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「堅く信仰に立ち」つづけるものみの塔 1979 | 4月1日
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「堅く信仰に立ち」つづける
「目ざめていなさい。堅く信仰に立ちなさい」― コリント第一 16:13。
1 (イ)「勝利の信仰」国際大会が伝えた音信はどんな音信ですか。(ロ)イエスはどんな信仰を説かれましたか。
勝利の信仰は地上で栄えています。昨年の夏北半球で開かれ,その後赤道の南側の多くの土地で開かれたエホバの証人の「勝利の信仰」国際大会が伝えたのは,この音信です。エホバの証人にとって信仰とは単に告白するだけのものではありません。信仰は生きていて,活動的で,業の伴ったものでなければなりません。イエスは山上の垂訓の中で,信仰の結ぶ実について次のように言われました。「あなたがたの光を人びとの前に輝かせ,人びとがあなたがたのりっぱな業を見て,天におられるあなたがたの父に栄光を帰するようにしなさい」。またイエスは親しい仲間と共に過ごした最後の重要な晩に,彼らに向かって,「あなたがたが多くの実を結びつづけてわたしの弟子であることを示すこと,これによってわたしの父は栄光をお受けになるのです」と言われました。―マタイ 5:16。ヨハネ 15:8。
2 エホバの証人が信仰を「持っている」ことは,どんなことからわかりますか。
2 「信仰はすべての人が持っているわけではない」ということは,この危機の時代において確かに真実です。(テサロニケ第二 3:2)しかし,エホバのクリスチャン証人は非常に深い信仰を抱いています。野外奉仕において「良いたより」を公に伝えつづけるようわたしたちを動かすものは,わたしたちの生きた信仰です。国際大会の三日目にはなんと大規模な証言が行なわれたのでしょう。非常にむずかしい地域においてさえ証言の業を継続し,また激しい試練や迫害に直面しても堅く立つようわたしたちを強めるものは,この同じ信仰なのです。信仰があるためにわたしたちは試練の時に喜ぶことさえできるのです。わたしたちはイエス・キリストが王国の栄光のうちに表わし示されるときを,大きな期待を抱いて待ち望んでいるからです。―ペテロ第一 4:12,13。
3 (イ)なぜ私たちの信仰は本物であるといえますか。(ロ)信仰は新しい人,古い人を問わずどのように人々を鼓舞するはずですか。
3 わたしたちの信仰は本物です。クリスチャン会衆の頭である主イエス・キリストを土台とするしっかりとした信仰です。クリスチャン会衆の成員はイエス・キリストと結ばれて奉仕します。その人々に対して使徒パウロは,「主キリスト・イエスを受け入れたあなたがたは,そのとおり彼らと結ばれて歩みつづけ,教えられたところにしたがって彼のうちに根ざしかつ築き上げられ,信仰において安定した者となり,感謝をささげつつ信仰にあふれなさい」と勧めています。(コロサイ 2:6,7)わたしたちが祈り願うことは,真理に長くいる人々がこの勝利の信仰の道を歩みつづけているのと同じく,最近バプテスマを受けたばかりの人々を含め新しい人たちも,信仰において安定した者,信仰にあふれる者となることです。良いたよりを伝えて「救いのために……公の宣言をする」ようわたしたちすべてを鼓舞するものは信仰です。―ローマ 10:10。
4 (イ)信仰は振る舞いとどんな関係がありますか。(ロ)「あなたがたの振る舞いはこのうえない説教です」と言わせたものは何でしたか。
4 この信仰はまたクリスチャンに立派な振る舞いをさせ,そしてその振る舞いはわたしたちの神エホバの尊いみ名の誉れとなります。(ペテロ第一 2:12)「勝利の信仰」大会が開かれていた時,7月8日付のモントリオール・ラ・プレッス紙は,エホバの証人に関する次のような適切な論評を引用しました。
「彼らは注目に価する倫理的価値を……個人的レベルで有していて,家族の価値を高めることに努め,離婚と堕胎に反対する。彼らは自分の子供たちに対する宗教教育に多大の関心を抱いている」。a
倫理的価値に対するこの認識に基づく模範的な振る舞いは,これらの大会ではっきり認められました。ジャーナリストとして働いているあるロシア人の教授は,ミュンヘンで開かれたエホバの証人の大会に来て,「あなたがたの振る舞いはこのうえない説教です」と言いました。また同市のミュンヒネル・メルクール紙は,1978年7月25日に次のような論評を載せました。
「彼らは連邦共和国内で最も正直で最もよく納期を守る納税者である。彼らが法律をよく守ることは,犯罪統計ばかりでなく自動車の運転の仕方からもわかる。……彼らは権威を持つ者(親,教師,政府)に従う。……彼らの支えは,彼らのすべての行動の基準である聖書である。……しかしだれもエホバの証人をただの空想家,または聖人ぶったやからのように想像してはいけない。彼らは大清掃作業をくりひろげて,[オリンピック]スタジアムの中の全部の座席とトイレを三時間以内にきれいに掃除してしまった。キャンプ場は“なめたかのようにきれい”になった。彼らはあらゆる状況を自発的に処理する現実主義者である。それが聖書の教えるところだからである」。
5 マタイ 7章16節は,大会に出席していたエホバの証人にどのようにあてはまりましたか。
5 世界中で同じような言葉が聞かれました。イタリアはミラノのコリエレ・デラ・セラ紙は,1978年8月7日付の紙面で,他との著しい相違について述べることさえしています。
「彼らは完ぺきな組織によって支えられている。そのことは他のすべての組織の羨望の的である。……これらのエホバの証人についてほかにどんなことが言えるだろうか。彼らは行儀の良い市民であることを示してきた。彼らの振る舞いは,カトリックのいくつかのグループに見られる非礼な行為に対する戒めとなるほどのものであった」。
「あなたがたは,その実によって彼らを見分けるでしょう」と,イエスは言われなかったでしょうか。―マタイ 7:16。
6 最近の月々に,証人たちはどのように真のキリスト教の顕著な実例となりましたか。
6 エホバの証人の良い振る舞いが強い印象を与えて世の人々の注意を引いたのは,それらの大会に出席した人々が非常に大勢だったからでもありました。前述の三つの国では,モントリオール,ウィニペグ,バンクーバー,エドモントンで開かれた大会に合計14万590人,ミュンヘンとジュッセルドルフでの大会には10万8,901人,ミラノおよびローマには11万1,320人が集まりました。1978年9月までに終わった68の国際大会の出席者数合計は170万を超えました。エホバのしもべたちのクリスチャンとしての人格は,真のキリスト教の顕著な実例となるような方法で世界中で示されました。
『しっかりと立つ』時
7 将来,信仰の試練が増すことは確かですが,その理由はどこにありますか。
7 将来わたしたちの信仰の試練が増すことは確かです。どうしてですか。それは西暦1914年に「神の王国とそのキリストの権威」が誕生したために,悪魔が「地に投げ落とされ」ているからです。悪魔は自分の「時が短い」のを知っています。したがって悪魔の怒りは,エホバの地上のしもべたちに対して一層激しくなります。エホバのしもべたちは「神のおきてを守り」,エホバの主権を永久に立証すべく今用意を整えておられる即位された偉大な王「イエスについての証しの業を持」っているからです。(啓示 12:9-12,17)その大敵対者は,とりわけこの「証しの業」の速度を落とさせ,やめさせることを目的として,世界に紛争や緊張を引き起こしています。神とキリストの証人としてわたしたちは,わたしたちの信仰と業を破壊しようとしている目に見えない敵と本当に戦わねばなりません。
8 どうすれば今,わたしたちは信仰のうちにしっかりと立つことができますか。
8 今は消極的になったり無関心になったりすべきときではありません。使徒パウロは,「完全にそろった,神からのよろいを取りなさい。あなたがたが……しっかりと立てるようにです。……こうしてしっかりと立ちなさい。何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなたがたはそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます」と勧めています。(エフェソス 6:11-16)悪魔はいつ何時攻撃をしかけてくるかわかりません。そしてまた色々な方面から攻撃するでしょう。悪魔が用いる手段にはどんなものがあるでしょうか。
不道徳のむち
9 (イ)悪魔は歴史を通じてどんな腐敗的影響力を利用してきましたか。(ロ)したがってユダはクリスチャンにどのように助言していますか。
9 人間の歴史の初めから,悪魔は不道徳な行為を,人を堕落させる一つの手段として用いてきました。(創世 6:2-5; 18:20。民数 25:1-3)初期クリスチャンの時代にも性道徳がはなはだしく退廃し,会衆の清さを守るうえで大きな脅威となっていました。そのためにイエスの異父兄弟ユダは,クリスチャンの兄弟たちに彼らの共通の救いについて励ましの手紙を書きたいと思っていたにもかかわらず,「聖なる者たちに一度かぎり伝えられた信仰のために厳しい戦いをするよう」励まさざるをえませんでした。神を恐れない不品行な者たちが会衆内に忍び込んでいたからです。彼らは,洪水前に罪を犯したみ使いたち,ソドムとゴモラの不潔な住民,モアブとミデアンの不道徳な娘たちによって堕落させられたイスラエル人たちのようでした。彼らは肉を汚し,神の民の間に肉欲主義の影響を持ち込みつつありました。そのためにユダは心の清いクリスチャンたちに次のように助言しました。「愛する者よ,あなたがたは,自分のいだくきわめて聖なる信仰の上に自らを築き上げ,聖霊をもって祈ることにより,自分を神の愛のうちに保ちなさい。そして,永遠の命を目ざしつつわたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ちなさい」― ユダ 3-7,19-21。
10,11 (イ)エフェソス 5章3-5節の諭しがクリスチャンにとって非常に大切なものであるのはなぜですか。(ロ)「かの女イゼベル」に関するどんな警告に注意を払うべきですか。なぜですか。
10 この「厳しい戦い」をすることによってのみ,わたしたちはこの世的な「汚れ」に染まらないでいることを期待できるのです。(エフェソス 5:3-5)「神の子」イエスは,テアテラの会衆に対する音信の中で次のように述べておられます。「わたしは,あなたの行ない,また,あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を,そして,あなたの最近の行ないが以前のものより多いことを知っている。とはいえ,わたしにはあなたを責めるべきことがある。あなたがかの女イゼベルを容認していることである。彼女は自ら女預言者と称え,わたしの奴隷たちを教えまた惑わして,淫行を犯させ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせる。そして,わたしは悔い改めの時間を与えたが,彼女は自分の淫行を悔い改めようとはしない」― 啓示 2:19-21。
11 キリスト以前の偶像崇拝者で,イスラエルのアハブ王の妻であったイゼベルは,不道徳で悪名の高い女でした。彼女の息子のエホラムが油そそがれたエヒウ王に,アハブの家にとって平安かどうか尋ねたとき,エヒウ王は「あなたの母イゼベルの淫行と彼女の多くの呪術がある限り,どんな平安があり得ようか」と答えました。そしてエホラム王と(ユダの)アハジヤ王を除いたあとエヒウは,不道徳なバアル崇拝を行なっていた者すべてを処刑しただけではなく,イゼベル,アハブの70人の息子,その他アハブの家の残っている者たちをみな処刑しました。(列王下 9:22–10:28)わたしたちは今日この戒めとなる実例によく注意を払い,義の道からそれて「サタンの奥深い事がら」を探ることなどないよう願ってやみません。―啓示 2:24。
『富を追い求める』ことから逃れなさい
12 「金銭に対する愛」とは何ですか。それはなぜ避けるべきものですか。
12 悪魔がエホバの忠実なしもべたちに加える圧力はほかにもあります。それらはみなわたしたちを神の王国と神の義から引き離すことをねらいとしたものです。(マタイ 6:33)「金銭に対する愛」には,人をいつのまにか信仰から迷い出させる力があることを,使徒パウロは警告しました。この「愛」は金銭そのもののみならず,お金で買えるあらゆる物質の富,快楽,またそれらと掛り合いのあるものなど,多くのものに及びます。またこの「金銭に対する愛」は時間を多く消費し,日常生活を複雑にし,クリスチャンの信仰を破壊するものとなりかねません。そうなると「多くの苦痛で自分の全身を」刺されることになるでしょう。―テモテ第一 6:10。
13 どうすれば年長の人たちばかりでなく若い人々も,「信仰のりっぱな戦いを戦い」抜くことができますか。
13 使徒パウロは若いテモテに,富を追い求めるよりも霊的に報いのある人生の目標を『見つめる』べきであると助言します。「神の人よ,あなたはこうした事から逃れなさい。そして,義,敬神の専念,信仰,愛,忍耐,柔和を追い求めなさい。信仰の戦いをりっぱに戦い,永遠の命をしっかりとらえなさい。あなたはそのために召され,多くの証人たちの前でりっぱに公の宣言をしたのです」。(テモテ第一 6:11,12)エホバに頼るとき,あなたがた今日の若い人々も,「信仰の戦いをりっぱに戦い」抜くことができます。また年長の人々もそうすることができます。
14 (イ)わたしたちが『信仰のために戦わ』ねばならない二つの面は何ですか。(ロ)ヘブライ 13章4-6節はこのことをどのように裏書きしていますか。
14 聖書が,不道徳と金銭に対する愛の両方に関連して信仰のためのこの戦いをするように助言していることは,注目に価します。いずれの場合も,強い信仰と,また信仰をしっかりと守ることこそ,悪魔の誘惑に抵抗する上で勝利をもたらすものです。パウロはヘブライ 13章4-6節でも同様の意味の助言を与えています。「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです。神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれるからです。あなたがたの生活態度は金銭に対する愛のないものとしなさい。そして,今あるもので満足しなさい。『わたしは決してあなたを離れず,決してあなたを見捨てない』と言っておられるからです。こうして,わたしたちは大いに勇気を持って,『エホバはわたしの助け主,わたしは恐れない。人はわたしに何をできようか』と言います」。わたしたちはエホバの助けを確信して,この邪悪な体制が終わりに至るまで,信仰の戦いを戦う決意をしましょう。
挑戦に応ずる
15,16 (イ)大会はどんな励みを与えましたか。(ロ)とくに昨年の記念式の出席者数を考えて,わたしたちはガラテア 6章9,10節からどんな励ましを得るべきですか。
15 エホバの証人の「勝利の信仰」国際大会は,地上の神の民の前進における画期的な出来事となり,必要な励みを与えました。過去数年は再調整の時でした。わたしたちの中には,この邪悪な事物の体制の終わりを今よりも前に見ることを期待していた人が少なからずいました。確かにわたしたちはエホバの証人の管理組織の,かつてない大がかりな再調整を見てきました。しかし「邪悪な事物の体制」は終わりませんでした。明らかにエホバはまだわたしたちにさせる仕事をお持ちになっています。「それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。ですから,時に恵まれているかぎり,すべての人,ことに信仰において結ばれている人に対して,良いことを行なおうではありませんか」― ガラテア 6:9,10。
16 会衆の長老たち,家族の頭たち,また他の人々は,「信仰において結ばれている人に対して,良いことを行なう」点で賞賛に値する努力をつづけています。その努力が結ぶ実は,世界中のエホバの民を強く結びつけている愛と愛情のきずなに見られます。これにより彼らはイエスの弟子であることを知られるのです。(ヨハネ 13:34,35)信仰におけるこのすばらしい結合は,報告の数字で評価できるものではありません。しかし,1978年3月23日に世界中で行なわれた主の晩餐の祝いに,509万5,831人という大勢の人が出席したということは,エホバにまだ献身してはいないものの神の民と交わることに深い関心を持っている人々が,幾百万人もいることを物語っています。わたしたちはその人々もひとり残らず,信仰による征服者となるように助けられることを願ってやみません。
17 ハガイ 2章7節とゼカリヤ 8章23節は今日もどのように成就しつづけていますか。
17 これらの新しい人々,つまり「あらゆる国民のうちの望ましいもの」が絶えず入って来ていることは,これまでに開かれた「勝利の信仰」大会で1万8,754人がバプテスマを受けたことから見て明らかです。(ハガイ 2:7,新)また18頁から21頁までの表によると,1978年の8月に終わる12か月の期間中に,世界中で9万5,052人の新しい証人がバプテスマを受けました。喜ばしいことに,「諸国のあらゆる言語から来た」それらの貴重な人々は,油そそがれた残りの者に加わってエホバへの奉仕を行ない,『こう言います。「わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた方と共におられることを聞いたからです」』― ゼカリヤ 8:23,新。
18 (イ)大多数の人はどのように信仰を示しつづけていますか。(ロ)表が示しているように,聖書のどの警告に従うことが急務ですか。
18 しかし,この表は別のことも示しています。それはつまり,バプテスマを受けた神のしもべたちの中に不活発になった人々がいたということです。大多数の人は勝利の信仰を示しつづけています。全時間の開拓奉仕を始める人々が増えている国は少なくありません。そして野外奉仕に従事する人々の最高数はやはり200万人以上です。しかし,悪魔とその体制が彼らの上にもたらした圧力に屈した人々もかなりいたようです。世の不道徳,快楽と偽りの富の追求,時代の緊急性に目ざめつづけていない ― こうした落とし穴に落ち込まないよう聖書がはっきり警告しているにもかかわらず,彼らはそれらの犠牲になりました。(ルカ 17:26-30。ヨハネ第一 2:15-17)本当に今は,すべての時代にまして『目ざめ,堅く信仰に立って』いなければならない時なのです。―コリント第一 16:13。
[脚注]
a カトリックのモントリオール大司教区(カナダ)の週報,「レグリーズ・ドゥ・モントリオール」より
[16ページの図版]
悪魔がこの終りの日にクリスチャンの信仰を砕く目的で用いる二つの主な手段は,不道徳と「金銭に対する愛」です
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信仰によって全き勝利を収めるものみの塔 1979 | 4月1日
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信仰によって全き勝利を収める
「わたしたちは,私たちを愛してくださったかたによって,これらすべての事に全く勝利を収めているのです」― ローマ 8:37。
1 わたしたちが,とくに今の時代に苦難を予期するのはなぜですか。
イエスは弟子たちに言われました。「あなたがたが世のものであったなら,世は自らのものを好むことでしょう。ところが,あなたがたは世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなたがたを憎むのです。奴隷はその主人より偉くはないと,わたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。彼らがわたしを迫害したのであれば,あなたがたをも迫害するでしょう」。(ヨハネ 15:19,20)そういうわけでわたしたちは困難を予期しなければなりません。「事物の体制の終結」のときである現代においては特にそうです。―マタイ 24:3,9。
2 (イ)迫害に耐えている間も確信を抱いていられるのはなぜですか。(ロ)そのように耐えることからどんな益が得られますか。
2 わたしたちは迫害によって試みられるかもしれません。しかし神は,必要に応じて,それに耐えるための『普通を超えた力』を与えてくださるでしょう。わたしたちは「迫害されながらも,見捨てられているわけではなく,倒されながらも,滅ぼされているわけではありません」。(コリント第二 4:7-9)現代のエホバの証人は,このことをどれほどしばしば経験してきたことでしょう。迫害は,それに耐えるとき,非常に有益な結果をもたらします。迫害はクリスチャンの信仰に耐久性,力,確信,安定性を加え,それらはいわば『全能の神エホバの,試みられた試験ずみの忠実なしもべがここにおります』と大きな声で言っているかのように,その人の全人格を通して輝きます。イエスは迫害を受けることを喜びなさいと言っておられます。「義のために迫害されてきた人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです」― マタイ 5:10-12。
3 (イ)ペテロは迫害に関して,わたしたちにどんな励ましを与えていますか。(ペテロ第一 4:12-14もご覧ください)(ロ)エホバの証人は現代においてどんな試練を受けましたか。どんな結果を得ましたか。
3 使徒パウロも同様の見方をし,「信じているので,神の力によって保護され」ていたクリスチャンたちに次のように書きました。「このことをあなたがたは大いに喜んでいます。もっとも,現在しばらくの間,やむをえないことであるにしても,あなたがたはさまざまな試練によって憂え悲しんできました。でもそれは,火によって試されていながらも滅びてしまう金よりはるかに価値ある,あなたがたの信仰の試された質が,イエス・キリストの表わし示される時に,賛美と栄光と誉れのいわれとなるためなのです」。(ペテロ第一 1:5-7)現代のエホバの証人は依然「さまざまな試練
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