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光の子として見張りつづけなさいものみの塔 1961 | 5月15日
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する資料を研究し,集会に定期的に出席しなければなりません。このようにして,彼はクリスチャン円熟にむかって努力していると示します。彼は自分ひとりでそうすることはできません。なぜなら,宗教的な言伝えと混乱にみちる真くらな迷路のなかを手さぐりして光を見ようとするのと同じだからです。しかし,エホバは私たちに光を示し,光の子になることをのぞむ者たちに新しい世の社会を通して啓発的な研究の課程を与えます。クリスチャンとして円熟するにつれて,人は自分の得た知識を用いて,他の人を助け,神への奉仕に進歩させるようにします。なぜなら知識を得ることには責任がともない,そして責任をとると共に,申しひらきする義務が生じます。
15 どんな道は,エホバの御前における恵みにみちる立場を私たちに与えますか。
15 各人はエホバの御前で立つか倒れるかであります。もし私たちが自分の責任に目ざめて,エホバがその御言葉の中で私たちに与えられている教訓にふかい興味を示すなら,私たちはエホバのめぐみの中に立ちつづけます。(ロマ 14:4)多くの人々は真理を聞くと,その真理なることを認めます。しかし,真理に伴う責任を取ることはのぞみません。彼らは隣人に真理のことを語るわざをするとか,あるいは家庭聖書研究によって他の人を教えるというようなことはとうていできないと感じます。実際には,彼らは教える御方エホバに信仰のないことを示し,自ら機会を持とうとはしないのです。箴言によると,ありでさえもたとえ指揮者はいなくとも,夏のうちに食物を準備することに忙しくはたらきます。それで,箴言を書いた人は次のようにたずねています,「なまけ者よ,いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか」。(箴言 6:9)あなたは他の人々に真理を分かちあたえることができるとき,自分の特権に眠っていて,宣教に用いることのできる霊的な食物を集めず,何の仕事もしませんか。将来に生ずることを知るため,私たちはいつまでもぼんやり待つことはできません。ある人々は,ノアの日の大洪水前にそのような行いをしましたが,警告に答え応じようとせず,神がそのときに与えたわざに参加しなかったため,生命を失いました。
16 人は『光の子』なることを,どのように示すことができますか。
16 真理の正確な知識を得てのち,私たちにはなすべき仕事があることを知ります。もちろん,その状況に目ざめておらず,なすべきことを知らないなら,私たちにはその仕事をすることができません。「しかし兄弟たちよ,あなたがたは暗やみの中にいない……あなたがたはみな光の子であり,昼の子なのである」。(テサロニケ前 5:4,新口)それでパウロは次のことを示しました。すなわち,この古い組織制度の終りの日には,たいていの人々はくらやみのなかにいます。しかし,神の僕たちはキリストの御国支配の新しい日の光を反映しているでしょう。彼らは神の目的や神の御言葉の理解については暗やみの中にいません。彼らは目ざめつづけて,正しい平衡を保ち宣教を生活の中の第一のものにするでしょう。そのような人は,真理を知ることによって他の者を援助する責任が課せられることを認めます。彼らは神に答えて申し開きをしなければならず,また自分たちのうけた知識に対して責任を負わねばなりません。各人はそれぞれの生活の仕方について神に答えねばなりません。各人の生活は,神にさんびを帰して,自分自身および彼の奉仕する者たちに祝福と幸福をもたらすものか,あるいは方向,目標または目的のない愚かなものか,そのどちらかです。
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心理学者は罪を嘲笑するものみの塔 1961 | 5月15日
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心理学者は罪を嘲笑する
「精神療法には,罪という概念の入りこむ余地は全くない。そして,この概念を紹介すると害がある」。これは,ニューヨークの有名な精神療法学者の言ったことです。しかし,「すべての人は罪を犯したため,神の栄光を受けられなくなって」いるという真理はいつまでも変わりません。―ロマ 3:23,新口。
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