若い人たち,聖書の道徳を守るのが最善の道ではありませんか
「わたし,エホバは,あなたの神,あなたに自分を益することを教える者,あなたにその歩むべき道を踏み行かせる者である」― イザヤ 48:17,新。
1 なぜ青春は人生の中でもすばらしい時期なのですか。しかしある人はどんな態度を取りますか。
「我らが青春の日々は我らが栄光の日々」と詩人はうたいました。これに共感を覚える若者は少なくありません。青春は興奮に満ちた時であり,大人の重い責任を担わずにすむ時期だからです。ところが大勢の若い人々は,若者が得られる喜びと大人が得られる喜びの双方を手に入れようと躍起になっています。そうした人たちの態度を要約すれば,さしずめ,『待つことはない,楽しいことは何でも今すぐにやりたい』ということになるでしょう。
2 (イ)最近の統計は,若者と道徳について何を示していますか。(ロ)こうした傾向はクリスチャン会衆内の若者にも影響を与えていると思いますか。
2 この“人生の春”の,あらゆる快楽を手に入れようとする風潮によって,近代史の他のどんな時代にも増して,多くの若い人々が淫行と呼ばれる婚前交渉に走るようになりました。a この乱交のはんらんはクリスチャン会衆内の一部の若者にさえ影響を与えています。クリスチャンであるあなたは,『特にこの「終わりの日」に,若い人が貞潔さを非常に保ちにくくなっているのはなぜだろうか』と考えるでしょう。―伝道之書 11:10。テモテ第二 3:1-5。
圧力は確かに大きい
3,4 (イ)若い人々が貞潔さを保つのが容易でないのはなぜですか。(ロ)仲間からの圧力や理解されたいという願いがどのように問題を生み出すことがありますか。
3 十代には性的な欲求が『盛んに』なります。聖書の中で「若さの盛り」と呼ばれているこの時期になると,大抵異性に強く引き付けられるようになります。ですから若者であるあなたが性的な欲求に悩まされるとしても,それは異常なことではありません。しかし性を礼賛する現代の娯楽や広告媒体は,この正常な欲求をかき立てます。―コリント第一 7:36。
4 他の若い人たちから強い圧力が掛かることもあります。学校へ通うある若いクリスチャンの少女はこのように説明しています。「このごろはほかの生徒たちがしていることをしないでいるのは本当にむずかしくなってきました。学校の幾人かの女の子から,性行為をしたことがあるかと尋ねられました。まだないと答えたところ,みんなは笑い始めました。私は泣きたい気持ちになり,性行為をしたことがあると言いたくなってしまいました」。それに加え,若い人々は愛され,理解されている必要がありますが,その必要が家庭で満たされないことがあるかもしれません。それで若い人々は,自分たちを“特別に”扱ってくれ,同情して話を聞いてくれるボーイフレンドやガールフレンドを大切にするのです。この感情的な親密さは,性的に親密な行為に発展しかねません。押し寄せて来るこれらの新しい感情に戸惑う若い人々もいます。そうした人々は,『こんなに楽しいものが本当に間違っているのだろうか。聖書の道徳を守るのは本当に最善の道なのだろうか』といぶかるかもしれません。
最善の道
5 (イ)イザヤ書 48章17節は神について何と述べていますか。(ロ)テサロニケ第一 4章3-8節によると,道徳上の,わたしたちに対する神のご意志は何ですか。
5 わたしたちの天の父はご自分のお選びになった民にこう助言されました。「わたし,エホバは,あなたの神,あなたに自分を益することを教える者,あなたにその歩むべき道を踏み行かせる者である」。(イザヤ 48:17,新)道徳に関する『わたしたちの歩むべき道』とは何でしょうか。「これが神のご意志[すなわちご要求]で(す)。……あなたがたが淫行を避けることです。そしてあなたがたひとりひとりが,自分の器[体]をいかに聖化と誉れのうちに所有すべきかを知り,……貪欲な性欲のままに歩まないことです。……神はわたしたちを,汚れを容認してではなく……召してくださったのです」― テサロニケ第一 4:3-8。
6 (イ)使徒パウロは淫行に関し,油そそがれたクリスチャンたちにどんな命令を与えていますか。なぜですか。(ロ)このことから,若い人が自分の歩み方を吟味すべきなのはなぜですか。
6 道徳に関する神のご意志ははっきりしています。『自分の体を制御し』,淫行と汚れを避けなければなりません。神に命をささげたあなたがた若い人は,神に固く結び付き,清い組織の一員となったのです。こうした生き方を神は本当に喜んでおられます。しかし婚前交渉を行なう人は,「主といっしょになる」油そそがれた「キリストの肢体」の一人が,「娼婦と[性的に]いっしょになる」のと同じようなものです。使徒パウロは声を大にして「断じてそのようなことはないように!」と述べています。それは非常に貴重な関係を最大限に侮辱することです。これと同じほどの罪はほかにありません。「淫行をならわしにする者は自分の体に対して罪を犯している」からです。確かにこのような罪は神との霊的な関係を損ないかねません。パウロが「淫行から逃れなさい」と勧めたのも当然のことです。そうです,「逃れ」るのです! 理屈を言ったり反論したりしてぐずぐずしてはなりません。できるだけ遠くへ,しかも速く逃れることです。しかしこうした行為から「逃れ」ない人はどうなりますか。―コリント第一 6:15-18。
「自らを損なう」
7-9 (イ)ペテロ第二 2章9-13節は,不道徳な行為に携わる人々について何と述べていますか。(ロ)汚れた行為に携わった人々は,どんな面で『自らを損ない』ましたか。
7 使徒ペテロは,会衆内にいて「栄光ある者たち」を悪く言い,不道徳な行為に手を出していた者たちは結局「悪行に対する報いとして自らを損なう」ことになってしまったと述べています。(ペテロ第二 2:9-13)性の非行に対するその「報い」は,性病や婚外妊娠だけで終わるわけではありません。愛や敬意や心の平安まで損なわれてしまうのです。例えば,『一線を越えて』淫行を犯した若い人々は,悲しそうにこう告白しています。
「本当にがっかりしました。想像していたような良い気分や温かな愛は味わえませんでした。むしろ,その行為がいかに間違っているかを痛感させられました」。
「一晩中泣きました」。
「自分が犬のようにあさましく感じられました。むなしくて,胸がむかむかしました。自分にも,相手の女の子にも愛想がつきました。それどころか,こんなことを許してくれた女の子を恨めしく思っている自分に気付きました」。
8 わたしたちの天の父は,淫行だけでなく,「汚れ」をも避けるようにと述べておられます。(テサロニケ第一 4:7)この語には広い意味があり,道徳に反する行為を指しています。例えばマスターベーション(自涜行為)は多くの若い人々が行なっている「汚れた」習慣です。それは間違いなく「性欲」をかき立て,重大な罪を引き起こすことがあります。この習慣を克服するよう真剣に努力しなかった幾人かの人は,この思考の型のせいで結婚後に問題を抱え込みました。一人の青年は,自分だけで性的満足を得ることが長い間の習慣になっていたために,結婚してから,結婚生活の「当然受けるべきもの」を与えられなくなっていることを知り,がく然としました。悲惨な時期が何か月も続きました。―コリント第一 7:3。
9 あるカップルは欲情に駆られ,局部に触れるという,性を刺激する行為に携わっていました。これも「汚れ」であり,容易に,そしてしばしば不道徳な性交へとつながります。こうした行為は人の「性欲」を,事実上最高度の興奮状態にまで燃え上がらせます。ある青年はこう話しています。「自分が獣欲を持った動物のようになることが分かります。それは本当に激しい感情です」。そのような行為は婚約の破棄という事態bを招きます。またその後で結婚した人々の生活に様々な問題を生じさせることも珍しくありません。一組の若い夫婦はこう打ち明けました。「淫行以外のことはほとんど何でもしましたし,結婚する前には淫行すれすれのところまで行きました。長老たちからの援助は受けたのですが,以前と同じようにはなりませんでした。以前はお互いに持っていた敬意を取り戻すのは難しいことでした」。
10 結婚する前の二人にとって,「汚れ」が有害であるのはなぜですか。
10 未婚者が,結婚の床のためにだけ取り置かれている『陶酔感を与える』何らかの性的な行為に携わり始めると,盲目的になり,良い夫また妻として必要な特質を身に付けていない人と結婚してしまうことになるものです。性には,二人の重大な相違点を覆い隠してしまう傾向があるのです。その相違点は結婚後にも再び現われ,様々な問題の原因となります。結婚式の時点で新婦が子供を身ごもっていた265組の夫婦のうち,5年後にも一緒だったのはわずか15組だったという研究結果も驚くにはあたりません。別の研究調査によると,婚前交渉を行なう人々は,それをしない人々の2倍も姦淫を犯しやすくなるということです。ですから若い兄弟姉妹たち,結婚前に性関係を持てば結婚生活がより幸福なものになるといった「無意味なことば」に欺かれないようにしましょう。(エフェソス 5:6)思春期に達してから性行為をしないと病気になるとまで言う人がいますが,これは誤った考えです。貞潔さと関係のある病気があるなどと言った医師は一人もいません。悲しいことに,愛よりも性的な欲望を満足させるために同棲した人々は,その後の人生でそのことを後悔しています。
11,12 (イ)エホバは性の不道徳に対してどんな処罰を下されますか。(ロ)ヨブは神に敵対して強情さを示す人について何と述べていますか。(ハ)これからどんな質問を考慮しますか。
11 「エホバはこうしたことすべて[淫行や汚れ]に対して処罰を科する方」であることを,どんな時にも忘れてはなりません。(テサロニケ第一 4:6)この処罰は,良心の痛み,会衆の長老たちから受ける懲らしめ,まいた結果を刈り取るといった形を取るかもしれません。もちろん悔い改めるなら,エホバは惜しみなく許してくださり,わたしたちの罪を完全に覆ってくださいます。しかし,強情で神の律法に注意を払おうとしない人もいないわけではありません。「だれが神に強情さを示して,無傷で済まされよう」とヨブは問い掛けています。(ヨブ 9:4,新)無傷で済まされる人は一人もいません。このような「強情さ」はエホバの心を痛めます。それは,前に挙げたような心の痛手を負う若い人々を数多く見てきた,気遣いを示す長老たちを苦しめます。神の律法と原則を破りながら「無傷で」済まされる人はいないことをその監督たちは,知っているのです。不道徳な行為を悔い改めたあるクリスチャンの若い女性が会衆の長老たちに語った通りです。「真理にいる若い人すべてに,『そんなことをしてはいけない!』と言いたい気持ちです。エホバは過ちを許してくださるかもしれませんが自分としては許せないかもしれません。いやな思い出にさいなまれるでしょう。やってみる価値は全くありません」。長老たちはエホバと共にこのように懇願します。「ああ,あなたがわたしのおきてに実際に注意を払いさえすれば!」―イザヤ 48:18,新。
12 では,クリスチャンの若者は,どうすればエホバのおきてに従い,性の不道徳に関する数多くのわなや巧妙な落とし穴を避けることができるでしょうか。
親に心を向けなさい
13 敬けんな親を持つ若い人々は,箴言 23章26節をどのように適用できますか。どんな結果になりますか。
13 「我が子よ,あなたの心をわたしに向けよ。あなたのその目がわたしの道を楽しみとするように」。(箴言 23:26,新)この訴えが要求しているのは,単なる機械的な従順以上のものです。若い人は心を開き,心を打ち明けなければなりません。しかし自分が若いので,クリスチャンである父も母も,自分の気持ちを全く分かってくれないと考えている人がいるかもしれません。マスターベーションの問題に陥り,助けを必要としていたあるクリスチャンの少女はそう感じました。この少女は母親に話そうかどうかと悩みました。母親はどんな態度に出るでしょうか。分かってくれるでしょうか。「そのことについて母に話したところ,母は耳を傾けてくれ,しかりはしませんでした」と,この十代の少女は語りました。「母は私を抱きかかえるようにし,私を愛していてこの問題を克服する助けになりたいと言ってくれました。私たちはそのことについて率直に話し合い,話が終わると母は私を抱いて一緒に祈ってくれました。それ以来私はなんでも母に話せるようになりました」。
14 クリスチャンの若者は,敬けんな親の課す規則をどう見るべきですか。
14 このように,若い人々はクリスチャンの親に打ち明けることにより,すぐに助けを得ます。若い人々は敬けんな親の道を「楽しみとする」ようになり,親が課す規則や与える訓練を,“楽しい時”から引き戻そうとする荒々しい“鎖”と見るのではなく,価値ある「首飾り」と見るようになります。(箴言 1:8,9,新)あなたは本当に親に対して正直ですか。それとも「親といるときには親の望み通りになりますが,親がいないときには自分のしたいようにします」と言った若い人のようでしょうか。神を恐れる両親に近付けば,不必要な多くの苦痛を避けるように助けられるのです。親がクリスチャンでなければ,円熟したクリスチャン ― 男子でも女子でもよい ― や会衆内の長老たちに近付くことができます。快く差し伸べられるそうした助けを求めてください。―テトス 2:3,4。ヤコブ 5:14,15。
体を奴隷として連れて行きなさい
15 使徒パウロはコリント第一 9章27節で自分の生き方をどのように説明していますか。若い人はどうすれば同じような行動ができますか。
15 使徒パウロは述べました。「自分の体を打ちたたき[『青黒いあざができるほど打ち』c],奴隷として連れて行くのです[『それがわたしを奴隷として連れて行く』ではない]。それは,他の人たちに宣べ伝えておきながら,自分自身が非とされるようなことにならないためです」。(コリント第一 9:27)パウロは自分自身に“厳しくしました”。ですから,肉体的な欲求に屈してしまうのではなく,性的な感情が興奮させられそうな状況になったら,注意深くそれを避けてください。例えば,性を礼賛する本を読んだりテレビ番組や映画を見たりすると,肉体的な欲求がどうなっていくかは分かるでしょう。ですからこうしたものを疫病のように避けるのです。結婚する備えができていないのにデートをすること(社会的に受け入れられている場合),ある種のダンス,貞潔な目的がなく二人ずつ組になって行動するようなパーティー,これらは皆「性欲」を高めます。それでそれらを避け,「ですから,淫行,汚れ,性欲……に関して……肢体を死んだものとしなさい」。―コロサイ 3:5。
16 結婚の下準備としてデートをしているクリスチャンのカップルは,どんな注意を払うべきですか。
16 二人が結婚の下準備としてデートをしている時には特に,状況に注意を払うことが必要です。自動車,アパート(家を離れて一人住いをしている人などの場合),あるいは戸外の人目に付かない場所などには,過度に親しくなる危険がひそんでいます。17歳の若者は率直にこう語りました。「『やめるべき時は分かっている』と言うことは簡単です。なるほどその時については知っているかも知れませんが,どれほどの人がその時にやめられるでしょうか。それよりもそういう状況を避ける方がよいのです。ほかの人にもいてもらうのです」。確かに年配の既婚婦人などに付き添ってもらえば,二人が一緒の時も,体の性的な欲求を完全に制御できる特別な力が得られます。同時に,どの程度愛情を表現するかについて,「限界を設けてください」。これらのものに堅く従ってください。
17 交わりに注意するのは重要なことですか。なぜですか。
17 道徳的にふしだらな人々と一緒にいることを体が欲するなら,そうした交わりから体を「連れて行く」べきです。「あなたの道を彼女[不道徳な女]のそばから遠ざけよ。彼女の家の入口に近づいてはならない」と聖書は勧めています。(箴言 5:8,新)もちろん学校では若い人たちも数多くの不道徳な人々との交わりを強いられます。しかしあなたは彼らと交際しますか。18歳の一少女は,多くの人々の気持ちをそのまま述べ,こう言いました。「交わりというものは自分の道徳に大きな影響を与えます。性についての彼らの話に耳を傾けるなら,好奇心がわいてきます。性とは一体どんなものなのか考えるようになります。人が言うほどよいものなのでしょうか。私は実にそうした事情がもとで一人で子供を育てていますから,このことの真実さがよく分かります」。―箴言 13:20。
18 貞潔であるゆえに他の人から嘲笑された場合,若いクリスチャンはどんな質問を考慮すべきですか。
18 聖書は,不道徳な人々がクリスチャン会衆内に忍び込むことを示しています。ですから警戒を怠ってはなりません。そのたぐいの人だと思える人がいたら,霊的な援助を受けるため長老たちの所へ行くよう,その人に話してください。それはその人に純粋の愛を示すことであり,同時に会衆内の他の人を守ることにもなるでしょう。確かに,この世的で不道徳な人の中には,あなたの貞潔な立場を嘲笑する人がいるかもしれませんが,考えてみてください。「腐敗の奴隷」,そうです自分自身の欲情の奴隷になっている人に気持ちを乱されてよいものでしょうか。(ペテロ第二 2:19)「自分の情夫たちの後を追いかける」ふしだらで不道徳な女(あるいは男)と,自分の道徳的な強さについて「わたしは城壁です」と言い得る貞潔な乙女と,どちらが本当に強いでしょうか。(雅歌 8:10。ホセア書 2章7節と比較してください。)どちらの人が,自分の自尊心を失い,『自分の尊厳を他人に渡す』ことになりやすいでしょうか。―箴言 5:9,新。ユダ 4,8-13。
19 (イ)『体を奴隷として連れていった』のは,雅歌の中に出て来る二人ですか,それともアムノンですか。(ロ)その結果どうなりましたか。
19 自分の体を制御し,それを支配するなら,昔を振り返って後悔するようなことにはなりません。若いシュラミの娘とその恋人の羊飼いが,ついに結ばれて夫婦になった時の喜びを考えてみましょう。他の人に助けられ,また自分自身の努力によって二人は肉体的な欲求を克服し,貞潔さを保ちました。愛を示す言葉を語りはしましたが,結婚関係に入るまでは不道徳な立場に立つことなく,結婚してお互いに打ち解けたあとに得られる喜びを損なうようなこともありませんでした。どうしても待つことができず,『体の奴隷となって連れて行かれ』,不道徳な行為に陥った情欲に燃えたアムノンとは何という違いでしょう!―雅歌 2:16; 4:16; 5:1。サムエル後 13:1,2,10-16。
神との関係を築きなさい
20 (イ)神との個人的な関係を築かないとどんなことが生じ得ますか。(ロ)パウロがローマ 1章の中で述べている不道徳な人には何が欠けていましたか。
20 幼いころからクリスチャンの家庭で育て上げられた22歳になる女性は,「私はエホバとの個人的な関係を全然築いていませんでした」と正直な気持ちを述べています。「神は私にとって真実の人格的存在ではありませんでした。不道徳なことを行なった時にもちっとも苦しまなかった原因はそこにあると思います」。この女性の状況はパウロが述べている不道徳な人々の状況と似ています。それらの人々は「神を知り」ながら,また「神の義なる定めをはっきり知り」ながら,「正確な知識」d に欠けていました。(ローマ 1:21,28,32)当然培うべきだったこの「より深い,より詳しい知識」,e つまり個人的な知識が欠けていたのです。若いあなたにはこの個人的な「正確な知識」がありますか。神の様々な特質をよく理解するためには個人的に,定期的に神の言葉を学ぶ必要があります。初期クリスチャンがどのようにこうした「正確な知識」によって強められたかを思い起こしましょう。(5ページをご覧ください。)しかし机の上での勉強だけでは足りません。
21,22 神との強力で個人的な関係は何によって築かれますか。
21 心からの祈りは,神との親密さを築きます。不道徳のわなに捕らえられ,そのあとで立ち直ったある若いクリスチャンの少女はこう述べています。
「その個人的な関係を保つ唯一の方法は祈りです。それも決まりきった祈りではなく,本当に心の中から出る祈りです。自分の本当の気持ちをエホバに申し上げ,絶えずエホバと意思を通わせるようにして初めて,エホバが真実に人格的な存在であられ,私の人生に関心を持っておられることが分かりました。神との関係は世界で最も重要なものです」。
22 あなたの祈りはこれほどに真剣なものですか。あなたはその祈りに調和して行動しますか。さらに「神と共に働く者」となり,宣べ伝える業に参加することによって,自分の関心事や目的を,神のそれと同じものにできるのです。そうなれば当然エホバ神との親しい関係を築くことができます。こうした神との個人的な関係は自分にしか築けないということを忘れてはなりません。―コリント第一 3:9。
23 (イ)不道徳に対する闘いは永遠に続きますか。(ロ)エホバに喜んでいただくためにどんな努力でも進んですべきなのはなぜですか。
23 若い人に対する圧力は確かに強くなっています。忠実であるためには日々闘いが必要です。しかしながら「若さの盛り」を過ぎてしまえば,その闘いもより容易になるものです。それでもその闘いは永遠には続きません。やがてこうした不道徳の波の背後にいる主要な扇動者であるサタンは滅ぼされます。間近に迫っている神の新秩序では,わたしたちの歩みを非常に容易なものにする義に満ちあふれた環境が作り出されるでしょう。その新秩序の様々な祝福を思いに描くのです。あなたも,ある若い女性が語った感慨深い言葉に同意されるに違いありません。「私はエホバが私のために行なってくださったことや私に約束しておられることのすべてを考えます。エホバは私を見捨てられませんでした。エホバは非常に様々な方法で私を祝福してくださいました。私にとって最善のことだけを神が望まれることがよく分かります。ですから私は神に喜んでいただきたいのです。エホバのためにどんな努力を払おうとも,永遠の命はそれに値するものです」。―ローマ 16:20。ペテロ第二 3:13。
[脚注]
a 3ページの記事の驚くべき統計をご覧ください。
b 権威者の中には,欲情に駆られて局部に触れる習慣を婚約破棄の主要な原因の一つとして挙げる人たちがいます。調査の示すところによると,少なくとも3件の婚約のうち1件は結婚に至らないで終わります。
c 解説者のギリシャ語新約聖書。
e ギリシャ語学者であるリチャード・C・トレンチ博士著「新約聖書における同義語」からの引用。
復習をしてみましょう。次の質問に答えられますか
■ 性道徳に関して神がクリスチャンに示しておられるご意志はどんなものですか
■ 性的な「汚れ」が未婚のカップルにとって有害であるのはなぜですか
■ クリスチャンの若者は,敬けんな親から与えられる聖書に基づいた援助をどう見るべきですか
■ 結婚の準備期間に,クリスチャンのカップルはどんな注意を払うべきですか
■ エホバ神との強力な個人的関係は,どうすれば培うことができますか
[12ページの図版]
不道徳は,良心を傷つけ相手に対する敬意を失わせるゆえに有害なものである
不道徳
相手に対する敬意がなくなる
[14ページの図版]
祈りによって培われる神との個人的な関係は保護となる