どうすれば他の人々を強めることができますか
「あなたは,ひとたび立ち直ったなら,あなたの兄弟たちを強めなさい」― ルカ 22:32。
1,2 (イ)他の人々を助けることが今日特に必要なのはなぜですか。(ロ)神のしもべが気落ちして他から強めてもらう必要のあることがありますか。
他の人々を助ける必要は確かにあります。偏見,不公正,粗末な住宅,人口過剰その他,世界のみじめな状態がこれほど多くの人々を落胆させたことは史上かつてないことです。ひどく失望して,あるいは健康がすぐれなかったり,自分を落伍者と考えたりしているために,または自分は求められていないということを感じているために,気落ちしている人もあります。
2 神のしもべたちでも,思いがけなくひどく気落ちすることがあるかもしれません。そういう気持ちになったときには驚き,とまどうかもしれません。クリスチャンでも時には絶望的な気持ちで,「どうしてこういうことになるのだろう。わたしは一体何をしたのだろう。人を励ましていなければならない自分が,自分自身を強めることができない。何か許されない罪でも犯したのだろうか。わたしは神に捨てられたのだろうか」と考えることがあります。
3,4 (イ)キリスト以前の神のしもべで,強める助けを必要としたどんな例がありますか。(ロ)一世紀のクリスチャンも強められる必要のあったことを示すどんな証拠がありますか。
3 しかし,そういうクリスチャンは,自分だけがそのような気持ちになるかのように驚く必要は少しもありません。神の他のしもべたちも同様の気持ちになって力づけを必要としたことがありました。例えば,聖書の詩篇作者は,捨てられたかのような悲しい気持ちになり,次のように書きました。『われわが磐なる神にいわん なんぞわれを忘れたまいしや なんぞわれは仇のしえたげによりて悲しみありくや』。(詩 42:9)エルカナの愛妻ハンナは,自分に子供が生まれないことにひどく失望し,また競争者の妻にひどく悩まされたので,『泣いて食べることもしませんでした』― サムエル前 1:5-7,口。
4 また第一世紀のクリスチャンの中にも強められることを必要としていた人たちがいました。そのために使徒パウロはテサロニケ会衆に対し,『憂いに沈んだ魂になぐさめのことばをかけ,弱い者を支えなさい』と勧めました。(テサロニケ第一 5:14)イエス・キリストが死なれたあと,クレオパとその友は悲しみに沈んでいました。彼らはエマオに行く途中,「悲しげな顔で立ち止ま」り,失意を吐露しました。イエスこそイスラエルを救うべく定められた人ではないかと考えていたからでした。またペテロがキリストを三度否認したあと,「外に出て,激しく泣いた」のを覚えていない人がいるでしょうか。人を恐れて師を否認したことを,ペテロはたまらなく悲しく思いました。―ルカ 24:13-21; 22:62。
5 イエスはペテロにどんなことをお命じになりましたか。その命令がペテロに与えられたのはなぜ適切でしたか。
5 しかしイエスは,神から授かった予知力により,ペテロがご自分を否認することを前もってご存じでした。事実,イエスはほんの数時間前にそのことについてペテロに話し,こう言っておられます。「わたしは,あなたの信仰が尽きないように,あなたのために祈願をしたのです。それであなたは,ひとたび立ち直ったなら,あなたの兄弟たちを強めなさい」。(ルカ 22:32)ペテロは自分が非常につらい経験をした結果,落胆したときの気持ちや,強めてもらう必要のあるときの気持ちがどんなものであるか,よく分かっていました。ですからイエスが,「あなたの兄弟たちを強めなさい」という命令をペテロにお与えになったのは,極めて当を得たことでした。
あなたは他の人々を強めることができますか
6 この命令がまたすべての真のクリスチャンに適切であると言えるのはなぜですか。
6 その時の事情では,イエスの命令はペテロに与えられました。しかしそれは真のクリスチャンすべてに当てはまります。指示を他の者たちに伝えるのに,イエスは一人かまたはほんの数人にそれを話し,彼らをいわば共鳴板のようにお用いになることがしばしばありました。別の時にイエスはペテロに直接,「わたしの小さな羊たちを牧しなさい」と言われました。同じ指示は,その場にいた他の使徒たちに適用できるようになり,またクリスチャンの牧者すべてに繰り返し告げられました。(ペテロ第一 5:1,2。使徒 20:28)またイエスが,「それゆえ,行って,すべての国の人びとを弟子と」しなさい,という命令をお与えになったのは初期のクリスチャンだけでしたが,この命令は真のクリスチャンすべてに当てはまります。―ヨハネ 21:15-17。マタイ 28:19。
7 ここでどんな質問が生じますか。
7 それでもしあなたがそうすることを望み,またあなた自身が強いなら,あなたは他の人々を強めることができます。イエスは,できないことをするように追随者たちに求めることは決してされません。しかしイエスはどういう意味で,「あなたの兄弟たちを強めなさい」とお命じになったのでしょうか。わたしたちがクリスチャンの兄弟たちをどのように強めるべきことを,お考えになっていたのでしょうか。
8,9 (イ)イエスはどんな意味で「あなたの兄弟たちを強めなさい」と命令なさいましたか。(ロ)「強める」また「強め」と訳されているギリシャ語はどのようにこのことを証明していますか。
8 イエスは特別に,体を強めることのできる物質面での援助を食物という形で行なうことを言われたのではありません。(使徒 9:19)そうではなくて,兄弟たちを精神的に,霊的に強めるのに必要なものを,わたしたちが兄弟たちに与えるべきことを考えておられたのです。つまりわたしたちは,仲間のクリスチャンの確信と希望を増し加えるように,彼らを慰めるように,また彼らをクリスチャンの道に固定させるように,あるいはその道に落ち着かせるように話しまた行動しなければならないという意味です。聖書の中で,「強める」または「強め」と訳されている原語のギリシャ語には,このような考えが含まれています。
9 例えばイエスは,「あなたの兄弟たちを強め」なさいとペテロに言われたとき,ステーリゾーというギリシャ語を使われました。この語には「堅く据える,固定させる,強固にする,てこ入れをする,支える」という意味があります。したがってこのギリシャ語は「新世界訳」では『確固とした者にする』とも訳されています。(ローマ 1:11; 16:25。テサロニケ第二 2:17。ペテロ第一 5:10)聖書の中で,「強める」また「強め」と訳されている他のギリシャ語は,後ほど取り上げますが,「元気づける,支えるまたはしっかりさせる,慰めを与える」という意味を伝えます。しかしまず,ペテロがなぜ霊的に強めてもらう必要を感じるようになったのか,それに注目してみましょう。そのような研究は,わたしたちが同じ間違いを犯さないようにするのに役立つでしょう。
ペテロの失敗
10 ペテロは自分の霊的力を過信していたことをどのように示しましたか。しかしイエスはどんなことを予告されましたか。
10 ペテロがキリストを否んだ直前の出来事に注意を向けてください。イエスが,処刑前の最後の晩の集いで使徒たちに,「今夜,あなたがたはみなわたしに関してつまずくでしょう」と言われたとき,ペテロは「ほかのみんながあなたに関してつまずいても,わたしは決してつまずきません」と豪語しました。(マタイ 26:31-35)その後のやりとりを記したルカの記録によると,イエスはペテロに,他の使徒たちが聞いているところで,「シモン,シモン,見よ,サタンは,あなたがたを小麦のようにふるいにかけるため,あなたがたを手に入れることを要求しました」と警告されました。しかしペテロは,「主よ,わたしはあなたとともに獄にはいることも死ぬことも覚悟しているのです」と断言しました。しかしイエスはお答えになりました。「ペテロよ,あなたに言いますが,あなたがわたしを知っていることを三度否定するまで,きょう,おんどりは鳴かないでしょう」。(ルカ 22:31-34)イエスの言葉がまさにその夜成就したことは,注目に値する興味深い事柄です。
11,12 ペテロと他の使徒たちは,ゲッセマネの園で,イエスに従うことにどのように繰り返し失敗しましたか。
11 長い祈りのあと,イエスと使徒たちは過ぎ越しを祝った二階の部屋を出,ゲッセマネの園へ行きました。(ヨハネ 16:33–18:1)その場所でイエスは,一人で祈るために彼らをそこに残して行く前に,ペテロおよび使徒の中の他の二人に,「ここにとどまって,ずっと見張っていなさい」と言われました。彼らはそうしたでしょうか。聖書の記録によると,イエスは「来て彼らが眠っているのを見つけ」,ペテロの方に向いてこう言われました。「シモンよ,あなたは眠っているのですか。一時間見張っている力もなかったのですか。あなたがたは,ずっと見張っていていつも祈り,誘惑に陥らないようにしていなさい」― マルコ 14:32-38。
12 ペテロと他の使徒たちはその言葉に従いましたか。聖書の記録は続きます。「それからイエスは再び離れて行き,同じことばで祈られた。そして再び来て,彼らが眠っているのをご覧になった」。彼らは従わなかったのです! もう一度祈りに行く前に,イエスが前よりもさらに熱を込めて,目を覚まし祈り続けるよう彼らを励まされたことは疑えません。しかしながらイエスは『三度めに来て,彼らに言われました。「このよな時に,あなたがたは眠って休んでいる! もう十分です! 時刻が来ました! 見よ,人の子は裏切られて罪人たちの手に渡されます」』― マルコ 14:39-41。
13 (イ)イエスが逮捕され連れ去られた時,ペテロはどうしましたか。(ロ)どんな状況の下でペテロはキリストを否認しましたか。ペテロは自分のしたことを後でどのように感じましたか。
13 それから少したって,ペテロは大いに目ざめているところを示しました。彼は剣を抜き,大祭司の奴隷マルコスの耳を切り落としました。マルコスはイエスを捕えに来た者たちと一緒にいました。(ヨハネ 18:10,11)イエスは逮捕されて連れ去られ,使徒たちは逃げました。しかしペテロは少し離れてついて行きました。自分自身の命も心配であり,イエスがどうなるかもひどく心配で,心は千々に乱れていたに違いありません。彼らは大祭司の家に来ました。ペテロが時をたがえて三度イエスを否認し,イエスを知っていたというのであれば呪われても,罰せられてもかまわない,とまで言ったのは,その中庭にいた間のことでした。その時おんどりが鳴きました。イエスは振り向いてペテロをご覧になりました。それでペテロは外に出て激しく泣きました。―ルカ 22:47-62。マルコ 14:71,72,エルサレム聖書。
わたしたちが学ぶべき教訓
14 (イ)ペテロの失敗は聖書のどんな警告を強調し,どんな教訓を教えていますか。(ロ)ペテロがその教訓を学んだことを示すどんな証拠がありますか。
14 ペテロはそれまで自分の霊的力に非常な自信を持っていました。それにもかかわらず彼はつまずき,クリスチャンの道を忠実に歩み続けることに失敗しました。彼の経験は,「立っていると思う者は,倒れることがないよう気をつけなさい」という警告の重要さをなんとよく強調しているのでしょう。(コリント第一 10:12)わたしたち皆がこのことから学ばねばならない教訓は,自分が倒れることなど絶対にないと考えて,自分の霊的力を過信してはいけない,ということです。わたしたちも倒れないとは言えません。ペテロはそれを学びました。それで後日仲間のクリスチャンに,「冷静を保ち,油断なく見張っていなさい。あなたがたの敵対者である悪魔がほえるししのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」と書き送りました。―ペテロ第一 5:8。
15 (イ)このことからわたしたちは皆さらにどんな教訓を学ぶべきですか。(ロ)強める助けの主要な源は何ですか。
15 その夜起きたことから学ぶべきもう一つの教訓は,わたしたちは皆自分を強めてくれる助けを必要としているということです。ゲッセマネの園にいる間,イエスは弟子たちに祈るよう勧めることによって,必要であったその助けを与えることに努力されました。彼らは特に神が与え得る助けを必要としていました。使徒パウロが言ったように,神は「あなたがたを確固たる者とすることのできるかた」です。つまり神は,どんな圧力にでも耐えるようわたしたちを強める,もしくは堅く据えることがおできになります。(ローマ 16:26)その園の中で,弟子たちが眠っている間に起きた事柄が示しているように,イエス・キリストでさえも,強められることが必要でした。
16,17 (イ)園の中でイエスが祈っておられた時にどんなことが起きましたか。(ロ)み使いがイエスをどのように強めたことは明らかですか。
16 わたしたちが知っているように,イエスご自身祈っておられました。聖書には次のように記録されています。イエスは「ひざをかがめて祈りはじめ,こう言われた。『父よ,あなたの望まれることでしたら,この杯をわたしから取り除いてください。しかしやはり,わたしの意志ではなく,あなたのご意志がなされますように』。その時,ひとりのみ使いが天から現われて彼を強めた[エンイスクオー]」。(ルカ 22:41-43)確かにエホバ神は,その園において,イエスの生涯のこの最も重大な時に,み使いの助けを備えられました。
17 そのみ使いがイエスに話しかけ,イエスを元気づける情報を与え,イエスに新たな力を注ぎ込んだことは明らかです。ここで「強めた」と訳されているギリシャ語,エンイスクオーがそのことを示唆しています。聖書の中でこの語が現われる他の唯一の箇所は使徒 9章19節ですが,そこでは使徒パウロが食事をして「元気づいた」と述べられています。これに反し,イエスを強めたのは,物質の食物ではなくてみ使いがそこにいたこと,み使いの励ましの言葉,であったに違いありません。しかし使徒たちは眠っていました。ですからそのように強められる立場にありませんでした。
18 (イ)霊的力を持つには何が必要ですか。それはどこから得ることができますか。(ロ)どんなことを自問するのは良いことですか。
18 あなたはいかがですか。あなたを強める霊的備えを受けるべく目覚めていますか。「人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」と聖書が述べていることを忘れないようにしましょう。(マタイ 4:4)人を強めるそのような神の言葉は,普通は,イエスに対してなされたようにみ使いを通して告げられるのではありません。それは神の言葉である聖書に見いだされます。聖書はエホバの証人のキリスト教集会で定期的に復習され討論されます。あなたはそうした集会に出席しているとき,油断せずによく聞いていますか。そのような時に,話される事柄からあなたに必要な霊的力を受けていますか。わたしたちの命はこの霊的食物から来る力にかかっています。
ペテロはどのように再び力を得たか
19,20 (イ)ペテロは否認することによりどんな立場に立ちましたか。(ロ)ペテロが立ち直ることと関連してイエスはどんな行動を取られましたか。
19 ペテロは,繰り返し否認することにより,イエスだけでなくエホバ神をも,事実上捨てたのでした。しかしイエスはペテロが立ち直ることを確信しておられました。ペテロは根は善良な心の持ち主であるが,ただ人への恐れに負けたのだ,ということをイエスはご存じでした。それでイエスは何をされたでしょうか。援助も励ましもなしに自分自身で立ち直ることを期待されましたか。
20 そうではありません。イエスはご自分にできることをしてペテロを助けられました。まず,ペテロの信仰が尽きてしまわないように祈り,ペテロのために祈願されました。(ルカ 22:32)そればかりではありません。復活後しばらくしてイエスはペテロに特別に現われました。弟子たちは興奮して,「主はほんとうによみがえらされて,シモンに現われたのだ」と報告しています。(ルカ 24:34)使徒パウロが言ったことから見ても,これが復活後早いうちに行なわれたイエスの出現の一つであったことは明らかです。(コリント第一 15:4-8)なぜイエスはご自分を強く否認したペテロに,そのように特別の注意を向けられたのでしょうか。
21 (イ)イエスはどんな目的でペテロに特別に注意を向けられましたか。(ロ)このことからわたしたちはどんな影響を受けるはずですか。
21 それは彼を強め,イエスがまだペテロを愛しておられ,ご自分の弟子として彼を望んでおられることをペテロに確信させるためでした。ペテロに対するこのあわれみ深い思いやりに,わたしたちは感動しないでしょうか。イエスの行動は,悔い改めて戻って来た息子を腕を広げて迎え入れた,放とう息子の父親を思い起こさせます。(ルカ 15:11-32)イエスの行動はペテロにどんな影響を与えたと思いますか。あなたならどんな影響を受けていたでしょうか。ペテロは強められました。いつの時にも増して霊的に強くなりました。彼は立ち直りました。イエスが立ち直ったペテロに,またわたしたちすべてに,何をすることを望んでおられたか,あなたは覚えていますか。「あなたの兄弟たちを強めなさい」とイエスは言われました。言い換えれば,信仰に固定するように,あるいは落ち着くように彼らをしっかり助けなさい,ということです。どうすればわたしたちはそれをすることができますか。
見倣うべき例
22 どうすればわたしたちは最もよく兄弟たちを強めることができますか。
22 その最も良い方法は,イエスの模範に従い,強める必要のあったペテロや他の人々をイエスが扱われた方法に見倣うことです。イエスは,わたしたちにも良く分かるように,あわれみ深く寛大でした。わたしたちも同じような仕方で兄弟たちに接し,信仰に固く立たせて,兄弟たちを強めることができます。わたしたちは聖書の次の助言に注意する必要があります。「互いに親切にし,優しい同情心を示し,神がキリストによって惜しみなくゆるしてくださったように,あなたがたも互いに惜しみなくゆるし合いなさい」― エフェソス 4:32。
23 (イ)特に長老たちは,イエスの模範に関し,何に注目すべきですか。(ロ)長老たちはイエスの模範に見倣っていることを,どのように示せますか。
23 クリスチャン会衆内の長老たちには特に,兄弟たちが強くなるような助けを与える責任があります。したがってイエスの模範を注意深く調べる必要があります。イエスは,「重い荷をくくって人の肩に載せ」た信心ぶったパリサイ人とは全く異なっていました。「わたしのくびきはここちよく,わたしの荷は軽いのです」とイエスは言われました。(マタイ 23:4; 11:28,30)ですから長老たち,イエスに見倣って,問題についての個人的な見解を反映する数々の規則の中に兄弟たちを閉じ込めることがないようにしてください。それは兄弟たちを弱める「重荷」となる恐れがあります。それよりもむしろ,兄弟たちがエホバを喜ばせることを心から願うように,エホバに対する純粋の感謝を兄弟たちの心の中に培ってください。これこそ兄弟たちを信仰に固定させるものです。
24 (イ)ペテロはどのように兄弟たちを強めましたか。(ロ)他のクリスチャンたちはどのように兄弟たちを強めましたか。
24 ペテロは兄弟たちを強めることに成功しました。例えば,嘲笑や反対に面しながら大胆に,恐れずに伝道したその立派な模範は,兄弟たちの励ましになりました。(使徒 2:14–5:42)また人々を築き上げる彼の手紙は,本当に人々を強めるものでした。その最初の手紙は『励ます』ために書かれました。(ペテロ第一 5:12)一世紀の他の長老たちも励ますことによって兄弟たちを強めました。聖書はパウロとバルナバについて,「彼らはルステラ,イコニオム,さらにアンティオキアに帰り,弟子たちの魂を強め,信仰にとどまるように励まし」たと述べています。またユダとシラスは,「何度も講話をして兄弟たちを励まし,また強め」ました。後日,パウロは「シリアとキリキアを通って諸会衆を強め」ました。―使徒 14:21,22; 15:32,41。
25 (イ)「強める」また「強め」という語にはどんな考えが含まれていますか。(ロ)それで現代の長老たちはどのように兄弟たちを強めることができますか。
25 使徒たちの活動のこの部分で,「強めた」また「強め」と訳されているギリシャ語,エピステーリゾー(ステーリゾーを拡大した形)には,しっかりさせる,または支える,という考えが含まれています。スティーブン・バイイングトンの「現代英語聖書」では,使徒 14章22節は,「改宗者の魂を強化し」と訳されています。エルサレム聖書では,「彼らは弟子たちの心を新たにした」となっています。長老の皆さんは,この模範に見倣うことが大切です。野外奉仕で熱心の模範を示し,反対に面しても恐れず,励ましを与え,また心を動かす話をするなら,それによって兄弟たちを強化し,兄弟たちの心を新たにし,兄弟たちを強固な信仰の人とすることになるでしょう。
26 クリスチャン会衆の成員すべては,どのように兄弟を強めることができますか。
26 しかし,兄弟たちを強めなければならないのは,長老だけではありません。すべてのクリスチャンがそれをしなければなりません。どうすればできるのでしょうか。それは主に神のご要求に従う点で立派な模範を示すことによります。例えば,クリスチャンの集会に定期的に出席することなどがそれです。そこにいて,親しみやすい微笑を示したり,明るい態度であいさつをするだけでも,気落ちした兄弟を励ますことができます。特に他の人々を築き上げるのは,会衆の集会中にあなたが行なう答えです。もしそれが心から出る答えであれば,どんなに単純な答えだと自分では思っても,それは兄弟たちの心を感動させ,兄弟たちを強めます。(ヘブライ 10:23-25)また,悪天候とか病弱などの障害にもかかわらず,神の王国の良いたよりを活発に伝道することによっても,あなたの良い模範に倣うよう他の人々を良く励ますことになるでしょう。
27 パウロの三人の仲間は,ここで用いられているギリシャ語が示しているように,彼にとってどのように強める助けとなりましたか。
27 イエスご自身がそうであったように,不動の信仰を持っている人でも強められることを必要としているかもしれません。(ルカ 22:43)そのような助けを与える点ではわたしたちはアリスタルコ,ユスト,マルコなどの模範に従うことができます。ローマで監禁されていた使徒パウロは,彼らについて,「その同じ者たちがわたしを強める助けとなってくれています」と書いています。(コロサイ 4:10,11)確かに彼らはパウロにとって本当に良い助けでした。なぜでしたか。ここで「強める助け」と訳されているギリシャ語パレーゴリアは,和らげること,または慰めを意味します。「この語の動詞形は,刺激を軽減する薬を与えることを暗示する」と,W・E・バインの「新約聖書用語解説辞典」は述べています。それでパウロに付き添い,パウロを慰め励ました彼らは,パウロにとって強める助けでした。
28 聖書の模範に従うなら,わたしたちはどんな方法で兄弟たちを強めることができますか。
28 同様に今日でも,あなたは気落ちした人や試練に遭っている人々を元気づけ慰めることによって,その人たちを強める助けとなることができます。あなたが彼らのことを気遣っていること,また愛していることを知らせるだけでも,その人たちを強くするでしょう。人はしばしば話し相手,心を打ち明けられる友の必要を感じることがあります。それで,同情心をもって話を聞いてあげるだけでも,兄弟を強めることができるかもしれません。だれもが励ましから益を受けることができるのであれば,「気持ちの乱れている人,気落ちしている人,励ましを必要としているだれかに,親切な言葉をかけるなり,思いやりのある心遣いを示すなり,きょう一つでも愛の行ないをすることを覚えておくことはできないだろうか」と,絶えず自問するのは良いことではないでしょうか。確かに,聖書が述べているように,『互いに慰め,互いに築き上げることを行ない続けてゆく』のは重要なことです。―テサロニケ第一 5:11。
今あなたの兄弟を強めなさい!
29 兄弟たちを強めることは,なぜ現在特に重要ですか。
29 互いに強め合うことを意識していることは現在特に重要です。なぜなら,第一世紀に,ペテロや他の使徒たちが突然,激しい試練に遭遇したように,この事物の体制がますます終わりに近づいている時に住むわたしたちは,さらに大きな試練に直面するかもしれないからです。したがって,兄弟たちに強める助けを与え,またわたしたちも兄弟たちから強める助けを得ることが,今ほど大切な時はありません。ですから,会衆の中にいる,他の人々を築き上げ強めることに励む人たちをよく見,その模範に習ってください。しかし特にエホバ神とそのみ子の模範をよく考えてください。
30,31 (イ)エホバとそのみ子は,兄弟たちを強めることにおいてどんな優れた模範を示しておられますか。(ロ)あなたは何をする決意をすべきですか。そうするときあなた自身はどんなことを期待できますか。
30 おふた方の模範を考える時によく目立つ点は,私心のない愛が他の人々にいかに大きな影響を与え,彼らを強めるかということです。そして神がご自分のほうから率先して愛を示されることに注目してください。事実,聖書は,「神は,わたしたちがまだ罪人であった間にキリストがわたしたちのために死んでくださったことにおいて,ご自身の愛をわたしたちに示しておられるのです」と述べています。(ローマ 5:8)そうです,わたしたちがまだ神に対して憎むべきことをしていた間に,恐らくは神の存在を否認し,はなはだしく神の律法を犯していたときに,神はわたしたちを愛し,永遠の生命を楽しむようわたしたちのために準備をしてくださったのです。(ヨハネ 3:16)そして神のみ子も人類に対して同じように行動されました。例えば,ペテロがイエスを知らないと言っていた時でさえ,イエスはペテロを愛し続けられました。後日イエスは,わたしたちが知っているとおり,復活後ペテロに特別に現われ,ペテロに対するご自分の愛が変わらないことを示されました。
31 では,エホバ神とそのみ子のようになってください。あなたの兄弟たちを強めてください。心から熱烈に愛してください。そのことに自分から率先してください。そうすれば,あなたも兄弟たちから愛され,強められるでしょう。それは本当にすばらしいことではありませんか!
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「あなたの兄弟たちを強めなさい」というイエスの命令はすべてのクリスチャンに対するもの。あなたは兄弟たちを強めますか。