ひねもす喜ぶ
「見よ,わがしもべたちは喜ぶ…見よ,わがしもべたちは心の楽しみによって歌う」。―イザヤ 65:13,14。
1 今日のどんな不幸な状態を考えると,喜びを話題にすることは不適当に見えますか。
この時代のありさまを見ながら日がな一日喜ぶなどと言うのは,現実ばなれのした話だと言われるかも知れません。だれでも知るように今の世の中は愚者の楽園でもおとぎの国でもありません。映画のつくりごとの世界に住んで夢を見るかわりに,人々は悲さんな世界の現実に直面することを迫られています。この苛酷な時代に住む人々の心は,疑い,恐れ,不信,憎しみにみたされ,従って世の中にはかつてなかったほどの争い,暴力,精神病,自殺などがはんらんしています。たしかに現存する事物の制度の下には不幸がみち,権力のある政治家も牧師も科学者も一般の人と等しく,世の嘆かわしい有様に嘆息しています。
2 政治,宗教の指導者は今日の世界情勢をどのように見ていますか。
2 たとえばアントニー・イーデン卿の次の言葉がオブザーバー紙(1960年9月11日付,ロンドン)に出たのは,そう前のことではありません。「自由世界は混乱しており,1939年以来のどの時にもまして大きな危険に直面していると私は思う」。ニューヨーク市5番街長老派教会の有名な牧師ジョン・サザランド・ボネルは,カナダ統一教会の総会に出席した3500人以上の人を前に次のことを述べました。「現代の世界は困惑し,落胆し,方角を見失っています。また生活の目標,意図を持たず,一致して目ざす目的もなく,神を精神生活の中心におくこともありません。この原子時代の人々は空虚であり,迷っています」― 1960年9月19日付レジナ,リーダーポスト。
3 世界の状態は,一部の科学者の目にどう映っていますか。
3 科学者も他の人々と同じく嘆息しています。「人類は滅亡に直面す,とクラーク教授語る」との驚くべき見出の下にデイリー・テレグラフ・アンド・モーニング・ポスト紙(1961年8月31日付,ロンドン)は次の記事を載せました。「今夕ノーウィッチで開かれた英国科学振興協会第123回年次総会の開会にあたり,会長のサー・ウイルフリッド・レ・グロス・クラーク教授は,人類が滅亡の危険に直面していることを厳しゅくに警告した」。同紙の引用するところによれば,ウイルフリッド卿は次のように述べました。「政治権力あるいは経済的繁栄の獲得をめぐっておこる制御不能の,あるいは制御されなかった戦争は,人類が何千年にわたり営々として築き上げた文明を破壊してしまう。これを避け得るかどうかが,今起きつつある重大な問題である……これは感傷ではない。時代のしるしを読みとる人にとって,これは明白な事実である……人類の一致をおびやかしている今の危険は,きわめて由々しい。しかも時は迫っている」。たしかに今は,このような苦悩が表明された時よりも更にさし迫った時です。
4,5 このような状態にもかかわらず,喜びについて考えるのはなぜですか。
4 では全世界が苦悩と悲哀の暗やみにおかれているのに,およそ現実ばなれのした,時機を得ない話題のように思われる喜びを考慮するのはなぜですか。それは唯一の生ける真の神,天地の創造主エホバが,この災のただなかで大きな喜びの声のあがることを預言されたからです。将来のことを正確に預言される神は,人間歴史上のこの時期に二つのグループの人々が同時に存在することを預言されました。一つのグループは悲しみと悩みにとざされ,他方のグループは喜びに満ちあふれます。イザヤ書 65章13,14節に記録されたエホバご自身の言葉を読んで下さい。
5 「見よ,わがしもべたちは喜ぶ,しかし,あなたがたは恥じる。見よ,わがしもべたちは心の楽しみによって歌う,しかし,あなたがたは心の苦しみによって叫び,たましいの悩みによって泣き叫ぶ」。
6 軽薄な笑いと真の喜びはどのように違いますか。
6 この古い制度の下には,いわゆる「憂えをはらう妙薬」を売りつける者,芸能人,浮かれ騒ぐ人,あらゆる種類の道化師がいて,「神よりも快楽を愛する者」の間に軽薄な笑いをまきおこしています。(テモテ後 3:4)しかし楽しみと真実の喜びとの相違に注目して下さい。特定の仲間と交わるとき,あるいはその場で起きた事などのために大笑いをして気分も軽やぎ,楽しくなることがあるかも知れません。酒飲みはよく哄笑します。しかしこのような人は本当に喜んでいますか。決してそうではありません。喜びは,軽薄な浮かれた気分,一時的な楽しさ,騒々しい笑いよりも深いところに根ざしたものだからです。喜びは深い歓喜の情と定義されています。ウエブスター新国際辞典第2版1888頁によれば,「喜びは楽しみよりも深いところに根ざしたもので,うれしさよりも輝き,表現的」です。喜びはその場だけの定まりない環境に基づいたものではなく,真理の基本的な原則と健全かつ確固とした理性を基にしています。真実の喜びを持つ人は心に平安,安らぎ,満足を味わい,苦難に面しても嵐を乗り切るだけの確信と強さにみちています。
7 世界の指導者と人々には真の喜びがありますか。
7 サタン的な悪の事物の制度の下にあって,政治家,宗教家,科学者およびその追随者と支持者には真実の喜びがなく,これらの人々は前述のように「恥じ……心の苦しみによって叫び,たましいの悩みによって泣き叫ぶ」者となっています。イエスもこの時代に関する大預言の中で,喜びを失った人々のことを適切に表現しました。「人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう」― ルカ 21:26。
8 ひねもす喜びを得ているのは,どの人々だけですか。
8 悲しみの多いこの世界で,日がな一日喜びにあふれ,著しい対照をなしているのはだれですか。「わがしもべたち」と言われたエホバ自身の言葉は,それがだれかを明らかにしています。それはエホバへの奉仕に献身した崇拝者すなわちエホバの証者にほかなりません。だれでも,またどこに住む人でも,喜びにみちた民,エホバの油そそがれた証者とその仲間を容易に認めることができます。彼らは194以上の国々や島々に散らばり,162以上の言語を話しているからです。これらのエホバのしもべはこの見分けるしるしを示すことのできる唯一の人々です。真実の喜びはエホバの賜物にほかなりません。
9 エホバのしもべにとって,喜びを表わすのは任意のことですか。
9 これらの人々にとって一日中喜びにあふれていることは,各人の自由にまかされた問題ではありません。それはエホバの公のしもべすべてに課せられた神のご要求です。使徒パウロは霊感の下に次のことを命じました。「あなたがたは,主〔エホバ〕にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが,喜びなさい」。「いつも喜んでいなさい」。(ピリピ 4:4,〔新世〕。テサロニケ前 5:16)喜びは,信仰,愛,親切,平和,忍耐,善,柔和,節制と同じく,クリスチャンの生み出すべき御霊の実の一つです。そのことを思い起こして下さい。「次の手を労して獲たる一切の物をもて汝の神エホバの前に快楽をとるべし」― 申命 12:18,文語。ガラテヤ 5:22,23。
喜ぶいわれ
10 エホバの民が常に喜ぶ一つの理由はどこにありますか。
10 「いつも」「一切の物をもて」喜ぶことを命ぜられているほかにも,エホバのしもべには何時も喜ぶべき八つの明白な理由があります。その1は,聖書におさめられた真理を知っている事です。彼らはエホバの聖なるみ名と属性,お目的,人間に対するみ心と律法を知っています。このような真理の知識を持つエホバの民は迷うことがなく,人類一般を悩ましている大きな偽り,迷信,恐れに災されません。たしかに喜ぶ大きないわれがあります。―ヨハネ 8:32; 17:3,17。
11 エホバの証者が何時も喜びを感じる別の理由をあげなさい。
11 エホバの民が常に喜ぶ第2の大きな理由は,罪の許しを得られることです。罪の許しは,イエスの貴重な贖いの犠牲の益に基づいており,またそれによって可能となります。そして信仰と献身と絶えざる祈りのゆえに彼らに与えられます。罪と空しく戦い,何時も良心の苛責にあっているならば,喜びはありません。むしろ彼らは喜びつつ感謝をささげ,パウロと共に次のように言います。「ほむべきかな,わたしたちの主イエス・キリストの父なる神……わたしたちは,御子〔イエス・キリスト〕にあって,神の豊かな恵みのゆえに,その血によるあがない,すなわち,罪過のゆるしを受けたのである」― エペソ 1:3,7。
12 この喜びの3番目の原因は何ですか。
12 エホバの証者とその仲間が,現在の世界情勢の中で他の人とは対照的に喜びを得ているのは,長く祈り求められてきた神の国が,1914年天に設立されたことを認めているからです。彼らは過去50年間の歴史の出来事が神の国の設立を示す圧倒的な証拠となっているのを知っています。1世紀のクリスチャンに関して述べられたイエスの次の言葉は,これら現代のクリスチャンにとってなおのこと真実です。「多くの預言者や義人は,あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが,見ることができず,またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが,聞けなかったのである」。従って私たちの住むこの驚くべき時代を考えれば,それもまた喜びの理由となります。―マタイ 13:17。
13 「忠実な思慮深い僕」とはだれですか。このしもべはどのように主の民の喜びとなっていますか。
13 エホバがこの困難な時代に住むご自身のしもべのために行なわれた事は,喜びを与える第4の理由となっています。それはみ子である主イエス・キリストが「忠実な思慮深い僕」を立て,ご自分の全財産の管理を委ねたことです。(マタイ 24:45-47)この「僕」を構成する人々は,神の民のために地上において伝達の経路の役をつとめ,神の目的を神の民に理解させると共にみ心を行なうための導きを与えます。このような導きを得て神の民は啓発され,強められ,唯一の生ける真の神を一致して崇拝します。このような伝達の手段がなければ,彼らはばらばらになってしまいます。
14 神の民は他にもどこに喜びの源を見出していますか。
14 喜ぶいわれとして5番目にあげられるのは,会衆のみならずさらに規模を大きくした巡回,地域,全国また国際大会においてエホバの民の楽しむ交わりです。兄弟の益と福利を図って互に真実の愛を表わす彼らは,正真正銘のクリスチャンの社会をつくりあげています。「見よ,兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう」と書かれている通りです。―詩 133:1。コリント前 10:24。
15 エホバの民の証言のわざが,喜びの源となっていることを説明しなさい。
15 神の国の福音を告げ,神の国の下で全人類に及ぶ祝福を人々に語るエホバの証者の精力的な活動は喜びの源です。喜ぶべき6番目の理由はこれです。福音を人々にわけ与えることは,証者と聞く人の両方に大きな喜びをもたらします。世の人であるマーク・トーウェンでさえこの原則を認めて,次のように書きました。「悲しみはひとりでに忘れる。しかし喜びの真の価値を汲みとるには,それをだれかと分け合わねばならぬ」。
16 エホバの証者はどんな3通りの繁栄を楽しんでいますか。
16 エホバのクリスチャン証者が喜びの歌を常に歌う7番目の理由としてあげられるのは,彼らの社会の3通りの繁栄です。かってないほどに輝いた真理の光によって霊的なパラダイスは光にみち,彼らはその中にいます。また100万人を越える活発な奉仕者が公に伝道しており,数の上での繁栄は彼らを喜ばせます。しかしそれだけではありません。エホバがその民に授けられた物質的な繁栄も大きな喜びの源です。新しい支部がいくつも建ち,新しい印刷設備がととのい,美しい御国会館が世界各地に出現しています。
17 (イ)エホバの証者がひねもす喜ぶ8番目の理由は何ですか。(ロ)この特権と喜びにあずかるのを妨げられている人がいますか。
17 8番目の,そしてある意味において最も重要な,しかも他の七つに基づいている喜びの理由は,全宇宙で最も偉大であり,聖なるみ名エホバの立証ときよめにあずかる特権がエホバの証者とその仲間の人々に与えられていることです。行ないにおいて,また伝道し教える宣教において忠実を守るとき,この特権にあずかることができます。それは何と大きな特権ではありませんか。考えてごらんなさい。従順の道を歩んで知恵を示し,悪魔を偽り者と証明して,偉大なエホバのみ心を喜ばせることは大きな特権です。老齢や病気のため,あるいは迫害されて獄につながれたために何もできなくても,献身したエホバのしもべは,死に至るまでも忠実を守る大きな特権を思って深い喜びを得ます。―箴言 27:11。
18 (イ)迫害されても,エホバの証者が喜びを失わないのはなぜですか。(ロ)この点に関してイエス,パウロ,ヤコブはそれぞれ何を述べましたか。
18 近年,独裁支配の国々において何千人のエホバの証者は妥協を拒絶し,エホバに対する忠実をまげなかったために苦しみを受け,殺されました。サタンの加える苦しみにあっても忠実を守った彼らはエホバの心を喜ばせました。一方で神の民はそのことを知って心の奥に深い喜びを抱いています。彼らの力の秘密はここにあります。敵対者は「エホバを喜ぶ事」がどのように力となり,くじけない強さを生むのかを理解できません。(ネヘミヤ 8:10)しかし聖書を愛する人々はその事が如何に真実かを知っています。忠実な真の証人イエスはその前におかれたこの同じ喜びのために恥を忍び,刑柱の死の苦しみに耐えました。(ヘブル 12:2)忠実を守ったイエスは山上の垂訓の中で,忠実な追随者が同じ喜びにあずかることを保証しています。「義のために迫害されてきた人たちは,さいわいである,天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり,また迫害し,あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には,あなたがたは,さいわいである。喜び,よろこべ,天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも,同じように迫害されたのである」。ヤコブも次のように加えています。「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが,いろいろな試練に会った場合,それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。試練を耐え忍ぶ人は,さいわいである。それを忍びとおしたなら,神〔エホバ〕を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう」― マタイ 5:10-12。ヘブル 10:34。ヤコブ 1:2,12,〔新世〕。
喜びを失う危険を避けなさい
19 過去において,ある人々はどうして喜びを失いましたか。
19 カインは自分ではなくて弟のアベルが神に受け入れられたのを見たとき,喜びを失いました。カインは神から警告を与えられましたが,それを無視しました。荒野においてコラ,ミリアムその他の者はねたみにかられて喜びを失い,しかも自分の身に害を招きました。悪い心を抱いたイスカリオテのユダは喜びをとり逃がし,遂には自殺して果てました。
20 (イ)信仰があれば,どうして喜びを失うことがありませんか。(ロ)信仰はおもに何に依存していますか。
20 喜びを保つには信仰を持たねばなりません。信仰は自分でする聖書の勉強と,エホバの民の会衆の集まりに何時も出席することに少なからず依存しています。信仰は,喜びを妨げる大きな原因の一つ,憂いを克服する助けです。心配するわかりに問題の解決に力をつくし,どうにもならない事柄はエホバの力ある御手に委ねて祈ることにしましょう。
21 神がして下さった事に感謝すれば,どのように信仰を守る助けになりますか。
21 喜びを保つには,神が私たちのためにして下さったことに感謝する気持ちを持たねばなりません。このような感謝の念にあふれていれば,差別待遇,不公平のような不正のために喜びをなくすことはないでしょう。また悪のゆえに心をかたくなにするのではなく,かえって心をやさしくできます。国籍,文化,教育あるいは皮膚の色のために差別されていますか。このように不公平なことがあったとしても,次のことを忘れてはなりません。たとえば差別待遇をされていなくても真理とエホバのお目的を知らずにいる人とくらべれば,私たちははるかに恵まれています。イエス時代にも,クリスチャンとなった奴隷は不信者の自由人よりも遙かに祝福されていました。内向的な人で,誤解されている自分をみじめに思う傾向のある人は,そのような性質のために喜びを奪われてはなりません。むしろなぜ理解してもらえないのかを考えてごらんなさい。しかしどんな場合にもエホバは理解して下さることを覚えていて下さい。
22 肉体的また精神的な病気のとき,どうすれば喜びを失うことがありませんか。
22 病気あるいは肉体的また精神的な障害に悩む人でも,そのために喜びをなくす必要はありません。たとえ盲目でも,霊的なめくらにまさっています。金銭的に貧しい人も,やもめの乏しいさい銭についてイエスの言われた事を思いおこして下さい。神のためのささげものは,私たちの持たないところによらず,持つところに応じて神に受け入れられます。パウロはそのように書いています。100パーセントささげたならば,たとえそれがどんなにわずかでも,エホバのみ名の立証に全幅の支持を与えているのです。そして私たちはエホバに是認され,新しい事物の制度の下に永遠の生命を得ます。ですから肉体に悩みを持ち,あるいは経済的に恵まれないからと言って喜びを失ってはなりません。「あらゆる場合に,神の僕として,自分を人々にあらわしている……悲しんでいるようであるが,常に喜んでおり,貧しいようであるが,多くの人を富ませ,何も持たないようであるが,すべての物を持っている」。ゆえに霊的な面では何にも妨げられていないことを感謝して喜んで下さい。―コリント後 6:4,10。ルカ 21:1,2。
23 使徒パウロはこの点においてどんな励ましを与えていますか。
23 肉の弱さのゆえに喜びを失いがちになるのもある事です。しかしそのために気落ちしないで下さい。使徒パウロも肉の弱さのゆえに戦ったことを思いおこして下さい。「わたしの欲している善はしないで,欲していない悪は,これを行っている……そこで,善をしようと欲しているわたしに,悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。わたしは,なんというみじめな人間なのだろう」。しかしパウロがそのために喜びを失ったという事はありません。パウロは次のようにつづけているからです。「だれが,この死のからだから,わたしを救ってくれるだろうか。わたしたちの主イエス・キリストによって,神は感謝すべきかな」。戦うのをやめてはなりません。むしろからだを打ちたたいても服従させ,神のみ心に従うことが肝心です。―ロマ 7:19,21,24,25。コリント前 9:27。
24 困難な時代にあって喜びを失わないようにするため,何が提案されていますか。
24 一日中喜びを保つには,前述のことに加えて,良い判断を下し,適当な計画を立て,計画の遂行にあたって自制心を働かせることも有益です。時間,精力,金銭,感化力の面で,自分がどれだけのものを使えるかを吟味してごらんなさい。自分の勉強,野外における宣教奉仕をどれだけできるか,祈りつつ考慮して下さい。それから計画を立て,実行を決意します。しかし極端になる必要はありません。いくらやっても満足できない人,あまり神経質な人は神経症になりやすく,そうなったのでは喜びは失われます。健全な精神を持ち,節度のある習慣をつちかうことが肝要です。―テモテ前 3:2,11。テモテ後 1:7。
25 満足しているならば,どうして喜びを失うことがありませんか。
25 長つづきのする喜びを味わうには,満足することを知らねばなりません。持っているものに感謝するだけでなく,持たなくても満足することが肝心です。パウロはそうすることを学びました。「わたしは,どんな境遇にあっても,足ることを学んだ」。「ただ衣食があれば,それで足れりとすべきである」。足ることを知って敬虔に暮らす人はわずらいを持たず,満足と喜びを味わいます。「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから,自分の思いわずらいを,いっさい神にゆだねるがよい」― ピリピ 4:11。テモテ前 6:6,8。ペテロ前 5:7。
26 喜びを持ちつづけるには,他に何が必要ですか。
26 喜びを持ちつづけるために大切なもう一つの事は,神権的な支配に対する従順とけんそんです。特定な奉仕の特権を与えられず,無視されたか,見すごされたと思っても,そのために失望して喜びを失うべきではありません。エホバはご自身の組織を導かれています。そして人間を喜ばせるためではなく,ご自身のみ心のままに人々を組織内に配置されます。この事実を忘れてはなりません。高めて下さるのはエホバであって,他のだれでもありません。(コリント前 12:15-30。詩 75:6,7)ゆえに反逆の精神を抱いてはなりません。反逆する人に喜びはありません。与えられた奉仕の特権が小さなものに思われても,喜んで感謝するほうが良いではありませんか。コラのけんそんな子たちは書きました,「わたしは悪の天幕にいるよりは,むしろ,わが神の家の門守となることを願います」― 詩 84:10。
27 喜びを保つため,ほかのどんな危険に警戒しなければなりませんか。
27 悪意や恨みを心に抱くことのないように,自分の心の状態に気をつけるのも大切です。恨みや悪感情を抱いているならば,喜ぶことは不可能です。兄弟愛を培いましょう。他の人の言動のゆえに喜びを失うことがあってはなりません。「気をせきたてて怒るな。怒りは愚かな者の胸に宿るからである」― 伝道之書 7:9。
28 世の人とは対照的に,エホバの証者はどんな祝福を得ていますか。なぜですか。
28 エホバとその正しい律法を捨てた今日の人類の世には喜びがありません。それにひきかえエホバのしもべは喜びにあふれています。彼らは固い信仰を持ち,感謝することを知り,その活動を計画するのに分別を用い,足ることを知って自分の境遇に満足し,柔和,けんそん,従順を示し,兄弟愛をもって互にいつくしむからです。
29 ここで振り返って考えると,神のしもべはおもにどんな事柄に喜んでいますか。
29 エホバはご自身のしもべがひねもす喜ぶものを豊かに授けられます。彼らはエホバとそのお目的,み心に関する真理を与えられました。また預言の成就を見,御国の輝かしい希望を抱いています。更にキリストの贖いの犠牲が彼らのために備えられました。そのうえ統治体として忠実なさといしもべが立てられています。彼らは新世社会と交わって豊かな繁栄と奉仕の特権を享受し,何にもましてエホバの尊いみ名の立証ときよめのためにいくらかでもつくす,まれな特権にあずかっています。
30 むかし預言されたように,エホバの証者はどんな大きな理由があるために喜んでいますか。
30 簡単に言えば,エホバが共にいまし,彼らの中にいまして誠実と忠実を守る彼らを祝福し,盛りたてて下さるゆえに,エホバのしもべはひねもす喜び,歓喜しているのです。預言者ゼパニヤは,終わりの日にエホバのしもべの間にこの状態が見られることを預言しました。「心のかぎり喜び楽しめ」「なんぢの神エホバなんぢの中にいます……彼なんぢのために喜び楽しみ……汝のために喜びて呼はりたまふ」― ゼパニヤ 3:14,17,文語。