-
杭につけられたキリストは「神の力」ものみの塔 1978 | 8月15日
-
-
た。ユダヤ人はしるしを求め,ギリシャ人は知恵を熱望するかもしれませんが,パウロは「杭につけられたキリスト」を宣べ伝えます。これはユダヤ人にはつまずきとなり,ギリシャ人には愚かなことに思えます。「しかし,召された者にとっては,ユダヤ人にもギリシャ人にも,神の力また神の知恵なるキリストなのです。神の愚かな事がらは人間より賢く,神の弱い事がらは人間より強いからです」。(コリント第一 1:22-25)ユダヤ人やギリシャ人が「杭につけられたキリスト」を,弱い愚かなこととみなそうとも,それはやはりユダヤ教の言い伝えやギリシャ人の哲学よりもはるかに強くまた賢明なものなのです。その詳しい理由は次の記事に出ています。
-
-
杭につけられたキリストは「神の知恵」ものみの塔 1978 | 8月15日
-
-
杭につけられたキリストは「神の知恵」
「賢い人はどこにいるのですか。書士はどこですか。この事物の体制の弁論家はどこですか。神は世の知恵を愚かなものとされたのではありませんか」― コリント第一 1:20。
1 (イ)ユダヤ人のどんな宗教的状態がイエスによってくつがえされましたか。(ロ)イエスの追随者たちの伝道の結果としてそのあとどんな変化が生じましたか。
ユダヤ民族は15世紀以上モーセの律法契約の下にありました。その書士たちは,この律法を解釈し日常生活へのその適用を説明するおびただしい数の口伝をつくり上げました。その背後にあった一つの考えは,ユダヤ人と異邦人をいつまでも分離しておき,そうすることによって自分たちの宗教を異教の教理で汚されないよう守る,ということでした。ところがいまやイエスという男が現われてメシアであると主張し,賢人や書士の口伝を非難し,モーセの律法を成就して終わらせると言い,最後に冒とく者として杭につけられました。その後,クリスチャンと呼ばれる追随者たちはイエスの復活を宣べ伝え,イエスの教えをパレスチナおよびローマ世界全体に広めました。ユダヤ人だけでなく異邦人も幾千となく彼らの隊伍に加わり,至るところにクリスチャン会衆が設立されました。律法契約は終わりました。人々をキリストに導く養育係としてその目的を果たし,キリストの苦しみの杭にくぎ付けにされました。今エホバの崇拝者は新しい契約の下にあります。律法はもはや石の板に書かれているのではなく,人間の心に書かれています。―ガラテア 3:10-25。ヘブライ 10:15-18。
2 クリスチャンになったユダヤ人にとってむずかしかったのはどんなことでしたか。パウロはどんな論議をもってその脅威と戦いましたか。
2 これらの重大な出来事は,宗教的に言って,地をゆるがすほどのものでした。クリスチャンになったパリサイ人や他のユダヤ人のある人々にとって,イエスがモーセの律法を成就し,そのために律法に従う必要がなくなったという事実を受け入れるのはむずかしいことでした。彼らは律法の要求を幾つかクリスチャン会衆内に持ち込もうとしました。(使徒 15:1-19)異邦人への使徒パウロはそうした努力に強く反対する議論をします。「キリストは,このような自由のためにわたしたちを自由にしてくださったのです。ですから,しっかり立ち,再び奴隷のくびきにつながれないようにしなさい。ご覧なさい,わたくしパウロがあなたがたに言います。もし割礼を受けるなら,キリストはあなたがたにとってなんの益もないことになります。さらに,割礼を受ける人すべてに再び証しします。その人には律法全体を実行する義務があります。律法によって義と宣せられることを求めるあなたがたは,だれであろうとキリストから分け離されています。あなたがたはその過分のご親切から外れ落ちているのです」。(ガラテア 5:1-4; 3:10-14)改宗しなかったユダヤ人は,贖いの犠牲として「杭につけられたキリスト」の必要を悟る代わりに,律法の業に頼って『キリストの苦しみの杭をむだにして』いました。ユダヤ人の改宗者の中にも,律法の一部に執着し,したがって律法全体を守らねばならない者となり,そのようにして『杭につけられたキリストをむだにしました』。―コリント第一 1:17。
パウロとギリシャの哲学者
3 (イ)パウロはギリシャの哲学者にどう反応しましたか。(ロ)それらの哲学者はアテネでパウロにどのように反応しましたか。
3 パウロはまた,ギリシャの哲学者のやり方をまねるようなことは一切しないように注意を与えました。ローマはギリシャに代わって世界強国となっていましたが,その文明を特徴づけていたものはギリシャの文化と哲学でした。その事物の体制のユダヤ人とギリシャ人は両者とも賢人,書士または学者,弁論家などを有していました。パウロは問いかけます。「賢い人はどこにいるのですか。書士はどこですか。この事物の体制の弁論家はどこですか。神は世の知恵を愚かなものとされたのではありませんか」。ユダヤ教のラビばかりでなくギリシャの哲学者も評判の弁論家でした。それでパウロは両方のグループを一つに扱います。「ユダヤ人はしるしを求め,ギリシャ人は知恵を求めます。しかしわたしたちは杭につけられたキリストを宣べ伝えるのです。それは,ユダヤ人にとってはつまずきのもとであり,諸国民にとっては愚かなことです」。(コリント第一 1:20,22,23)パウロはギリシャの哲学者と彼らの議論好きなこととは,アテネで彼らに接したことがあるので直接に知っていました。使徒 17章16-21節を見るとそのことが分かります。
「さて,アテネで彼らを待っている間,その都市に偶像が満ちているのを見て,パウロの内なる霊はいらだつようになった。それで彼は,会堂でユダヤ人と,また神を崇拝するほかの人たちと,さらに毎日,市の立つ広場でそこに居合わせる人びとと論ずるようになった。しかし,エピクロス派およびストア派の哲学者幾人かが彼と言い合うようになり,ある者は,『このおしゃべりは何を言おうとしているのか』,またほかの者は,『これは異国の神々を広める者らしい』などと言うのであった。彼がイエスおよび復活の良いたよりを宣明していたからである。それで彼らはパウロをつかまえてアレオパゴスに連れて行き,こう言った。『あなたの話すこの新しい教えがどういうことなのか,わたしたちにわからせてもらえるだろうか。わたしたちには耳慣れない事がらをあなたが伝えているからだ。ついては,それがどういう意味なのか知りたいのだ』。事実,すべてのアテネ人とそこにとう留
-