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円熟,クリスチャンに対する要求ものみの塔 1963 | 10月1日
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なのである。それは,わたしたちの心にしるされていて,すべての人に知られ,かつ読まれている……墨によらず生ける神の霊によって書かれ……人の心の板に書かれたものである」。―コリント後 3:2,新口。
12 (イ)クリスチャン奉仕者また他の人にとって,「ものみの塔」はなぜ貴重ですか。(ロ)何を怠ってはなりませんか。
12 自分の勉強についてはどうですか。「ものみの塔」の全部の記事を学ぶに十分な時間を勉強にあてていますか。エホバ神が今日お用いになっているおもな伝達の手段であるこの雑誌の一部を読まずにすませてしまうことがありますか。この雑誌を通して与えられる教えはきわめて重要であり,それに注意を払うのは生命の問題であることを認識していますか。
13 円熟しつゝあるかどうかは,どのようにしてわかりますか。
13 円熟に進んでいるかどうかは,いろいろな問題の解決策を自力で見つけられるかどうかによってもわかります。原則を考え,正しい結論を出すことができますか。何か尋ねられたとき,聖書から答えられますか。自分自身の問題また宣教に関連した問題を自分で解決しますか。またそうする力がありますか。そうであれば,コリント前書 14章20節を正しく理解していることになります。「物の考えかたでは,子供となってはいけない。悪事については幼な子となるのはよいが,考えかたでは,おとなとなりなさい」。(新口)
14 仲間のクリスチャンとの関係において,どんな性質を表わすべきですか。
14 忍耐強く,怒ることにおそいですか。仲間のクリスチャンのことで不平や不満がありますか。人によって親切だったり不親切だったりしますか。他の人のことを話したり,あるいは家族,会衆の人,新しい善意者など,他の人と話をするとき,徳を高める話をしますか。善良で快活な性質を持っていますか。すぐにふさぎ込みますか。伝道するとき,怒りやすく,また何時までも気を悪くしていますか。使徒パウロの次のさとしを心に留めていますか。「たがいに忍び合い,互に責むべきことがあるならば許しあいなさい。エホバもあなたがたをおゆるしになったのであるから,あなたがたもゆるし合いなさい」。―コロサイ 3:13,新世。
15 (イ)クリスチャンが自分の行いに注意することは,なぜ必要ですか。(ロ)クリスチャン奉仕者は何を得ようと努めるべきですか。
15 誘惑にすぐ負けますか。それとも誘惑に耐えられますか。道を踏みはずさないように足許を見守ることの必要を認識していますか。サタンは肉の弱さに何時でも目をつけており,呑むべき者を尋ねている敵です。そのことを忘れてはなりません。箴言 4章14,15節はたしかに知恵の道を教えています。「よこしまな者の道に,はいってはならない,悪しき者の道を歩んではならない。それを避けよ。通ってはならない,それを離れて進め」。(新口)すぐにわかる通り,円熟したりクリスチャンの道は真直ぐな道です。それから離れるならば,悲しむべき結果になるでしょう。円熟した強い心で正しい判断を下して誘惑を避けなさい。このようにして(他の人ではなく)自分を何時も吟味するとき,クリスチャンにとって円熟すること,全く成長した人になることがどんなにすばらしい事であるかを知るでしょう。
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証言となる良いふまいるものみの塔 1963 | 10月1日
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証言となる良いふまいる
◇ カナダ,アルバータ州の奉仕者は,別のエホバの証者と共に,カルガリイ市のある家を訪問した時に出て来た婦人の話を知らせて来ました。「婦人が私たちにききました,『あなたがたはエホバの証者ですか』。そうですと答えると,婦人は私たちを家の中に招き,エホバの証者は品行が良く,他人にも思いやりがあるから尊敬していると言いました。話によると,彼女は以前婦人刑事で,仕事の関係上人のことを良く観察する習慣がついたとのことでした。ある日,彼女は御主人と一緒にブリティッシュ・コロンビア州のレストランに行きました。食事が来るのを待つ間,彼女はウェイトレスたちがお客さんに給仕する様子を見ていました。やがて彼女は御主人に言いました。『あそこにいる娘さんの宗教がなんだか分かるわ』。『おお,なんだね』。『エホバの証者よ』。二人はその給仕さんを呼んで聞いてみたところ,そのとおりでした。給仕が立ち去ったのち,御主人が言いました。『なぜ,エホバの,証者かどうか分かったの』。推理好きの彼女が答えました。『彼女の身のふるまい方,周囲の人たちに対する細かな心のつかい方から』。娘さんの良いふるまいにより,私はこの時数冊の雑誌を配布し,再訪問の取りきめもできました」。
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