すべての人が唯一の神をふたたび崇拝する時
1 1956年12月6日,ニューヨークにある一出版協会の二人の役員は,アテネのマーズの丘で何を見ましたか。
1956年の或る日 ― 12月6日 ― に,国際的に知られている出版協会aの会長と副会長は,ギリシャのアテネにあるマーズの丘に上りました。ずつと昔のギリシャ人たちは,その丘をアレオパガスと呼んでいました。石段をのぼつて行くと頂上にまで達します。石段の下の近くで,二人は立ち止まりました。見なさい! 石段の右のところに,1枚の青銅の板が岩にはめこまれているのです! それには1900年前の日常のギリシャ語の言葉が刻まれています。この言葉は,実際には聖書から引用したものです。クリスチャンたちに宛てて,最初ギリシャ語で書かれた聖書の部分,すなわち普通に『新約』と言われる聖書の部分からの引用で,その引用された言葉は,使徒行伝 17章22節から31節までの言葉です。現代の言葉に訳すると,次のようになります。
2 その青銅の額に刻まれている言葉は,何と述べていましたか。
2 『アテネの人たちよ,あなたがたは,あらゆる点において,すこぶる宗教心に富んでおられると,私は見ている。実は,私が道を通りながら,あなた方の拝むいろいろなものを,よく見ているうちに,「知られない神に」と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで,あなたがたが知らずに拝んでいるものを,いま知らせてあげよう。この世界と,その中にある万物とを造つた神は,天地の主であるのだから,手で造つた宮などにはお住みにならない。また,何か不足でもしておるかのように,人の手によつて仕えられる必要もない。神は,すべての人々に生命と息と万物とを与え,また,ひとりの人から,あらゆる民族を造り出して,地の全面に住まわせ,それぞれに時代を区分し,国土の境界を定めて下さつたのである。こうして,人々が熱心に追い求めて探しさえすれば,神を見いだせるようにして下さつた。事実,神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。われわれは,神のうちに生き,動き,存在しているからである。あなた方のある詩人たちも言つたように,「われわれも,たしかにその子孫である。」このように,われわれは神の子孫なのであるから,神たる者を,人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫りつけたものと同じと,見なすべきではない。神は,このような無知の時代を,これまでは見過ごしにされていたが,今はどこにおる人でも,みな悔い改めなければならないことを命じておられる。神は義をもつてこの世界をさばくためその日を定め,お選びになつたかたによつてそれをなし遂げようとされている。すなわち,このかたを死人の中からよみがえらせ,その確証をすべての人に示されたのである。』
3,4 岩の上にある額はどんな事実を証しましたか。これは,どのように起りましたか。
3 そのような素晴らしい言葉の書かれているその額は,なぜ岩の中にはめこまれていましたか。それは,19世紀前,小アジア,タルソの町のパウロがここマーズの丘でその言葉を語つたことを証するものです。パウロは,イエス・キリストの使徒,すなわち使でした。その時よりも約18年前に,イエス・キリストは不当にもエルサレムで殺されていました。しかし,全能の神は3日目に彼を死人の中からよみがえしたのです。パウロ自身も,死から復活されて幾年か経つて後のイエス・キリストに会いました。このように奇蹟的に会うことにより,キリストの弟子たちの迫害者であつたパウロは,キリストの忠実な弟子に変つたのです。それでパウロは,全能の神がイエス・キリストを死から復活して,見えざる天に住む栄光の霊者に変えた,という事実の証者でありました。
4 さて,クリスチャン使徒なるパウロは,マーズの丘,すなわちアレオパガスの上に立つていました。古代アテネにあつた最高法廷は,パウロをそこに連れ出して,彼の言葉を聞いたのです。この法廷は,マーズの丘で会合していました。この法廷の構成員たちは,ストイック派の者とかエピキュリン派の者と知られている哲学者でありました。パウロが彼らの注意を惹いたごとく,これらの哲学者たちは,多くの神々を信じていて,恐怖心からその神々のために宮や祭壇を建てていました。しかし,彼らはひとりの神をぬかしたのではないか,と恐れていました。それで,この神がどんな方であろうとも,罰を避けるために,彼らはその神のために祭壇を建てたのです。この祭壇のところに,『知られざる神に』という言葉を刻むことにより,この神について無知であることを彼らは告白しました。その神は誰でしたか。パウロは知つていました。アテネの人々は知らなかつたのです。
5 『イエス』と『復活』という言葉について,パウロは法廷に何を証明しましたか。
5 この知られざる神の名前は何でしたか。アテネの人々は,パウロがイエスや復活について語るのを聞いていました。それで,イエスとか,復活は,聞きなれない神々の名前である,と彼らは考えたのです。彼らはパウロをマーズの丘の法廷に曳き出して,死罪に値する宗教的な冒瀆という告訴に対しての自己弁護をさせました。イエスや復活は,知られざる神の名前でない,とパウロは証明しました。イエスは,自分自身を死人の中から復活しましたか。そうではありません。歴史によると,イエスは地上にいた他の人々を死人の中から復活し,よみがえしました。しかし,自分自身を死人の中からよみがえすことはできなかつたのです。彼は死んでいたため,そうすることはできませんでした。
6 それでは,誰がイエスの復活を行いましたか。それで両者は互いにどんな関係を持ちましたか。
6 それでは,イエス・キリストを死から復活せしめられた方は誰でしたか。神でした。神はイエス・キリストを死人の中からよみがえして,再び生き返らせただけでなく,イエスを天に住むことのできる不死の霊者に変化せしめました。そのようなことが出来得る方は,神にちがいない,と思いませんか。そうです,そのような奇蹟の事柄を為し得る方は,唯一の真の生ける神にちがいありません。そのようなことを為し得るためには,全能でなければなりません。アテネの人々や,他の民の神々のうち,ひとりとしてそのようなことを行つたことがなく,また行うことができないのです。そして,このイエス・キリストを死人の中らよみがえして,高い天に居られる神と共に超人間の霊者の生命を楽しませたことにより,全能の神は御自分がこのイエスの天的な父であり,復活されたイエスは神の子であることを示しました。イエスが全能の神から体と生命を頂くことにより,彼は神の子,すなわち神の天的な,霊的の子になりました。
7 このイエス・キリストを復活させた方はどのような方ですか。
7 この全能の不滅な神は,子であるイエス・キリストに生命を与えること以上をいたしました。アテネの人々に,この知られざる神をもつと良く知らせる為,マーズの丘に立つたパウロは,この神こそ『この世界と,その中にある万物』とを造つた方である,と告げました。それですから,この神は,私たちの目に見えるものも,見えないものでも,存在している万物の大いなる創造主,大いなる形成者,製作者であられます。それで,この方はパウロの言うごとく,『天と地の主』であられます。すなわち,天と地すべての主人,所有主であります。このわけで,私たちがこの神を主なる神と呼ぶことは適当であります。
神の御名と崇拝
8 何という個有の名前で彼を呼ぶことができますか。その名前は,何処に,そしてその中では何度出ていますか。
8 『神々』と呼ばれている他のすべてのものから,この神を区別する為に,私たちは個有の名前でもつてこの主なる神を呼ぶことができますか。できます。それでは,なんという個有の名前ですか。或る人が『ハレルヤ』という長い言葉を歌つているか,叫んでいるか,を聞いたことがありますか。それは,ヘブル語で,その意味は『ヤーを讃えよ!』です。しかし,讃えなければならぬこのヤーは誰ですか。ヘブル語の学者たちによると,このヤーという名前はヱホバという名前を短くしたものです。或る学者たちは,ヱホバと発音するよりもジャーベ,またはヤウエと発音する方を好んでいます。しかし,今日ではその御名をヱホバと発音するのが一般普通の仕方です。人間がこの名前をヱホバに与えたのではありません。ヱホバ御自身がそのように名前をつけられたのです。世界をつくられた見えざる力によつて,ヱホバは1冊の本をも書かせられました。ヱホバは,御自分に仕えて御自分に崇拝を捧げた地上の人々を用いることによつて,その本を書かせたのです。これらの人々を見えざる活動力で霊動して,この本を書かせたため,この本は聖なるもの,神聖なるもの,と呼ばれています。或る人々は,聖なる書で構成されていることから,それを聖なる本と呼んでいます。他の人々は,それを聖書<バイブル>と呼んでいます。聖書の大多数の訳の中では,その本は,66冊という多数の小さな本で構成されています。初めの39冊は,ヘブル語で書かれましたが,その中で全能の神は,御自分の名前のヱホバなることを,すくなくとも6823回言われておられます。
9 イザヤ書 42章8節では御自分を明らかに示すために何と述べられていますか。
9 イザヤ書 42章8節のところで,全能の神はこう語られています,『われはヱホバなり,是わが名なり。我はわが栄光をほかの者に与えず,わがほまれを偶像にあたえざるなり。』それで,この唯一の真の生ける神の御名について,あなたはもう御存知であります。その方は,ヱホバ神です。
10 今日,人間の手でつくつたヱホバの宮の無いのはなぜですか。このことについてソロモン王は何と言いましたか。
10 地上の多くの国々には,人間の手でつくつた宮が幾千となくあります。しかし,多くの宮の中で,ヱホバ神に献げられた宮があるのを知つていますか。御存知ないでしよう。現在のヨルダンの地にあるエルサレムの都には,1900年のむかし,ヱホバの宮がありました。しかし,ヱホバ神は,その宮を西暦70年に焼きつくして破壊したのです。なぜですか。なぜなら,その宮は悪用されるようになり,またマーズの丘にいたアテネ人にむかつてパウロが語つたように,唯一の生ける真の神は『手でつくつた宮などにはお住みにならない。また,何か不足でもしておるかのように,人の手によつて仕えられる必要もない』からです。(使行 17:24,25,新口)測り知れぬ天と大きな地球をつくつた神が,人間の手でつくつた小さな宮に住むなどということは,どうしてでき得ましようか。神を過少評価して,神に恥辱をもたらしてはなりません。約3000年のむかし,ソロモン王はヱホバの豪華な宮をエルサレムに建てました。しかし,昔の一番賢明なこの王が,その宮をヱホバに捧げたとき,次のような祈りの言業を述べたのです,『神はたして地の上に住み給うや。視よ,天ももろもろの天の天も,なんじをいるるに足らず,まして我が建てるこの家おや。しかれども,我が神ヱホバよ。しもべの祈と願をかえりみて,そのよばわりと,しもべが今日なんじの前に祈る祈を聴きたまえ。ねがわくは,なんじの目を夜昼この家に,すなわち汝が我が名はそこに在べしといいたまえる処に向いて開き給え。』― 列王紀略上 8:27-29。
11,12 神と私たちとのあいだには,どんな依存の状態がありますか。
11 天と地の中にある万物を造られた御方は,人間の手でつくる宮の内に住むには,あまりに大き過ぎます。神は,木とか,煉瓦とか,石とかでつくられる宮のようなものを必要としません。楽しい幸福な状態に創造主を保つために,私たちが品物を創造主に与える必要はなく,かえつて,『神はすべての人々に生命と息と万物とを与える』とパウロは語りました。
12 私たちの生命は,神からのものです。呼吸をする私たちの力や,私たちの吸込む空気は,神からのものです。地や,私たちの楽しむすべてのものは,神の与え給うたものであつて,私たちに対する神の贈物です。すると,神が私たちに依存せねばならぬ,そして私たちは神の宮を建てねばならぬ,となぜ考える必要がありますか。神は,私ちに生命を与えられた方です。そして,私たちはあらゆる良き物について神に依存せねばならぬ故,その方は私たちが崇拝し,崇め,そしてよろこばせねばならぬ神でなければなりません。今日,私たちの属している国がどのようなものであろうとも,そのことは私たちに適用すべきものです。
13 私たちは国籍にかかわりなく,どんな意味で私たちは神の子孫ですか。
13 マーズの丘の上で,この神について説明したパウロの言葉に再び耳を傾けてごらんなさい,『(神は)ひとりの人から,あらゆる民族をつくり出して,地の全面に住まわせ,それぞれに時代を区分し,国土の境界を定めて下さつたのである。こうして,人々が熱心に追い求めて探しさえすれば,神を見いだせるようにして下さつた。事実,神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。われわれは神のうちに生き,動き,存在しているからである。あなた方のある詩人たちも言つたように,「われわれも,たしかにその子孫である。」このように,われわれは神の子孫なのであるから,神たる者を,人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫りつけたものと同じと,見なすべきではない。』それで,どの国民であろうとも,また地上の何処に住もうとも,私たちはみな,神のつくられた最初の一人の人の子孫です。その一人の最初の人は,神によつてつくられて,創造され,そして『神の子』であつた,ということから,私たちは或る点から見ると『神の子孫』です。私たちはその人から来たからです。それですから,私たちは,創造主を神として崇拝すべきであります。私たちは,その方の子孫なのです。―ルカ 3:38。
14 なぜ神を探し求めるならば神を見出すことができますか。
14 この神についての無知の時代は,長いあいだ地上に存在していました。1900年むかし,パウロが『知られざる神に』と彫まれていた祭壇をアテネで発見するよりもずつと以前から存在していたのです。この理由のために,生ける真の神を知りたい,と欲していた私たちの中の多くの者は神を探し求めたのです。ちよつと考えてごらんなさい,神は私たち一人一人からは遠く離れておられず,私たちは神を見出すことができるのです! また,こうも考えてごらんなさい,神は,私たちが神を見出すことのできるようにするため,神を求める時を定められました! そして,次のことを考えなさい,今こそその定められた時なのです。それで,私たちは実際に神を見出し,神を知る,という十分たしかな希望を抱いて神を探すことができます!
ひとりの神への最初の崇拝
15 神を見出すことは,どういうことになりますか。アダムが神を知つたときに,アダムの状態はどんなでしたか。
15 神を知つて理解し,そして神の友になるために神を見出すとは,私たちの天的な生命の授与者および支持者を見出すことを意味します。そのように見出すことに成功するならば,私たちは完全な幸福と平和の中に永遠の生命を得ることができます。最初の人間は,神を知つていましたが,神を失いました。その大きな損失の故に,最初の人間およびその人間からつくられたすべての国民の上に死がもたらされたのです。アダムという名前を持つ最初の人間が,天的な御父である神を知り,また神の地的な子として神と家族の関係を持つたとき,彼は生命の源なる神と一致していました。地上で生命を保ち続けるためには,アダムはこの唯一の生命の源と連なりを保つことが必要でした。ヱホバ神は,天と地にいる御自分の子たちが,完全であるようにと望まれています。神は彼らを完全に創造します。『その御行為は全く』(申命 32:4)最初の人間アダムの創造は,完全でした。聖書の言葉を引用すると,こう述べられています,『ヱホバ神は,土の塵から人間をつくられ,人間の鼻に生命の息を吹き入れられた。そして人間は生ける魂になつた。』(創世 2:7,ア標)最初の人間は,不完全で死んでしまう魂にはならず,完全な生ける魂になりました。
16 エデンにいたアダムの前に置かれた可能性は何でしたか。このことは何に依存しましたか。
16 その意味することを認識できますか。完全な人間の魂としてアダムは地上で永遠に生きることができたのです。そして,アダムやアダムの子孫である私たちがこの地上で永遠に生きることは,楽しいことであつたでしよう。どうしてそうですか。なぜなら,神はアダムを地的なパラダイスの中に置いて,そこに居ることを望まれたからです。神はこの地的な子を愛して,この子が神の家族内に止まることを欲しました。聖書は,次のように告げています,『ヱホバ神エデン(楽しみの所)の東の方に園(パラダイス)を設けて,そのつくりし人をそこに置きたまえり。ヱホバ神見るに美わしく,食うに善きもろもろの樹を土より生ぜしめ,また園の中に生命の樹および善悪を知るの木を生ぜしめ給えり。』(創世 2:8,9)生命の泉と一致しつつこの楽しみのパラダイスの中でアダムが存続することは,何に依存していましたか。アダムが,唯一つの正しい崇拝の仕方を行うことに依存したのです。
17,18 (イ)なぜアダムは先祖に対して崇拝を捧げる気持ちになれませんでしたか。(ロ)木々に対して?(ハ)獣や,鳥や昆虫に対して?
17 しかし,アダムは誰を崇拝しますか。人間として完全であつたアダムは,誰を崇拝したい,と欲しましたか。地的な先祖でしたか。アダムには,人間の先祖が無かつたのです。それでは,アダムはその園の木々,または園をうるおすためにエデンから流れた河を崇拝したい,と欲しましたか。そうではありません。アダムは,園の木々を管理するために園の中に置かれたのです,『ヱホバ神その人を取りて彼をエデンの園に置き,これを治めこれを守らしめ給えり。』(創世 2:15)人間アダムは,その生命を木々から受けませんでした。また,神が園の中央に植えた『生命の木』からも生命を受けたのではありません。もし天から権威を授けられるなら,アダムはそれらの木々を伐り倒して,枯らすこともできたでしよう。
18 それでは,アダムは下等動物や,獣や,鳥や,園の中の昆虫,または河やその支流にいた魚を崇拝したいと思いましたか。いいえそうではありません。彼はその下等動物を治める者であつて,それぞれの名前をつけました。ヱホバ神は『アダムのこれを何と名づくるかを見んとて,これを彼のところにひきいたまえり。アダムが生物に名づけたる所は,みなその名となりぬ。』(創世 2:19,20)しかし,アダムはその一つをも『神』と呼びませんでした。アダムはそれらを支配したのであつて,それらのものがアダムを支配したのではありません。それらは,アダムを畏れたのであつて,アダムはそれらを畏れませんでした。彼はその子孫でもなく,彼らとは特に区別されて創造されました。アダムは彼らの死ぬのをも見たのです! それらを崇拝する理由がありますか。
19 アダムは誰を崇拝したい気持ちになりましたか。その者が目に見えないにもかかわらず,なぜそうですか。
19 それでは,アダムは誰を崇拝する気持になりましたか。自分自身ですか。そのようなことはありません。たとえ,下等動物を支配する者であつたにしても,自分自身を崇拝しませんでした。それでは,彼の生命の授与者でしたか。そうです,生命の授与者は,完全なアダムや,すべての生物を創造し,またアダムの住む美しいエデンのパラダイスをもつくつたからです。アダムにとつては,ヱホバは知られざる神でありませんでした。アダムが神を見るならば生きつづけることのできないような要素や体力でもつて,ヱホバは彼を創造しました。(出エジプト 33:20)しかし,神は見えないところからアダムに話しかけられ,アダムがこの地上に置かれた理由を告げました。また,どのようにしてこのパラダイスの地上で永遠に生きられるかをも告げたのです。『ヱホバ神その人に命じて言いたまいけるは,園のすべての樹の果は汝意のままに食うことを得,されど善悪を知るの木は,汝その果を食うべからず,汝これを食う日には,必らず死ぬべければなり。』(創世 2:16,17)アダムは,この知らせを創造主からのものとして受け取りました。彼はパラダイスの園を耕して管理しましたが,その木の実を食べようとしなかつたのです。彼は,生きることを欲しました。そして,完全な地的の住居に居ながら,愛の御心を持つ創造主と話をしつづけ,交りを持ちつづたい,と欲しました。
20 神は,一人でいたアダムの幸福をどのように増し加えましたか。その後,どんな崇拝が続きましたか。
20 アダムの幸福を更に増し加えるため,神はアダムの為に完全な妻を創造しました。神はその妻を真実にアダムの一部にしました。そのために,神はアダムを深い眠りにつかせ,それから痛みを感ぜしめない仕方でアダムの脇から一本の肋骨を取りのぞき,その肋骨を用いて一人の女をつくりました。神は彼女をアダムのところに連れて来て,結婚せしめました。神は両人に対する目的を次のように説明して居られます。『神彼らを祝し,(神は両人を呪わず)神彼らに言いたまいけるは,生めよ,繁殖よ,地に充てよ,これを従わせよ。又海の魚と天空の鳥と地に動く所のすべての生物を治めよ。』(創世 2:18-25; 1:26-28)アダムとその妻エバは,自分たちに告げる神の言葉を聞きました。両人は,その創造主が誰であるかを知つていました。両人は,その方だけ,本当に唯一人のその方だけを神として崇拝しました。
21 アダムとエバは,どのように神を崇拝しましたか。その時のすべての人間については,真実にどういう状態でしたか。
21 両人は,どのように神を崇拝しましたか。宮を建てることによつて? 否であります,神はそこにいる両人に話をする為の家を必要としませんでした。或る種の形を持つ偶像をつくることによつて? 否であります,どんな偶像でも,神を模作し得るものは一つもありません。人間のつくる偶像は,みな神を悪く表わし,神に対して偽となります。犠牲を捧ぐることによつて? 否であります。神は動物を殺して,それを祭壇の上で焼け,と両人に命じませんでした。アダムとエバは,完全な人間の魂でしたから,血を流して犠牲を捧げねばならぬ罪を持つていませんでした。それでは,両人は神なる創造主をどのように崇拝しましたか。神に感謝と讃美を捧げ,そして天的な御父および律法の与え主として彼に従うことによつたのです。しばらくの間,両人はこのことを為していて,汚れなく幸福でした。痛みも,悲しみも,恐れをも知らなかつたのです。アダムとエバおよび,この両人から生ずる将来の人類種族は,自分たちの創造者にして生命の授与者なるヱホバを一致して崇拝しました。それですから,その時はすべての人間がひとりの神を崇拝した時です。一番最初の時には,人類はそのことを行つていました。そして,それは唯一つの正しい行だつたのです。それは,私たちに対する最初の型でした。
多くの神々をつくり出す企て
22 崇拝を受ける多くの神々が存在するようになつた,その始まりはどのようでしたか。
22 今日では,神々と呼ばれ,神々として崇拝されているものが実に多くあります。これは,エデンのパラダイス内における人類の清い始まりの場合とは,全く正反対です。それは,我欲を求める被造物が神のようになることを欲し,宇宙内に二つの神を置こう,と欲した時に始まりました。人間の目に見えない状でこの被造物はパラダイスの中に現われました。彼は女のエバに語り始めました。しかし,神の話したように直接に話そうとせず,園の中の蛇を通して間接に語りました。このものは,唯一のひとりの神に向つて嘘をついたのです。すなわち,神は善と悪を知るの木については,嘘を言つたのだ,とエバに語りました。この虚言者はエバが自分に従つて,神としての自分に崇拝を捧げるのを欲したのです。そして,エバがその創造主なる神に従つて,神に崇拝を捧げることを欲しなかつたのです。自分の栄誉を求めたこの被造物は,エバに次の言葉を告げることにより,自分が神として崇拝されたい欲望を持つていることを示しました,『なんじら必らず死ぬることあらじ。神なんじらがこれ(禁ぜられた木の実)を食う日には,なんじらの目開け,なんじら神のごとくなりて,善悪を知るにいたるを知りたもうなり。』エバとその夫アダムが,善悪を知るの木の禁ぜられた実を食べて,その者に従いました。その時,彼は神になつたのです。―創世 3:1-7。
23 罪とは何ですか。アダムとエバの罪は,どんな崇拝を含みましたか。
23 神に対して不従順であることは,罪です。それは,完全から外れることです。神は,死をもつて罪を罰します。最初の男と女が罪を犯して偽りの神を崇拝した理由にもとづいて,神は両人を死に処罰し,エデンのパラダイスから追放しました。しかし,そうそうする前に,偽りの神に告げた神の言葉,すなわちヱホバ神から崇拝を永久に盗むことは許されない,という言葉を両人に聞かせたのです。
24 蛇に告げた神の警告は何を意味しましたか。私たちはなぜ不完全で死んで行く者なのですか。
24 ヱホバ神はこの偽りの神を御自分と比較されず,この者を蛇になぞらえて呪い,そしてこう言われました,『われ汝と女のあいだ,およびなんじの裔と女の裔のあいだに怨恨を置かん。彼はなんじの頭をくだき,汝は彼の踵をくだかん。』(創世 3:14,15)蛇の頭を砕くことは,蛇を殺すことを意味します。最初の偽の神は,神の女の約束の裔の踵の下に砕かれて,その言葉通りになるでしよう。また,最初の偽の神の『裔』である他の偽の神々も,みな砕かれてしまい,その言葉通りになるでしよう。そのような偽の神に崇拝を捧げて,従うことは,罪です。それは,死でもつて罰せられます。そのわけで,罪を犯したアダムについては,次のように書かれているのです,『アダム……男子女子を生り。アダムの生存えたる齢は,すべて九百三十歳なりき。しかして死ねり。』(創世 5:4,5)禁ぜられた実を食べなかつたならば,又は他の方法で罪を犯さなかつたなら,アダムはパラダイスの中で永遠に生きることができたのです。今日の私たちにいたるまでアダムの子供たちはみな,アダムから罪と死を相続しました。(ロマ 5:12)私たちがみな不完全で死んで行く理由を知つていますか。それが,その理由なのです。
25 ヱホバは,最初の偽りの神を何と呼びましたか。そして明白に分かるように,偽りの神々の崇拝は,第3代目からどのように広まつて行きましたか。
25 最初の偽の神は,ヱホバ神の敵で,そしりを述べた者であり,また蛇を用いてエバとアダムを罪にみちびいた者です。そのわけで,ヱホバ神は彼を『龍,すなわち,悪魔とか,サタンとか呼ばれ,全世界を惑わす年を経たへび』と呼びました。(黙示 20:2; 12:9,新口)アダムの孫たちの多くは,偽の神々を崇拝したにちがいありません。崇拝に関係を持つ多くの事物が古い昔より調査を行う人々によつて地中から掘り出されて来ました。それらの事物は,彼らが偽の神々を崇拝した,ということを示しています。b アダムの孫エノスの時代では,人々は他の事物をもヱホバの名で呼ぶようにさえなりました,『この時人々ヱホバの名を呼ぶことをはじめたり。』(創世 4:25,26)天にいた神の子なる御使たちが,不従順にも天から降つて美男子の形になつて表われ,そして美しい女と結婚してネピリムと呼ばれる子供たちを産んだとき,偽の崇拝は急速に進んだにちがいありません。『この頃地にネピリムありき。またその後,神の子たち人の女の所に入りて子女を生しめたりしが,それらも勇士にして古昔の名声ある人なりき。ヱホバ人の悪の地に大なると,その心の思のすべて図る所のつねにただ悪しきのみなるを見たまえり。』それらの者たちのために,地が暴力で充ちたのも全く当然であります! 偽りの崇拝は,いつも有害な結果にみちびきます。―創世 6:1-5,13。
26 偽りの崇拝をしなかつた最初の人は誰でしたか。彼は,どんな者であると証明しましたか。
26 昔のすべての人が,偽の崇拝をしたのではありません。アダムの次男であるアベルは,ヱホバ神の崇拝を行いました。彼はヱホバ神に真実の信仰を置いたのです。聖書中,アベルが初めて神に動物の犠牲を捧げたと記されています。神は大いなる犠牲を予言的に表わし示すものとして,その犠牲を受け入れられました。その大いなる犠牲は真実に罪を取りのぞき,そしてその犠牲に信仰を持つてその恩恵を受け入れる人々から処罰と死を取り去ります。アベルが唯一の神に正しい崇拝を捧げたため,彼の兄カインは,しつとの気持からアベルを殺しました。(創世 4:1-8)偽りの崇拝者たちが,真の崇拝者たちを憎んで迫害する危険は,いつも存在しているのです。アベルが地上におけるヱホバの最初の忠実な証者である,と聖書は述べています。聖書の言葉は,こうです,『信仰によつて,アベルはカインよりもまさつたいけにえを神にささげ,信仰によつて義なる者と認められた。神が,彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが,信仰によつて今もなお語つている。』彼は,昔の『雲のように多い証者たち』の最初の者でした。―ヘブル 11:4; 12:1,新世。
27 次にヱホバの証者と言われている人は誰ですか。彼は,何について予言しましたか。
27 アダムから7代目の人は,エノクと呼ばれました。彼もアベルのようにヱホバ神の忠実な証者で聖書には『ヱノク神と共に歩み』と記されています。(創世 5:18-24)エノクはヱホバについて証言しましたが,そのことは聖書にこう書かれています,『アダムから七代目の人であるエノクも,また彼について予言し,次のように言つた,「見よ! ヱホバはその千万の聖い者をひきいてこられた。それはすべての者に裁きを行うためであり,すべての不敬虔な者が不敬虔な仕方で行つたすべての不敬虔な仕業と,不敬虔な罪人らがヱホバに反対して語つたすべてのはげしい事柄を処罰するためである。』(ユダ 14,15,新世)この言葉から,エノクの時代における地上の宗教的な状態を知ることができます。それは又裁きの日をも指し示しているのです。ヱホバは『義をもつてこの世界をさばくためその日を定め,お選びになつたかたによつてそれをなし遂げようとされている。すなわち,この方を死人の中からよみがえらせ,その確証をすべての人に示されたのである。』(使行 17:31,新口)エノクから3代たつた後に,ヱホバは全地に対する裁きをどのように行うかを,世界的な規模で示されたのです。どのように行われたかに気をつけてごらんなさい。―ヘブル 11:5; 12:1。
28,29 ノアは,自分がヱホバの証者であることをどのように証明しましたか。その時代に,偽りの崇拝はどのように地から無くなりましたか。
28 エノクから3代たつて後,信仰に充ちた人ノアがいました。ノアの時代には,不従順な『神の子たち』が人間の娘に産ましめたネピリムがいましたが,それらは『勇士にして古昔の名声ある人』でした。それらのものは,自分の名声を大きく挙げていましたが,ノアは唯一の生ける真の神ヱホバの御名に証を立てました。―創世 6:4。
29 ノアが500歳を過ぎたとき,ヱホバは次の100年の中に来る世界的な大洪水をノアに警告しました。ヱホバは,亡びをもたらすこの洪水により,偽りの神々の崇拝者をみな溺れ死にさせて,罪深い偽の崇拝に対する裁きを表明しよう,との目的を立てられました。その洪水以前に,ヱホバは方船をつくるようにとノアに告げられたのです。方船とは大きな容器であつて,その中に入るとき,すべてを覆う大水から身の保護を得ることができました。ノアは,方船を建てるあいだも『正義の伝道者』で,ヱホバの証者でした。(ヘブル 11:7; 12:1)遙か上の空から大雨を降り注いだその日,ノアとその家族の7人は,方船に入りました。その方船の中には,すべての鳥や動物の種がすでに入れられていました。ノアが入つて,神がその戸を閉めて後に,大雨が降り注いだのです。しかし,偽りの崇拝者たちはみな方船の外にいて,溺れてしまい,ネピリムも共々に,一人残らず死んでしまいました。しかし,不従順な『神の子たち』は,妻や自分の子であるネピリムと共に生活していた人間の体を棄てて,見えない霊界に戻り,悪鬼共の支配者,悪魔サタンの下に悪鬼の使になりました。(創世 7:11-13。ペテロ前 3:19,20)ノアの大洪水前にあつたその古い世は,神に改宗しない状態の中に亡びました。『また,古い世界をそのままにしておかないで,その不信仰な世界に洪水をきたらせ,ただ義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。』『その時の世界は,御言葉により水で覆われて亡んでしまつた。』(ペテロ後 2:5; 3:6,新口)全能の神は大きな一撃で,地から偽の崇拝を亡ぼしてしまい,偽の崇拝者たちをみな一時に拭い去つてしまいました。全能の神は,そのようなことを再び行わねばならないでしようか。
30 ノアとその家族は,方船から出て後に何をしましたか。それで,その時の人類は真実にどういう状態でしたか。
30 ノアとその家族の7人が方船の中に安全に入つてから1年経つて後に,彼らはアララテ山脈のところで方船から安全に出ました。そして,鳥や動物を放つたのです。その清められた地に足を踏み入れたノアとその家族の者は,最初に何をしましたか。これら8人のヱホバの証者は,唯一つの神としてヱホバを崇拝しました。『ノア,ヱホバのために壇をきずき,もろもろの清き獣ともろもろの清き鳥を取りて燔祭を壇の上に献げたり。』ヱホバ神は,御自分の清い崇拝が再び始められたことによろこびを感じられました。そして,偽の崇拝をなすすべての肉を亡すために,世界全体に及ぶ洪水をもたらすようなことをしない,と厳粛に約束せられました。決して破ることのないこの約束の象徴として,ヱホバは美しい虹をつくり出しました。(創世 8:20から9:17まで)しばらくの間,この8人の地上の生残者たちは,ヱホバの崇拝を忠実に行いました。洪水後2年経つてから,ヱホバから特別に祝されたノアの子セムに男の子が生まれました。それで,すべての人間がふたたび唯一の神を崇拝した時が地上にあつたのです。しかし,アダムを通つて罪と死が入つて来たために,動物の犠牲がヱホバの崇拝につけ加えられました。人類は,一つの正しい崇拝と共に,そして神の御前では正義である父親をもつて再び始まりました。
無知の終るべき時
31 マーズの丘でパウロが述べたような真の神の無知は,どのように始まつて,ひろまりましたか。
31 それから2400年以上も経つて後に,クリスチャン使徒パウロはマーズの丘に立つてアテネ市の最高法廷に証言をいたしました。そして,パウロは,哲学者をも含めて人類の大多数の人々が多くの神々 ― 悪鬼共 ― を崇拝している,という事実を述べたのです。天と地の創造主にして,あらゆる国民の造り主なる真の神は,それらの者たちに知られていませんでした。ノアの日の大洪水後しばらくしてから,ヱホバについての無知が広まり始まつたのです。その原因は,大洪水の亡びから救いをもたらした神に崇拝を捧げる人類の一致を破ろうと企てた悪魔サタンやその悪鬼の使の所為でした。ノアの子ハムの家系に生まれたノアの曾孫ニムロデは,ヱホバのいましめを破り始めて英雄崇拝を設立し,人間を偶像化したり神格視したりしました。『彼始めて世の権力ある者となれり。彼はヱホバの前にありて権力ある猟夫なりき。この故にヱホバの前にあるかの権力ある猟夫ニムロデのごとしという諺あり。彼の国のはじまりは,シナルの地のバベル。』(創世 10:8-10)時が経つにつれ,またそれぞれの宗教形式を持つちがつた種族や国民が組織されるにつれて,多くの偽りの宗教がつくられるようになりました。
32 ノアからキリストにいたるまで,真の宗教はどのように存続しましたか。
32 唯一の生けるの真の神の真実の崇拝,すなわち真の宗教は,存続しませんでしたか。存続しました。長い世紀に亙つて人々は清い信仰から脱落して行きましたが,しかし一系統の少数の人類は,真の信仰を保ちつづけ,ヱホバ神の知識を増しつづけました。その家系は,ノアから出て,ノアのような他の証者たち,たとえばノアの子セムや,ずつと後のアブラハムのような証者たちを生じました。アブラハムは,『「ヱホバの友」と呼ばれるようになつた。』(ヤコブ 2:23,新世)アブラハムは,イスラエル12支族の曾祖父になりました。ヱホバは,予言者モーセを通して,イスラエルの昔の国民と国家的な契約すなわち同意をつくられました。そして,その国民に御自分の律法と是認された崇拝の形式を与えたのです。その国民を導いて,矯正し,そして真理のすばらしい啓示を与えるために,ヱホバは予言者をつかわしました。遂に,御子を天からその国民のところにつかわされたのです。御子は,完全な人間として33年と半年のあいだ地上で生活しました。―ヨハネ 3:16,17。
33 イエスは,人々からの崇拝を欲していたかどうかを,どのように示しましたか。彼一人のみが神と人間との間の仲保者であるのは,どのようにですか。
33 地上に居られたイエス・キリストは,権力ある猟夫ニムロデに模倣しましたか。そして,人々を導いて自分を崇拝させようと努めましたか。イエスは,そのようなことをしませんでした。サタン悪魔がイエスを誘惑して悪魔崇拝をさせようとしたとき,イエスはこう言いました,『サタンよ,しりぞけ!「あなた方の神ヱホバを崇拝し,ヱホバ神のみに聖なる奉仕を捧げねばならない」と聖書に書かれている。』(マタイ 4:10,新世)イエスは,先ず神の御国に入ることを求め,弟子たちにも同じことをするように,と告げました,『だから,あなた方はこう祈りなさい。天にいますわれらの父よ,御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように。……あなた方の天の父は,これらのものが,ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば,これらのものは,すべて添えて与えられるであろう。』(マタイ 6:9,10,32,33,新口)イエスに質問をした一人のユダヤ人にむかい,イエスは『なぜ私を良き者と言うのか。神ひとりのほかに良い者はいない。』と言われました。(マルコ 10:18,新口)それから,正しい崇拝の形式は唯一つしかなく,また真の唯一の神に達する道は一つしか無いことを示すため,イエスは弟子たちにこう言われました,『私は道であり,真理であり,生命である。だれでも私によらないでは,父のみもとに行くことはできない。』(ヨハネ 14:6,新口)イエスがこの言葉を述べられた理由はこうです。すなわち,イエスは,ヱホバ神と人間とのあいだの仲保者になるために地に来られたからです。使徒パウロは,神の霊感の下に,こう述べています,『神は唯一つであり,神と人との間の仲保者もただひとりであつて,それは人なるキリスト・イエスである。彼はすべての人のあがないとして御自身をささげられた。』(テモテ前 2:5,6,新口)キリスト・イエスは,地上にいるとき,完全な人間であつて,神の御国の殉教者として罪の無い状態で死んだことにより,神に嘉納される一つの贖の犠牲を人類の罪を取りのぞくために神に捧げました。それで,イエス御一人のみ仲保者として仕えることができるのです。
34 ヱホバは,御自分の女の裔の傷を,どのように癒しましたか。いま,この裔は何をする立場にいますか。
34 蛇のようなサタン悪魔は,地上にいた偽りの宗教指導者たちをそそのかしてイエスを殺したことにより,神の女の裔の踵を砕きました。しかし,イエスの死後3日目に,ヱホバ神は彼を死人の中から復活させて,神の女の裔に加えられた傷を癒しました。かくして,イエスは天の霊界における不滅の生命に入り,御自分の人間としての犠牲の価値を『あがない』として神に捧げたのです。それですから,この20世紀の私たちの時代にいたるまで,イエスは『神と人との間の仲保者』として行うことができます。復活されたイエスは,今や大いなる蛇の急所,すなわち頭を砕くことができます。かくして偽の宗教をことごとく終らすことができます。
35 マーズの丘に立つたパウロは,なぜ将来の裁きについて正しく述べることができましたか。
35 使徒パウロは,復活したイエスが天的な栄光につつまれている状を奇蹟的に見ました。パウロは又,復活後のイエスを同時に見たイエス・キリストの500人の弟子の多くを個人的に知つていました。それで,パウロがマーズの丘の上にあつたアテネの最高法廷の前に立ち,法廷の裁きということを想い起したとき,それよりも更に大きな裁きについて正しく述べることができました。それは何でしたか。こうです,ヱホバ神は御子イエスを死人から復活させることにより,今日の私たちをも含むすべての人々に次の保証を与えられました。すなわち,ヱホバ神は御自分の任命し給うた者である復活されたイエスによつて,全地を裁く裁きの日を立てられた,ということです。
36 それでは,偽りの宗教から悔い改める時は何時ですか。
36 任命された天の御子によるヱホバの裁きは,現代の全国民の上にすでに始まりました。そのことから,第一次世界大戦が人類に生じた1914年以来の世界を震動させているすべての出来事の意味が分るのです。ヱホバ神は,御自分についての無知の時代をもはや見過しません。いま,全地にいる幾十万というヱホバの証者を通して,ヱホバはいまだ曾つてない程に,『どこにおる人でも,みな悔い改めなければならないことを命じておられる。』(使行 17:30,新口)今こそ偽の宗教を悔い改めるべき時であります。なぜなら,任命された裁き主イエス・キリストを通してなされるヱホバの裁きの執行に耐え得る偽りの宗教はひとつもないからです。すべての人が唯一の神を再び崇拝しなければならぬ,そして崇拝するであろうヱホバの時は来ました。
37 すべての人が唯一の神を崇拝するのは,この世が悔い改めて改宗することによるのですか。それはどのように説明されますか。
37 すると,この古い世はみなヱホバ神の崇拝に改宗するのですか。生存している人はみなヱホバの証者になるのですか。どこに居る人もみなキリスト教国や非キリスト教の世界の多くの異なる宗教から悔い改めて転向し,ヱホバを神として崇拝するようになるのですか。そのようなことは決してありません! この世が悔い改めて改宗することは,不可能です! それでは,すべての人は神の定めた時にどのように唯一の神を崇拝しますか。神の驚くべき御業によるのです。神は第一次世界大戦前とその時以来,御自分の証者によつてそのことを警告せられてきました。ヱホバ神は,ノアが地上にいた時になしたと同じく,すべての偽の宗教に対して処置をとられます。地上に居られたイエス・キリストは,世界の改宗と保存を予告せられず,世界の亡びを予告せられました。
38 この古い世はどのように終わりますか。誰の日の時のように,それは起こりますか。
38 宗教の混乱しているこの世の終を予告したイエスは,第一次世界大戦が世の『終の時』の始まりを示し,そして世が始まつて以来未だかつて無い患難の時が世の終結になる,と言われました。最終の患難は,偽のすべての崇拝者たちの上に突然降りかかるでしよう。イエスは,次のように言われました,『丁度ノアの時代のように人の子(すなわち,天的な御国に居られるイエス・キリスト)の臨在も同じようである。洪水の前の人々は,ノアが方舟に入る日までは食べたり,飲んだり,また娶つたり嫁いだりしていた。洪水が来てすべてのものを流してしまうまで彼らは全然注意を払わなかつたのである。人の子の臨在も同じようであろう。』(マタイ 24:7-22,36-39,新世)その洪水は,不従順な『神の子たち』の不自然な子供たちや,他の不注意な偽りの宗教家たちをみな,突然の急速な亡びに陥し入れました。ヱホバ神の8人の崇拝者と証者だけがノアの方船の中にいて,洪水を生き残りました。それで,唯一つだけの宗教が残つたのです。
39 古い世の亡びるときに,偽りの崇拝者たちはどんな行いの故に罰を受けますか。
39 ヱホバの定められたときに,丁度それと同じようになるでしよう。しかし,大洪水そのものは再び起りません。ヱホバの御子イエス・キリストは,今や王なる裁き主,刑執行者として天的な御国に臨在されています。この人類の時代中に,生ける真の神の清い崇拝の大いなる擁護者として,イエスは判定を下し,そしてヱホバ神を無視してヱホバ神に反対する悪い多くの崇拝の形式に対して裁きを執行するでしよう。すべての偽りの崇拝者たちは,悔い改めて改宗しない古い世とともどもに亡ぼされてしまいます。かくして,ヱホバの証者が絶えず与えてきた救命の証言と警告に注意を向けなかつた罰を受けるのです。第一次世界大戦後の今日について,イエスの予告された通りです,『この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』― マタイ 24:14,新口。
40 この古い世の終にも誰が保護されますか。そしてその後に何を楽しみますか。
40 その御国は,この古い世のものでなく,神の創造する新しい世のものです。その古い世は終るでしよう。そして,その古い世ともろともに,幾十万人という偽りの崇拝者たちも終つてしまいます。『この世の神』であるサタン悪魔や,そして,この世の諸国民に悪い支配を行い,惑わしてきたすべての悪鬼の御使たちも,サタンと共々に捕えられ,封印された底の無い坑に閉じこめられます。(黙示 20:1-3)しかし,御国の伝道者は,この古い世の終にも生き続けるでしよう。ヱホバ神の任命した裁き主なる刑執行者は,忠実な伝道者たちに刑を執行せず,かえつて彼らを保護してその生命を守り,神の新しい世に入れられるでしょう。地上にいる彼らは,イエス・キリストの支配する設立された神の御国の祝福を楽しむでしよう。
一致した崇拝の美
41 それで,その大きな患難直後その地上の状態は,どのようですか。
41 その意味することを悟りますか。その意味することは,こうです。あらゆる生命の創造主にして不滅の源なる唯一の神ヱホバに,すべての人が再び崇拝を捧げる,という全能の神の目的が成就されたことを意味します。ヱホバの崇拝者のみ,悪魔を崇拝するこの古い世の終る大きな患難に生き残るでしよう。そのとき,ヱホバの御力と公正は現わし示され,次の予言は成就するでしよう,『ヱホバの栄を認むるの知識地上にみちて,あだかも海を水の掩うがごとくならん。』(ハバクク 2:14)洪水によつて昔の不敬虔な世界の亡ぼされた後のノアやその家族と同じように,御国を伝道するヱホバの証者たちは,あらゆる偽りの宗教の清められたこの地上で唯一の神の崇拝を一致して押し進めて行くでしよう。偽りの神サタン悪魔や,その悪鬼共は,宗教的な偏見や戦争を始めることができません。新しい世の御国は,真の宗教以外のものを何一つ許しません。
42 生きているすべての人間が再び唯一の神を崇拝するとき,地上には何がすぐに再現しますか。
42 すべての人類が最初に唯一つの神ヱホバを崇拝したとき,それは地的なパラダイスであるエデンの園の中で行われました。同じように,御国を伝道している生残者たちが,いまや間近に迫つている大きな患難の後に一つの汚れ無き清い宗教を行うとき,パラダイスは再現するでしよう。そのパラダイスは,以前にあつたエデンの東の方に再現するというものでなく,全地にわたつてつくられるのです。宗教の異る人々の間で幾千年にも亙つてなされてきた部族の戦争や国際的な戦争の恐ろしい結果も,消滅してしまうでしよう。患難を生き残る人々が,地を治めるという神からの仕事を行うからです。(創世 1:28)ヱホバ神は,イエス・キリストの支配する御国を通して,地的な人間の永遠の住家を美化する,という彼らの努力を祝福するでしよう。丁度,ヱホバを崇拝してヱホバに従つた昔のイスラエルの民の地を,ヱホバが祝福したのと同じです。それで,その地は『乳と蜜の流れる地……すべての地の中の美わしきものなり。』― エゼキエル 20:6,15。出エジプト 3:8。
43 他のどんな生物はその美しいパラダイスを楽しみますか。なぜですか。
43 患難を生き残る者たちだけが,この美しいパラダイスを楽しむのでなく,無害な動物たちは,パラダイスの中を徘徊し,美しい鳥や,歌を歌う鳥は,パラダイスの中を飛びまわります。ずつと昔の大洪水の後に,動物や鳥はノアの方舟から出て来ました。聖書の予言の保証によると,この大きな患難のときには,動物や鳥も同じように保存され,新しい世の住民に服するでしよう。イエス・キリストの犠牲がある故に,ヱホバ神を崇拝するとき鳥や動物を犠牲にすることは必要でありません。―創世 8:15-22。
44 死んでいる悪行者に対するイエスの約束は,どのように実現されますか。しかし,先ず誰の後にされますか。
44 イエスが,苦しみの杭の上で犠牲として死なれたとき,自分の側で杭にかけられていた悪行者に,次の言葉を告げられました,『今日私はほんとうにあなたに言う。あなたはパラダイスで私といつしよにいるであろう。』(ルカ 23:43,新世)今では19世紀間も死んでいる,この同情心の富む悪行者に告げたイエスの約束は,どのように実現されますか。神の御国の支配下にあつて,死人からの復活を受けることによります。そのとき,パラダイスは私たちの地に再興されるでしよう。それだけに止まらず,アベルの時からイエスに洗礼を施した予言者ヨハネにいたるまで,ヱホバの忠実な証者たちは,犯罪の故に死んだ悪行者よりも先に復活を受けるでしよう。イエスは,そのことを保証せられました。(ヨハネ 5:28,29。マタイ 22:31,32)イエスの復活は,義者と不義者の受ける復活の先駈で,保証なのです。―コリント前 15:20。使行 24:15。
45 唯一つの神にささげるすべての人の唯一つの崇拝はどのように行われ保存せられますか。
45 復活を受ける昔のヱホバの証者は,患難を生き残る人々といつしよになつて再びヱホバの崇拝をするでしよう。しかも以前よりも大きな知識と理解を持つのです。復活を受ける者たちは,みなヱホバの知識と正しい崇拝を教えられるでしよう。唯一つのヱホバの清い崇拝に一致するのを拒絶し,かつ神なるヱホバに従うことを拒絶する者は,みな改善し得ないもの,矯正し得ぬ者として亡ぼされてしまうでしよう。心から進んで従う従順な崇拝者たちは,イエスのあがないの犠牲の恩恵を受け入れて処罰から自由に解放されるでしよう。そして,癒しを受けることにより人間としての完全さに向上し,祝福されたパラダイスの中で永遠に住むことができます。生命を持つすべての人間は,永久にわたつて,ヱホバという栄光に輝く御名を持つ唯一の神を崇拝するでしよう。
[脚注]
a 1884年アメリカ合衆国ペンシルバニヤ州アレゲニイで法人化されたペンシルバニヤのものみの塔聖書冊子協会
b 『奉仕者になる資格』(英文)の69課『洪水前の汚れたる崇拝の証拠』267-270頁を見て下さい。
[204ページの図版]
マーズの丘