終りの時における家族
「地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう」― 創世 28:14,新口。
1 (イ)古い世の社会の危機は,どの程度の深さに達していますか。そしてなぜ?(ロ)聖書は今の終りの時代に住む家族に希望をさしのべていますか。
いま地上に住む30億の人々は,いろいろな社会的秩序の下に生活しています。どの形態の社会でも,その成長と力は人間の家族に依存しています。いまの古い世の社会はとるべき道を知らず,沢山の問題をかかえて途方に暮れている有様です。従ってどんな構造を持つ社会も危機を経験しており,社会の基礎である家族も問題に悩まされています。国々はこのような危機の暗雲の中にとざされています。ヘブル人の預言者イザヤは,この暗黒と終りの時に地をおおう暗やみについて的確に預言しました。「見よ,暗きは地をおおい,やみはもろもろの民をおおう」。(イザヤ 60:2,新口)これは,偉大な社会学者であり,家族というものを存在させて,それに目的と名を与えたエホバ神を無視したために刈り取っている,悪い報いと考えられます。(エペソ 3:14,15)しかしこの同じ預言者は,同一の預言の中で,希望を与える言葉を述べました。すなわち終りの時に,正義の新しい世の社会の種あるいは中核が現われます。かつその真理の光と黙示,神の恵みは著しい対照をなして,目を見はらせるため,あらゆる国民の中の家族が成功に導くその道を受け入れて,自らの祝福を図るということです。―イザヤ 60:3-5。創世 28:14。ミカ 4:1-4。
家族に対する聖書のはじめの見解
2 聖書から見た家族の起源と目的を説明しなさい。
2 時を経てつづけられる家族のとりきめに対して,聖書ははじめどんな見方をしていましたか。家族という単位を設立されたのは,ほかならぬ人間の創造主ご自身です。(マタイ 19:4-6)家族という単位を用い,完全な,円熟した個人から成る人間社会で全地を満たすことが,社会学者である創造主の御目的でした。(創世 1:28。使行 17:26)このような家族のサークルは必然的に父親と母親と子供から成り立つことが,愛をもって定められました。家族は結婚によって成り立ち,また維持されて行きます。従って家族の成員は家庭,つまり父親をかしら,神に対して責任を持つ律法の与え主とし,母親が世話を見る者となり,父親に従いつつ子供を治める小さな政府を作り上げるのです。(コリント前 11:3。ロマ 7:2。テモテ前 2:11-15。箴言 6:20)そこでエホバ神が最初の男女を合わせられた時より,結婚は人類の間の定めとなってきました。これにより,単位としての家族のおもな目的すなわち子供を生むことが果たされてきたのです。こうして生まれ出た子供たちは,拡大する人間社会の成員として正しく訓練されるはずでした。
3,4 (イ)青少年は何を与えられましたか。またどんな生活をしましたか。(ロ)どんな質問の答えが望まれますか。
3 このようにして,成熟したおとなになるまでのほとんど20年のあいだ,子供は家庭にあって両親の愛の導きを愛けながら,行き届いた訓練,しつけ,保護,教育を受けることになっていました。(箴言 4:1-9。コリント後 12:14)また人間のなし遂げたこと,獲得した知識と知恵は,これによって次の世代にひきつがれ,常にふえる子孫の手に渡ってゆくのです。幼少期から思春期に至るまで,未成年者は家族の一員として固く結ばれ,家族の生活,崇拝,仕事,喜びと団らんを共にするのが本来のあり方でした。(ルカ 2:51,52)集団生活に隔離したり,子供たちを親からひき離して他人の世話と感化にゆだねてしまうことではありません。こうして成年に達するとき,人は新しい家庭を築く備えができていることになります。それで賢明な両親の監督下におかれ,「僕」にもたとえられる,かつての子供たちはいま自由となって,自分の家庭を「管理」する者となるのです。―ガラテヤ 4:1,2,新口。
4 人間がむかしエデンにおいて,創造主に反逆したため,今日の家族は,人間家族の本来の理想的なあり方からどれほど離れていますか。いま聖書から得られる知識に照らしてみるとき,本来の聖書の標準にかなう家族生活を送り,その目的を果たそうと誠実に努力している人々がいますか。新世社会のこの中核とは何ですか。今日,地上にあるさまざまな社会における家族の姿をしらべてみましょう。
ソ連の社会における家族
5 ソ連の社会における家族を説明しなさい。両親は尊敬されていますか。
5 ソ連の社会において,家族は「集団の一部をなすもの」,共産主義者の細胞と考えられ,子供に対する両親の権威は国家から委任されたものです。子供に対する親の義務は,実際には社会に対する義務となっています。母親の手を離れて集団の組織に飛びこんでゆく子供は,えらいとさえ言われます。ソ連の著名な教育家マカレンコは,その著「両親のための本」の中で次のように述べてこの事を確証しています。「我々〔ソ連〕の家族は…自然の集団の組織体である。家族は社会を構成する主要な自然の細胞である。両親は権威を持たないわけではない。しかしこの権威は社会の権威の反映に過ぎぬ。我が国における父親の子供に対する義務は,社会に対する義務の特定な形態である」。この著者は,母親との間に不和を起こして家を飛び出した少年のことを述べて,次のように評しています,「私は楽観主義を大いに賛美する。ソ連邦に大きな信仰を抱いて,国家のために身を挺し,自分の母親にさえも従わない少年たちは頼もしい限りだ」。a このすべては,子供を治める権威を両親に与えた神の定めにもとるものです。―出エジプト 20:12。エペソ 6:1-4。
6 (イ)ソ連の訓練は,どのように集団的な人を作りあげますか。(ロ)これらの方法は,聖書とどのようにくらべられますか。
6 ソ連型の社会においては,聖書に従う,一致した家族生活というものが,すでに幼少の時から余り行なわれません。ソ連の子供たちは幼少のときから,両親のもとを離れて集団生活にはいるように仕向けられています。多くの場合,生後3ヵ月の赤ん坊が隔離され,やや大きくなった幼児は日中,幼児院におかれて国家の統制による画一的な養育を受け,一方で母親は外に出て働くのが普通です。青少年は青少年団体にいれられて,政府の息のかかった特別な訓練を与えられます。学校にはいったその日から,子供たちは仲間の行動を監視することを教えられます。聖書の強くいましめている人間に対する恐れが,こうしてはぐくまれます。(箴言 29:25)学校ではグループ,チーム,集団単位で競争することを教えます。教室では図表を用いて「だれがいちばん優秀か」を強調します。優秀なグループや集団は報いとして特権を与えられにます。これは競争を禁ずる聖書に反する行いです。(ガラテヤ 5:26)自分の属する集団の他の者を助けることが,絶えず強調されます。このようにして自分の集団に対する責任感と忠誠心が常に男女の心の中に養われます。これらの方法のため,神から与えられた尊厳と天分を持つ個人も集団の中に埋もれてしまいます。名誉は何時でもグループのものであり,グループの名誉はソ連の国家に帰せられます。b それとは全く反対に,聖書の道は集団の人ではなく,成長をとげて円熟した個人,神の栄光となる人を作り出すものです。―詩 8:4-9。コリント前 11:7。
7 中共の集団農場のとりきめを聖書のそれとくらべなさい。
7 中共では,古来の家族制を廃するための努力を更に一歩進めています。この目的で中共は「集団農場」を組織してきました。この仕組に従えば,一家族としての個人の生活は事実上なくなってしまい,集団がその内に住むすべての人の生活,養育,活動を統制します。大勢の男女は群れとなって一定の仕事をします。女に対する男の権威はなくなり,神がはじめに定めた妻の夫に対する服従は忘れられて,婦人は独立した自由の生活を送ることができます。(創世 2:24)子供を治める両親の権力も砕かれてしまいました。卵を親どりからとってふ化させるように,生まれた子供は国立の乳児院に入れられそこで育てられます。このようにして国家または社会が養育者となっているのです。これは神が父親と母親に与えた地位と役目を奪うものです。そのうえ,これは自然にも反しています。子供の健全な発育に欠くことのできない真実の愛情をそそぎ,行き届いた世話をすることは,両親でなければできません。神の定めた自然の法則を破るならば,悲さんな結果を刈り取ることになります。―ガラテヤ 6:7,8。c
欧米民主主義社会の家族
8 欧米民主主義国において,家族はどうなっていますか。
8 欧米民主主義の社会においても,家族のあるべき姿はすでに長年にわたって見失われてきました。その結果,家庭は破壊されています。この型の社会では,父親は勤め先から戻ると,急いで食事をして服を着かえ,仲間と連れだって晩の娯楽を楽しむためにどこかへ出かけます。そのほか,夫はクラブの会合の晩,ボーリングの晩,猟,教会の親ぼく会などのため,家庭から離れた人となってしまい,家族と過ごす時間がありません。母親もトランプのクラブ,教会の婦人扶助クラブ,友だちとの社交的なつきあいで晩に家をあけることも多く,やはり自分だけの道を行きます。10歳代の子供たちも,スカウト,グループ,日曜学校の青少年の会,学校のパーティー,近所の「遊び仲間」と語らって出かけることなどに時を過ごしています。こうして聖書の原則とは反対に,家族はばらばらになっています。家族を向上させるような掟や秩序は,少しも守られていません。家族が一緒になって働き,何かをするということがありません。同じ年齢,同じ性の仲間だけに通用する考え方に従って,めいめいが自分の道を行くという風で,家族そろってレクリェーションを楽しみません。―コロサイ 3:18-21。
9 機械的な人が多くなるのはどうしてですか。
9 学校でも,世の中に出てからでも,常に競争があります。学生でも社会人でも,その考え方は群衆心理に影響されています。新聞,ラジオ,テレビ,映画を通して,家族の全員は物質主義の目標を見せつけられています。個人の利益ばかりが強調されていますが,これは原則の上に立って他の人に愛と無私の関心を示すという聖書の教えと反対です。男女とも働きに出て組織のひとつの歯車のようになっています。金銭で成功がはかられ,生活の中でもっと価値のあるものは見捨てられています。欧米の社会でも,神のもくろまれた個人の尊厳が軽視され,人はますます機械のようになりつつあります。―コリント前 13:5。ピリピ 2:4,21。
身近にある新しい世の社会
10,11 (イ)新しい世の社会によって何が達成されていますか。(ロ)この新しい社会の中核の歴史を簡単に述べなさい。
10 聖書の預言を成就して,今日,地上には注目すべき新しい世の社会が発展しつつあります。すでに設立を見た,アブラハムの裔の御国の下にいて油そそがれた者を中核にして,185の国に住む家族がアブラハムの裔による祝福を求めています。(創世 22:17,18)これはすなわち,聖書の水準に従う家族生活とその目的を回復することにもなるのです。身近にある新しい世の社会とはどんな社会ですか。
11 1919年の春以来,エホバの油そそがれた証者の,多くの残れる者は,最高の神にささげる清い崇拝と奉仕を再び始めました。何年にもわたった迫害,反対に耐え,火のような試練を経てきた残れる者は,いまや試みを経て清められ,忠節な献身をするエホバの僕となりました。すでに1914年,エホバの御国が天に設立されたことは,多くの事実に照らして明らかでした。従ってそれに続くものとして,「新しい地」を成す社会の設立される時が来るはずです。(イザヤ 51:16; 65:17)そのことはまさしく1919年に起きました。このようにしてこの油そそがれた者の残れる者は,聖書の教えに従い,クリスチャンの生活を送るために心をかえて新たにした人々の社会の中核また中心となりました。―ロマ 12:2。
12,13 (イ)どんな人々が,この清い中核につき従いましたか。(ロ)この新しい社会の名前は何ですか。その名前は何時受け入れられましたか。(ハ)その社会は何を導きとしていますか。(ニ)1953年の決議の中で何が宣言されましたか。
12 この社会の発展につれて残れる者と交わるようになったすべての人は,その考え方を変え聖書の原則に従う新しい人格を身に着けることが必要でした。また「つるぎを打ちかえて,すきとし」,平和を求めることも必要でした。(コロサイ 3:9,10。イザヤ 2:4,新口)雪だるまの固い芯のように,この清い中核のまわりには正義を愛する他の人々が集められて,その人々も発展するこの制度に固くつき従っています。(ゼカリヤ 8:23)このようにして1931年以来,心の清い男女すなわち「大ぜいの群衆」が,この拡大した社会と交わり始めました。この中核すなわち油そそがれた者は神に恵まれた者であり,その正義のパン種はふくらんで,この目ざましく生まれた新しい社会の隅々に及んでいます。この社会は,いま185の国々にひろがっています。(マタイ 13:33)1950年7月30日から8月6日までニューヨーク市のヤンキー・スタジアムで開かれたエホバの証者の神権政府拡大大会において,神のこの見える制度をエホバの証者の新世社会と呼ぶことが決定されました。3年後にヤンキー・スタジアムで開かれた2回目の国際大会のおり,聖書を導きとする旨を述べた次の決議(一部を引用)が満場一致で可決されました。
13 「それで,ヱホバの証者であり,また彼の新しい世の社会の成員であるわれわれは何十という国から何万という群をなして,1953年7月20日,ここニューヨーク市のヤンキースタジアムでの国際大会に集まり,これを次の決議を可決する最も良い機会といたします。……約束された正義の新しい世に関して,エホバの与えられる幻と希望にわれわれはエホバに恩を受けているということをはっきりと認める。……エホバは…その尊い約束に従ってわれわれを導いて新しい世の社会とされた。この新しい世の社会の起源は人間のものからではなく,また群れとして法人に登記することや,またその存在と活動を登記することに対して,地上の政治的な国家に頼まず,依存しない。……新しい世の社会として,われわれを結びつける永久の絆をわれわれはしっかりと保ち続ける。われわれは一つの国民であって,人種,皮膚の色,言語,種族,または国家の区別はない。われわれは唯一の生ける真の神,エホバを持っている。われわれは神の下にいる唯一の共通の君主,すなわち神の子でありわれわれのあがない主であるイエス・キリストを持っている。われわれが何処に住んで居ようと,われわれすべてに共通な一つの律法をわれわれは持っている。その律法とは聖書に書かれているヱホバの神権的な律法である。われわれは国国から取り出され,破滅に運命づけられた世から選び分けられた。われわれが一致結合し前進して行く一つの国,すなわち神の造られる新しい世を,われわれは持っている ―」。1953年「ものみの塔」392,393頁。
14,15 (イ)家族は何にたとえられますか。説明しなさい。(ロ)家族がひとつに結ばれていることには,どんな益がありますか。
14 この新しい社会内の一致した家族を,つり合いのとれた車輪にたとえて考えることができます。車輪は物を運び,前進するように作られています。家族のめいめいが正しい場所を占めている時,すなわち両親が車輪の中心に,子供がスポークの位置にあって,各人がその地位に応じた務をはたすとき,家族という組織は円滑に動きます。家族の輪は,けわしい道も平らな道もころがって行きます。車軸を中心にして車輪のわくが正しい位置に保たれる限り,それは坂を上り下りするにもコントロールを失うことはありません。しかしスポークが1本でも長過ぎたり,短か過ぎるなら,あるいは車の中心部分が割れていたり,あるいは中心をはずれているならば,がたぴしし始め,円滑に動きません。前進ははばまれてしまい,一緒に進んでいる者たちも満足を覚えないでしょう。
15 新世社会内の家族はまとまりのある一体であって一緒に働きます。「スポーク」が分離していたり,「車の中心部分」が半分欠けていたりすることはありません。車輪のような家族の全員は一諸に働き,崇拝し,学び,遊び,物事をします。これによって家族は満ち足りた健全な気持ちと平和を得,生命に至る道に進みます。家族のだれかが,家事のために無理な働きを強いられることはありません。「男は夜明けから日暮れまで働くことがあっても,女の仕事は終ることがない」といった非聖書的な言葉は,神権的に物事を行なうクリスチャンの家庭では通用しません。家族の全員が手分けして家事をするので,仕事は手早く片づけられ,他の有益な活動の時間が得られます。―コロサイ 4:5。
16 新世社会における家族の一致した崇拝を述べなさい。
16 神権的な古代のイスラエルにおけると同じく,今日の新世社会の家族にとっても,一致した家族の崇拝は欠くべからざるものです。かしらである父親は,家族の霊的な必要物を意識しています。毎週1回あるいはそれ以上,家族の聖書研究が定期的に開かれます。子供も大人も家族全員がそろって参加するのです。多くの家庭では朝食の食卓で,協会の年鑑を用いて家族全部が日々の聖句を討議しています。食事の度に,日毎の糧をエホバに感謝する祈りがささげられ,1日の終りには多くの家庭で家族の全員が祈ります。その時,父親が声を出して祈り,多くの場合,家族の者はかたわらでひざまずいて父親の祈りに和するのです。週のあいだ,家族の各人は自分の都合の良い時,個人的に聖書を学ぶことをすすめられます。週に5時間,新世社会の最寄の会衆で開かれる三つの集会には,家族そろって出席します。このような家族の者は神を恐れる心を持つ,献身した奉仕者であり,家から家に伝道し,善意者と聖書研究を司会する奉仕のわざにも,毎週,時間をついやします。このようにして,今日のクリスチャンは,神の設けられたとりきめ,いわば祭壇の上に賛美の犠牲を捧げるのです。子供でさえも両親について家から家の伝道に行き,公に賛美がささげられるのを聞きます。やがて小さなダビデ,小さなダイナも,世の人々に証言するわざを助けたいと望むようになるでしょう。―マタイ 5:3。出エジプト 12:26,27。エペソ 6:18。ヘブル 10:25; 13:10,15。マタイ 21:15,16。
17 家庭の円満な運営には,何が必要ですか。
17 円満な家庭の運営には,愛,協力としつけが必要です。父親は万事を治めるかしらであって,何事にも率先し,家族の方針を定め,妻は夫に従います。助け手また協力者である母親は父親を助けて家を治め,夫のいない間,秩序を保ちます。子供は幼い時から両親に対する尊敬と従順を教えられ,いいつけを守るようにしつけられます。両親は互いに,また子供に対して愛を示します。必要な時には,子供の愚かさをためるため,こらしめのむちが使われるでしょう。クリスチャンの両親は,子供の霊的な福祉に責任を持つことを十分に認識しています。行いと奉仕において忠実なクリスチャンの手本を示す両親のゆえに,未成年の子供は間接に清い者となって,エホバの恵みと祝福を受けます。―テモテ前 3:4,5。エペソ 5:22。箴言 22:6。コリント前 7:14。
18 ひとつに結ばれた神権的な家族の受ける益をあげなさい。
18 ひとつに結ばれた神権的な家族には,多くの益があります。家庭には理解と調和があり,何事をするにも一致して働き,互いの間にまさつはありません。それぞれの人格が溶け合い,関係が調和し合って,愛,喜び,平和,忍耐がかもし出されます。金銭のことでいさかいが起きることはありません。物質主義は押えられて,霊的なことが重んじられるからです。家族そろって娯楽を楽しむことから,深い喜び,上品な笑い,落着きが生まれます。子供は霊的なものの価値を知るようになり,10歳代の時にさえ,円熟,落着き,自信を身に着け,将来に対して賢明な志を抱くようになるでしょう。聖書の原則を話し合って理解し,毎日の生活に応用することが行なわれます。このすべては家族全員の霊的な健康を守るものとなり,悪い欲望は打ち捨てられてしまいます。ひとつに結ばれた家族の生活は,あらゆる面において報いをもたらすものです。―ガラテヤ 5:22,23。
19,20 (イ)青少年の関心をどの方向に賢明に導きますか。だれが導きますか。(ロ)新世社会の青少年が古い世の青少年にくらべて,著しく異なるのはなぜですか。(ハ)どんな状態について,まだしらべることが必要ですか。何時しらべますか。
19 子供を日曜学校にやったり,あるいは子供の望むままに近所の「遊び仲間」や,色々な青少年団体に入れたりすることは行なわれません。10歳代の子供たちは,放課後の時間を新世社会の他の青少年と共に過ごします。そして有益な事に時を使うのです。神のお造りになった,興味深い「自然の本」から,広い分野にわたって自然の驚異と美を探ることができます。あるいは特別に宣教活動に従事することもあるでしょう。それは心をおどらせる活動です。目ざといクリスチャンの両親は,子供の熱意と関心を正しい方向に導き,例えばハイキングに連れて行って自然を観察するとか,神権的な大会への行き帰りに見学旅行をするなどのことをします。また有益ならば,10歳代の子供たちを自分の職場に連れてゆくこともあるでしょう。社交的なパーティーに出席するよりも,両親に連れられて,価値ある分野に関心を向け,また探求するほうが,子供にとっても楽しいのです。
20 古い世の社会の青少年は,放任され,欲求不満に悩み,性のことで頭をいっぱいにし,射幸心を持ち,捨てばちで,平衡と落着きを失っています。実際のところ,これでは将来円熟したおとなとなることはできません。新しい世の社会の青少年は,これらの者よりもはるかに先んじています。神権的な青少年は勇気があり,活発で,自分たちが有用であり愛されていることを知っています。また熱意を持ち,尊敬を示し,人もうらやむほどの徳と節制を保っています。このすべては,ひとつに結ばれた家族の結ぶ実のひとつに過ぎません。離婚は見られず,円満な結婚生活が行なわれています。家庭生活全般が,徳と名誉のあるもの,喜びのあるもので,その神エホバに名誉を帰するものです。しかし,家族全部がエホバの証者ならば,その通りに行なうこともでき,それは本当にすばらしいと,ある人は言うことでしょう。クリスチャンは分裂した家庭内でどのようにふるまうか,そして新世社会の成員としての立場をどのように保つかという質問が出ます。次の記事でこの問題を考慮しましょう。
[脚注]
a 1961年8月27日付ニューヨーク・タイムス・マガジン,21頁。
b 1961年8月27日付ニューヨーク・タイムス・マガジン,78頁
c 1961年10月22日付ニューヨーク・タイムス・マガジン,81頁。