉仕は忠実なステパノの奉仕に似ていますか。(ロ)ベテル奉仕はそれをとらえる人にどんなすばらしい祝福になりますか。
16 ベテル・ホームにはステパノと同じような仕事をする者もいます。ステパノは給仕となり,共同で奉仕した初期クリスチャンの『食卓のことに携わり』ました。これはそれ以外にすることのない者に与えられる,重要でない任命ではありません。むしろ聖書の示すとおり,ステパノがその必要な仕事に任ぜられたのは,『御霊と知恵とに満ちていた』からです。彼はその仕事を十分に果たす者として信頼されました。同時にステパノは野外宣教に熱心であり,神のことばの強力な弁護者でした。反対者は彼と議論しようとしましたが,「彼は知恵と御霊とで語っていたので,それに対抗でき」ませんでした。(使行 6:1-10)世界中のベテルの家族はステパノのすぐれた模範に感謝し,どんな任命も喜んで行ない,それによってエホバと兄弟に仕えることを大きな特権と考えています。同時に彼らは野外宣教に最大限に参加することに努め,家から家に伝道し,聖書研究を司会しています。その多くは会衆内のしもべ,また公開講演者に任命されています。ベテル・ホームは神権的な雰囲気に富む所であり,そこでの生活は霊的成長のすばらしい機会です。喜んで働く奉仕者には大きな奉仕の特権が待っています。この古い事物の制度が終わろうとしている今の時代に,このような場所で奉仕するのはすばらしい特権ではありませんか!
他の人を励ましなさい
17 エホバへの奉仕においてなぜ他の人を励ますべきですか。それをするどんな機会がわたしたちすべてにありますか。
17 エホバのみ名がいたるところで最大限に賛美されるのを見るのは,献身したクリスチャンすべての心からの願いです。わたしたち各自はそのわざに参加できますが,同時に,エホバの賛美者となるよう他の人を大いに励ますことができます。この世は決してそのような励みを与えません。神に対する愛を欠いているからです。(ヤコブ 4:4。テモテ第二 3:4。マタイ 24:12)しかし,神に忠実であるなら,わたしたちはそのような励みを他の人から受けています。それで使徒パウロはテサロニケのクリスチャンに書きました。「だから,あなたがたは,今しているように,互に慰め合い,相互の徳を高めなさい」。(テサロニケ第一 5:11)他の人と聖書を勉強するなら,エホバの賛美者となるようその人を励ますことになります。会衆の中にも,奉仕にさそうなどしてわたしたちが愛の心で励ませば,宣教奉仕を拡大できる人がいることでしょう。
18 だれかが開拓奉仕,ベテル奉仕,あるいは宣教者奉仕の願いを表わすなら,わたしたちは何をすべきですか。なぜ?
18 同じように,奉仕の特権を拡大するようにだれかを励ますことができるとき,そのような励みをさしのべるのは神に忠実な者の務めです。だれか開拓奉仕を考えている人がいますか。是非ともその人をほめなさい。ベテル奉仕か宣教者の仕事を志願することについて語っている人がいますか。その人を建て起こしなさい。「あなたがたは,泣いたり,わたしの心をくじいたりして,いったい,どうしようとするのか」とパウロが言わねばならなかった,カイザリヤの兄弟のようになってはなりません。(使行 21:13)また,あるときイエスはペテロに向かって,「サタンよ,引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで,人のことを思っている」と言われましたが,このときのペテロのようになってはなりません。(マタイ 16:23)むしろ,兄弟の心がエホバへの愛に満ち,いよいよエホバに仕えようとしていることを喜ぶべきです。その人がエホバを全く信頼して前進するように励ましなさい。
「自分を吟味するがよい」
19 (イ)エホバへの献身ということが生活をどの程度支配すべきですか。(ロ)円熟への進歩のしるしとして自分自身に何を求めるべきですか。
19 バプテスマを受けたクリスチャンであるなら,あなたは全生活を神にささげていることを決して忘れてはなりません。神のみこころを行なうためにささげたのは1週に数時間ではありません。神の奉仕者であることがあなたの全生活に表われるべきです。クリスチャンになったとき,あなたは自分の考えや行ないを変えねばなりませんでした。その変化はエホバへの愛によりました。しかしそれは始まりにすぎません。神のことばを学び続け,神のいつくしみを知るにつれ,人の愛は成長し,より豊かに表現されます。神のことばに対して「耳が鈍くなって」いるのでないかぎり,人はしだいに円熟に進みます。(ヘブル 5:11,12)そして聖書の原則に従って物事を決めようとする気持ちは強くなり,御国のこの福音の伝道にあますところなく参加しようとする願いは大きくなります。このことはあなたに起きていますか。信仰にとどまるためには,霊的な面で成長を続けねばなりません。「あなたがたは,はたして信仰があるかどうか,自分を反省し,自分を吟味するがよい」― コリント第二 13:5。
20 エホバに最大の奉仕をするためにどんな態度が必要ですか。
20 一つのことを忘れてはなりません。つまり,霊的な進歩,および天の父への奉仕でなしとげる事柄は,あなたの能力だけによらないのです。(コリント第二 4:7)これらはエホバに仕えようとするあなたの意欲と密接に結びついています。行なうことのすべてにおいて,エホバに導きを求めることの大切さを学んでいますか。ご自分のしもべをささえるエホバの力を十分に信じていますか。宣教において植えて水を注ぐことはわたしたちの特権ですが,成長させてくださるのは神であることを十分に認めていますか。(コリント第一 3:6-9)もしそうなら,あなたは神の導きに答えつづけるでしょう。そして,神の全時間のしもべであることを実証されるでしょう。
[脚注]
a セルサスの著作は,H・ローズのほん訳で,オーガスタス・ネアンダー博士著「最初の3世紀間におけるキリスト教およびキリスト教会の歴史」(ニューヨーク,1848年版)の中で紹介されています。