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最初から出席しましょうものみの塔 1969 | 9月1日
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出席するように招待され,すすめられているのです。これはどれほど大切なことですか。つぎのことを聖書に書きとめるように命令されたのはエホバ神です。「男女子ども……を集め 彼らをしてこれを聴かつ学ばしむべし 然すれば彼等汝らの神エホバを……畏るることを学ばん」― 申命 31:12。ヘブル 10:24,25。
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読者からの質問ものみの塔 1969 | 9月1日
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読者からの質問
● 聖書はモーセが120歳まで生きたと述べています。ではなぜ彼は詩篇 90篇10節で人の年齢は70歳か80歳にすぎないと書くことができましたか。―英国の一読者より。
詩篇 90篇の表題は,「神の人モーセの祈祷」となっています。ユダヤ人のタルムッド作者や学者たちは一致してこの詩篇をモーセに帰しています。たとえば,ライプチッヒ大学の有名な教授フランツ・デリッシュはこう書いています。「この詩篇ほど,その起源にかんする伝統的証言の正しさを見事に証明する不朽の古典はまずないといってよい。その内容のみならず文体からしても,これはまったくモーセに帰すべきものである」。
詩篇 90篇でモーセは次のように書きました「われらが年をふる日は七十歳にすぎず あるひは壮やかにして八十歳にいたらん されどその誇るところはただ勤労とかなしみとのみ その去りゆくこと速かにして われらもまた飛去れり」。(詩 90:10)モーセはこれよりも長く生きたので,多くの人は,なぜ彼がこのように書いたのか不思議に思っています。申命記 34章7節によれば「モーセはその死たる時百二十歳なりしがその目はかすまずその気力は衰え」ませんでした。
この聖句から実際にむずかしい問題は何も起きません。この詩篇を作った時のモーセの年齢はわかりませんが,その言葉から明らかなように,彼は70歳が寿命で,80歳は長生きだということを知っていました。確かに,エジプトの奴隷状態から解放された世代のほとんどの成人したイスラエル人は,あまり長生きをしませんでした。エジプトを出る時20歳以上だった者たちは,40年間の放浪の末滅びました。
もちろんモーセ(120歳),アロン(123歳),ヨシュア(110歳),そしてカレブ( 85歳以上)などの例外はありました。しかし,これらの例外は詩篇 90篇10節に記されている平均寿命を変えるものではありません。ヨシュアとカレブはその世代の人々よりも長生きし約束の地に入る,と神が直接宣言されたことを思い出して下さい。カレブは85歳の時,彼の年齢と体力に注意を促し,それをまれなものとして述べています。―民数 14:30; 33:39。ヨシュア 14:10,11; 24:29。
ときどきわたしたちは,100歳か100歳をすこし越えた人が居ることを新聞で見ます。ソ連邦のコーカサス山脈に住む長命で有名な人々のような集団さえいくつかあります。彼らの長命は遺伝的要素や生活様式からきているようです。このような例が広く報道されるということは,それらが例外であることを示すものです。多くの国の平均寿命が60歳から72,3歳で,詩篇 90篇10節の数字に近いという事実はいまもって変わりません。
寿命について考える時,多くの人は,近代科学が人間の寿命を大幅に延ばしたと思っています。ある意味ではそうです。幼児の死亡率や児童の死亡が減少して,平均寿命が高くなりました。1850年頃の英国では,男子の平均寿命は40歳に達しませんでしたが,1947年にはそれが60歳に上昇しました。しかし特定の年齢に達したおとなの平均余命はほとんど変わりません。たとえば,1850年のアメリカで,40歳だった人は,67歳まで生きることが期待できました。1962年には人間の医学の進歩にもかかわらず,40歳の男性が期待できるのは71.7歳で,これは1850年以来わずか4.7年の増加にすぎません。
したがって,モーセのようないくつかの例外はありますが,「われらが年をふる日は七十歳にすぎず」という霊感されたこの言葉が真実であることはモーセの時代も今も変わりません。
● コリトン前書 13章8節の「知識もまたすたらん」という聖句は何を意味していますか。―アメリカの一読者より。
文脈を調べると,聖霊の奇跡的な賜物である超自然の知識が,やがてなくなることを使徒パウロが意味したのは明らかです。
前の章でパウロは,霊の「賜物は殊な」ることについて書きました。この奇跡的な賜物には,いやすこと,預言すること,異言を語ること,そして知識のことばが含まれていました。(コリント前 12:4-11)これらは,医学を治めていやしたり,さまざまな言語を学んでいくつかの国語で話すといった普通の能力ではありませんでした。それは奇跡的な能力でした。したがって,ここで述べられている「知識」も同じく,経験や観察,あるいは聖書を含むいろいろな本の研究を通して得られる普通の知識ではありませんでした。それは聖霊によって与えられた超自然の知識でした。
エホバが超自然の知識を与えることができたことを示す,つぎのような例があります。ラザロが死んだ時,イエスに同行した者たちは,病気のラザロが死んだことを知りませんでしたが,イエスは知っておられました。(ヨハネ 11:5-14)それよりも前,井戸ばたにいた一人のサマリアの女は,イエスが彼女の結婚の経歴について超自然の知識をもっていたので,イエスを預言者と認めました。―ヨハネ 4:16-19。
西暦33年のペンテコステ後,使徒たちが関係していたつぎのような場合を心に留めてください。アナニヤがひそかに「聖霊に対して詐」った時,使徒ペテロは奇跡的にそれを知っていました。―使行 5:2-4。
聖書は奇跡的な知識の用途について詳しく述べていませんが,もう一つの方法でも用いられたようです。キリスト教の揺らん期に,神は諸会衆を強めるため,超自然の知識をお与えになったかもしれません。初期クリスチャンは,聖書に強い興味を持っていましたが,神のみことばの写しは,今日ほど容易に手にはいりませんでした。会衆は,聖書を扱ったり,またエルサレムの使徒や古い人々から成る「統治体」が持っていた知識を説明する参考文書を発行することもありませんでした。さらに伝達手段も限られていました。手紙や使者によって,使徒または「統治体」に質問を送り,その答えを得るには数か月かかったでしょう。―使徒 15:2,30; 16:4。
それで,異教社会の中で孤立した場所にある会衆の集会では,超自然の知識が奇跡的に示されることによって,クリスチャンはしばしば強められ,励まされたことでしょう。疑問や問題がある時,神は知識のことばを持つ者を通してその解答を与えることができました。会衆が聖書の巻物を手に入れられなくても,その人は以前読んだ聖句の適用を思い出したり,理解したりすることができたでしょう。
この超自然の知識はクリスチャンのあいだにいつもありましたか。そうではありません。第1世紀にもすべての人がこの賜物を持っていたわけではありません。(コリント前 12:28-30)そのうえキリスト教はついに確立し,しっかりと組織されました。それで,「知識」を含む奇跡の賜物の必要もなくなりました。したがって,パウロはつぎのように書きました。「されど預言はすたれ,異言はやみ,知識もまたすたらん」― コリント前 13:8。
今日では,聖書は,世界的にいく百ものことばで読むことができます。初期クリスチャン会衆とは異なり,現在では完成したクリスチャン・ギリシア語聖書があります。この聖書は,ヘブル語聖書の預言の適用に関する説明ばかりでなく,いくつかの預言を含んでおり,わたしたちはその成就を見ることができます。まことの崇拝者は,「忠実な,さとい奴隷」級によって備えられる聖書関係の多くの文書や雑誌を手にすることができます。―マタイ 24:45-47,新。
それで,現在,たとえ神がこの奇跡的な知識の賜物をお与えにならなくとも,わたしたちは少しも途方に暮れることはありません。わたしたちが命に導く正確な知識を求める時,学ぶべき事はたくさんあります。(ヨハネ 17:3)そしてまもなく,わたしたちは「水の海をおほへるごとくエホバをしるの知識地にみつ」時を経験するでしょう。―イザヤ 11:9。
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「エホバを試みる」ものみの塔 1969 | 9月1日
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「エホバを試みる」
年に3度大会に出席することは,しばしば「エホバを試み」るよい機会となります。(マラキ 3:10)南米北東岸のオランダ領スリナムに住む10歳の一少女は,パラマリボで開かれる地域大会に出席したかったのですが,お金がありませんでした。彼女は毎晩エホバに祈りました。少女はある婦人のもとで働いていましたが,得たお金は全部母親に渡さねばなりませんでした。ある日,その婦人は,彼女の自動車をサービス・ステーションまで運んで洗う話をしました。少女は,すぐに,わたしに自動車を洗わせてくださいと申し出ました。婦人は,少女に25セント(90円)払う約束をしました。これはあまり多い額ではありませんでしたが,少女は仕事をひきうけました。彼女は,自動車をたいへんきれいにしようと,特別念入りに洗いました。婦人は彼女にその場で賃金を払おうと思いましたが,少女はそのお金をためておいて欲しいと頼み,お金の必要なわけを婦人に説明しました。婦人はたいへん感心して,毎週車を洗うことを頼み,また,賃金を2倍にしてくれました。エホバはこの少女の祈りを聞かれました。彼女は4日のあいだずっと大会に出席することができました。あなたは,1年に3回開かれる大会の招待に応じることによって,「エホバを試み」ますか。
― エホバの証人の1969年度年鑑より
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