世界 ― 神の働く畑
「畑は世界である」― マタイ 13:38,新口。
1 (イ)全人類は何の一部ですか。(ロ)それはどなたの畑ですか。いまこれについて考えるのはなぜ良いことですか。
あなたはご自分が畑の一部であり,いま耕されていることをご存知でしたか。信じられないかも知れませんが,それはあなたが人間家族の一員であるのと同様,たしかな事です。畑を耕すといっても,これはかっての帝国主義諸国がその植民地の住民を搾取したようにあなたを搾取しようとする利己的な企てではありません。ここでいう畑を耕すことは,永遠にわたって私たちの最大の益になるのです。それは神の耕すわざであり,このわざを成し遂げるため,神はその愛するみ子をつかわされました。神がみ子をつかわされたのはただ愛のゆえです。神の同労者となったみ子は,たとえを用いてこの耕すわざを説明されました。
2 (イ)イエスのどのたとえ話を考えてみるのは時宜にかなっていますか。(ロ)小麦畑の雑草をすぐに抜くことをさせなかった主人は,どうして知恵がありましたか。
2 このたとえ話の中で,み子イエス・キリストは,1900年前,畑に良い種をまいた主人にご自身をたとえました。夜の間に敵が忍び込んで麦の中に雑草の種をまきます。種が芽を出すと,雑草もあらわれました。主人はその僕が直ちに雑草を抜き集めることを許しません。雑草を抜こうとして麦を一緒に抜いてしまうからです。主人は収穫の時まで待ちます。そのとき麦と雑草の区別は明らかになるでしょう。そこで主人は僕をつかわして雑草を抜かせ,麦はそのままにしておきます。雑草はやくために束ねられ,敵の企ては無に帰しました。そのあとで主人は毒のある雑草が少しもまざっていない麦だけを倉に納めさせました。―マタイ 13:24-30。
3,4 弟子たちの問いに答えて,イエスはこのたとえをどのように説明しましたか。
3 イエス・キリストの弟子でさえ,このたとえの預言的な意味を理解できなかったので,イエスの許に来てその意味を尋ねました。イエスの説明の言葉を英語の欽定訳聖書から引用してみましょう。(以下,欽定訳とあるところは日本語文語聖書を引用し,欽定訳が文語聖書と異る部分にのみ,欽定訳の字句を用い,括弧で囲んであります)これは350年以上前にジェームス1世の勅命によってほん訳された聖書です。その中で雑草は毒麦と呼ばれています。
4 「良き種を播く者は人の子なり,畑は世界なり,良き種は天国の子どもなり,毒麦は悪しき者の子どもなり,之を播きし仇は悪魔なり,収穫は,〔世界の〕の終りなり,刈る者は御使たちなり。されば毒麦の集められて火にやかるる如く,〔世界〕の終にも斯くあるべし。人の子,その使たちを遣さん。彼ら御国の中より凡てのつまづきとなる物と不法をなす者とを集めて,火の炉に投げ入るべし,そこにてなげき,はがみすることあらん。其のとき義人は,父の御国にて日のごとく輝かん」― マタイ 13:37-43。
5 このたとえ話を欽定訳によって読むと,どんな問題にぶつかりますか。
5 欽定訳に従えば「畑は世界なり」「収穫は世界の終なり」「世界の終にも斯くあるべし」となっています。クリスチャン聖書の原語であるギリシャ語を知らない人はこれを読んで,収穫のとき「畑」である「世界」が火によって滅ぼされるのだと考えるかも知れません。火を使って毒麦をたやすことがここで述べられているからです。1611年にジェームス王の認可した聖書を読む人は,私たちの立っているこの地球が火に包まれて滅び,毒麦のように焼かれてしまうと思うかも知れません。
6,7 しかしイエスの言葉によれば,焼かれたものは何ですか。何が残りましたか。
6 しかしイエスのたとえは,麦を倉に納める前にも納めた後にも,主人が畑を燃やして農夫の身代をつぶしたとは述べていません。燃やしたのは毒麦であって,それも畑から抜き集めてから後です。
7 従って「世界」を意味する畑は,主人の用に供されるためにそのまま残りました。ただ畑の状態が前と異なっているに過ぎません。畑の表わす「世界」は残ります。ただその状態は清められるでしょう。ゆえに成育期間の終りに来る「収穫」は,世界を象徴する「畑」の終りを表わしていません。英国王ジェームス1世の認可した聖書によれば,イエスのたとえの説明には矛盾があるように見えますが,聖書の原語においては少しの矛盾もありません。問題は欽定訳聖書のほん訳にあるのです。
8 イエスのたとえを理解する助けは何ですか。
8 いろいろな聖書の参考書によって原語をしらべると,二つの世界は同じ世界ではありません。それで問題はすぐに解決されます。ギリシャ語の聖書を見ると,「畑」によって表わされている「世界」はコスモスという言葉であり,収穫の時に終る「世界」はアイオーンという言葉です。クリスチャン・ギリシャ語聖書の中でコスモスの終りまた終結が述べられているところはありません。終結また終りがのぞむのはアイオーンのほうです。アイオーンの終りについては沢山書かれています。
9,10 マタイ伝 13章38,39節のいろいろなほん訳をあげなさい。
9 現代訳の中には,コスモスとアイオーンを別の言葉に訳して両者の相違を示しているものがあります。a たとえば1961年の新英訳聖書では次のようになっています。「畑は世界である……収穫は時の終りである……このように時の終りに至って人の子はその天使たちを遣わすであろう」― マタイ 13:38-40。
10 1952年の改訂標準訳では同じ句が次のようになっています。「畑は世界である。……収穫は時代の終りである……時代の終りにもそのようになるであろう。人の子はその天使たちを遣わす」。1835年に出たアレキサンダー・キャムベルのほん訳では,「畑は世界である……収穫はこの状態の終結である……この状態の終結においても同様であろう。人の子はその天使たちを遣わす」となっています。1961年の新世界訳聖書は最後に引用したほん訳と似ています。「畑は世界である……収穫は組織制度の終結である……組織制度の終結においても同様であろう。人の子はその天使たちを遣わす」。
11 「世界」を意味する英語の言葉の用法において,欽定訳はなぜ混乱をおこしますか。
11 これらの現代訳でみれば,イエスの言葉に矛盾はありません。このように少し正確に訳せば読者が迷うことはないでしょう。霊感によって聖書を書いたクリスチャンが異なった言葉を使っているところに,欽定訳は同じ英語の「世界」という言葉を使っているのです。また霊感によるヘブル語聖書の場合にも,欽定訳は五つの異なる言葉を英語の「世界」という言葉に訳しています。b クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で欽定訳は四つの異なるギリシャ語を英語の「世界」という語に訳しています。c 少し考えればわかるように,これは宗教的混乱の原因です。聖書のためにも,この混乱をなくそうではありませんか。
「三つの世界」
12,13 「三つの世界」と題する本は,聖書のどのほん訳を基礎にしていますか。
12 87年前(1877年のこと),N・H・バーバーとC・T・ラッセルの共著になる197頁の本がニューヨーク,ロチェスターで出版されました。その本のとびらに次の言葉が出ています。
三つの世界およびこの世界の収穫 ― 聖書に教えられた救いの計画を簡潔に述べたもの。それは三つの世界すなわち「その時の世界」「いまの世界」「きたるべき世界」にわたるものである。証拠の示すところによれば,我々は「収穫の時」すなわち福音時代を終結させるわざの行なわれる時に住んでいる。
13 この言葉はペテロ後書 3章6,7節欽定訳の次の句に基づいています。「その時の〔世界〕は之により水に淹れて滅びたり。されど同じ御言によって今の天と地とは蓄へられ,火にて焼かれん為に敬虔ならぬ人々の審判と滅亡との日まで保たるるなり」。6節にある「世界」という言葉のギリシャ語はコスモスですが,使徒ペテロはその手紙の残りの12節の中で「今の天と地」,「義の住むところの新しき天と新しき地」について述べてはいても,この同じギリシャ語を再び使っていません。―ペテロ後 3:13。
14 欽定訳はギリシャ語のアイオーンをガラテヤ書 1章4節,マタイ伝 13章32節において何と訳していますか。
14 しかしガラテヤ書 1章4節(欽定訳)に「〔主イエス・キリストは〕我らを今の悪しき〔世界〕より救ひ出さんとて,己が身を我らの罪のために与へたまへり」とある「世界」はギリシャ語ではアイオーンです。マタイ伝 12章32節(欽定訳)においてイエスは次のことを言われました,「誰にても言をもて人の子に逆ふ者は赦されん,然れど言をもて聖霊に逆ふ者は,この〔世界〕にても後の〔世界〕にても赦されじ」。ここでも「世界」という言葉のギリシャ語はアイオーンです。
15 C・T・ラッセルが1886年出版の自著に「世々にわたる神の経論」という題をつけたのはなぜでしたか。
15 それで「三つの世界」と題する本のとびらの言葉に関連した聖句に出てくるのは,コスモスが1回,アイオーンが2回です。明らかにこの理由で前述のC・T・ラッセルが後日(1886年)単独に出した本の題は「世界に関する神の経綸」ではなくて「世々にわたる神の経綸」となっています。その第4章「神の経綸の発展においてしるしづけられた時代」は,「世界史における三つの大きな時代」,「その特色」,「三つの大きな時代の区分」について述べています。(65頁)この本は原語のギリシャ語を考慮しており,従って「世界」ではなく時代とその特色について述べています。従って読者が混乱をおこすことはありませんでした。
16 アイオーンの語を定義しなさい。
16 今日においても神のことば聖書を混乱させることを避けるのは私たちの願いです。先に引用した句(265頁9-10節)から明らかなように,現代のほん訳者はギリシャ語アイオーンを「時」「時代」「状態」「組織制度」の意味に解しています。d この言葉は単なる時間(時間を意味するギリシャ語は別にあります)ではなくて,長短にかかわらず持続する時間を意味します。従って一希英辞典はアイオーンを「明確に区切られた期間,時代」と定義しています。この言葉は「一生涯」「世代」の意味を持つようになりました。さて時代には始まりがあり終りがあります。あるいは神のみ心に従って永遠につづくことも可能です。それで始まりはあっても,無限につづく時代があり得ます。
17 アイオーンに時間の意味があることを示す例二つをあげなさい。
17 アイオーンに時間の意義を持たせている例は,イエスが批評家に言われた,マルコ伝 3章29節にあります。「聖霊」をけがす者は,いつまでも〔字義通りには時代のあいだ〕ゆるされず,永遠の〔aionian,永続する〕の罪に定められる」。(新口)それは消すことのできない罪のゆえに今も将来も許しがないとの意味です。後日,実がありそうに見えながら実のなかったいちぢくの木をイエスがのろったとき,イエスは何と言われましたか。マタイ伝 21章19節によれば,イエスは「今から後いつまでも〔定義通りには時代のあいだ〕,おまえには実がならないように」と言われました。翌日いちぢくのそばを通ったイエスと弟子たちは,木が枯れているのを見ました。マルコ 11:12-14,20-22)そのいちぢくは短時日のあいだ実がなかったのではなく,イエスが言われたことのために何時までも実のならない木となりました。当時の近東において果樹は課税の対象であったため,枯れたいちぢくは課税されないように切り倒されてしまったに違いありません。それで実のならない時期はまさに永遠のものとなりました。このようにひとつの時代は無限につづくものとなります。
18 イエスの誕生をマリヤに予告した天使はこの同じ言葉をどのように使いましたか。
18 天使ガブリエルがユダヤ人の処女マリヤに告げた言葉はこの事の別の例です。「あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり,いと高き者の子と,となえられるでしょう。そして主なる神〔エホバ〕は彼に父ダビデの王座をお与えになり,彼はとこしえに〔字義通りには幾時代にもわたって〕ヤコブの家を支配し,その支配は限りなく続くでしょう」。(ルカ 1:26-33,新口)その支配が限りなく続くという事は,イエスがヤコブの家すなわち国を永遠に治めるとの意味です。
状態,組織制度
19,20 (イ)アイオーンは他に何を指すことがありますか。(ロ)ゆえに新世界訳を利用してガラテヤ書 1章4節の本当の意味を説明しなさい。
19 一時代,一時期はその期間中見られるある特徴,出来事,事物の状態あるいは特定の組織制度によって特色づけらます。従ってそれらのものが消失するとき,その時代は終ります。こうしてアイオーンというギリシャ語は時間よりも組織制度あるいは存在する状態を指して使われることがあります。たとえばガラテヤ書 1章4節にある使徒パウロの言葉を欽定訳によってみると,「神の御意に随ひて,我らを今の悪しき〔世界〕より救ひ出さんとて,己が身を我らの罪のために与へたまへり」となっています。改訂標準訳では「今の悪しき世界」のかわりに「今の悪い時代」となっています。しかし使徒パウロおよびパウロから手紙を受け取ったガラテヤのクリスチャンはその時代に生きつづけ,私たちも現在その中に生きています。従ってイエス・キリストがご自分を犠牲にしてクリスチャンを救い出したのは,単にひとつの時代あるいは特定の期間からではありません。イエスがご自分に従うクリスチャンを救い出したのは,この時の期間に存在する状態すなわち組織制度からであったに相違ありません。
20 この理由で新世界訳聖書はいっそう事実に即してガラテヤ書 1章4節を次のように訳しています。「彼は私たちの父なる神のみ心に従い,現在の悪い組織制度から私たちを救い出そうとして,私たちの罪のためにご自分を与えられた」。ノアの時代の大洪水以後に始まったこの時代になお住んでいても,献身してイエスの真の追随者となった人々はこの時代に一般に存在する組織制度の一部ではありません。その人々は罪を除くイエス・キリストの犠牲によって悪の組織から救い出されたからです。それで現在の悪の組織にもはやつながれておらず,神のみ心を行なうため霊的に自由になっています。
21 そこで新世界訳はどんな方針をとっていますか。これはルカ伝 20章34,35節にどう示されていますか。
21 このように聖書の特定の句の中で時間という要素よりも時代の著しい特色という要素がおもに考えられているとき,新世界訳はギリシャ語のアイオーンを「組織制度」と訳していっそう正確な意味を伝えています。たとえば神の国の治める地上で生命によみがえる希望について語られたとき,イエスはアイオーンを使い,次のように言われました。「〔この組織制度〕の子らは,めとったり,とついだりするが,〔かの組織制度〕にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは,めとったり,とついだりすることはない」。(ルカ 20:34,35,新口)そこで現在,人々がめとったり,とついだりする「この組織制度」があり,将来には死者のよみがえりのある「かの組織制度」があります。このようにこの組織制度は終っても,その後につづく新しい組織制度があります。
22 アイオーンが時間よりも時代の著しい特色を意味することは,ロマ書 12章2節,テモテ前書 6章17節,テモテ後書 4章9,10節にどう示されていますか。
22 使徒パウロはローマのクリスチャンに次のことを書きました。「又この〔組織制度〕(時代ではない)に效ふな,神の御意の善にして悦ぶべく,かつ全きことを弁へ知らんために心を更へて新にせよ」。(ロマ 12:2)このすすめに一致してパウロはクリスチャンの監督テモテに次のように書き送っています。「〔この組織制度〕で富んでいる者たちに,命じなさい。高慢にならず,たよりにならない富に望みをおかず,むしろ,わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さるかたに,望みをおくように……命じなさい」。デマスという名のクリスチャンはこのすすめをいれませんでした。それでパウロは霊感によってしるしたその最後の手紙の中で次のことを書いています。「デマスは〔この組織制度〕(この時代ではない)を愛し,わたしを捨ててテサロニケに行ってしま……った」。デマスはローマで獄につながれていたパウロを見捨てたのです。―テモテ前 6:17。テモテ後 4:9,10,新口。
23,24 (イ)ヘブル書 11章3節においてアイオーンはどんな意味に使われていますか。(ロ)従ってエホバはご自身の僕の益のために何をされましたか。
23 時代そのものではなく時代の特色という意味でこの言葉が使われている別の例は,ヘブル書 11章3節です。そこで新世界訳は問題の語を括弧内の言葉に訳しています。「信仰によって,わたしたちは,この〔組織制度〕が神の言葉で造られたのであり,したがって,見えるものは現れているものから出てきたのでないことを,悟るのである」。(新口)― ジョン・パークハースト,新約聖書の希英辞典17頁2段第7項aión参照(1845年ロンドン版)
24 これは神が次々に時代をつくり出すことを言ったのではなく,神の許し又はとりきめに従って存在する事物の成り立ちを言ったものです。これは組織制度のことです。これらの組織制度がどんな順序で現われるかについて,神の僕は無知ではありません。神の言われた言葉と文字にしるされた神のことばは,神の目的に従って順に作られるそれぞれの組織制度を理解する手がかりを与えています。しかしこれらの組織制度を理解するには神の言われることを聞き,聖書を読む以上のことが必要です。すなわちこれらの組織制度に信仰を抱き,それを信じ,それに一致した生活をしなければなりません。アベルにはじまる信仰の人はそのことをしました。信仰のない人に見えない事柄も,信仰の人ははるか遠くにこれを見て迎えることができました。信仰の人は神の是認を得ました。―ヘブル 11:2,6。
25-27 (イ)現在の悪い「組織制度」を支配しているのはだれですか。その証拠は何ですか。(ロ)従ってクリスチャンはだれに対して戦わねばなりませんか。
25 使徒パウロはこの組織制度を悪いものと呼んでいます。なぜならば見えるさまと見えないさまでこの組織制度を支配しているのは悪い者だからです。この組織制度の利己的な人々は物質の事柄においては「光の子ら」よりも往々にして「利口」です。(ルカ 16:8,新口。コリント前 3:19)また世の知恵にたけた筆者,論者がおり,聖なる奥義にあらわされた神の知恵を知らない支配者がいます。(コリント前 1:20; 2:6-8)しかしこれら人間の背後には宗教に関して人々を盲目にしている。霊者,またこの世の組織の一部とならない真のクリスチャンを滅ぼそうとしている霊者がいます。
26 人々を盲目にしているこの霊者についてパウロは次のように書きました。「もしわたしたちの福音がおおわれているなら,滅びる者どもにとっておおわれているのである。彼らの場合,この世〔組織制度〕の神が不信の者たちの思いをくらませて,神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを,見えなくしているのである」。(コリント後 4:3,4,新口)福音を伝えさせたエホバ神はいままで長い時代にわたって地上にいた敬虔な人々の神です。しかしエホバ神はこの組織制度の神ではありません。その神はサタン悪魔です。サタンと共に悪鬼が霊界にいます。世の組織にならわないクリスチャンはこれらの悪霊と戦わなければなりません。
27 「わたしたちの戦いは,血肉に対するものではなく,もろもろの支配と,権威と,やみの世の主権者〔コズモクラット〕,また天上にいる悪の霊に対する戦いである」と,パウロは書いています。この戦いをするには,神の武具で身を固めなければなりません。―エペソ 6:11-13,新口。
28 悪い「組織制度」から離れていることに関して,パウロはどんな賢明な助言を与えていますか。離れている者は何を期待できますか。
28 サタン悪魔は不従順の霊であり,神にそむいた単なる人間よりも大きな力を見えないさまでふるっています。私たちは現在目の前にある組織にならって行動することはできません。私たちは神の過分のご親切により,来るべき組織を待ち望んで生活すべきです。この事をいっそう深く認識させるため,使徒パウロは次のように書いています。「あなたがたは……かつてはこの世〔コスモス〕のならわし〔組織制度,アイオーン〕に従い,空中の権をもつ君,すなわち,不従順の子らの中に今も働いている霊に従って,歩いていたのである。しかるに,あわれみに富む神は,わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって,罪過によって死んでいたわたしたちを,キリストと共に生かし ― あなたがたの救われたのは,恵みによるのである ― キリスト・イエスにあって,共によみがえらせ,共に天上で座につかせて下さったのである。それは,キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を,きたるべき世々〔きたるべき組織制度〕に示すためであった」― エペソ 2:2,4-7,新口。
29 (イ)それで新世社会というとき,私たちは何を指していますか。(ロ)この新しい組織制度の造り主はどなたですか。どなたを用いてそれを造りますか
29 ゆえに私たちは信仰により,来るべき新しい組織制度を待ち望んでいます。いままでよく使われてきた「新しい世」という表現を使い,私たちがエホバの証者の新しい世の社会であるという時,ギリシャ語の聖書の叙述に従えば,それは来るべき新しい組織制度,事物の新しい秩序のことを言っているのです。その新秩序は神が独り子イエス・キリストによって建てる組織のひとつです。神は19世紀前このみ子によって人類に語りました。イエスの語ったとき,それは神が人類に救いの音信を告げたことの最高潮でした。ヘブル書 1章1,2節はそれを指摘しています。「神は,むかしは,預言者たちにより,いろいろな時に,いろいろな方法で,先祖たちに語られたが,この終りの時には,御子によって,わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め,また御子によって,もろもろの世界〔組織制度〕を造られた」。―新口。
30 (イ)アレキサンダー・キャムベルのほん訳は,イエスの臨在と確かな滅びについて尋ねた弟子たちの言葉を,どのように正しく伝えていますか。(ロ)新世界訳はどんな言い回しを使っていますか。
30 神のみ子が聖都エルサレムに臨む滅びを預言されたとき,使徒たちがイエスに尋ねたのは地球の滅びのことではありません。アレキサンダー・キャムベルeの訳した新約聖書(1835年)によってマタイ伝 24章3節を読めば,地球が滅びるという間違った考えを持つことはないでしょう。「彼がオリブ山に坐っておられると,弟子たちがひそかにみもとに来て話しかけた。何時この事が起こるか,またあなたの来られる時とこの状態の終結のしるしは何かを話して下さい」。また宣教のわざを命じたマタイ伝 28章19,20節のイエスの言葉を,キャムベル氏は次のように訳しています。「行ってすべての国の人々を改宗させ,父と子と聖霊の名によって浸礼を施し,私の命じたすべての事を守るように教えなさい。見よ,私はこの状態の終結に至るまで常にあなたがたと共にいるのである」。「この状態の終結」という表現のかわりに新世界訳は「組織制度の終結」を使っています。私たちは現在この「終結」の時に住んでいるのです。それはマタイ伝 13章39節にイエスの言われた収穫です。
31,32 現在の組織制度から離れ去る人々は,どんな祝福を受けますか。
31 私たちは古いものの終結の時にいるだけでなく,新しいものの始まろうとする時にいます。来るべき組織制度に生命を得るためならば,現在持っているすべてのものを捨てても惜しくはありません。すべてを捨ててみ跡に従った使徒たちにイエスは言われました,「だれでもわたしのために,また福音のために,家,兄弟,姉妹,母,父,子,もしくは畑を捨てた者は,必ずその百倍を受ける。すなわち,今この時代〔このkairós〕では家,兄弟,姉妹,母,父,子および畑を迫害と共に受け,また,きたるべき世〔組織制度aión〕では永遠の生命を受ける」。(マルコ 10:29,30,新口。ルカ 18:29,30)この生命は,その時すべてのものにまさる名と地位を持つイエス・キリストと共に受ける生命です。これに関して使徒パウロはイエス・キリストのことを次のように書いています。
32 神は「彼を死人の中からよみがえらせ,天上においてご自分の右に座せしめ,彼を,すべての支配,権威,権力,権勢の上におき,また,この世〔組織制度〕ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる,あらゆる名の上におかれたのである」― エペソ 1:19-21。
33 来るべき組織制度に対して,どなたに栄光を帰することができますか。
33 キリストの下におかれた,来るべきすばらしい組織制度を設けられたことに対し,エホバ神に感謝しなければなりません。エホバ神はこの事を永遠のお目的とされたからです。私たちは使徒パウロと共に次の言葉を述べ,愛にみちた,このすばらしい神に栄光を帰することができます。「どうか,わたしたちのうちに働く力によって,わたしたちが求めまた思うところのいっさいを,はるかに越えてかなえて下さることができるかたに,教会により,また,キリスト・イエスによって,栄光が世々限りなく〔字義通りには幾時代にもわたり〕あるように,アアメン」― エペソ 3:11,20,21,新口。
[脚注]
a ラテン・バルゲート訳でさえ二つのギリシャ語を区別しておりkósmosをmundus,aiónをsaeculumと訳しています。しかしラテン・バルゲートの英訳であるドウエー訳は両方の語を“world”と訳しています。
b 五つのヘブル語はerets,hhedel,hheled,olam,tebelです。
c 四つのギリシャ語はaión,ge,kósmos,oikouménéです。
d ギリシャ語アイオーンは「永久に,常に」を意味するaeiから来たものと一般に考えられています。しかしR・C・トレンチ大司教著「新約聖書の同義語」(1901年)の202頁に次のことが出ています。「我々はアイオーンの語原をaéiに求めるアリストテレスの説(De Caelo 1.9)を捨てなければならぬ。おそらくアイオーンはáo,áemiにもっと関連している。コスモスと同じくこの語には第一の,そして形而下の意味があり,加えて第二の,そして倫理的な意味がある。第一の意味において,それは長短を問わず切れ目なく続く時間を意味する。古典ギリシヤ語において人間の寿命を意味することも多い……しかしとくに創造されたすべてのものの存在を条件づける時間および被造物の存在の持続性の程度を意味する……このように時間を意味することから,この語は時間という条件の下で世界に存在するすべてのもの……更には現実の世界の事物の動きを意味するようになった」。
e アレキサンダー・キャンベルはディサイプルズ・オブ・クライスト,あるいはキャンベライトと呼ばれる宗派の教祖として有名です。
[267ページの図版]
今より後いつまでも(アイオーン)実を結ばない
[268ページの図版]
この組織制度(アイオーン)にならわない