ディスコ ― 用心すべき理由がありますか
本誌に掲載されたディスコの情報に対する読者の反応
「目ざめよ!」誌は,その1979年3月22日号(日本文は1979年6月22日号)の中で,ディスコに用心するよう読者に警告しました。ディスコの本質,つまり神髄は,自由で,“解放された”性の表現であることが示されました。
しかし,ディスコとその性的に自由な生き方とに用心すべき理由が本当にあるのでしょうか。「目ざめよ!」誌の記事を読んだ人の中には,そのように思わなかった人もいました。
ある人は手紙を寄せ,「私は再生したクリスチャンですが,あの記事に書かれているほど,ディスコはひどくないと思います」と述べています。
別の人はこう書いています。「ディスコのダンスや音楽,そしてディスコを行き巡ることは,健全で清い娯楽となり得ます。『目ざめよ!』誌の言うようなくだらないものではありません!」
さらに別の人はこう述べます。「ディスコの記事を読み終えたところです。その内容は……非常に断定的です。ディスコは,性,淫行,暴行を意味すると述べられていますが,とんでもないことです。ディスコには健全な雰囲気があります」。
このような意見を持つ人もいました。しかし,そうした人々は問題の全貌をはっきりと把握していますか。まず第一に,「目ざめよ!」誌の記事は,“ディスコ”と呼ばれるものすべてを非としていたわけではありません。第二の点として,だれも見過ごしてはならない重要な要素があります。
考えてみてください。聖書によると,サタン悪魔は,「この世の支配者」で,「この事物の体制の神」です。(ヨハネ 12:31。コリント第二 4:4)真のクリスチャンはサタンが世を自分の目的に応じて操っていることを認識しています。では,サタンが人を真の崇拝から引き離すために世の娯楽をも用いることを予期すべきではありませんか。
警告に対する感謝の言葉
手紙を寄せた人の大多数は,問題に関してこうした聖書の理解を持っていることを示しました。その人たちは「目ざめよ!」誌の記事に対する感謝の気持ちを言い表わしています。ディスコに足しげく通ったり,「サタデー・ナイト・フィーバー」のようなディスコ映画を見たりすることの背後にひそむ危険に気付かされて感謝しているとの感想が老若を問わず様々な人から寄せられています。そのような手紙の例を幾つか掲げましょう。
イリノイ州に住む21歳の人はこう述べます。
「ディスコに関する3月22日号の『目ざめよ!』誌の中で与えられた,健全な聖書的助言に心から感謝していることをお知らせしたくて手紙を書いています。『サタデー・ナイト・フィーバー』に関する情報からはショックを受けました。
「自分でディスコに行きたいと思ったことはありませんが,確かにそのダンスと音楽を幾らか楽しんではいました。それが“自分に注意を向ける”傾向を助長するということには全く同感です。その傾向がさほど重大なことだとは思ってもみませんでした。でも,そのような傾向がいかに退廃的なものになりかねないか,はっきり分かるようになりました」。
21歳になるもう一人の人は次のように書いています。この人はテキサス州ダラスの人です。
「ディスコについての『目ざめよ!』誌を読んで,多くの事柄を学びました。それが,あの山から下りてきたモーセの言及した『ほかの』音楽に匹敵するとどうして言えるか分かります。[出エジプト 32:17-19,新]それは確かに動物的な傾向を引き出します。“年の行った”人々でさえ,その催眠術的なビートに我を忘れてしまうことがあります。
「その起源,またそれが“ゲイ”の人々とどのように関係しているかを明らかにしてくださって,ありがとうございます。それは確かに,私たち若者が離れているべきものです。この点に関する自分の考え方を調整し,エホバがそれをどれほど嫌われるかということを認識できるよう努めています。……
「若いクリスチャンの兄弟姉妹たちがこのことに留意し,エホバの新体制で最善の音楽を聞けるようになることを願ってやみません」。
オレゴン州ポートランドからは次の短い手紙が寄せられました。
「ディスコに関する3月22日号の『目ざめよ!』誌の情報に一言お礼を言いたいと思います。それを読む前,私は霊的に悪い状態になりつつありました。しかし,ヘブライ 11章24-26節を読んで,バッテリーが充電されるような気がし,人生に対する自分の態度が変化しました。罪の一時的な楽しみどれ一つを取っても,エホバの王国で刈り取る報いに匹敵するものはありません。この意義深い点に注意を向けてくださったことに,もう一度感謝いたします」。
次に掲げるのは,ニューメキシコ州アルバカーキの若者から寄せられた手紙の抜粋です。
「自分の娯楽の活動や習慣について疑念があったとき,この記事が出て,少なくとも私にとっては“灰色”の領域の曇りが晴れました。しかし,それだけで終わって,若者には何も楽しみにするものはないなどとは考えませんでした。……
「神の望まれる仕方で神に仕えたいと願うことには,少しも“窮屈”なところはありません。たとえ,『行き過ぎだ』と考える人々から嘲笑されることを意味したとしてもそれは窮屈ではありません。この記事のおかげで,どんなものを娯楽として選ぶかに関する疑念やためらいから解放されました。この啓発的な資料に心から感謝しております」。
カリフォルニア州のある若者は正直な手紙を寄せ,その中で一部次のように書いています。
『私は17歳で,エホバの証人として育てられました。私を初めてディスコへ連れて行ってくれたのは私のいとこで,非常にダンスのうまい人です。私は本当にディスコが好きでした。『サタデー・ナイト・フィーバー』を見に行き,やがて,そのステップを一つ残らず習得しました。トラボルタに負けないほど上手になりました。学校で開かれるダンスパーティーへひそかに出掛けるようになり,ディスコ・ダンスで一等賞を取りました。どこへ行っても自分のダンスで人々を圧倒しました。人々が私の踊りにシャッポを脱いで見とれているのを知ると悪い気はしませんでした。やがて,別の会衆にエホバの証人のガールフレンドができました。その子も私と同じくらいダンスが上手でした。でも,私たちの間に共通していたのはただそれだけでした。それはほどなくして終わりましたが,ダンスのほうはやめませんでした。
『その後,ディスコに関するあの記事がでて,私は打ちひしがれてしまいました。聖書の真理を愛してはいましたが,自分の唯一の趣味,つまり幸福感にひたれる唯一のものをあきらめたくなかったのです。少し控え目にはなりましたが,やめはしませんでした。それから巡回大会があり,ディスコのことが論じられ,さらに集会の一つでディスコの話が扱われました。その話し手は,ディスコに関する記事が雑誌に載せられ,大会のプログラムでその問題が扱われたのは,要点を理解していない人がいるからだ,と述べました。私のことを言っているのは分かっていました。そこでディスコへ行く回数を本当に減らしました。その後,“ハリケーン”という映画を見に行き,部族の儀式が執り行なわれる様を見ました。それはまさに私のしていることでした。それを見て気分が悪くなり,ディスコをやめました。
『ダンスのフロアーで淫行を犯す人がいるとの報道を耳にしたことがありますが,私自身それに近いところまで行きました。あのような生き方から抜け出せて,とてもうれしく思います。この組織には,心からエホバを愛する若者たちの立派なグループがあると思います。私たちすべては時々励ましを必要とします。ですからこのような手紙を差し上げたわけです。本当にありがとうございました』。
ミシガン州の一女子高校生は,それらの記事が自分個人にとってどれほど有益だったかを述べてから,次のように説明しています。
「この『目ざめよ!』誌は,学校での証言のとても良い材料となりました。若い人の中に,神のことはおろか,今日の世界の諸問題を考える人さえ見つけるのは困難です。そうした人は,その日のために生き,明日のことなどお構いなしです。ですから,ディスコに関する雑誌はまさにうってつけでした。
「若い人たちの多くは,『サタデー・ナイト・フィーバー』という映画に関する一心理学者の言葉について意見を述べ,その映画は言葉遣いと道徳に関する限り不健全なものであることに同意しました。また,ディスコに関係する事柄すべてを知って驚き,体を損ないかねない有害な光線や音量を避けるのは理にかなっているということを認めました。
「ですから兄弟たち,ディスコに関する情報を私たちがどれほど感謝しているか知っていただきたいと思います。エホバが時に応じて私たちを養ってくださり,霊的にも,身体的にも健康を保たせてくださっていることに感謝しています。
「エホバのご意志であれば,こうした種類の非常に興味深い記事をもっと出してくださることを願ってやみません。このような記事は,クリスチャンである私たちを助け,導いてくれるだけでなく,現在清い生活を送ることの大切さと,平和のうちに永遠に生きるというすばらしい希望をはっきり理解するよう多くの若い人々を引き付けるからです」。
危険を際立たせる
一部の読者は,多くのディスコで非常に広く行なわれているクリスチャンにふさわしからぬ行為を取り上げた経験や新聞報道を同封してくださいました。例えば,カリフォルニア州の一読者は,パレード誌1979年5月6日号からの切り抜きを同封してくれました。その記事は,「危険なダンス」という見出しの下にこう述べています。
「警察によると,全国のディスコを風靡している“フリーク”ほど危険なダンスは,これまで長い間登場したことがない。それを“死のダンス”とか,“セックス・ダンス”と呼ぶ人もおり,“嫉妬のダンス”とか“トラブル・ダンス”と呼ぶ人もいる。
「ジム・ムーアがガールフレンドとデトロイトでフリークを踊ったところ,ジミー・ロジャーズという若い男がいきり立ち,ムーアの胸に三発撃ち込んだと言われている。ロジャーズは第一級謀殺の疑いで告発されている。
「同市で,オスカー・ロスは,自分の若い妻シャロンが隣家でフリークを踊るのを見た後,妻を撃ったとして告訴されている。
「フリークというのは二人で踊るダンスで,両者はひざを曲げ,両脚を広げ,腰をくねらせながら,相手に触れるまで互いに近づいてゆく。相手に触れたところで離れる者たちもいるが,その場で気の向いた事を行なう者もいる」。
英国の一読者から寄せられた手紙には,1979年5月2日付のロンドン・デーリー・メール紙からの切り抜きが同封されていました。「ディスコでの死に“終止符を”」という見出しの下で,同紙は次のように述べています。
「先週一人の学生が死んで,ロンドンでのディスコ殺人の数は四か月で七人になり,ディスコでの暴力行為を阻止するための措置が切望されている。
「大ロンドン議会の公共事業・安全委員会の副委員長であるブライアン・キャシディ氏は,昨日,次のように語った。『幾つかのディスコを現場とした暴力事件の結果として死者や重傷者の数が増加していることには驚かされる』。……
「17歳になるある若者は,自分たちの婚約を祝うためにフィアンセをディスコへ連れて行った後,刺し殺された。……
「キャシディ氏は次のように語った。『ディスコ業界が成長産業であることに疑問の余地はないが,それと一緒に暴力行為が増加することは許せない。
「『市内のクラブで起きるほとんどの暴力沙汰の背後にはセックスがあり,それは非常に肉欲的な音楽の激しいビートと結び付けられている』」。
そうです,ディスコは通例,「健全で清い娯楽」のための場所でないことを示す証拠は数多くあります。少なくともそれは,真のクリスチャンが健全で清い娯楽とみなすものではありません。
ディスコと呼ばれるものはすべてよくないか
“ディスコ”という言葉が付されている場所や物すべてがよくないと言っているのでしょうか。そうではありません。というのは,その語が流行しているため,食べ物,衣服,レストランなど,非常に多くのものが“ディスコ”という名称を冠しているからです。また,ディスコ音楽やダンスすべてが必ずしも劣情を挑発し,不道徳であるわけではありません。昨年の3月号(日本文6月号)の「目ざめよ!」誌の記事が示していたとおり,「ディスコとは単に音楽とダンスのことだけであり,望み通りのどんな形にもなり得る」のです。
ですから,上記の「目ざめよ!」誌はさらにこう述べています。「ある“ディスコ”はレストランになっており,音楽とダンスはむしろ付随的なもので,平常の食事の時間にはそれらしい様子が何も見られないかもしれません。そのような場所,またその他の場所でさえ,クリスチャンにふさわしい種類の音楽やダンスを特色にしている場合があるでしょう。しかし,そうした“ディスコ”は,真のキリスト教の教えとは相いれない,ディスコ風の生き方を反映するものではありません」。
カリフォルニア州ロサンゼルスにあるエホバの証人の一会衆の長老,ベニー・ゴルソン自身の経験は,ディスコとその不道徳な生き方に用心する理由が確かにあるという事実をひときわ目立たせています。エホバの証人の旅行する代表者が会衆を訪問した週に,ベニーは,ディスコに関する3月22日号の「目ざめよ!」誌に基づく話をしました。ベニーは自分の言う事を紙に書いて準備しましたが,次に掲げるのはその抜粋です。
私は歌の作曲もするミュージシャンです。ディジー・ガレスピー,アート・ブレイキー,ライオネル・ハンプトン,ベニー・グッドマン,アール・ボスティックなどのジャズ・バンドと一緒に録音したり,演奏したりしたことがあります。また,ペギー・リー,アーサー・キット,コニー・フランシス,エラ・フィッツジェラルド,ダイアナ・ロスなどの有名な歌手のために,また,「スパイ大作戦」,「パートリッジ・ファミリー」,「M*A*S*H」,「マニックス」などのテレビ番組のために作曲を担当しました。ですから,今年(1979年)の初頭,「目ざめよ!」誌がディスコに関する特集記事を載せるという話を聞き,その号がでるのを首を長くして待ちました。
ようやく3月22日号の「目ざめよ!」誌が手元に届き,私はすぐにそれを読みました。その記事には当惑させられた,と言わねばなりません。その見解に同意できませんでした。どのページの余白にも個人的な意見をびっしり書き込みました。ディスコの背後には同性愛者がいるという考えは,全くお話になりませんでした。そして,この問題について是非ものみの塔協会へ手紙を書かねばならないと思いました。しかし,賢明な道を取ることにしました。もっとも,それがどれほど賢明であるか,その時には気づいていませんでした。まず,自分が一翼を担っているその事業をもっと詳しく調べてみることにしたのです。調べた結果,驚くべき事実が次々に分かってきました。
発見した事柄
エホバの証人である友人が,ロサンゼルスの大手レコード会社のために一枚のレコードを仕上げました。それはディスコ調のレコードではありません。会社の中の同性愛者が“波風”を立て始めました。24トラックのテープ(各々ミキシングされていないもの)をミキシングし直すために,ニューヨークへ持って帰りたいと言うのです。バスドラム,シンバル,エレキベースなどを“前に出し”(目立たせ),伝染性の強いディスコ・ビートに仕立て上げようとでもいうのでしょう。このすべては,私のエホバの証人である友人の意に反するものでした。しかし,会社側は,少なくともその男がニューヨークへ戻ることには同意しました。
一行がニューヨークのスタジオに着くと,ロサンゼルスからの同性愛者は,別の二人の同性愛者に迎えられました。エホバの証人である友人は,再ミキシングの際に,“かんしゃくを起こし”そうになって,何度かスタジオを離れねばなりませんでした。結局,ディスコ調のミキシングはうまくゆかなかったので,友人は元のままのミキシングで仕事を進めることができました。
エホバの証人ではない一人の知人は,つい最近,別の大手のレコード会社で同じような問題に直面しました。その人が長年人気を保っているボーカル・グループのレコード(ディスコ調ではない)を作ったところ,そのミキシングは会社側の意にかなわず,やはりあの同性愛者たちの待ち受けるニューヨークへ戻るよう求められました。
私の知っているあるレコード歌手のマネージャーは,最近,ニューヨークで『ちょっとしたディスコ騒動』が起きていると話してくれました。それは,徒党を組むようになった同性愛者たちが,同性愛者好みの音楽を番組に組み入れるようディスク・ジョッキーに圧力を掛けようとして起きたものです。ディスク・ジョッキーたちはそれを不愉快に思い,ある程度抵抗しています。大衆はもちろん,ディスコを求めています。
私は,ディスコの道徳環境が一体どれほど悪いかを本当に認識してはいませんでした。ロサンゼルス地区には,「パジャマ・ディスコの夕べ」なるものを催すクラブがあります。その晩,全員が寝間着姿でやって来ます。女性たちは,互いに人を出し抜こうとして,シースルーの,薄くてゆったりとしたネグリジェを着てきます。それが催される晩に,クラブは満員になります。
ディスコには確かに音楽とダンス以上のものが関係するようになってきています。一人の友人は最近,「それははっきりとした生活様式になっている」と言いました。その言葉は間違っていません。Tシャツ,タイトで光沢のあるハギング・パンツ,えりぐりの深いシースルーのブラウス,ビキニ様の下着をあらわにするフレアスカート,その他仮装パーティーさながらのありとあらゆる衣装などディスコ・ファッションは市場にあふれています。ディスコの照明や人の“世慣れた”振る舞いなども忘れてはなりません。
クリスチャンとして守りを固める
確かに,ある種のダンスそのものにいかがわしい点はありません。しかし,ダンスと音楽が疑わしい“背景”と結び付くと,事態は一転します。
聖書は,「淫行から逃れなさい」と述べています。(コリント第一 6:18)そのような事柄はわたしたちの思いの中にはないと考えたいものです。そして実際にないかもしれません。しかし,クリスチャンを自任していた人で,この種の欲望のえじきになった人は少なくありません。何が起きたのでしょうか。そのような人は,自ら“呼び水を差した”のです。そして,一歩一歩その種の欲望へと向かう結果になり,淫行を犯しました。
人間というのはおかしなものです。普通,不利な事柄は他の人々にだけ臨むと考えます。それが自分の身に臨むと,当惑して,「まさか私にこんなことが起きるとは思ってもみなかった」と言います。しかし,それは起こり得るのです。神を愛すると言う人々にも,現に起きているのです。私たちの考えたいと思うよりも大勢の人が,“ディスコの悲劇”の幾つかのえじきになっています。流行に乗り遅れないでいたいというその欲望が多くの人にとって破滅の元になりました。当初,至って無害で,たいへん面白く思えたというだけの理由でそうなったのです。
エホバは娯楽を非としてはおられません。神はご自分の民が幸福で,生活を楽しみ,ある程度の喜びを味わうよう願われます。しかし,私たちは識別力を働かせなければなりません。例えば,踊る前にこう自問してみるべきです。「これは踊るための音楽だろうか。それとも興奮するための音楽だろうか。その音楽とダンスはある種の“快楽”― ダンスの序曲に付随する快楽,すなわち暗がりでの性の表現 ― の備えをさせるものだろうか」。
ものみの塔協会へ手紙を書かないで本当によかったと思います。自分の関係している事業の分野で行なわれている事柄をよく調べてから,自分が幾らかあさはかだったことに気づきました。
ディスコに関する「目ざめよ!」誌の記事は述べていました。「ダンスは,文化が生み出す傾向の,最も率直な指標である。我々は自分の動きを偽ることはできないからである」,と。
あなたはどう動きますか。エホバに従ってですか。それともエホバに逆らってですか。―寄稿。
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『ロンドンでのディスコ殺人の数は四か月で七人に上った』
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「最初は同意しませんでした」
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『まさか私にこんなことが起きるとは思ってもみなかった』。