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あなたは完全武装した,平和の担い手ですかものみの塔 1979 | 12月1日
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かぶとが兵士の頭を守るように,「救いのかぶと」もクリスチャンの知力を守ります。最終的な救いである永遠の命の賞に心の目を向けて離さないなら,目標を見失わせるものが何であれ,それと厳しい戦いをする際の大きな助けが得られます。神から頂いた,現実に力を持ったこの「救いの希望」は非常に強固なもので,かぶとが古代の兵士を保護したと同じような力を発揮します。―テサロニケ第一 5:8。
クリスチャンに対する攻撃は,とかく詭弁やこじつけの議論の形を取るものです。そうした場合には,神の言葉である「霊の剣」が必要です。聖書は聖霊の所産であって,「戒め,物事を正し,義にそって訓育する」ことを目的としています。(テモテ第二 3:16)聖書の正確な知識を得れば,正邪を識別することができます。(ヘブライ 5:14)このようにして,『神の知識に逆らって立てられたいっさいの高大なものを覆す』ことができるようになります。―コリント第二 10:5。
たゆまず祈る
もちろん,わたしたちの霊的な武具の与え主が神であることを忘れるべきではありません。神は人がご自分の霊の働きに努めて従おうとするときに,永遠の命を得られるようその人を保護される方です。そういうわけで,わたしたちがたゆまず祈り,エホバ神に全き信頼を抱いていることを示すのは良いことです。献身したクリスチャンのだれもが同様の霊的戦いに加わっているのですから,祈りを自分たちのことだけに限るのをやめて,仲間の兄弟全体を含むものにしたいものです。これは使徒パウロのその後の励ましとも調和しています。「それとともに,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい」― エフェソス 6:18。
わたしたちの最終的な救いが関係しているのですから,これからも完全武装した平和の担い手であるべきなのは当然のことでしょう。ですから自己吟味を続けてください。自分はキリスト教の真理によって導かれ,支えられていることを喜んでいるか,心は義によって保護されているか,信仰は内的または外的な攻撃に抵抗できるほどに強いか,永遠の生命を得る希望が知力を守る盾となっているか,信仰を打ち砕こうとする意見や「天の場所にある邪悪な霊の勢力」と戦う際に神の言葉を用いられるかどうかを確かめるのは良いことです。霊的に目覚め続けているよう一生懸命努力しましょう。感謝の表明,賛美,上からの助けや導きを請い求めることなど,さまざまな状況や場合に必要とされるものを,その時々にふさわしい方法で祈り,神の霊の導きに自分自身をゆだねるのです。そうです,自分自身が完全武装した平和の担い手となるように力を尽くして励みましょう。
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子供のための筆記の復習ものみの塔 1979 | 12月1日
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子供のための筆記の復習
復習は有益な教育の手段として認められています。エホバの証人が数週間ごとに神権学校で筆記の復習を行なう理由はそこにあります。これは,自分がどれほど学び,記憶しているかを生徒自身が吟味する機会となります。しかし,小さな子供たちにとってはどうでしょうか。その復習は一般に子供たちには難しすぎるようです。
イリノイ州(米国)のある証人から次のような手紙が寄せられています。「わたしたちは最近,『わたしの聖書物語の本』に基づく独自の復習用紙を作っています。これは子供たちに大いに受けています。こうすれば筆記の復習の間,子供たちにはすることがあり,その上子供たちがどれほど学んでいるか分かります」。
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