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  • 「キリストにある死人がまずよみがえる」
    ものみの塔 1979 | 10月1日
    • 主ご自身が号令[大号令,NIV]bとみ使いの頭の声また神のラッパとともに天から下ると,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえるからです。

  • 「キリストにある死人がまずよみがえる」
    ものみの塔 1979 | 10月1日
    • 7 パウロはここで,特にどの死者について述べていますか。啓示 14章12,13節は,彼らが復活する特別の時期をどのように示していますか。

      7 使徒パウロがここで述べているのは,死んでいる一般の人類のことではなく,キリストにより「死んで眠っている者たち」,「キリストと結ばれて死んでいる者たち」のことです。

  • 「キリストにある死人がまずよみがえる」
    ものみの塔 1979 | 10月1日
    • 主ご自身が号令とみ使いの頭の声また神のラッパとともに天から下ると,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえるからです」― テサロニケ第一 4:15,16。

      11 主イエス・キリストが天から下られる時の「号令」を聞いてそれに従う人々はだれですか。

      11 主イエス・キリストが神の右の天の地位から「号令」と共に下られるとき,その号令を聞く者はだれでしょうか。それは明らかに,それまで「主と結ばれて」死んでいた,霊によって生み出されたクリスチャンたちです。地上に生きている人間で,主が霊によって下られて以来,つまり1914年の初秋に始まった主の見えない「臨在」,すなわちパルーシア以来,主の声を直接に聞いた者はひとりもいないことをわたしたちは知っています。しかし,「キリストにある死人」(欽定訳聖書)は主の声を聞き主に従いました。

      12 (イ)ヨハネ 6章53,54節でイエスが言われた「終わりの日」はいつ始まりますか。そして弟子たちはどのように「永遠の命」に入りますか。(ロ)この「終わりの日」は,他のどのいわゆる「終わりの日」とは違いますか。

      12 そのようにしてイエス・キリストが復活させた人々は,イエスが次のように言われた弟子たちのうちに数えられます。「人の子の肉を食べず,その血を飲まないかぎり,あなたがたは自分のうちに命を持てません。わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は[死人の中よりよみがえった時から]永遠の命を持ち,わたしはその者を終わりの日に復活させるでしょう」。(ヨハネ 6:53,54)その「終わりの日」に,主の「号令」には,主の肉と血に関する特別の特権にあずかった弟子たちを死の眠りからよみがえらせる力があります。特権を持つそれらの弟子たちにとって,「終わりの日」は,キリストのような「霊の体」によみがえって天の「永遠の命」に入るときに始まります。この「終わりの日」は,天に行く希望を持つ,霊によって生み出された忠実なクリスチャンたちに適用しますから,ベタニヤのマルタが考えていた「終わりの日」とは違います。というのは,当時マルタは天への霊的復活があることなど全く知らなかったからです。

      13 (イ)「キリストにある死人」が聞くのはだれの声ですか。「み使いの頭」とはだれですか。(ロ)これを証明するどんな証拠が聖書にありますか。

      13 栄光を受けた主イエス・キリストはまた,「み使いの頭の声」と共に下ります。これはイエスご自身の声です。イエスは「み使いの頭」です。羊とやぎのたとえ話の中で,イエスはこのみ使いの頭としてのご自身に言及し,こう言われました。「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼とともに到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座にすわります。そして,すべての国の民が彼の前に集められ(ます)」。(マタイ 25:31,32)天における,人間になられる以前の状態のイエスの名前は,ミカエルでした。キリスト前の預言であるダニエル 12章1,2節(新)の中で言われているミカエルがイエスをさすことに疑問の余地はありません。「その時,ミカエルが立ち上がる。あなたの[ダニエルの]民の子らのために立つところの大いなる君である。そして,国民が生じてからその時に至るまで起きたことのないような苦難の時が必ず臨む。そして,その時,あなたの民,書に記されている者はみな逃れ出る。また,地の塵の中で眠る者のうち目を覚ます者が多くいる。この者は定めなく続く命に至り,かの者は恥辱へ,またいつまでも定めなく続く憎悪へと至る」。

      14 啓示 12章7節はみ使いの頭に何という名前を与えていますか。またユダ 9節は,このみ使いの頭が以前行なった争いについてどのように述べていますか。

      14 また,啓示 12章7節は,み使いたちがミカエルに従属するものであることを示して,次のように述べています。「天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたち[復活した,霊によって生み出されたクリスチャンたちではない]が龍と戦った」。さらにユダ 9節も,ミカエルをみ使いの頭として語り,「み使いの頭ミカエルは,悪魔と意見を異にし,モーセの体について論じ合った」と述べています。悪魔はその体を得ませんでした。

      15 悪魔サタンはみ使いの頭ミカエルとの戦いでどうなりましたか。悪魔は,キリストの弟子たちが復活して天に昇り,イエス・キリストと共になるのを妨げることができますか。

      15 長期にわたる戦いにおいて,サタンはいつも敗北を喫して来ました。天で行なわれた戦いで悪魔は負け,悪魔とその使いの悪霊たちはこの地球の近くに投げ落とされましたが,み使いの頭ミカエル,すなわち主イエス・キリストとそのみ使いたちは勝利を得て天にとどまりました。キリストと結ばれて死んだ人々に,出て来なさい,と命令するとき,勝利を得たイエス・キリストは「み使いの頭の声」をもってされますから,その「号令」は一層権威のあるもの,また一層大きな影響力を持つものとなります。さらに悪魔には,キリストと結ばれて死んでいる人々の霊的復活を阻止するだけの力はなく,またその人々が霊の領域に入るのを妨げることも,天に上って勝利者イエス・キリストと共になるのを妨げることもできません。

      16 主が天から下るときの「神のラッパ」はどんな目的で鳴らされますか。それに最初に応じるのはだれですか。

      16 キリストが天から下るときに共に下るもう一つのものは,「神のラッパ」の音です。(テサロニケ第一 4:16)この場合のラッパは,戦いをして敵を殺す軍隊を召集するためのものではありません。その「神のラッパ」の吹奏はむしろ,モーセの時代にイスラエルの12部族を集めるために二個の銀のラッパが吹き鳴らされたときのように,エホバの民を集めるための平和的なものです。(民数 10:1-10)使徒パウロはほかのところ,つまりコリント第一 15章52節の中でも,勢いのいいその集合「ラッパ」と死んでいるクリスチャンの復活とを結びつけて,次のように述べます。「最後のラッパの間にです。ラッパが鳴ると,死人は朽ちないものによみがえらされ,わたしたちは変えられるからです」。その「最後のラッパ」が,「神のラッパ」として,死者を集めよみがえらせるために鳴り渡るとき,それに最初に応じるのはだれでしょうか。その答えとして,テサロニケ第一 4章16節には,「キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえる」と述べられています。

      17 「キリストと結ばれて死んでいる」人々の復活が人間の目に見えないのはなぜですか。

      17 しかし,「キリストと結ばれて死んでいる」者たちの復活は,地上の人間の目には見えません。なぜでしょうか。それは彼らが霊的復活の祝福にあずかり,おのおの『霊の体でよみがえる』からです。(コリント第一 15:44)人間の目は霊の体を見るほど強くないので,「キリストにある死人」の復活は人間の目に見えません。1914年のキリストの「臨在」,すなわちパルーシアの開始以来,人類がキリストを見たこともなく,またキリストの弟子たちの復活に気づいてもいないのは,そのためです。

  • 「キリストにある死人がまずよみがえる」
    ものみの塔 1979 | 10月1日
    • 8 「今からのち」という表現はなぜ霊における主の臨在中を意味しますか。そのときに彼らが死ぬと,彼らの行ないはそこで終わりますか。

      8 使徒パウロがテサロニケ第一 4章16,17節に書いている事柄を考えるなら,それはイエス・キリストの「臨在」,すなわちパルーシアの間のことで,それが始まる前ではなく,後のことにちがいありません。イエスが霊により目に見えない様で臨在される間にも,地上には,「主と結ばれて死ぬ」,霊によって生み出されたクリスチャンたちがいます。

  • 復活の行なわれるその「終わりの日」に今生きる
    ものみの塔 1979 | 10月1日
    • 復活の行なわれるその「終わりの日」に今生きる

      1 以前の何十年かの間,生き残っているクリスチャンの残りの者が栄光を受けるのはいつであると考えられていましたか。しかし,テサロニケ第一 4章16,17節に予告されていることは,その時から成就していますか。

      その「終わりの日」に,「キリストにある死人」は人間の目に見えない霊の体によみがえりますから,わたしたち人間は,今それが実際に起きているということについて,見えるものによらず見えないものによって歩むことが必要です。思い起こしてみますと,幾十年かの間かなり多くの人が,クリスチャン会衆の残存する成員はすべて,異邦人の時の終わる1914年10月1日ごろに栄光を受けると考えていました。(ルカ 21:24)けれどもその日には,テサロニケ第一 4章16,17節に説明されているようなことは何一つ起きませんでした。むしろ天で戦争が起こり,それに負けたサタンとその配下の悪霊たちは,地の方向に急速に追い落とされました。(啓示 12:7-13)興味深いことに,1914年に地上に生きていて活躍していた,霊によって生み出されたかなりの数のクリスチャンが,今でもわたしたちと一緒にいます。霊によって生み出された会衆が栄光を受ける「終わりの日」を算定する面で何かの間違いがあったことは明らかです。

      2,3 栄光を受けることはどの期間に起きることになっていますか。それでコリント第一 15章50-57節の成就に関してどんな質問が生じますか。

      2 それでも,栄光を受けたイエス・キリストの目に見えない「臨在」すなわちパルーシアは,異邦人時代の終わった1914年に始まりました。ですからそれ以後の期間が,テサロニケ第一 4章16,17節に予告されている,霊によって生み出された生き残っているクリスチャンたちにかかわる事柄の生ずる期間で,「終わりの日」に相当します。―ヨハネ 6:54。

  • 復活の行なわれるその「終わりの日」に今生きる
    ものみの塔 1979 | 10月1日
    • まだ肉体にある王国宣明者たちの場合の蘇生は,地上の活動への蘇生で,「王国のこの良いたより」を「あらゆる国民に対する証しのために」人の住む全地で宣べ伝えることを再び始めることでした。(マタイ 24:14)霊によって生み出されたクリスチャンたちが天で栄光を受ける時期,「雲のうちに取り去られて空中で主に会」う時期はまだ来ていませんでした。1918年まで「イエスにより死んで眠って」いた者たちの復活に「先んじ」て彼らがそれを経験するようには予定されていなかったのです。むしろテサロニケ第一 4章14-17節に指摘されているように,「キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえる」のです。したがって彼らの復活がまず起こり,次いで王国宣明者たちが,この「終わりの時」の地上での肉体における活動をさらに行なう面で蘇生する,つまり生き返るのは妥当と言えます。この蘇生は1919年の春に生じました。

      10 だれの,またいつの復活が,西暦33年のニサン16日のイエスの復活に実際に類似するものですか。

      10 異邦人の時が1914年の秋に終わり,キリストが王位につかれてから三年半後の1918年春に生じた「キリストにある死人」の霊的復活は,西暦33年ニサン16日,すなわち「週の半ば」におけるイエスご自身の復活に類似しています。(ダニエル 9:27,新)こうして彼らは確かに『最初によみがえり』ました。そのよみがえりは確かに,キリストの「臨在」すなわちパルーシアの時,および王国伝道がいわば殺される時まで生き残る者たちの復活に「先んじ」るものでした。

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