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フィリピ人が学んだ秘訣ものみの塔 1983 | 3月15日
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フィリピ人が学んだ秘訣
秘密を知ることをいやがる人がいるでしょうか。あなたもだれかから,信頼されて秘密を打ち明けられ,胸を躍らせたことがきっとあるでしょう。その秘密とは,人が公表する前に内緒であなたに打ち明けるある喜ばしい事態といったものだったかもしれません。
別の種類の秘密もあります。それはほかの人が持っていない知識や見識のことで,秘訣とも呼ばれます。1世紀のクリスチャンの一グループ,すなわちマケドニアのフィリピという都市の会衆の人々にとって,その種の秘密,つまり秘訣は重要なものでした。その特別な秘訣が何であるかを理解し,どうすればわたしたちがそれから益を得られるかを知るために,現在聖書の一部になっている,フィリピ人にあてて書かれた一通の手紙の背景を簡単に調べることにしましょう。
パウロ ― フィリピ人へ
西暦59年ごろから61年ごろにかけて,宣教者のパウロはローマで獄にいました。その間,パウロは旅行中に経験した様々な事柄を回顧することができました。自分が出会った大勢の忠実な兄弟たちのことや,真理の道を歩み始めさせ,その成長を見る特権に自分があずかった諸会衆のことを思い起こすことができました。パウロは,フィリピにある会衆のことを考えずにはいられませんでした。フィリピに関連した幾つかの特異な経験のゆえに,その地はパウロの心の中で特別な位置を占めていました。
西暦50年ごろ,パウロが2回目の宣教旅行の途上にあった時のことです。パウロ(とシラス)は神の霊に妨げられてアジア,ミシア,ビチニアの各地で宣べ伝えることができませんでした。それで,パウロはトロアスへ行き,そこである晩一つの幻を見ました。「あるマケドニアの人が立って彼に懇願し,『マケドニアへ渡って来て,わたしたちを助けてください』と言(った)」のです。(使徒 16:9)パウロとその仲間たちは直ちにサモトラケへ向かって船出し,さらにネアポリスという海港へ行きました。それから陸路でフィリピまで旅行しました。
一行にとって驚きだったと思われますが,その都市にはユダヤ人がほとんどおらず,どうやら会堂さえなかったようです。安息日に,パウロとシラスは,いつものように会堂へ出掛ける代わりに,門の外の川のそばへ行き,そこに集まっていた女たちに話し始めました。(使徒 16:13)使徒 16章11-40節を読むと,波らんに富んだそのフィリピ訪問のことがさらに詳しく分かります。パウロの証言の結果,ヨーロッパで一つの会衆が発足することになりました。パウロは後にフィリピのその会衆を再び訪問する,それも多分2回訪問することになります。―使徒 20:1,2,6。フィリピ 2:24。
ローマで投獄されていた時,パウロはフィリピで交わった立派なクリスチャンたちに思いをはせることができました。ルデアは一方ならぬもてなしの精神を示しました。ユウオデアとスントケは,「良いたより」を広めるために,パウロと相並んで働きました。牢番とその家の者たち,そして彼らがキリスト教を受け入れるきっかけとなった奇跡的な経験も忘れることができません。
フィリピの人々の愛と親切と気遣いを思い返し,パウロはその人たちにあてて手紙を書かねばならないという気持ちになりました。(フィリピ 1:3,12)それは,パウロがフィリピの人たちに対して抱いていた愛と彼らが示していた「義の実」を明らかにしています。―フィリピ 1:11。
その秘訣とは何か
パウロはその手紙の中で自分が身をもって学んだある秘訣について語っています。そして証拠はフィリピの人々がパウロからその秘訣を学んでいたことを示しています。それは,パウロが長年の間に経験した様々な試練を乗り越えるのに役立った秘訣でした。パウロは次のように書いています。「一切の事において,あらゆる境遇のもとで,飽きるにも飢えるにも,満ちあふれるほど持つにも乏しさを忍ぶにも,その秘訣を学び取りました。自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっているのです」。(フィリピ 4:12,13)したがって,自分の置かれた境遇がどのようなものであっても終始エホバに頼ることがクリスチャン生活の秘訣でした。
フィリピの人たちはその秘訣を学んでいました。そして,それは幾つかの形で彼らに影響を及ぼしました。一つとして,フィリピの会衆は宣べ伝えることに非常に熱心でした。パウロは,『あなた方は世を照らす者として輝いています』と書きました。(フィリピ 2:15)フィリピの人たちは良いたよりを大きな喜びをもって受け入れ,その良いたよりを引き続き前進させてゆきました。パウロは,彼らのことを「良いたよりを擁護して法的に確立することにおいて……わたしと分け合う者となっている」と述べることができました。―フィリピ 1:7。
この手紙を書いた時,パウロはフィリピの人たちがパウロの獄中の経験に関心を抱いていることを知っていました。パウロは,獄にいる身ではあるものの,自分に関することが「かえって良いたよりの前進に役立つ結果となり,わたしのなわめがキリストに関連して親衛隊の全員とほかのすべての人たちの間で公に知られるようになりました」と語りました。(フィリピ 1:12,13)パウロはまた,自分が獄につながれたことのためにローマのクリスチャンたちの多くが以前にも増して神の言葉を恐れずに語る勇気を示しているとも述べています。パウロが獄にあっても,自分たちと同じように王国を宣べ伝えることに引き続き熱心であることを知って,フィリピの人たちは励まされたに違いありません。―フィリピ 1:14。
フィリピ 4章12,13節に述べられている秘訣と関連があったと思われる別の事柄は,フィリピの人たちがふさわしい精神態度を持っていたことです。彼らは,自分自身を喜ばせるのではなく,他の人々を助ける気質を持っていました。事実,彼らはパウロを大いに援助してきていました。パウロがテサロニケにいたとき,フィリピの人たちは二度にわたってパウロに物質的な援助を差し伸べています。そのようなことをしたのはフィリピの会衆だけでした。(フィリピ 4:15,16)後に,迫害のため,エルサレム会衆が苦難に遭って援助を必要としていた時,フィリピの人たちは,自分自身貧しかったにもかかわらず,惜しみなく寄付をしました。これは「実際の能力以上のもの」であったとパウロは書いています。(コリント第二 8:3)さらに後になって,パウロがローマで投獄されていたとき,フィリピの人々はエパフロデトを通して品物を送りました。
このように,フィリピの人々は仲間のクリスチャンに対して愛に満ちた関心を抱いていました。パウロから勧められた通りに行動し,「自分の益を図って自分の事だけに目を留めず,人の益を図って他の人の事にも目を留め」ていました。これは,心をさわやかにする精神を実によく表わしていました! このことから,フィリピの人々がイエスの持っておられたのと同様の謙遜な精神態度を抱き,他の人々に対して批判的でなかったことが分かります。―フィリピ 2:1-5,14。
わたしたちも彼らの秘訣を学んで適用することができる
わたしたちはずっと後の時代に生きているため,使徒パウロと直接交わる立場にはいません。ですから,フィリピ人にあてられた霊感によるその手紙をエホバ神がみ言葉の中に収めてくださったことに,深く感謝しなければなりません。そのおかげで,わたしたちは,パウロが学び,フィリピの人々に伝えたに違いない秘訣を含め,その手紙のすばらしい助言を学んで,当てはめるよう努めることができます。
フィリピの人々にとって,その秘訣には知識と態度と行動が関係していました。パウロは,「キリストについての良いたよりにふさわしく行動しなさい」と彼らを励ましました。(フィリピ 1:27)パウロの訓戒に従うことにより,彼らは「とがめのない純真な者,また,曲がってねじけた世代の中にあってきずのない神の子供と」なります。(フィリピ 2:15)言うまでもなく,そのような清い行動を保つには,考える事柄についても注意を怠らないことが必要でした。この点はわたしたちにも確かに教訓となります。そして,その「秘訣」を適用しようと努めている他の多くの人がしてきたと同様の事をしたいと思う人もいることでしょう。つまり,わたしたちが考える事柄についてパウロがフィリピ 4章8節で書いていることを暗記して,常に熟考することです。あなたはその節を暗唱することができますか。
物質的に富んでいても貧しくても幸福な気持ちで神に仕え,神に頼るという秘訣を知っているなら,非常に満足のゆく生活を送ることができます。パウロの場合,自分の労苦の実がフィリピ会衆で表わされていたことを思い起こして味わうことのできた満足感のことを考えてみてください。パウロは,その会衆がキリスト教の真理に対する愛と,良いたよりを広めることに対する熱意とを深めてゆくのを見ました。また,フィリピ会衆が仲間のクリスチャンに対して実際に愛を示している様子も見ました。そして,彼らも自分たちが行なうすべての事柄において神に全くより頼み,持てるものすべてをもって神に仕えるという秘訣を学んでいるのを見て,大きな満足を得ることができました。
パウロがフィリピ 4章12,13節で述べている大切な秘訣を自分自身が学んでいるかどうか,今日のクリスチャンひとりひとりが自問するのはふさわしいことです。その一つの証拠として考えられるのは,わたしたちが,「義の実に満たされて」,神の祝福を得ていることです。(フィリピ 1:9-11; 4:17)また,わたしたちがその重要な秘訣を学んでそれを表わしているなら,周囲の人々もそうするよう励まされるはずです。パウロと同じように,わたしたちは他の人に良い模範を示していることになるでしょう。それだからこそ,パウロはフィリピの人々にこう勧めることができました。「兄弟たち,皆ともにわたしに見倣う者となってください。また,あなた方がわたしたちに見る手本にかなう歩み方をしている人たちに目を留めなさい」。(フィリピ 3:17。13,14節と比較してください。)ですから,その秘訣はわたしたちにとっても,他の人たちにとっても大いに価値があります。それは永遠の命を得るのに役立つものなのです。
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覚えていますかものみの塔 1983 | 3月15日
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あなたは最近号の「ものみの塔」誌を楽しくお読みになりましたか。もしそうでしたら,次の点を覚えているか確かめてご覧ください。
□ 病気はわたしたちの特定の罪の結果なのですか。
必ずしもそうではありません。病気は,わたしたちが皆アダムから罪と不完全さを受け継いでいることの一つの証拠です。(ローマ 5:12)しかし故意に罪を犯すなら,神の聖霊に対する罪を負うことにもなりかねません。それ
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