神の支配権 ― 全人類に唯一の希望を与えるもの
この記事に収められている,人を鼓舞する音信は,世界各地でこれまでに合計130万人の聴衆に主要な講演として話されたものです
「希望を持つ捕われ人よ,とりでに帰れ」― ゼカリヤ 9:12,新。
1 人間の支配が全人類にこれまで与えてきたものについては何と言わなければなりませんか。進化論の認める作用なるものを,将来に対する希望の根拠とすることについてはどうですか。
「神の支配権」は,人間の支配権が今まで人類に与えなかったものを与えることができます。それは何ですか。「並はずれてすぐれた」ものはしばしば「神の」ものと呼ばれていますが,人間の支配が今日まで全人類に与えてきたものは確かに「神の」ものではありません。この世の物事の経過に照らして判断すれば,人間の支配は,これまですでにわたしたちに与えた以上にすぐれたものを人間に与えうるなどと約束できるものではないことがわかります。しかも,これまでに与えられたものは,魂を満足させるどころか,あまりにも期待に反するものなのです。過去幾千年の人類史の全期間を通じて人類は,人間の支配が政府の支配権という点でその臣民である人間に与えうるのは人間の支配権にすぎないことを証明してきました。人類は不完全ですから,これまで行使されてきた人間の支配権も不完全なものです。広く受け入れられている進化論といえども,人間が驚くべき有益な「突然変異」によってわたしたちの世代のうちに,あるいは今後何億年かのうちに神々に進化すると期待できる根拠を提供するものではありません。ですから,人間の支配権に基づいて,現在の世界の苦悩が除去されるなどと期待できるものではありません。
2 (イ)希望とは何であると説明されていますか。全人類のための希望とはどのようなものでしょうか。(ロ)国際連合は世界に希望を与えるものとしてはどう評価されますか。もし国連が機能を失うとすればどうですか。
2 人類の世界全体は絶望同然の状態におかれてきました。希望とは「願う事がらに対する期待」もしくは「願いが満たされるとの期待を伴う願望」であると説明されています。また,希望とは,「期待の的とされている人物あるいは物事」と解することもできます。人はみな,おのおのささやかな希望や恐れを持っているものですが,人種・皮膚の色・国籍・社会的な立場などのいかんを問わず,全人類があずかれる希望があるなら,それはなんとすばらしいことではないでしょうか。まさにそのとおりです。なぜなら,それは決して利己的,国家主義的また人種的に偏ったものではない,それは全人類の共通の願いや必要を満たすものだからです。世界の平和と安全のための機構である国際連合はおよそ30年間運営されてきましたが,そうした希望もしくは希望を与えるものとはなっていません。加盟国がさらにふえても,そうした失敗が成功に変わるわけではありません。国際連合は人類が自らの緊急な必要に答えて提供できた世界的な規模の最大の機関です。もし国際連合が以前の国際連盟のように機能を失わざるをえなくなるとすれば,ほかに人類はいったい何を提供できるのだろうかと多くの人びとはいぶかっています。
3 人間に基盤を置く多くの人びとの希望は砕かれてきましたが,彼らは何を切望していますか。
3 人類は途方に暮れています! これは疑う余地のない事実です。人間の支配権が功を奏していないことを正直に認める考え深い人びとはふえています。人間に基盤を置く彼らの希望は砕かれてきました。この点で最も悲しむべき事がらは,彼らが自分自身と他の人びとを慰めるよすがとなる希望をほかになんら持ち合わせていないということです。彼らが今いだいているのは,明確な形,あるいははっきりした輪郭さえ考えられない何ものかに対する切望や渇望だけです。しかも,心を満足させるその何ものかがどのようにして,またどこから来るのか,あるいはその到来を期待できるかどうかについては何も知らないのです。
4 世界情勢は,将来に期待をいだいている一部の人びとにどう影響していますか。それで,彼らはどんな船乗りのようではありませんか。
4 しかしながら,すでに絶望状態に陥って悪化の一途をたどっている世界情勢は無数の人びとの希望を葬り去りましたが,そうでない他の人たちの場合,ほかならぬこの同じ事態が,それらの人の高まった希望に新鮮な活力を与えるものとなりました。彼らは,船に乗って海に下り,恐ろしい嵐に遭遇し,「酔った人のようによろめき,よろめいて途方にくれる」船乗りとして古代の叙情詩作者により描写されている人びとのようではありません。―詩 107:23-27,口語。
5 (イ)それら例外的な人びとは詩篇作者のどんな健全な助言に従っていますか。(ロ)人間の支配権以上のどんなものに頼れますか。それはどんな理論とは相反するものですか。
5 それら例外的な人たちとはいったいだれですか。世の苦悩は悪化の一途をたどっているのに,彼らの希望はいよいよ明るさを加えてゆくのです。彼らは他の人びとの持っていないものを得ています。それは何ですか。彼らは古代の叙情詩作者の述べた次のような健全な助言に従っている人たちです。『もろもろの君によりたのむことなく人の子によりたのむなかれ かれらに助けあることなし その気息いでゆけば かれ土にかえる その日かれがもろもろの企てはほろびん』。(詩 146:3,4)この古代の筆者はわたしたちに対して,人間の支配権に望みをかけないようにと助言しました。それで,今日この助言に従う人たちは人間の支配権以上のことを考えます。しかし,ほかのどこに目を向けられますか。人間は進化したとする進化論を支持する人びとや,唯物主義という理論に従う人たちは,人間のような物質的なもの以外にほかにたよれるものは何もないと唱えます。彼らが自らの絶望状態に気づき,ついには自暴自棄に陥るのはそのためです。彼らの理論は満足のゆくものではないばかりか,納得のゆくものでもありません。なぜなら,それは不合理で,歴史の事実にも反するからです。しかし,わたしたちが期待すべき,人間の支配権以上のものが確かにあります。それは何ですか。神の支配権です! これこそ希望をいだいている現代の人びとが期待を寄せているものです!
わたしたちの希望の中心となるもの
6 昔の筆者が詩篇 146篇5-10節でわたしたちに注目させているのは何ですか。
6 前述の古代の叙情詩の作詞者がわたしたちに注目させているのはそのことなのです。彼は自分自身の経験と観察に基づいて語り,次のように続けています。『ヤコブの神をおのが助けとし その望みをおのが神エホバにおくものは幸いなり こはあめつちと海とそのなかなるあらゆるものを造り とこしえに真実をまもり 虐たげらるるもののために審判をおこない飢えたるものに食い物をあたえたもう神なり エホバはとらわれたる人をときはなちたもう エホバはめしいの目をひらき エホバは屈者をなおくたたせ エホバは義しき者を愛しみたもう エホバは他邦人をまもり みなしごと寡婦とをささえたもう されど悪しきものの道はくつがえしたもうなり エホバはとこしえに統御めたまわん』― 詩 146:5-10。
7 では,今日,だれがこの神聖な支配者を必要としていますか。そのみ名はどれほどきわだっていますか。
7 人間の支配権とその欠陥と無能さゆえに,あなたはその『虐たげらるるもの』あるいは『飢えたるもの』のひとりとなっていますか。『とらわれたる人』あるいは『めしい』または「屈者」のひとりですか。それとも,「他邦人」あるいは『みなしご』または「寡婦」ですか。それでは,古代の叙情詩作者が指摘し,名ざしをしたこの王こそ頼って然るべきかたです。その支配権は神聖な支配権です。というのは,支配者であるそのかたは,神だからです。そのかたは,インドその他,人の住む地上の他の場所で崇拝されている何千万もの神々すべての中でそれと見分けられない無名の神ではありません。そのかたは,人間によって名づけられた神ではなく,かえって自らご自身に名を付された神です。天地の他の神で,その名によって呼ばれる神はいません。霊感を受けたその叙情詩の作者はこの神の名を7回指摘していますが,その名とはエホバです。
8 (イ)だれに望みを置く人は幸いですか。ロマ書 15章13節はそのかたのことを何と呼んでいますか。(ロ)神によって保証されたこの希望をあらゆる種類の人びとが持てるようにするため,神は何を書かせましたか。
8 まちがった知識を持つ,偏見のある人は,このエホバという神とは何のかかわりも持たないよう思いとどまらせようとするかもしれませんが,この神に望みをかける人は,たとえ今日のような暗い時代にあっても前途の幸福を待ち望めます。古代の叙情詩作家は,『その望みをおのが神エホバにおくものは幸いなり』と述べました。(詩 146:5)19世紀以前のこと,エホバに望みを置いていたひとりの人はエホバのことを『望みの神』もしくは「希望をお与えになる神」と呼びました。(ロマ 15:13,新)エホバは全人類があずかりうる希望をわたしたちに与えることのできる唯一のかたです。なぜなら,エホバは人類の創造者だからです。全人類の望みを置けるのはエホバだけです。エホバが提供する神の支配権は,全人類に希望を与えるものです。もし神がそれを提供しなかったとすれば,全人類に希望を与えるものはほかにはなかったでしょう。あらゆる人種・部族・国民・言語からの人びとが,神によって保証されたこの希望を持てるようにするため,神は霊感のもとにしるされた聖なる書,つまり聖書を書かせました。神の名の署名を付して著わされたその驚くべき書物を調べれば,この確かな希望についてつぶさに学ぶことができます。
9 (イ)人類に希望が必要であることをご存じだったゆえに,神はどんな希望を人類に与えましたか。(ロ)ロマ書 15章13節には,この希望にあずかる人たちのためのどんな祈りのことばが述べられていますか。
9 この神聖な実在者であるエホバは,人類が希望を必要とすることを遠い昔に察知し,人類の前に一つの希望を置きました。神が与えてくださるこの希望には,きわめて困難な時代に生きているわたしたちをささえ,またその希望が成就する喜びの時に至るまでわたしたちを救って苦難を切り抜けさせる力があります。この希望にあずかる人たちに対して,1,900年前に次のように書き送られたのはそのためです。『我らは望みによりて救われたり,眼に見ゆる望みは望みにあらず,人その見るところをいかでなお望まんや。我らもしその見ぬところを望まば,忍耐をもてこれを待たん』。(ロマ 8:24,25)神から与えられるこの希望は確かにわたしたちを喜びで満たし,動乱する世界のただ中にあってわたしたちに落ち着きを保たせてくれます。その結果,わたしたちの希望はあふれ,そしてわたしたちはおのずから,絶望状態にある他の人びとにその希望を語ります。この希望にあずかる人たちのために次のような祈りがささげられたのはそのためです。『願わくは望みの神,信仰より出づるすべての喜びと平安となんじらに満たしめ,聖霊の力によりて望みを豊かならしめ給わんことを』― ロマ 15:13。
10 神はまもなく,この希望にあずかっている人たちの足の下でだれを砕きますか。それは天と地に何をもたらしますか。
10 この「事物の体制の[見えない]神」であるサタン悪魔の見えない影響のもとにあって,いよいよ悪にふけっていくこの世のただ中で,わたしたちはこの希望をいだいてゆかなければなりません。しかし,その増大する悪事からの救出は急速に近づいています。そうです,今や迫っています。前述の霊感を受けた筆者が,神からの希望にあずかる西暦1世紀当時の人たちに次のように書き送ったのはそのためです。『わが欲するところは汝らが善に賢く,悪に疎からんことなり。平和の神はすみやかにサタンをなんじらの足の下に砕きたもうべし』。(ロマ 16:19,20)古代ヘブル語のサタンということばは,「反抗者また敵対者」を意味しており,ここでは神の主要な反抗者をさしています。その反抗者は,神に対する反抗を最初に引き起こした者であり,天と地の他の被造物をみな神とそのすぐれた目的に対して反抗させようとしています。ですから神は,このサタンを砕くことを行なっています。しかしこのことは,このサタンが砕かれるであろうとの希望にあずかっている人たちの足の下で行なわれるのです。この表現はサタンを,足の下に砕ける何ものかになぞらえています。つまり,さそりではなく,へびになぞらえています。こうしてサタンが砕かれると,なんという宇宙的な平和がもたらされるのでしょう!
11 このようにサタンを砕くことについて述べた,霊感を受けた筆者は,創世記の中の何に言及していましたか。その箇所で神は実際にはだれに話しかけていましたか。
11 しかし,サタンがこうしてあたかもへびのように砕かれるということをわたしたちはどうして確信できるのですか。それというのも,イタリアのローマにいた希望に満ちた人たちにあてたその手紙の筆者は,その中で聖書巻頭の書つまり創世記に出ている描画的なことばを引き合いに出したからです。その手紙全体の中で彼は創世記に何度も言及しています。(ロマ 4:3,9,11,17,18,22; 9:7,9,12)そして前述のことばの中で筆者は創世記 3章14,15節に言及しています。この句の中では神は,地をはうへびに語りかけているように見えますが,実はそのへびをあやつった大いなる反抗者に話しかけているのです。こうしるされています。『エホバ神 蛇に言いたまいけるは汝これをなしたるによりて汝はすべての家畜と野のすべての獣よりもまさりてのろわる 汝は腹ばいて一生の間塵を食うべし また我なんじと女の間および汝の苗裔と女の苗裔の間に怨恨を置かん 彼は汝の頭を砕き 汝は彼の踵を砕かん』。このことがあってから4,000年余の後,霊感を受けた筆者,クリスチャン使徒パウロは希望のこの最初の光明について述べています。
12 (イ)サタンに対する滅びの宣告が発表されて以来,どれほど経ちましたか。(ロ)いったいどうしてわたしたちはみな死に向かっており,また地球はそこなわれているのでしょうか。
12 わたしたちは今日,真のヘビであるサタン悪魔を砕くとのエホバ神の,希望を起こさせるその約束が遂行されるときにさらに19世紀以上近づきました。エホバ神は,へびサタンによって踵を砕かれて死んだ苗裔の足の下に,またその踵を砕かれた苗裔の忠実な追随者の足の下にサタン悪魔を砕くのです。ということは,最初の人間男女をしてエホバ神に反抗させたかどで最初の反抗者サタンに対して滅びの宣告を神が象徴的な仕方で発表して以来,今やまもなく6,000年の終わりを迎えようとしているということです。わたしたちはみなその最初の人間男女の子孫なのです。そのふたりがサタン的反抗に加わったため,人類家族全体に死がもたらされました。またそのために,わたしたち人間の最初の両親は,喜びの楽園つまりエデンの園を追われましたし,彼らが完全な人間として創造されて置かれたその楽園の住みかからわたしたちすべても閉め出されました。(創世 2:7–3:24)そうであってみれば,医学の分野のあらゆる進歩にもかかわらず,わたしたちすべては死に向かっており,また現代の農業技術があらゆる点で改良されているにもかかわらず,この地が非常に汚染され,そこなわれて,人間の住みかとしてふさわしくなくなっているのも何ら不思議なことではありません。
自分の足で踏み砕くことをするもの
13 死に定められた状態をアダムとエバから受け継がずに地上に生まれた人がただひとりいます。それはだれですか。それはどのようにして起きましたか。
13 人間はだれひとりとして人体に宿る死の働きを受け継がずにすむものではありません。なぜなら,わたしたちはみな,神に反抗した親の子孫だからです。その親は地上の楽園の住みかにいたとき,神の支配権のもとから自ら離れて,神の主要な反抗者,サタン悪魔の支配権のもとに身を置きました。(ロマ 5:12)死に定められた状態を最初の人間男女,つまり罪深いアダムとエバから受け継がずに地上に生まれた人がただひとりいます。その人はイエス・キリストと呼ばれました。人間的に見てそのような不可能なことがどのようにして起きたのでしょうか。というのは,イエスには人間としての父もしくは命を与える者がいなかったからなのです。イエスの人間としての母親の体内にあったその卵細胞は,人間の夫によって受精されたのではありません。マリアの胎内の卵細胞に生命を注ぎ込み,その卵細胞を成育させて一個の完全な人間へと成長させたのは,天にいる全能の神でした。全能者がその人間の卵細胞に付与したのは新しい生命ではありません。そうではなくて,ことばとして知られたご自分の天のみ子の生命力をその処女の卵細胞に移し,その成育を開始させたのです。
14 (イ)近づいた奇跡的誕生についてだれがマリアに知らせましたか。(ロ)イエスが罪なくして生まれたことを示すどんな証言がありますか。
14 全能者はまず最初にみ使いガブリエルを用いてユダヤ人の処女マリアにこの奇跡的な活動について知らせ,その生まれ出る男子をイエスと名づけるよう命じました。(ルカ 1:26-38)このようなわけで,マリアが後に結婚した男の人は,彼女の息子イエスの真の父親ではありませんでした。(マタイ 1:18-25)ですから,聖書が示すように,イエスは『穢なく,罪人より遠ざかった』者として生まれました。(ヘブル 7:26)それで,成人したイエスは,当時のユダヤ人の批判者に向かって,『なんじらのうち誰か我を罪ありとして責めうるか』と言いえたのです。―ヨハネ 8:46。
15 (イ)サタンはなぜイエスを主要な攻撃目標にしましたか。(ロ)イエスは何に対する恐れに屈しませんでしたか。それで,彼はどのような死を遂げましたか。
15 大いなる反抗者サタン悪魔はこのイエス・キリストを攻撃の的にしました。なぜでしたか。なぜなら,サタンは,神のこのみ子がへびのかしらを砕く,もしくは『サタンを足の下に砕く』ための神の主要な代理者であることを知っていたからです。創世記 3章15節で予告されていたとおり,サタンはこの約束の苗裔,イエス・キリストに対して怨恨をいだいており,イエスの「踵」を砕くわざに取りかかりました。しかしサタンは,死,それも非業の死をもっておどしてもイエスをして自分に隷従させうるものではないことを知りました。イエスはサタンの地的代理者の手による「死の恐れ」に屈せず,へびサタンとその代理者たち,つまり「苗裔」に対する怨恨を保ちました。イエスはエホバ神のみを恐れたのです。そのために,イエスは,へびサタンと妥協しませんでしたし,大いなるへびの「苗裔」の手によってもたらされる非業の死を恐れてそれをうまく回避したりもしませんでした。サタンはイエスをして,刑柱につけられる卑劣な犯罪者のような死からさえしりごみをさせることはできませんでした。イエスは訴えられて死刑に処されましたが,その訴えは偽りでした。イエスは,悪魔サタンに隷従する血肉の被造物のための犠牲として清い良心をいだいて死にました。
16 ヘブル書 2章14,15節によれば,サタンは偽りの告発のもとにイエスの死を図ることによって,どのように自ら敗北を招いていますか。
16 イエスを偽って告発して死刑にさせることにより,大いなるへびサタンは自ら敗北を招いていたにすぎません。彼は自分自身を無に帰する,つまり消滅させる最大の理由を整えていたにすぎなかったのです。これこそ,血肉の人間としてのイエスに関して霊感のもとにしるされた次のことばの要点です。『子らはともに血肉をそなうれば,主もまた同じくこれをそなえたまいしなり。これは死の権力をもつもの,即ち悪魔を死によりてほろぼし,かつ死のおそれによりて生涯奴隷となりし者どもを解き放ちたまわんためなり』― ヘブル 2:14,15。
17 (イ)神はご自分の主要な立証者をその死によって失うままにはなさいませんでした。どうしてですか。(ロ)次いで,イエスはどのようにして,大いなるへびサタンよりもはるかに強力な者にされましたか。
17 イエス・キリストは,死に至るまでも妥協することなく大いなるへびサタンに対して怨恨をいだいていることを,その『死によって』潔白な仕方で示しました。イエスはまた,天と地の,位の最も高いものから最も低いものをも含めてあらゆる被造物が絶対的に服すべきかたとしての天の父エホバ神の神聖な支配権の正しさを立証しました。全能者である至高の神はご自分の主要な立証者を死にとらわれたままに放置し,こうしてその忠実なかたをもはや用いられないままでいるということがあるでしょうか。エデンの園でエホバ神がへびに向かって話したときに予告した事がらによれば,そのようなことはありえません。神が予告したことからすれば,「婦」の苗裔が傷つけられるのは単に踵を砕かれるのであって,頭を砕かれるというようなことではありません。それで全能の神は西暦33年ニサン16日,死後3日目にイエス・キリストを死からよみがえらせることによって,その傷を癒しました。神は,み子イエス・キリストが全人類のための罪の供え物としてその完全な人間性を犠牲にしたことを認めました。それゆえに神はみ子を血肉を備えた完全な人間としてよみがえらせることはなさいませんでした。むしろ神は,み子を天の領域に復帰させました。人間となる前のみ子の生命はかつてその天からユダヤ人の処女の胎内に移されたのです。神は,み子イエス・キリストを不滅性(つまり不死)および「神の性質」を輝かしい霊者として復活させることにより,イエスを天に復帰させました。(ペテロ前 3:18。コリント前 15:42-54。ペテロ後 1:4)このような復活を経たゆえに,栄光を受けたイエス・キリストは大いなるへびサタンよりもはるかに強力な者となり,また『死の権力をもつもの,即ち悪魔をほろぼし』うる強力な立場につきました。―ヘブル 2:14。
解放!
18 (イ)ヘブル書 2章15節によれば,約束の苗裔の傷ついた「踵」が癒されたことから全人類は何を期待しなければなりませんか。(ロ)人間の支配者たちは奴隷を解放したとはいえ,だれに対する隷従から人類を解放することはできませんでしたか。
18 大いなるへび,悪魔サタンが神の約束の苗裔の「踵」に加えた傷がこのようにして癒されたことから全人類は何を期待できますか。それは幾千年もの間全人類が願ってきたものですか。そうです,解放です! そうです,奴隷状態からの全人類のための自由です! 血肉の人間として死を味わう約束の苗裔に関してはっきりと述べられた目的は,自分の奴隷にならない人間を死をもって脅かす悪魔を単に滅ぼすだけでなく,『死のおそれによりて生涯奴隷となりし者どもを解き放つ』ことなのです。(ヘブル 2:15)地上の政治支配者の中には国民の中の奴隷をその所有者の手から解放したことで知られた人たちがいます。しかし,そのような人で,大いなるへび,悪魔サタンへの集団隷従から自国民もしくは全人類を解放できる人はひとりもいません。これは,悪魔などというものは存在しない,悪魔は神話の世界のものだと言って嘲笑すべき事がらでは決してありません。6,000年を経たこの悪魔は,現代の世故にたけた人びとをして,悪魔などはいないと考え込ますほどに巧かつな者なのです!
19 全人類が今までにまだ解放を経験していないのはなぜですか。しかし,そうした解放が近いことを何が示していますか。
19 今日,多くの人びとはともすればこう言うでしょう。『もし悪魔がいるなら,またもしイエス・キリストがその悪魔への隷従からわれわれを解放するために19世紀前に死んだのであれば,全人類がこれまでにそうした解放を実際に経験していないのはどういうわけか。全人類は今日解放されたと感ずるどころか,年ごとに悪化の一途をたどる事物の体制にわれわれが隷従させられているのはどうしてだろうか』。その理由は,聖書が示すように,神の約束の苗裔が『へびの頭を砕く』もしくは,悪魔サタンを『亡す』時がまだ到来していないことになります。しかしながら,その望ましい時は今や非常に近づいています。1世紀当時にクリスチャンの使徒パウロがローマにいた仲間のクリスチャンにあてて,『平和の神はすみやかにサタンをなんじらの足の下に砕きたもうべし』と書きえたのであれば,19世紀後の今日,それは非常に近いに違いありません。(ロマ 16:20)単に長い歳月が経ったということだけでなく,西暦1914年以来続いている地上の『国々の民のなやみ』も,このことを証しています。(ルカ 21:25)神からの希望をいだいている人たちの期待がいよいよ高まっているのはそのためです。
20 (イ)人びとが納得するには,何を証明する時間的余裕が与えられなければなりませんでしたか。(ロ)その猶予された時間の終わりが近づいているゆえに,人びとはおのおのどんな選択を迫られていますか。
20 人間の支配権の価値を今なお信じている何億もの人びとが納得するには,人間の支配権が(彼らの主張どおり)問題の解決策となること,またそれがおのずから解決の糸口を見いだしうること,そしてそれがいわば全人類の解放者であることを立証するための十分の時間的余裕を与えられなければなりません。その猶予された時間はまだ満了してはいません。しかしその終わりが切迫していることを考えれば,今こそ人びとは自分の欲するものを選択しなければなりません。第一に,また最終的に,そして終始人間の支配権を欲しますか。それとも神の任命した解放者を欲しますか。猶予された時間が終わるとき,各人おのおの自己の選択に応じて報われるでしょう。その時,神聖な支配者は,自分たちの希望を神の設けた天的解放者に置く者たちだけを解放するでしょう。それ以前に,約束の苗裔イエス・キリストが待望の解放をもたらすことはありません。
21,22 (イ)人間として地上にいたイエスは,王国に関する時間については何をご存じでしたか。イエスは30歳のとき,どうしてバプテスマを受けましたか。(ロ)サタンはどんな生活をさせるよう,イエスを誘惑しましたか。サタンが差し伸べた最後の誘惑はどんなものでしたか。
21 西暦1世紀にイエス・キリストは地上で血肉を備えた完全な人間になりましたが,当時はご自分の政府を通して全人類を解放する時ではないことをご存じでした。彼は30歳になった時,神の意志に従って自己犠牲の道を歩むことに決め,ご自身を犠牲としてささげることを象徴するためにヨルダン川でバプテスマを受けました。(ヘブル 10:1-5。マタイ 3:13-17)バプテスマを受けたのち,イエスはユダヤの荒野にひとりで出かけて行き,40日間断食して問題をもう一度考慮しました。その期間の終わりにさいして,彼は神によって決められた犠牲の道を終始,また死に至るまで歩み続ける十分の決意をいだいていました。荒野での40日目の最後の日に彼はふと自分がひとりでいるのではないことに気づきました。だれかがイエスのもとにやってきました。彼を誘惑して,自己犠牲の道から引き離すためでした。その誘惑者は悪魔サタンでした。サタンはイエスを誘惑し,血肉の人間として自己満足と栄光と権力を伴う生活をさせようとしました。第3番目の最後の誘惑は最高潮をなすものでした。イエス・キリストの個人的な弟子すなわちマタイのしるした,その野心的な誘惑の記録(マタイ 4:1-9〔新〕)は次のとおりです。
22 『悪魔またイエスをいと高き山につれゆき,世のもろもろの〔王国〕と,その栄華とを示して言う,「なんじもしひれ伏して我を拝せば,これらを皆なんじに与えん」』。
23 サタンの力にかんする見方の点でイエスは現代の人間の支配者たちとどのように異なっていましたか。イエスはサタンのどんな主張を否定しませんでしたか。
23 イエスは問題を無視して次のようには言いませんでした。『悪魔などはいない。だから,たとえわたしがただ一度悪魔を拝したところで,どうして悪魔がわたしに「世のもろもろの〔王国〕と,その栄華」とを与えることができようか。まして,実在しないものをどうして崇拝できようか』。イエスは,『世のもろもろの王国』が誘惑者,悪魔サタンの手中にあるという考えに憤慨したり,そのような考えに反対して迫害をさえ行なったりする今日の国家主義的な人間の支配者たちとは異なっていました。彼は,悪魔が実在すること,また悪魔が『世のもろもろの王国』を見えない仕方で制御していることを否定しませんでした。『世の王国』について悪魔がイエスに向かって,『このすべての権威と国々の栄華とをなんじに与えん。我これを委ねられたれば,わが欲する者に与うるなり。このゆえにもしわが前に拝せば,ことごとくなんじのものとなるべし』と正当に言いえたことをイエスは否定しませんでした。(ルカ 4:5-7)ここでイエスは,この件に関する諸事実を述べた実在する者による現実の誘惑を受けました。捕われた状態にある人類にとってイエスの下す選択はなんと重大なことだったのでしょう。
24 (イ)悪魔がイエスに提供していたのはどんな支配権でしたか。(ロ)ここで問題となったのは何でしたか。ここではどんな選択が可能でしたか。
24 大いなるへび,悪魔サタンはこの時点では神の約束の苗裔の踵を砕こうとはしませんでした。『死の権力をもつもの,即ち悪魔』によってもたらされる非業の死を明らかに回避させる何ものかをサタンはイエスに提供したのです。サタンは,人間として行使する世界の支配権,『世のもろもろの王国』を治める支配権,つまり全地を治める人間の支配権をイエスに提供していたのです。そうです,それは悪魔の崇拝者として,悪魔つまり超人的なひとりの霊者の監督下で行使する「人間の支配権」なのです。ここで選択を迫られた重大な問題は支配権に関するものでした。問題となったのは支配権だったのです! 人間の支配権それとも神の支配権のいずれを選びますか。悪魔に服して悪魔から与えられるものとしての人間の支配権を選びますか,それとも神聖な神に服して,神の手中にある支配権を選びますか。もしイエスが世の政治家のように自ら人間の支配権を選ぶということになれば,捕われた状態のうちにある人類にはどんな希望が残されたでしょうか。
キリスト教世界,選択を誤った実例
25 (イ)もし悪魔の申し出を受け入れていたなら,どんな結果が生じたかを示す実例は,今日どこにありますか。(ロ)キリスト教世界はイエスとその使徒たちとともに始まりましたか。あるいは,ユダヤ国民は同世界の始まりとなりましたか。
25 この問題はわたしたちの想像にまかされてはおりません! それが何を意味するのかを示す歴史上の実例があります。どこにあるのですか。ほかならぬキリスト教世界にあります。どうしてそう言えますか。キリスト教世界はキリスト教を実践する地上の領域であると唱えられています。その多くの国々と政府はキリスト教を奉じていると称しています。が,キリスト教世界はイエス・キリストおよびその12使徒とともに始まったわけではありません。イエスの属していた地的国民,つまりユダヤ国民はキリスト教世界の始まりとなったわけでもありません。ユダヤ国民は政治的共同体としては,西暦70年に王としてのイエス・メシヤのためでなく,ユダヤ主義およびローマ帝国からの政治的独立のためにエルサレムで戦って滅びました。ローマ軍団はエルサレムを滅ぼしてから3年後,つまり西暦73年にユダヤ人の最後の要さい,マサダを攻略しました。世界中の生来の正当派のユダヤ人は,キリスト教世界と協力関係にあるとはいえ,キリスト教世界のものではありません。
26 キリスト教世界はいつ,どのようにして,またどんな自称クリスチャンとともに始まりましたか。
26 ユダヤの荒野でイエス・キリストが誘惑を受けたのち,3世紀ほど経ってキリスト教世界は存在するようになりました。それは,ローマ皇帝,コンスタンチヌス大帝の時代のことでした。同皇帝は西暦337年に死ぬ直前にキリスト教の信奉者としてバプテスマを施されました。しかし,彼はそれ以前の西暦312年にキリスト教に改宗したと唱えていました。その当時までには,いわゆるキリスト教はイエス・キリストとその使徒たちの教えからあまりにも遠く逸脱していたため,この異教徒の将軍で政治家であるコンスタンチヌスのため武装して戦う自称クリスチャンの兵士がいたほどでした。そのうえ,当時の諸教会の司教たちは三位一体,つまり「父なる神,子なる神,また聖霊なる神」によって構成される三位一体の神という異教の教理を教えていました。司教たちは,神はヘブル語聖書の述べるエホバなる唯一の神か,それともいずれも同等で永遠の,いわゆる「三つの位格を有する神」かどうかに関して激烈な論争を行なっていました。そこで,コンスタンチヌスはその論争を終わらせようとしました。
27 (イ)コンスタンチヌスはどんな宗教を作りだそうとしましたか。彼は教会の司教たちに何を提供しましたか。(ロ)司教たちに対するそうした申し出の背後にいたのはだれですか。キリストですか。サタンですか。
27 異教徒の最高僧院長であるコンスタンチヌスは教会の司教全員を味方に引き入れようとして,融合宗教,つまり異教とキリスト教をいっしょにした「信仰合同」による宗教を作り出そうとしました。最高僧院長として,したがってローマ帝国の宗教上のかしらとして行動したコンスタンチヌスは,ローマの国教を司どる役員としてローマ政府と関係を持ち,権力や富を伴う顕著な地位を司教たちに提供しました。今やここで,政治政府と関連した人間の支配権がいわゆるキリスト教の司教たちに提供されたのです。わたしたちは,天のイエス・キリストがかつて自ら退けた『世のもろもろの王国』に関連する人間の支配権をここでそれらの「司教たち」に提供していたと考えるべきでしょうか。それとも,それを提供していたのは,それらの王国を自分に委ねられたものとしてその所有権を依然主張していた誘惑者,悪魔サタンでしたか。その正しい答えを出すのはむずかしいことではありません。それは地上の配下の最高僧院長を通して事を進めた悪魔サタンです。その最高僧院長は,イエス・キリストに提供されたのと同様の誘惑を司教たちに差し伸べていたのです。それにしても,「ローマの司教」を含め,それらの司教たちはイエスの模範に従いましたか。
28 (イ)それらの司教たちはキリストの手本に従いましたか。その結果,どうなりましたか。(ロ)「ローマの司教」はどんな称号を襲用しましたか。キリスト教世界の一致はどうなりましたか。
28 一般の歴史および教会史は,否と答えます! 多くの司教は誘惑に屈し,ローマの国教つまりローマの国立教会の教階制度の成員として皇帝のための奉仕を開始しました。こうしてキリスト教世界は誕生し,成長しました。西暦378年には時のローマ司教は,ローマ皇帝グラチアヌスの放棄した最高僧院長の称号とその職責を襲用するほどになりました。以後,幾世紀にもわたってキリスト教世界はさまざまの分裂を経験し,それに伴って宗教戦争や十字軍,はては自称クリスチャンの間での迫害が起こりました。多くの国々には独自の国立の教会が確立されました。キリスト教世界は地上で最も強力で,最も多くの成員を擁する宗教組織に成長しました。それは,キリスト教を奉じていない,世界人口の今や3分の2以上を占める全異教世界にとって見ものとなりました。しかしそれは何を示す実例となっていますか。真のキリスト教を表わすものですか。それとも,王権神授説を主張する人間の王たちと協力する教階制度を通して行使されたいわゆる神の支配権を表わす実例ですか。
29 二つの世界大戦,世界平和のための機構,また別の世界大戦のための準備がキリスト教的精神にかなうものであるかどうかを問うのはなぜですか。
29 第一次世界大戦は,それがキリスト教国をもって任ずるヨーロッパの二つの政治国家の間で勃発したゆえにキリスト教にかなう戦いでしたか。国際連盟は,それが英国国教会の支持を受けたゆえに,またアメリカの僧職者から「地上における神の王国の政治的表現」と呼ばれたゆえに,キリスト教にかなう組織でしたか。第二次世界大戦は,ある自称キリスト教国の軍隊が別のいわゆる「キリスト教」国の領土に侵入したために勃発したとの理由で,それはキリスト教にかなった戦いでしたか。国際連合は,その132の成員国の約半数がキリスト教を奉じているゆえに,キリスト教にのっとった,世界の平和と安全のための機構であると言えますか。核爆弾や核ミサイルを使用する第三次世界大戦に備えて着々と進められている準備は,キリスト教世界が自らの存続を図るためにそのような武器で自らを守らざるをえないと感じているゆえに,キリスト教の主旨にかなっていると言えますか。
30 (イ)今日,キリスト教世界を特徴づけている悪い事がらを上げなさい。それはキリスト教の表現といえますか。(ロ)これらの事がらは,誘惑者がイエスに提供した世界の支配権に関し,何を示すものといえますか。
30 創設以来,16世紀を経た今日のキリスト教世界の状態を見てください。キリスト教世界に見られる道徳の退廃,犯罪の増加,社会的また人種的偏見,圧制,経済的困難,貧困や飢え,正当な権威に対する尊敬の念の欠如,失政,利己的な快楽の狂気の追求,神に対する愛の喪失を示す隣人愛の欠如 ― このような事がらはキリスト教の表現と言えるでしょうか。絶対にそうは言えません! それは西暦4世紀に設立されたキリスト教世界のもたらした結果です。そして,キリスト教世界は,教会の司教たちが異教徒のローマ皇帝から差し伸べられた誘惑に屈したために生じたものですから,今日のキリスト教世界のそのような状態は,もしイエス・キリストご自身が提供された『世のもろもろの王国』を治める人間の支配権というわいろを受け入れたなら,何が生じたかということをまざまざと,痛々しいまでに示すものとなっています。それにしても,イエス・キリストは悪魔サタンの誘惑的な申し出を受け入れましたか。イエスは今日の世界の悩みに対して責任がありますか。
31 誘惑者の申し出をイエスはどのように取り扱いましたか。
31 聖書はこう述べています。『ここにイエス言いたもう「サタンよ,退け,『〔エホバ〕なる汝の神を拝し,ただこれにのみ仕えまつるべし』としるされたるなり」ここに悪魔は離れ去り,見よ,み使いたち来たり仕えぬ』― マタイ 4:10,11,〔新〕。マルコ 1:12,13。
32 (イ)宣べ伝えられた音信からして,イエスはどんな支配を認めていたことがわかりますか。(ロ)この点で,イエスは,エホバが何を行なうのを待ち望みましたか。
32 イエス・キリストは悪魔サタンの手中にある人間の支配権をきっぱりと拒否しました。イエスは神の支配権,つまりエホバ神の支配権を認めておられたのです。イエスがイスラエル国民の地の方々に行って,「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」とふれ告げたのはそのためです。ヨルダン川でバプテスマを受けたのち,彼はその音信を宣べ伝えるよう,神の霊によって油が注がれました。そして,ご自分の12人の使徒を派遣して,全人類のためのその同じ希望の音信を宣べ伝えさせました。(マタイ 4:13-17,〔新〕。ルカ 4:16-21; 9:1-6。マタイ 10:1-7)イエス・キリストは,神が約束の苗裔の手で治められる天の王国を樹立することによってご自身の神聖な支配権を表明なさるのを待ち望みました。その約束の苗裔は,全人類を解放するために,大いなるへびの頭を砕いて打ち滅ぼすことになっています。イエスはほかならぬエホバ神を最高の支配者,宇宙主権者として認め,神の支配権に忠実を保って死にました。
[10ページの図版]
世界の平和と安全のための機構である国際連合は,全人類のあずかりうる希望を与えてはこなかった
[11ページの図版]
孤児,未亡人,飢えた人,盲人,詐取された人たちを含めて,全人類の唯一の希望は,神による政府にある
[16ページの図版]
悪魔サタンは世の王国すべてを与えたいとイエスに提供した。人間の支配権か,神の支配権か? この点が問題となった
[17ページの図版]
イエスは人間の支配権を退けた
ニケアでコンスタンチヌスが,ローマの国教の役員として権力のある顕著な地位を司教たちに提供したとき,実際にはだれがそうした申し出を行なっていたのであろうか。―イエス・キリストか,それともサタン悪魔か?
[18ページの図版]
諸教会は世界大戦を祝福することによって,それらの大戦をキリスト教の精神にかなったものとしてきたであろうか
[New York Times, April 2, 1917, p. 4]
[New York World Telegram, October 23, 1944]
[New York Times, June 16, 1940]
[New York Times, April 6, 1917, p. 10]
[New York Times, October 5, 1940, p. 4]
[New York Times, September 30, 1914, p. 3]
[New York Post, October 30, 1940]
[New York Times, April 15, 1917, p. 7]
[New York Post, June 6, 1940]