結婚しない者の行は更に善し
1 (イ)結婚しない人は,半人前の人であるという論の間ちがいは,何によつて証明されますか。(ロ)イエス・キリストは,どんな種類の花嫁だけを永遠に持ちますか。
結婚には,神の目的によつて定められたごとく,よろこびと祝福があります。神は両性が引き合うように定め置かれたため,男と女が結婚するのは正常なことです。そして,人間であるクリスチャンも例外ではありません。しかし,クリスチャンに対する神の言葉は,結婚しないならば人は全く成熟したことにならない,つまり結婚しないなら,半人前の人である,というような或る種族や人々の見方を取りません。この見方を取ることは,イエス・キリストの地位を落すことになります。彼は33歳半のとき,童貞のまま独身で死んだからです。イエスは天の御父の御意に従い,結婚しないで死にました。しかし,この節制と従順の行の故に,彼は14万4000人の忠実な弟子で成立つ霊的な『花嫁』なる会衆を得ます。14万4000人の弟子たちは,男が女に対する愛よりも,また夫が妻に対する愛よりも,はるかにまさる愛で,イエスを愛します。御父は,この霊的な花嫁を輝くばかりの天的な美に飾つて御子と結婚せしめます。ヱホバ神の認可をうけてイエス・キリストの持ち得る唯一つの妻は,この霊的な花嫁だけです。―ヨハネ 3:29。黙示 19:7; 21:2,9-14。
2 結婚しなかつた神の僕たちのどんな他の例がありますか。
2 若い予言者エレミヤも結婚をしませんでした。なぜなら,その時はダビデの系統をつぐユダヤの国の『終の時』であつたため,父親のごときヱホバ神は,エレミヤに結婚を禁じ,子供を持つことを禁じたからです。(エレミヤ 16:1-4)使徒パウロは,『ほかの使徒たちや,主の兄弟たちやケパのように,信者である妻を連れて歩く権利』を行使しませんでした。(コリント前 9:5,新口)この悪しき世の『終の時』に多くのクリスチャンたちが独身を保つている卓出した理由を考慮しなければなりません。そして,その理由を理解するなら,彼らがそしりを受けるなどということはなく,むしろ高い尊敬を得ます。
3 (イ)配偶者に死なれた者たちは,何をするよう選ぶことができますか。結婚したクリスチャンたちは,なぜ霊的に純潔の者ですか。(ロ)どんな強い理由の故に或る者たちは独身を保ちますか。
3 配偶者に死なれたクリスチャンは,再婚することができます。しかし,再婚を選ばないこともできます。クリスチャンの女の場合ですと,『夫が生きている間は,その夫につながれている。夫が死ねば,望む人と結婚してもさしつかえないが,それは主にある(つまり,もし彼が主にあるなら)者とに限る。しかし,……そのままでいたなら,もつと幸福である。』(コリント前 7:39,40,新口)結婚しているクリスチャンたちは,この世やその女のごとき制度と姦淫を行わず,その友にならない故,キリストに対して霊的な純潔を保ちます『彼らは,女にふれたことのない者である。彼らは純潔な者である。』(黙示 14:1-4,新口)童貞の男や処女の多数のクリスチャンたちは,称讃に値する徳によつて,独身でいることを選ぶことができます。しかし,彼らは独身で居よう,との誓を立てるのではありません。彼らは独身でいますが,それはこの『終の時』『後の時』に,『結婚を禁ずる』クリスチャンの規則があるからではありません。(テモテ前 4:1-3,新口)新しい世の社会には,そのような規則がありません。聖書に従う新しい世の社会は,ハルマゲドンの戦以前でも結婚の自由を許しています。童貞を保たせる強い理由は,神の御国なのです。
4 或る者は,神の御国の為に,どのように閹人になりますか。
4 自ら進んで童貞を保つ者たちを,イエスは自らなつた閹人と呼びました。姦淫だけが神の許し給う離縁の理由になる,とイエスが弟子たちに告げた後,彼の弟子たちは真剣な態度で,『もし妻に対する夫の立場がそうだとすれば,結婚しない方がましです。』と言いました。その言葉について,イエスは次のように語られています,『すべての人はその言葉をうけいれることができない。ただ賜物を持つている人々だけである。というのは,母の胎内から閹人に生れついた者があり,また人間によつて閹人にされた者もいる。また天の御国のために,自ら進んで閹人になつたものもいる。それを受け入れることのできる者は,受けいれるがよい。』(マタイ,19:10-12,新世)第3世紀に『旧約』の有名なヘクサブラ版をつくつた宗教家オリゲンは,去勢しましたが,彼らはオリゲンのしたことを行わず,身体の去勢をいたしません。彼らは,自分の心にそのことをうけ入れ,結婚できない閹人の状態,つまり独身の状態を保とう,と自ら進んで決意します。彼らが結婚しないのは,必らずしも独身生活の誓を立てるのでもなければ,自ら去勢するのでもなく,また身体上の欠陥があるからでもありません。ただ,でき得る限りすべてのものを捧げて神の奉仕に従事しよう,という熱烈な気持があるからです。そして,特に御国は1914年に天で設立され,『御国のこの良いたより』は,全世界で証のために全国民に伝道されねばならない現在,彼らはますますその気持を保ちます。なぜなら,亡びをうけるこの世の全き終は,だんだんと近づいているからです。
5 人は,どのように独身の賜物を頂きますか。
5 イエス御自身も言われた通り,現在のふたしかで,不完全な,悪のはびこる状態の下で独身を保つということについてはすべてのクリスチャンがうけいれるのではありません。ただ『賜物を持つ』人々のみ,うけいれます。『賜物』? そうです,といつて,生まれながらに閹人であるとか,神からの力が奇跡的に与えられる,ということでありません。独身でいる特権は,御子イエス・キリストの弟子となるすべての独身者にたいして神の差しのべておられる賜物なのです。しかし,すべての人がこの賜物を自分のものとしません。すべての人がそれをうけいれません。しかし,多くの人々は,クリスチャンである自分に関係するすべての環境や状態を考慮し,また自分の前に置かれているいろいろの機会や,御国奉仕の特権を考慮して,この賜物を受け入れます。更に,他の人と特定な関係を結ぶなら,どういうことになるか,と将来の結果を見こします。彼らは,ヱホバの貴重な奉仕の『宝』というものを第一のものと考えつつ,一方に結婚の地位と義務および制限,他方に独身の状態と可能性とを比較しながら慎重に考慮します。真剣に考察した後,彼らは聡明な決定,すなわちいまのままの状態である独身を保とう,という固い決意をいたします。それからは,いろいろの絆を避けて独身生活を続けて行くようにします。
6 (イ)これらの人々は,どのように欠如感を充しますか。その結果どんな祝福を頂きますか。(ロ)彼らは自分の選んだ道を進むため,どのように自分自身を強めますか。
6 最愛の結婚配偶者がいないため当然に彼らは欠如感を持つかもしれません。その欠如感を充すために,彼らは自分の生活を神への全き奉仕で充そうと計画し努力します。そして,できるなら神に全時間を奉仕する僕となり,自分たちのできる奉仕の業をみないたします。神の奉仕に全く専念している為,彼らの心と注意は,残されている僅かの時にしなければならぬ現在の重要な業に集中します。このように自ら志願することによつて,よろこびと祝福の報いをうけます。そのよろこびと祝福は,クリスチャンの配偶者に結婚していないから時々淋しく感ずるではないか,という肉の思いを牽制してしまいます。節制は,神の御霊の実のひとつです。そしてどのクリスチャンも自分の知識,信仰,徳につけ加えねばならぬ重要なものの一つです。それで,彼らは自分の独身生活を保つ為に,節制という御霊の実を特に培います。(ガラテヤ 5:22,23そしてペテロ後 1:5,6)彼らは,自分の楽しむ特典や,また自分の避ける好ましくないものに注意することによつて,特に培つた節制をより一層に強めます。それだけでなく,彼らは自分の独身生活を最大限に楽しみ,そして独身生活から最大の益を得ようと計画し,また準備をいたします。これは,利己的なことではありません。これは,異性の者から結婚の分を奪い取つていることではないのです。ただ自分たちの権利に属しているものを楽しむことです。夫婦は,夫婦の権利に属するものを楽しむことができます。それは,主としてヱホバ神をよろこばして,ヱホバ神に讃美を捧げるためであり,またキリストによるヱホバの御国の事柄を慮るからです。
7 独身を保つていることについてどんなすばらしい例がありますか。これらの人々を,なぜ気の毒に思うべきではありませんか。
7 例えば,幾百人というクリスチャン婦人は,独身で外国の宣教に行きました。宣教地の人々は,どうして独身をしているのか,と不思議に思い,結婚しているその地の婦人たちは,ややもするとこれらの宣教者を気の毒に思つて,宣教者にはなにか大きなものが欠如しているからたいへん辛いだろう,などと考え勝ちです。しかし,宣教者は,ヱホバの霊により,宣教の業に全く献身し,言葉で言えない大きなよろこびを経験しているのです。それらの宣教者を気の毒だなどと思うのは,まちがいです。彼らは,苦しい状態下に結婚している宣教地の多くの婦人を,気の毒に思いますが,自分自身のことを気の毒だ,などと思いません。むしろ,エフタの娘のように感じます。
8,9 (イ)エフタの娘は,父親が彼女に為した誓をどのように見なしましたか。(ロ)彼女はどんな祝福を受けましたか。同様な独身生活は,今日何を得ることができますか。
8 父親である審判者エフタが,戦の勝利を得る為にした誓の故に,娘をヱホバの家で全時間奉仕させ,そして独身の生活を送らせねばならぬ,と告げたとき,娘は自分のことを気の毒に思つたでしようか。次のように述べた娘の言葉から判断して下さい,『わが父よ,なんぢヱホバにむかいて口を開きたれば,汝の口より言い出だせしごとく我になせよ。そは,ヱホバ汝のために,汝の敵なるアンモンの子孫に仇を復したまいたればなり。』彼女はたしかに或るものについて嘆きました。そして,エフタの誓に従つて献げねばならぬ自分の処女なる身分を嘆きました。だが,彼女に同情した女友だちと共に人里離れたところで,僅か2ヵ月間だけ嘆いたのみです。
9 その後,エフタの娘はヱホバの祝福し給う家で全時間奉仕に専念しました。彼女は独身で死にました。しかも,神の新しい世で死人からの復活を受けた後でも,結婚生活を楽しむ希望はないのです。しかし,天と地に対するヱホバの正しい至上権を立証するために,彼女はなんと素晴らしい記録をつくつたのでしよう! 彼女が神の家で独身の生活をしている時でも,神に近い密接な関係であるその特権に忠実であれ,という励ましを定期的に受けたのです。『イスラエルの女らは,毎年往つて一年間に四日ほどギレアデ人エフタの娘を称揚した。』(シシ 11:34-40,新世)僧院とか尼院に入ることによるのでなく,御国の福音を公やけに,また家から家に伝道することによつて,神の目的の為に独身を保つなら,その独身は神をよろこばし,また神に献身している者たちから称揚されます。聖書の中に,宣教者ピリポの4人の娘は,『処女であつて,予言をしていた』と名誉にも述べられています。―使行 21:8,9,新口,
『ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいている』
10,11 (イ)誰に対して,独身は一番良い道ですか。(ロ)誰に対して,結婚は一番良い道ですか。
10 結婚生活には,よろこびと満足をもたらす特権があります。その特権は神からの賜物です。独身にも,特定の特権と機会があり,それは神からの賜物です。あなたはどちらの賜物を欲しますか。このことを論じたパウロは,次のように書きました,『みんなの者が私自身のよう(パウロは姉妹を妻として連れて歩かなかつたのです)になつてほしい。しかし,ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいていて,ある人はこうしており,他の人はそうしている。』それからパウロは,結婚しているクリスチャンやその結婚の賜物ということに言及せず,結婚配偶者のいない人々にパウロ自身の束縛のない状態をすいせんしました『次に未婚者たち(童貞者)とやもめたちとに言うが,私のように,ひとりでおれば,それが一番良い。しかし,もし自制することができないなら,結婚するが良い。情の燃えるよりは,結婚する方が,よいからである。』― コリント前 7:7-9,新口。
11 情によつてほとんど燃えつくしているような人々は,イエスの述べた節制という賜物を持つていません。この腐敗した世には,『不品行がひろく行われている』ため,情の燃えている者や,情の焔で気持が乱される人々は,その独身生活ややもめ生活を断念し,合法の結婚配偶者を持つことにより淫行を避ける方が,昔でも又今でも良いのです。それで,パウロは会衆内の『若いやもめたち』について,次のように書きました,『みだらな生活をしているやもめは,生けるしかばねにすぎない。……彼女たちがキリストにそむいて性欲に駆られると,結婚をしたがるようになり,初めの信仰の告白を無視したため裁きをうける。それに,彼女たちはなまけていて,家々を遊び歩くことをおぼえ(伝道の業に)なまけるばかりか,噂話をして他人の事柄にお節介し,口にしてはならないことを言う。そういうわけだから,若いやもめは結婚して子を産み,家をおさめ,そして,反対者にそしられるすきを作らないようにしてほしい。彼女たちのうちには,サタンの後を追つて道を踏みはずした者もある。』― テモテ前 5:6,11-15,新世。
12,13 アンナは若いやもめたちに,どんな模範を残しましたか。彼女はどんな報を受けましたか。
12 淫行に耽つたり,また時間と精力を悪く用いたりするために,サタンの跡を追うようになります。『若いやもめ』がそれを避ける方法は,でき得るかぎり神の奉仕に専念することです。励ましの模範として,アセル族の女予言者アンナがいます。『彼女は非常に年をとつていた。むすめ時代にとついで,七年間だけ夫と共に住み,その後やもめ暮をし,八四歳になつていた。』彼女はどのように時を過し,自分の力を使つたのでしようか。
13 このようにです,彼女は『宮を離れずに夜も昼も断食と祈りとをもつて神に仕えていた。』長いあいだやもめ生活をしたことに,報はなかつたのでしようか。確かに,報はありました。老年になつたやもめの彼女は,約束されたメシアである幼児イエスを見る,という誉を持つたのです。ヨセフとマリヤは,彼女が神に仕えていた宮にイエスを連れてきました。『この老女も,ちようどそのとき近寄つてきて,神に感謝をささげ,そしてこの幼な子のことを,エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。』(ルカ 2:36-38,新口)それですから,長いあいだやもめ生活をすることは可能なことです。そして,ヱホバの奉仕を行う際に必らず良い報をうけるでしよう。―テモテ前 5:3-5,9,10,新口。
14 独身者は,結婚している者よりもどんな利点を持つていますか。
14 19世紀むかし,パウロは『時は縮まつている。』そして『この世の有様は過ぎ去る』と述べていました。そのわけで,彼は『あなたがたが,思い煩わないようにしていてほしい』と書いたのです。また,結婚しているクリスチャンたちには,霊的な機会や義務よりも自分の結婚の特権を重んじることのないように,とすすめているのです。思い煩いということを論じたパウロは,結婚の束縛や義務にしばりつけられない自由の身の利点を示しました,『未婚の男子は主のことに心をくばつて,……結婚している男子はこの世のことに心をくばつて,どうかして妻を喜ばせようとして,その心が分れるのである。未婚の婦人と処女は,主のことに心をくばつて,身も魂もきよくなろうとするが,結婚した婦人はこの世のことに心をくばつて,どうかして夫をよろこばせようとする。私がこう言うのは,あなた方の利益になると思うからであつて,あなたがたを束縛するためではない。そうではなく,正しい生活を送つて,余念なく主に奉仕させたいからである。』(コリント前 7:29-35,新口)1900年むかしのクリスチャンたちにとつて,この助言は個人的に利益のあるものでした。それでは,西暦1914年に御国が天で誕生し,この古い世の『終の時』の残された時が40年以上も縮められ,しかもこれから先ほんの僅かしか残つていないように見える現在,この助言は私たちにとつても個人的に利益のあるものです。
15,16 新しい世の社会で誰が自由に結婚できますか。神の御国の為に,誰が独身を保つことができますか。
15 記憶すべきことは,自由の身のクリスチャンは結婚が禁じられていない,ということです。会衆内の監督の地位にいる者も,宣教の僕も,又は一般普通の伝道者であつても,男やもめであろう,と未婚男子であろう,と何人も結婚を禁ぜられていません。結婚の資格を備えているクリスチャンに独身生活は強要されていないのです。自分を自制して,生涯の道を適当に制御し,そして神の御国のために『現在の悪しき組織制度』において,結婚をさし控えることのできる人は,そうすることができます。そして,心をひきつける他の事柄を押除けて,この賜物を受けいれます。イエスは,『それを受けいれることのできる者は,受けいれるがよい。』と言われました。しかし,もしそうできないならば,そして変る方が良いと思うなら,そうすることもできます。パウロは次のように書きました。
16 『だれでも自分の童貞にたいして正しく振舞つていない,と考えるなら,しかも青年時代を過ぎて,やむを得ないなら,望みどおりにさせるがよい。それは罪を犯すことではない。ふたりを結婚させなさい。しかし,心の中で堅く決意していて,必要も感ぜず,自分の意志を制して,童貞のままでいようと心の中で決めたなら,それはけつこうなことである。』― コリント前 7:36,37,新世。
17 パウロの時代に独身を保つた人々は,何の見込なしにそうしましたか。
17 パウロがその手紙を書いた当時は,ハルマゲドンの戦よりも19世紀も昔のことでした。ハルマゲドン後には,戦に生残る主イエスの『他の羊』は,結婚の特権を持つでしよう。パウロの時代に,忠実を守つて独身で死んだクリスチャンたちは,将来の地上で人間としての結婚をするなどという希望を抱かずに死んで行つたのです。彼らは上なるキリストの花嫁の一員になる,という天的な復活を希望したからです。それですから,昔に童貞を保つたということは,ハルマゲドンの後まで地上における結婚を延ばす,という考えをすこしも含んでいなかつたのです。
18 結婚する人については,何と言えますか。しかし,独身がより良い道である,となぜ言えますか。
18 それから19世紀後のこの終の時である現在に,必要を感ずるため結婚するクリスチャンたちは,『罪を犯すことではない。』同じく,自分の童貞を守るクリスチャンたちは,『けつこうなことである。』しかし,その結果に生ずる特権はちがいます。それで,パウロは次のように書いています,『だから,結婚して自分の童貞を失うのは差し支えないが,結婚しないで自分の童貞を守る者の行はもつと良い。』再婚し得るやもめも,もつと良い道を取ることができます。夫が死の眠についている故,彼女は『望む人と結婚してさしつかえないが,それは主にある者とに限る。しかし……そのままでいたなら,もつと幸福である。』彼女は,新しい夫に束縛されないからです。再婚するなら,夫がこの世で,節操を守つて生活する限り,その夫に束縛されます。独身は,より良い道,より幸福な道である,と信ずることができます。なぜなら,この助言は使徒パウロの意見だからです。使徒パウロは,このことを書いた時には神の御霊を持つていた,と確信していました。―コリント前 7:38-40,新世。
ハルマゲドン後の結婚
19 (イ)人間の結婚はハルマゲドン後でも存続する,ということは何時はじめて出版されましたか。何が結婚を解消しますか。(ロ)大洪水を生残つた者たちには,どんな祝福といましめが与えられましたか。
19 はるか昔の1885年の『ものみの塔』(英文)は,読者に次のことを知らせていました,すなわち,ハルマゲドンの戦が異国であるこの古い世を亡した後でも人間の結婚は引続いて行われ,そして正義の地的な息子や娘でこの地を『充たす』という神の最初の目的に従い,神が適当と思われるあいだは,人間の結婚は行われる,ということです。死は結婚のきずなを解消します。ハルマゲドンは,結婚しているヱホバの証者たちの結婚のきずなを解消しません。彼らはいつしよに,ハルマゲドンを生残ります。ちようど,世界全体に及んだ大洪水が,ノアとその妻との結婚のきずなを解消せず,ノアの3人の息子とその妻たちとの結婚のきずなを解消しなかつたことと,同じであります。彼らが,生命を保護した方船から出て,地上におけるヱホバの崇拝を再興した後,ヱホバは彼らを祝福して,『生よ,増殖よ,地に充てよ』と言われました。ノアは,すでに3人の息子を生んでいましたから,今度はその3人の息子たちがそれぞれ自分の持つていた1人の妻によつて子供を生むよう命ぜられたのです。その予言的な劇の中で,ノアは永遠の父であるイエス・キリストを予表し,ノアの妻はキリストの霊的な花嫁を予表しました。
20 誰が,誰のためにハルマゲドン後の結婚を取極めますか。それは,どんな結果をもたらしますか。
20 ハルマゲドン後でも,生残つた夫婦たちはその結婚のきずなを保ち続けて行くでしよう。ちがつた状態で生残る人々,すなわち男やもめ,やもめ,童貞の男子,処女たちは,結婚の特権を頂くでしよう。結婚の資格を持つそれらの生残る男子や女子の数に不釣合があるのではないか,などと心配する必要はいまありません。永遠の父は,その時の結婚を取極めます。ヱホバ神はこの永遠の父を用いてハルマゲドンの戦を行わせ,そして大いなる蛇,すなわち悪しき結婚妨害者の頭を砕かせます。それで永遠の父なるイエス・キリストは,地上にいる御自分の子らを救つてハルマゲドンを生残らせるでしよう。丁度ヱホバがノアとその家族を救つて大洪水を生残らせ,またイスラエル人をエジプトと紅海から救つたのと同じ様です。救われたそれらの人々がみなヱホバ神に属したように,ハルマゲドン生残者たちはことごとくその救い主なるイエス・キリストに属します。彼は,地的な娘たちの永遠の父です。それで,彼の選び給う者に娘を御旨のままに嫁がせます。そのようなわけで,配偶者の選択が不味い,などということはなく,また,結婚後に失望を経験するような人はひとりもいません。
21,22 その時どんな結婚状態が見られますか。
21 花嫁を頂く人は,ひとりとして永遠の父に花嫁金を払わないでしよう。すべての人は1人の父の子供であり,1人の父に属している故に,以前の人種とか皮膚の色にかかわりなく父の選びにしたがい,異種族結婚をすることができます。その時の結婚には,正義の両親から子供が多く生まれるでしよう。そして,神は母親の妊娠の苦しみを増しません。それですから,先に立つて禁ぜられた実を食べ,それから自分の夫にすすめて夫にもその実を食べさせて罪を犯させたエバの場合とは,違つた取扱いがなされるのです。―創世 3:16。
22 そして,夫と妻は楽園内にとどまるために忠実に協力し合うでしよう。彼らの働きや,その子供たちの働き,および永遠の父なるイエス・キリストを通して与えられるヱホバの祝福によつて楽園はこの地に回復されるのです。結婚における夫と妻の正しい地位は守られ,そして相互の義務は成しとげられます。神の霊を頂くだけでなく,彼らが人間としてますます完全に近づいている故,このことはもつと容易なことになり,さらに楽しみを加えるものでしよう。―ルカ 23:43。
23 ハルマゲドンを生残る他の羊は,どんな他の特権を持ちますか。
23 子供たちや,子供たちの子供でもつて地を充すことは,来るべき復活ということを十分に考慮に入れて,行われます。イエスの言葉によると,記憶の墓にいる者はみな予定の時に永遠の父の声を聞いて復活し,地上の完全な人間としての永遠の生命を頂ける貴重な機会を与えられる,とのことです。(ヨハネ 5:28,29,新世)ハルマゲドンの戦を生残る『他の羊』は,結婚の特権を頂くだけでなく,死人の復活によつて生ずるすばらしい奉仕の特権を持つようになります。そして,この特権は,結婚の目的が成しとげられ,地上において子供を産むことが止まつても,また妻に子供を持たせる,という夫の義務がなくなる後でも,存続するでしよう。―使行 24:15。
24 結婚が全き成功であると,どんな天的の証や,地的の証がありますか。
24 そのように,人間の結婚でこの地を美しくする,というヱホバの目的は栄光の中に成しとげられます。ヱホバ神は永遠の父なるイエス・キリストにより,結婚が地上で完全な成功を収めたという永遠の証を立てられます。ヱホバ神が地を創造して完全な人間を地に置いた目的は,地上の楽園を完全で正義の人間家族で充すことです。結婚は,その神の御目的通りに行われ,神が非の打ちどころのない結婚の取極を設けられたということを,全く証明するでしよう。楽園の地で永遠に救われた人類だけが,何時までもよろこぶだけでなく,大いなる天的な夫ヱホバとその忠実にして愛する妻,すなわちイエス・キリストの支配に従う天にあるヱホバの宇宙的な制度も大いによろこぶでしよう。愛情に溢れる祖父のごときヱホバと,慈愛に充ちる祖母のごときヱホバの宇宙的な制度は,孫たち,すなわち地上にいて神を畏れる子孫たちにその恵みを永久に表わしつづけるでしよう。